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必敗と分かっていながらアメリカと戦争(真珠湾攻撃)したのは、赤穂浪士が全員切腹と分かっていながら、もはや討ち入りせずにはいられなかったマインドと同じですよね? そしてそれを美談のように感じるのが、そもそもの日本人の国民性なのです
日本史・44閲覧
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日本史・44閲覧
赤穂浪士にとって全員切腹は寧ろ「勝ち」です。 その結果、残された遺族に他家から仕官の声がかかったりしたのですから、目論見以上の大勝利です。
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必敗と分かっていた軍人は少ないと思いますよ。それに。そもそも論として…、当時の陸海軍は、陸軍省と海軍省というお役所でした。今の防衛省は自衛隊員ではない国家公務員総合職試験に合格したキャリア官僚が運営していますが、当時の陸海軍省は士官学校を卒業した軍人官僚が仕切っていました。 そしてキャリア官僚であれ、軍人官僚であれ、第一に考えることは所属する省の予算を拡大することです。予算がなければ何もできませんからね。 陸海軍省の軍人官僚がまず考えるのは、いかに軍事予算増額を勝ち取るかであり、そのためには戦争を始めるのが一番手っ取り早いのです。 だから、明治維新以後の大日本帝国は、戦争ばかりしていたとも言えます。 「アメリカと戦争したら必敗だ!」という主張には「日露戦争だって大変な経済格差、兵力格差、生産力格差があったのに勝ったじゃないか!!」と大声を出し、最悪は515事件や226事件のようなテロをほのめかせばいくらでも戦争ができたのです。そこが、当時の日本が軍国主義の国と評された所以です。
必敗と分かっていながら戦争を決めた責任者の大半は、切腹もぞず、口を拭って戦後も生きてました。あの戦争は、国民の意思で決定したものでは無いのです。大臣や官僚、陸海軍の高級士官たちが、まさにとの責任者なのですが、彼らの多くが戦後20年ほど、この国の指導的立場を占めました。 彼ら責任者のマインドが赤穂浪士のそれと重なるとは言えないと思います。実際に戦地に赴いて、玉砕し、体当たりし、飢死して草生す屍となった若者を煽るだけしかしていない。そんな覚悟はなかったという結果になりましたもの。
必敗とわかっていたというよりも、当時の偉い人は短期決戦で有利な講和に持ち込めると思っていました。 長期になると勝ち目ないからですね。 けどあなたの言っていることも間違ってないと思います。 武士道ってやつですかね?
日本史
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