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公開学習会 和田央子さんに聞く

   【和田央子(なかこ)さんに聞く】

福島第一原発事故・惨事便乗の復興モデル~

汚染土再利用とイノベーションコースト構想


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参加費無料、カンパ歓迎

  催   さよなら原発神戸アクション

         (https://sayogenkobe.blog.fc2.com/

       和田央子さんのお話を聞く会

問い合せ  090-1678-1431 ケイ

メール: nonukekobe311gmail.com (★=@)


和田さんは311以降、原発事故由来の放射能汚染ゴミの焼却処理の問題や、それに伴う労働者の被ばく問題などに取り組んでこられました。

第1部では、和田さんが一貫して追及してこられた放射能汚染廃棄物の処理問題が、焼却から更に汚染土や汚染木材等の再利用へと、住民や作業者の被ばく受忍を前提に、核災害とその責任をなきものにする方向にひた走っている問題についてお話しいただきます。

第2部では、原発事故から13年が経過した今、自然災害と原発事故を「乗り越えた」復興の象徴として、被害者である元の住民を置き去りに、企業や移住者誘致を目玉とする惨事便乗型のビジネスモデルが進められていること。と同時に、経済安保法、土地規制法などの、住民の監視を排除する法整備も着々と進められてきたこと。

それら、アメリカの核基地・ハンフォードをモデルにした国家プロジェクトは、まさに核の平和利用と軍事利用は表裏一体であるという真実を雄弁に物語っている

そういった、メディアにはほとんど取り上げられない、福島原発事故後に起こっている出来事について、和田さんに詳しく教えていただこうと思います。

また、そうした国の動きは、浜通りの住民であった被害者の方にはどう映っているのか?今では帰還困難区域となってしまった地域で暮らし、中間貯蔵施設のある町で働いておられた菅野みずえさんにもご参加いただきます。

★★ 和田央子さんプロフィール ★★

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東京生まれ。2001年、夫と自然豊かな地方での暮らしを求めて福島にIターン。

2012 年環境省が鮫川村に建設した初の指定廃棄物(原発事故により汚染された、1kgあたり8,000Bqを超える放射性物質を含む廃棄物)の焼却実証実験施設の近くに居住していたことをきっかけに、放射能汚染ゴミ問題に取り組む。



 (参考)

イノベーション・コースト構想を監視する会(イノベ監視会)

https://www.facebook.com/groups/634327701659823

ブログ

https://finnovaw.blogspot.com/

燃やすな除染廃棄物ー焼却・バイオマス発電に反対

https://www.facebook.com/groups/280284935853124

「ごみから社会が見えてくる 2」 汚染土再利用が軍事に貢献?!

https://gomif.blogspot.com/2024/04/blog-post_15.html


2月ZOOM茶話会報告:原発のまち50年の顔 女川から未来を考える

2月25日に開催したZOOM茶話会「原発のまち50年の顔 女川から未来を考える」のYoutube動画が配信されました。
当日参加できなかった方、もう一度よく聞きたい方、素朴で飾り気のない阿部美紀子さんのお話をぜひお聴きください。

原発のまち50年のかお―女川から未来を考える@zoom茶話会
お話: 阿部美紀子さん 「女川から未来を考える会」代表 



2011年3月11日に発生した東日本大震災。大津波によって女川の町は壊滅的被害を受け、当時の町の人口、約1万人の内、8%の827名もの方が亡くなられました。そのような大災害の渦中、東電福島原発事故が起こり、また地元の女川原発にも怯えながら、女川の人々は不安な日々を過ごしました。

時はさかのぼって50年ほど前の原発反対闘争。
1970年に始まり、1979年12月の1号機本格着工まで、狡猾で欺瞞に満ちた国や電力会社を相手に「三町期成同盟漁民総決起現地集会」、「海上デモ」、「原発説明会開催阻止行動」等々、警察・機動隊とも闘いながら、壮絶で厳しい、さまざまな原発反対・抗議行動が行われました(1979年の着工後も裁判闘争など、今現在に至るまで懸命な反対運動は続いています)。
……にもかかわらず、原発は建設されてしまい、それも2002年に運転開始の3号機に至るまで3基もの原発が建設され運転されることになってしまいました。

