2月ZOOM茶話会報告:原発のまち50年の顔 女川から未来を考える
2月25日に開催したZOOM茶話会「原発のまち50年の顔 女川から未来を考える」のYoutube動画が配信されました。
当日参加できなかった方、もう一度よく聞きたい方、素朴で飾り気のない阿部美紀子さんのお話をぜひお聴きください。
原発のまち50年のかお―女川から未来を考える@zoom茶話会
お話: 阿部美紀子さん 「女川から未来を考える会」代表
**************☆原発のまち50年のかお—女川から未来を考える@zoom茶話会**************■日時■2024年2月25日19時〜21時、(18:50開場)■場所■オンライン(Zoom)■講師■阿部美紀子さん 「女川から未来を考える会」代表■参加費■無料(カンパ歓迎)■呼びかけ文■宮城県の... www.youtube.com |
2011年3月11日に発生した東日本大震災。大津波によって女川の町は壊滅的被害を受け、当時の町の人口、約1万人の内、8%の827名もの方が亡くなられました。そのような大災害の渦中、東電福島原発事故が起こり、また地元の女川原発にも怯えながら、女川の人々は不安な日々を過ごしました。
時はさかのぼって50年ほど前の原発反対闘争。
1970年に始まり、1979年12月の1号機本格着工まで、狡猾で欺瞞に満ちた国や電力会社を相手に「三町期成同盟漁民総決起現地集会」、「海上デモ」、「原発説明会開催阻止行動」等々、警察・機動隊とも闘いながら、壮絶で厳しい、さまざまな原発反対・抗議行動が行われました(1979年の着工後も裁判闘争など、今現在に至るまで懸命な反対運動は続いています)。
……にもかかわらず、原発は建設されてしまい、それも2002年に運転開始の3号機に至るまで3基もの原発が建設され運転されることになってしまいました。
「阻止闘争は負けると本当に苦しい。あれだけ頑張ったのにどうして阻止できなかったのだろうと、今でも口惜しい悔しい思いがある。けれどもそんな反対運動をしたことによって、胸を張って生きられる」と阿部さんは語ります。
その時の写真が、写真集「原発のまち 50年のかお 女川から未来を考える」に収められています。皆様にも是非、手にとってご覧いただきたいと思います。
「避難計画」という言葉をよく耳にしますが、そもそも「避難計画の必要な発電なんていらない!」と言われています。今年年始に起こった能登半島大地震の被害を見ても、避難などできないことは誰の目にも明らかです。
阿部さんは「子どもたちの未来に 逃げなくてもよい町を残したい」と言います。