心更に答ふる事なし
取り残されるニッポン
サム田渕「日本はなぜ世界から取り残されたのか」(PHP新書)は、日本を含む世界のエリートが考える日本の強みと弱みを紹介しています。強みが弱みの原因になっているのが特徴です。アメリカからは、意思決定が遅い、移民を受け入れない不合理、世界に学ばない、リスクを取らない、女性への偏見、過去の暗い歴史を教えないとの指摘があります。ヨーロッパからは、内向きな世界観、目立つことを嫌う、女性が積極的に表に出ないなどの点が挙がっています。アジアからは、意見をはっきり言う人が少ない、ワークライフバランスが悪い、外国人とのコミュニケーションが取れない、宗教を信じている人への理解に欠けると言われています。こうした弱点は、日本人自身にも分かっていると思います。要は、変えたくても全体としては変われないという点に日本の最大の問題があります。なぜでしょうか?一つの焦点は政治です。アメリカからは政治家のレベルが低いとはっきり言われています。その通りです。最優秀の人間が政治家になることが非常に少ないと思います。著者は、エリート教育がないから、真面なリーダーが育たないと考えています。国の安全保障や軍事に対する驚くほどの無知が、世界平和への貢献を行えない原因だともしています。1人当たりのGDPでは世界で37位に過ぎないことへの危機感も薄いと思います。大きな課題について、根本的な解決に資する方策を議論し、実行する胆力がないのは残念です。ニッポンの衰退の原因は、少子高齢化だけではなく、人間の質の劣化にあると感じます。
スウェーデンの学校
戸野塚厚子「スウェーデンの優しい学校」(明石書店)は、日本の学校教育の現場が抱えている多くの問題の解決策を考える上で、重要な示唆を与えてくれます。スウェーデン流のお茶の時間は、教師間の連帯と心の余裕になっています。児童中心主義(低学年は24人以下、学びの軌跡を記録するポートフォリオの存在)、時間割と教師の裁量(教科書は貸与制、学習材は子どもが主体的に学習するためのもの)、ビュッフェスタイルのスクールランチ(無償、外で食べても自由)、ジェンダーニュートラルトイレ(個室)など、スウェーデンの学校教育の目標に適合した仕組みや装置が、日本との大きな違いです。ピッピの母であるリンドグレーンが描いたような自由で奔放な子どもが育つようにする学校を作ろうとしているように見えます。部活動はなく、子どもも地域のサークルに加入します。学校が楽しいかという問いに対するスウェーデンと日本の子どもの回答が、小学校で77.8%と49.3%、中学校で59.4%と25.7%と差がついているのも、理解できます。ランチだけでも質的な差があると感じます。スウェーデンは、コロナ禍でも学校を休業にしませんでした。保健室には、子ども100人に1人の割合で、スクールナースが雇用されていて、健診や予防接種も行います。日本の養護教員は、世界ではガラパゴス的な存在です。私たちは、日本の学校を所与のものと受け取りすぎていると思います。スウェーデンの学校の話を聞いていると、自由さ、楽しさ、手厚さ、余裕を感じます。雁字搦めになって、誰にとっても楽しくない日本の学校が、滑稽にさえ見えてきます。
新しい封建制
コトキン「新しい封建制がやってくる」(東洋経済新社)は、階層化が進み、停滞が続く社会の傾向を分析したものです。中産階級への警告の書でもあります。現代の巨大IT企業は寡頭支配層の誕生を意味します。彼らが貴族です。著者によれば、カリフォルニア州は、富も貧困もナンバーワンで、階層化が進み社会的流動性に欠ける社会になっています。中世の聖職者にとってかわったのが、知識階級で、テクノクラート権威主義を担っています。学問の府である大学が、自由主義文化の存立基盤について無智な学生を社会に輩出する役割を担っていると批判しています。確かに、大衆化した大学では、就職を目的にした学生が多いので、古典的な学問への興味が薄いのはやむを得ないところでしょう。大学自体も明確に階層化しており、エリート大学では、かなり事情が異なると思います。著者が、新しい宗教として、社会正義、環境保護を挙げていますが、支配階級の宗教として、超人間主義を候補として挙げて、人工知能技術の開発と推進によって神の頭脳を実現するものだとしています。生成AIの開発競争が激化していますが、その動きは、自分たちが神となり、不老不死の存在になることが究極の目的だというのです。確かに、そういうテーマの映画やアニメがありますが、大抵の場合、そんな試みに没頭するのは人類の敵となる悪人です。著者は、急速な技術の進歩に対する警戒感を露わにしています。民主主義が破綻し、ホモ・デウス(神の如きカースト)が支配する世界への道だと考えているからです。そして、最終節では、「第三身分よ、目覚めよ!」と強いメッセージを送っています。要は、新しい階級闘争の勧めです。アメリカよりも、日本の方がはるかに社会的流動性が低く、儒教の影響で身分制を所与のものとした教えが共有されています。古いタイプの封建的傾向のある社会だと思います。その殻を脱しきれずに世界から取り残されているわけですが、その先にある新しい封建制において、日本全体が下層に沈むことのないように警戒しなければならないと思います。ただ、どれほど多くの日本人が、新しい封建制がもたらす危機に気が付いているのか、不安もあります。
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