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帝国海軍士官の陸上勤務について質問です。 艦隊勤務が基本だと思うのですが、当時の海軍の名簿、勤務地などをいくつか見たのですが、「横須賀鎮守府付」というのを見かけました。本を見た限り、陸上勤務もあるのだと。そこで質問です。 1. 陸上勤務になる人はどういう人でしたか?(経理などの主計科?階級は、中尉以上などでしょうか?) 2. 独身の場合は、どこに住んでいたのでしょうか?寄宿舎があったのであれば、門限等はあったのでしょうか? よろしくお願いします!

回答(3件)

大日本帝国海軍の陸上勤務についての質問に回答します。 1. 海軍士官で陸上勤務になる人は。 海軍陸戦隊、主に陸上での戦闘や防衛任務を担当する部隊に所属する士官。海軍航空隊の搭乗員。港務隊は艦船の出港、寄港時に支援船で艦船を押したり、引っ張る業務の士官。 海兵団は水兵を訓練する場所としての任務を持つ部隊に所属する士官(教官)海軍兵学校(士官を養成する学校)術科学校(術科学校では、航空機整備、情報技術、外国語、基地運用など、専門分野ごとに高度な教育訓練が行われています。)陸上勤務に就く海軍士官は、経理や主計に関わる人々も含まれましたが、基本的には専門性や必要に応じて任命されるため、特定の階級や職種に限定されるわけではありません。 2. 独身の海軍士官は、一般的に官舎や下宿に住むことが多かったです。出港中は艦船の士官室で過ごしてました。海軍士官には水兵と違い門限が設けられません。当番兵が官舎迄自動車で送迎しました。

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今の海上自衛隊もそうだけど、艦船乗組は、数ある勤務先の一部ですよ(本分ではあるけど) 将来有望な海軍士官は、艦船乗組、各種学校、省部などの官衙をローテーションで勤務して出世していきます。 少尉や中尉など、若手はまだ修業の身ですから、艦船をぐるぐる回って現場を勉強します。 そこから専門分野を学ぶために学校に入る者、鎮守府の海兵団の教官任務に就く者、陸上の陸戦隊や通信隊に勤務する者もいます。 戦前は、海外の一般大学、たとえばハーバード大学やオックスフォード大学などに留学する人もいました。 山本五十六など、海軍省や海外駐在が多く、艦船勤務はあまり多くありません。 昇進するための慣例である軍艦の艦長は、アメリカ帰りで軽巡五十鈴で手慣らししたあと、空母赤城で経験しています。 中には「陸上勤務はほとんど無し。ほぼ艦船勤務」という士官も稀にいて、こういう人は車曳きと言われてました。今で言う「運転手」みたいな意味合いでしょうか。 船乗りしか出来ないという半分軽蔑、本分である艦船乗組の専門家一筋、という半分尊敬の意味を込めた言い方です。 若手は勤務地の近くに下宿を借ります。 古手は艦長職にあっても陸上に家を構えます。 以上は兵科のお話。 主計や軍医は若いうちは艦船勤務もありますが、年を取ると艦隊にポストはほぼありません。ほぼ陸上勤務がメインになります。 造船科は、軍艦に乗るのは職場体験のような形のみです。

とても詳細にありがとうございます!海軍に関する本を色々と読んでいるのですが、兵科に関するものが多く、機関科と主計科がどうだったのかが気になっており。艦隊での仕事についての記述は色々と見つかりましたが、陸上勤務に関するものはあまり見つからず資料を探し回っております。 機関科と主計科の陸上勤務も、大尉くらいからが一般的なのですか?また、主計科は経理部、人事部あたりだと思うのですが、機関科は海軍艦船部などでしょうか?また、下宿生活というのは誰か世話をしたくれる人がいたのか、完全一人暮らしだったのか…。門限などもなく自由に生活していたんでしょうか。 また、戦前のある年の横浜貿易新報に、「海軍の酷暑日課は来る二十一日から施行午前中だけで勤務を終る」というのを見つけたのですが、酷暑日課というのは、陸上勤務全員に当てはまるものだったのでしょうか?

主計担当もそうですが、軍艦の開発部署も陸上勤務ですよ! 住んでいた場所は、陸上勤務を担っていた人は、自宅に住んでいたと思いますよ。 アニメのこの世界の片隅でのヒロインの旦那さんも海軍主計担当でしたが、自宅に住んでいたでしょう?