「韓国人だからさ」で理解出来るなら簡単なのに
というわけで今回もコメントのご質問にお答えする形式から始めようと思います。
コメントにて「(韓国人の)話の筋が通らないが、なぜ(韓国)国内で混乱が起こらないのか?」というご質問を頂戴いたしました。既に回答を提示されておられる読者の方も幾人かいらっしゃいますが、私からもお答え申し上げておきたいと存じます。
まず「ハングルにその原因があるのではないか」というご疑念ですが、これはニワトリタマゴの論争になると思います。
もちろん、ハングル専用による彼らの思考力の低下というのは十分あります。しかし、ハングル専用になる以前は彼らも漢字を用いておりました。ソウル大学に掲示された1984年3月13日という日付のあるビラは、見事な漢字ハングル混用文ですし、1990年頃までは韓国の新聞も漢字混じりだったのです。
日本でもかつて、難解な漢字を廃し、平易な漢字を用いるべく当用漢字を制定し、将来的には漢字を全廃しようとしたことがあります。しかし結局、当用漢字の方が廃され、制限の緩やかな常用漢字となりました。その常用漢字に対しても、追加要望が多いことは時々話題になっております。それは日本人の多くが当用漢字以外の、お上の考えでは「難解な漢字」もあった方が、自分たちの日本語表現がより豊かに、よりわかりやすくなると考えたからでしょう。
翻って韓国では、ハングル専用化に伴なう韓国民の抵抗などは、ほとんど聞いたことがありません。学校教育において、ハングル専用に反対した教師が、独自に漢字を教えようとして罰されたぐらいでしょうか。それについても、特に社会問題になることもなく、韓国国民は非常にスムーズにハングル専用を受け入れたのです。
思うに、韓国人は自分の書いた文章が、他人にどう読まれるかということを考えないのではないでしょうか。自分の文章を読んだ人は、自分が何を考え、何を期待してその文章を書いたかを的確に察し、その考えや期待通りに理解するべきだと思っているのではないかと思います。
それは日韓チャットにおいても、出来るだけ誤解のないような表現を用いようとか、出来るだけ相手に理解しやすい文章を書こうとする韓国人が極めて少ないことからも、十分推察されます。
以前もご紹介したことがありますが、韓国人は自分の文章や発言について、他人がそれをどのように受け取るかということは、ほぼ考えません。とにかく自分が思ったこと、感じたことを、そのままぶちまけます。それを見たり聞いたりした相手は、その文章や発言に込められた自分の感情や思考を寸分違わず受けとめて、自分が感じたり考えた通りに理解するべきだと思っているのです。
そういう考えの人々であるからこそ、ハングル専用化がスムーズに行われたのではないかと思います。
これを前提として、「何故(韓国)国内で混乱が起こらないのか?」というご質問にお答えしますと、現実問題として混乱は多数発生していると思われます。コメント欄で紹介された「防水」と「放水」についてはニュースになりましたが、ニュースにならないレベルの混乱は、韓国ではもはや日常キムチ飯でしょう。
その混乱を回避するために、同音異義語の多い漢字語を朝鮮固有語に置き換えようとする運動もあるようです。しかし、韓国語に占める割合が7割とも8割とも言われる漢字語を全部朝鮮固有語に置き換えることは、ほぼ不可能でしょう。
と言うわけで「何故(韓国)国内で混乱が起こらないのか?」というご質問に対する回答は、「起きてます」なわけですが、それじゃ答えとしてはあまりに不親切かと存じますので、蛇足ながら「現実問題として混乱が起きているならば、韓国人はそれをどう思っているのか」を付け足しておきます。これは至って簡単で、ほぼ全ての韓国人が「自分は悪くない」と思っているだけでしょう。
韓国人にハングル専用における「同音異義語問題はどうするのか」と聞けば、皆が口を揃えて「前後の文脈で判断するからケンチャナヨ」と答えます。しかしそれが真っ赤な嘘であることは、前述の「防水」と「放水」のニュースからも容易にご理解いただけると思います。
彼らが他人の文章を読むときに、前後の文脈から文意を把握しようと努めることはあまりありません。あっても、それを確認するということをしません。その結果誤解やトラブルが発生しても、双方が「自分は悪くない」と考えます。非があるとされた方は、それを不当な決め付けや差別によるものだと考えるか、半万歩譲っても「お互い誤解があった(=自分に非があったかもしれないが、相手にもあった)」と考えます。
それでは、「混乱が起きていながら、全ての人がその混乱に対する責任を認めない社会が、社会として成立するのか」という疑問が生じると思います。確かに日本人的には想像を絶する社会ですが、それが「朝鮮人社会」というものだと理解するしかありません。それを解説することは、韓国人を解説すればするほどややこしくなるのと同じことになります。
弊ブログでは、解説すればするほどややこしくなると言いながら、それでも韓国人を解説し続けております。その結果弊ブログをご覧の方の中には、「毎回同じことの繰り返しばっかりだ」とお考えの方もいらっしゃることと存じます。実際そのようなコメントも頂戴いたしておりますし、確かに、そのとおりだと書いてる本人も思いますw 上記のご質問に対する回答も、実は既に過去記事の中で言及しているものがほとんどです。
弊ブログ執筆にあたって、協力してくださる方は大勢いらっしゃいます。しかし執筆しているのは私一人です。担当編集者がいて、書き上げた原稿を公開する前にアドバイスをくれるわけでもありません。その上、テーマとするのは半万年進歩のない連中についてです。これで三日に一度、目先の変わるものが書けると言うなら、私がそういうブログを読みたいぐらいですw
知識として、韓国人を知るだけであれば、韓国・朝鮮関連の書籍の50冊も読めば、大体把握出来ると思います。ただ、韓国・朝鮮関連の書籍には韓国人の「薄くて浅くて上っ面」に惑わされている物も少なくありませんし、また「わざわざ書かなくても、こんな本読むぐらいならわかってんだろ、それぐらいw」的に、ぼかしている本もあります。
韓国(人)について赤裸々に書かれた本があり、それを読んだとしても、日本人はそれを俄に信じられません。それを何とか信じたとしても、「仮に韓国(人)がこの本に書かれているとおりだったとしても、それは過去のことだ」「今は違う」「これから変わる」などと考える日本人が圧倒的に多いでしょう。
弊ブログにおいて、同じことを何度も何度も何度も何度も(中略)何度も繰り返すのは、彼らが半万年変わらず、また少なくともこれから先、半万年は変わることがないだろうということをお伝えしたいからです。ですから、「韓国人とはこんな奴らで、少なくとも自分が生きている間に彼らが変わることは絶対にない」ということが揺るぎなく確信出来る方ならば、弊ブログを読む必要はあまりないかもしれません。
では何故お前はこんなブログ書いてるんだ?お前自身は、「韓国人とはこんな奴らで、少なくとも自分が生きている間に彼らが変わることは絶対にない」と確信出来ていないのか?と逆に疑問に思う方がいらっしゃるかもしれません。実はある意味、そのとおりなんですw
韓国から目を離し、意識から遠ざけると、あんな国あんな連中が現実に存在するということを忘れたがっている自分に気づきます。それを自ら戒めることも、私がこのブログを書き続けている理由のひとつだったりするのです。