遺骨はない。写真もない。手元にあったのは黄ばんだ1枚の紙だけだ。4歳の時に広島で被爆した東京都江東区の増村孝之さん(79)はあの日、一緒にいた母を亡くした。36歳で原爆に命を奪われた母が残し、形見としてきた配給切符を原爆資料館に寄贈した。長らく無意識のうちに遠ざけてきた原爆と、母への思い。初めて記者に証言した。
日米開戦前年の1940年、広島に生まれた。4人きょうだいの末っ子を母セツ子さんは可愛がってくれた。戦局が悪化して食糧難の中、かんで柔らかくした障子紙を口に入れ、空腹を紛らしてくれた。
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