11月のマルイ前アクションは10日日曜日でした。
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この日のエントリーの紹介
1.初めの挨拶~小橋さん
高浜原発から関電本店までのリレーデモのことと
なんでもかんでも、原発が絡むと高くつくこと。
3億でできる駐車場が、関電絡むと28億?!
そんなことの為に、原発事故起こされたら、たまったものでない。
・若狭の原発で事故が起きたら、私たちの生活は根底からひっくり返される。
40年動かしてない車、運転しようとしますか?!etc.
小橋さんのお話は例え話も分かり易く、いつもながら説得力あります。
2.歌~中山さん
『霧笛の街』『枯葉』
「ここで言っているのは『原発やめませんか。』ということです。
地震とか災害があった時、大変危険なものです。」
「気持ちのいい休日です。こんな平和な毎日が続くといいですね。
その為に、アカンもんはアカンと言いながらやっていったらと思います。」
好青年の中山さんが、前説で淡々とさり気なく語られるまっすぐな言葉、
とっても新鮮に響きました。
大きく開かれた口から、ハリのある歌声が響きます。
3.詩『落ち葉のパルティータ』朗読~望月
落ち葉の季節になると思い出す、幼い孫が落ち葉を拾うことを
禁じた時の辛さ。
橋下徹前大阪府知事が、福島原発事故後の汚染瓦礫を大阪で引き取り
大阪湾の、我が家の対岸にある舞洲ごみ処理所で焼却した時期に生まれた詩。
「福島では、今もずっとこんな日々が続いているのだ・・・;」と改めて想います。
4.水害ボランティア報告と歌~渉さん
1か月の間に、台風被災地に3回も行かれた渉さんの報告です。
自衛隊は、要請がないと動けない。70歳、80歳の方がブルーシートを
張って、屋根から落ちて怪我をしたり亡くなられたり。ボランティアも
落ちて怪我。せめて国が支援してほしい。・・・・・・
震災のニュースがあったら、チャンネル変えないでください。被災者の
為に動く!誰かをハッピーにすると、自分もハッピーになる。
100年先の未来、持続可能なものしか持続しない。
5.歌『憎んではいけませんか』『夕方の空気のブルース』~光葉さん
「東電ひどいですね。あれだけたくさんの人の命を奪い
健康を奪い、故郷を奪い、生活を困窮させたのに
東電、謝っていません。賠償きちんとしていません。
避難している人、たくさんいます。・・・・・」
という前説から始まった歌『憎んではいけませんか』
「♪『 人を憎んではいけません。』と、昔母さんは言ってました。・・・」
『夕方の空気のブルース』は、黒人詩人ラングストン・ヒューズのブルース的な
詩から。
光葉さんのエレクトーンの調べを、立ち止まってじっと聴いて下さっている人がいました。
6.替え歌~住友さん
遂に住友さんは、英語の歌まで替え歌に!!
下は、「BEAUTIFUL SUNDAY」の替え歌の一部。
♪IF ONLY WE STOP THE NUCLEAR POWER
HEY HEY HEY IT'S A BEAUTIFUL DAY
7.原発賠償訴訟~久一さん・堀越さん・今泉さん・松本さん
東電は、M8の地震が来ることを知っていた。
15.7mの津波も予測していた。
利益を優先し、安全対策を怠ったのだ。
国会事故調は、明らかに人災と批判している。
〈 関西訴訟 〉
11・21(木)13:00集合 大阪地裁
〈 京都訴訟 〉
12・12(木) 14:30 大阪高等裁判所
〈 兵庫訴訟 〉
12・5(木) 13:20集合(正門前)
14:00~ 神戸地裁101法廷
8・『種を播こうよ』 ~ みんなで
*飛び入りアピール~韓国人留学生の方よりありました。
事故は絶対起こさない保障があれば良いが、
事故を起こした瞬間から、有罪!
■参加者たちの感じたこと
・アクション後半で、ずっと座って聴いてくれていた少年(中3)のこと
「老朽ってどんな意味か?」尋ねてくれる。
・高校生が3人いて、一人が座った。他は「もうええやん」と云っていたが
聴いてくれていた。(「彼らなりに何かの動機になったら良い。」~光葉さん)
・自分の意見が言えない日本人。「風評」「忖度」外国人には
理解されにくい。
・渉くんの話良かった。
・フィリピンの人か?住友さんの『ビューティフル サンデー」足を止めて
聴いてくれていた。(国際都市神戸で、替え歌に英語バージョンあるのも
意義深いことでしたね。)
・出演者一人ひとりタイプが違う。流ちょうな政治的アジテーションの
連発でなく、アピールあり歌あり・・・・、中山さんも語ってくれた。
・中学生くらいの子が、チラシを見て第一声「社会の成績上がるわ!」
又戻って来て友達みんなの分も取って行った。
・一演目一演目、秋らしくて、ゆっくり落ち着いて聴けた。
8演目くらいが丁度良い。
・最後の『種を播こうよ』歌詞の幕と歌、いい雰囲気で、足止めて
聴いてくれている人がいた。