回答受付が終了しました

武田信玄の駿河侵攻が批判されますが、この判断に関して今川を援護した北条氏康こそ無能だと思いませんか? もはや今川家の内部は崩壊寸前で武田が調略を仕掛ければ武将の大半が寝返ってしまう有様です。そんな状態では今川を助けても北条の盾にはならず、仮に武田を破って今川を存続させたとしても必ずどこかのタイミングで織田・徳川の今川征伐に巻き込まれて北条も窮地に陥っていたでしょう。であるならば北条氏康は武田と結んで駿河を攻め、領土を半分ずつ割譲するのが戦国の習いとしては妥当な判断だったのでは?

補足

北条と今川は2度の河東の乱で敵対していますから関係性が常に良好だったわけではありません。北条氏康は今川義元に狐橋の戦いで敗北して河東を奪われた背景があり、北条が今川を救援するどさくさに紛れて河東全域を占領していることからも今川領に対する野心がなかったわけではありません。 ですが結局、北条は武田信玄に敗北して駿河を占領されたばかりか、せっかく手に入れた河東全域まで武田に奪い取られてしまいました。その結果、北条が得られたものは何もなかったわけです。そんな半端なことをするくらいなら、最初から武田と結んで駿河を分割した方が得だったよね、という話です。

日本史 | 歴史581閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

回答(14件)

それは北条氏の責任ではないんですね。 上杉謙信が盟約を破って、出兵しなかったのがすべての原因です。 天下に聞こえた上杉謙信が約束を破るなんて予測は誰にもできません。 あなたのいってることは「未来を予知できない北条は無能だ」と 言っているに等しく、ひどい暴論でしかないと思われますが。

この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう

無能かどうかは置いておいて… 戦ってはいけない相手と戦ってしまった。 その表現の方が合っている様に思います。 後北条家と武田信玄の戦いを見ても解る様に、 作戦の立て方や、地理や人の心理まで考えて軍事行動を起こしている武田信玄が相手では、さすがの北条氏康でも歯が立たないと言う事ですね。 北条氏康は上杉謙信相手にも戦っていますが、籠城作戦が目立ちますね。 籠城戦も一つの戦い方でありますので、それを否定する訳ではありませんが、正面切って謙信と戦い続けた武田信玄の相手にはならないと言う事です。 そして武田信玄の恐ろしさは、戦後の事まで考えて行動していますので、冒頭に述べた通り、戦ってはいけない相手と戦ってしまった… っと言う事になるでしょう。

室町幕府 甲斐国守護兼信濃国守護武田信玄 相模国守護北条氏康 武田信玄を信濃国守護の兼務、北条氏康を相模国守護に任じたのは13代将軍足利義輝です。 今川義元は義輝が三好三人衆に殺され三好傀儡の足利義栄を14代将軍にして上洛戦を起こした時、今川義元は 「御所(将軍)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」(今川記) とほざいた。 将軍継承権を持つ足利御三家は吉良氏・石橋氏・渋川氏の3氏です。 また、足利将軍宗家には義栄の弟足利義昭がいるのに将軍になろうとした。 吉良氏の分家である今川氏は勝手に将軍継承権があると上洛戦を行い桶狭間で討たれた。 13代将軍足利義輝恩顧の武田信玄が今川氏を滅ぼしたのは儒学的な正義・忠義です。

別に信玄の駿河侵攻は批判される様なものじゃないし、氏康が今川についた事だって無能とは思わないけど。 個人的な好き嫌いや評価で論じるなんて無意味。 その先の未来の事も神の目線で見れる後世と当時ではそもそも違う。