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なぜ盧溝橋事件で「蒋介石が中央軍を北上したが、29軍首脳から、増援派遣は日本を刺激して事態拡大の危険があるとの情勢判断が入り、各師団の北上の動きは抑制された」ということは、 日本政府に伝わらなかったのでしょうか? 盧溝橋事件 「拡大」への道程ー内地三個師団等派兵決定ー http://yu77799.g1.xrea.com/rokoukyou/kakudai.html 盧溝橋事件の時に、支那駐屯軍は5,600名でした。盧溝橋事件の際に、蒋介石が中央軍を北上命令がなかったら全面戦争は回避できたと思いませんか?前日の9日、事件の状況報告を受けた蒋介石は、河南省の二個師団、山西省の二個師団に北上を命じていた。ただ、蒋介石直轄の中央軍は一個師団のみだった。しかも29軍首脳から、増援派遣は日本を刺激して事態拡大の危険があるとの情勢判断が入り、各師団の北上の動きは抑制されたものとなった。このような中国側の北上動向が、石原に過大に伝えられ、武藤らの派兵案を不本意ながら承認することになったのである。 近衛文麿内閣が日本軍を派兵したことで戦争の要因(本格的な全面戦争は第二次上海事変)になりましたが、それは「国民党中央軍北上」のニュースが一因です。 Wikipedia『盧溝橋事件』から引用 ・7月8日、蔣介石は日記に「倭寇の挑発に対して応戦すべき」と書いた。7月9日に蔣介石は中央軍に対し徐州付近に駐屯していた中央軍4個師団に11日夜明けからの河南省の境への進撃準備を命じた。蔣介石は宋哲元に電報で平和談判をしても戦争に備えることは忘れずにと命令する。また、第26軍孫連仲に先ず2個師を保定・石家荘へ鉄道で運送し、宋哲元の指揮に任せるようと指示した。7月10日に200人以上の中国兵が迫撃砲で攻撃再開した。蔣介石は、7月16日には中国北部地域に移動した中国軍兵力は平時兵力を含めて約30個師団に達し、19日までに30個師団を北支に集結させた。
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