「阻止闘争は負けると本当に苦しい。あれだけ頑張ったのにどうして阻止できなかったのだろうと、今でも口惜しい悔しい思いがある。けれどもそんな反対運動をしたことによって、胸を張って生きられる」と阿部さんは語ります。
その時の写真が、写真集「原発のまち 50年のかお 女川から未来を考える」に収められています。皆様にも是非、手にとってご覧いただきたいと思います。
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「避難計画」という言葉をよく耳にしますが、そもそも「避難計画の必要な発電なんていらない!」と言われています。今年年始に起こった能登半島大地震の被害を見ても、避難などできないことは誰の目にも明らかです。
阿部さんは「子どもたちの未来に 逃げなくてもよい町を残したい」と言います。

 

♥ 311神戸からの祈り2024 ♥

神戸からの祈り2024

さよなら原発神戸アクションでは、東日本大震災・フクシマ原発事故を忘れず、被災した人々に思いを寄せるために、毎年3月11日の夕方に思いを同じくするグループ、個人と強力しあって「311神戸からの祈り」を開催してきました。
コロナ禍でしばらく完全な形では開けませんでしたが、今年は、全国・世界に呼び掛けられている「311のキャンドルナイト」に連携して、神戸三宮のマルイ前に集います。

日 時:2024年3月11日(月)
    18:30~19:30(18:45~19:15キャンドル点灯)場 所:神戸三宮マルイ前路上
*よろしければ、ご自身のキャンドルをご持参ください。
主 催:311神戸からの祈り実行委員会問い合わせ:sayogenkobe-staff★mlist.ne.jp または ginga08ms★hotmail.com(上記のメールアドレスの★の部分は@に変えてください)

★★★★★★★★★★★★★★★★

♥「311のキャンドルナイト」からのメッセージ ♥
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2024年3月11日(月)午後7時3分、一斉にろうそくを灯す「311のキャンドルナイト」。一人でも。ぜひご参加ください。
ウェブサイトは https://www.311candlenight.org

東日本大震災から13年が経ちます
あの日、午後7時3分に発令された「原子力緊急事態宣言」は今も解除されていません。まだ多くの被災者が県内外で散り散りに暮らしています。今年の311。いっしょに「311のキャンドルナイト」をしませんか。今でも痛い 私と誰かの癒しとなりますように。

今年は7時3分を中心にキャンドルを持ち寄ってのイベントです。
みなさまのご参加をお待ちしております。

東日本大震災から13年が経ちます

あの日、午後7時3分に発令された「原子力緊急事態宣言」は今も解除されていません。

まだ多くの被災者が県内外で散り散りに暮らしています。

今年の311。いっしょに「311のキャンドルナイト」をしませんか。

今でも痛い 私と誰かの癒しとなりますように。

 一人でもできます

13年が経つ東日本大震災は、被災地が広範囲で被災者も全国に散らばったことから、これまで阪神淡路大震災やチョルノービリ原発事故のような、市民によるメモリアルイベントはありませんでした。落ちたデブリは確保できず、廃炉の日程は延期に次ぐ延期、デブリに触れ核種を帯びた地下水の海洋放出は対話なく強行、復興キャンペーンや「それは風評被害だ」キャンペーンに大金が投じられ、本当の被災者の支援は足りていません。いま私たちにできることは何だろう。今も傷を負っている人たちに心を寄せる場は作れないのか。

 

2024年3月11日(月)午後7時3分、一斉にろうそくを灯す「311のキャンドルナイト」。一人でも。ぜひご参加ください。

 ぜひあなたも「311のキャンドルナイト」に参加してください。

近くのキャンドルナイトに参加するMAPにすでに計画されているキャンドルナイトの場所と時間が掲載されています。こちらにご参加ください。


自分で主催する。キャンドルナイトは自分で主催することもできます。場所と日時を「311のキャンドルナイト」までお送りください。一人だけのキャンドルナイトも歓迎します!

 

共同代表 アイリーン・美緒子(みおこ)・スミス、白石草(しらいし・はじめ)、マエキタミヤコ

https://www.311candlenight.org

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