回答(8件)

伊都国は後の大宰府のようなもの。 遠方にあって統括する「一大率」が置かれたわけですから、近くに邪馬台国があるはずがありません。

この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう

魏志倭人伝には伊都国(現福岡県)から邪馬台国までの方角と行程が書かれてあり、その通りに進んでいくとか鹿児島の遥か南方の陸地が何もない海中に達してしまいます。このため邪馬台国の所在地は未だ不明なままになっています。

帯方郡から万二千里余りなので九州北部です。 天体測距は長距離程正確です。 海上航行と長距離は天体測距です。漢の時代に実用化されミカン箱ぐらいの大きさです。 案外単純明確な話です。

そうです。 それを九州説といいます。 魏志倭人伝を読むと、邪馬台国が国家連合で、女王国が別の場所だとも読めるので、邪馬台国は九州から中国地方に広がり、女王国は吉備にあったとするのが吉備説です。 畿内説は邪馬台国とヤマト王権の連続性という仮定を前提に創られたもので、記紀に矛盾します。いわゆる天皇を中心とした戦前の古代史の価値観を引きずっているわけです。

九州からは遺跡が出ていません。 考古学的には大和が中心です。 だから今の九州説は日本を統べる国ではなく、邪馬台国という名前の小規模集落があったという風に言っています。