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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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ノーベル賞どう生かすかは“みんなの宿題” 老いるヒバクシャの警告

ノーベル平和賞授賞式を前に記者会見する田中熙巳さん=東京都千代田区で2024年12月2日午後3時37分、長谷川直亮撮影
ノーベル平和賞授賞式を前に記者会見する田中熙巳さん=東京都千代田区で2024年12月2日午後3時37分、長谷川直亮撮影

 「これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代のみなさんが、工夫して築いていくことを期待している」。日本被団協の田中熙巳(てるみ)代表委員(92)が受賞演説に込めたのは、将来を担う世代への希望だ。

 「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」。日本被団協は1956年8月10日の結成宣言で示した決意をもとに、核兵器の廃絶と原爆被害に対する国家補償を求めて運動を続けてきた。

 「核のタブーの形成に大きな役割を果たしたことは間違いない」。演説でそう自任したように、国連など世界の舞台に赴き、身をもって体験した核兵器の非人道性を証言した。82年の国連軍縮特別総会で「ノーモア・ヒバクシャ」と訴えた代表委員の山口仙二さん(故人)が有名で、5年おきの核拡散防止条約(NPT)再検討会議には役員らが毎回渡米している。

 国際社会への度重なる訴えは「ヒバクシャ(Hibakusha)」という言葉を世界に広め、2017年に国連で採択された核兵器禁止条約の前文には「ヒバクシャの苦しみに留意する」と盛り込まれた。

 一方で国家補償は今も実現せず、94年制定の被爆者援護法による対策は放射線被害に限定された。田中さんは演説で、日本政府が補償を拒み、「償いをしていない」と二度繰り返した。韓国やブラジルなど海外に暮らす被爆者への法の適用も遅れ、裁判などで勝ち取ってきた。

 今回の授賞は被爆者が積み重ねてきた運動を称賛するものだが、組織の活動は厳しくなっているのが現状だ。運動を長年先導してきた主要メンバーの多くは世を去り、田中さんは演説で「10年先には直接の体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれない」と言及。被爆者健康手帳所持者の平均年齢は85歳を超え、かつて全ての都道府県にあった日本被団協の地方組織は11県で休止・解散し、役員を被爆の体験者でない被爆2世らが担う県もある。

 被爆者の運動が浴びた脚光をこれからにどうつなげるか。…

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