選挙戦は権謀術数、なんでもあり。総理大臣の専権事項で野党の足並みが揃わないうちに選挙戦を仕掛け(あるいは今なら確実に勝てますよと安倍晋三を唆し)、アホノミクスを連呼し続けて原発や集団的自衛権などの重要課題を覆い隠し、マスゴミも掌中に収めて有権者の目を塞いだ。そういうわけで衆院選は与党側が勝つべくして勝った。投票行動で相当悩んだが小選挙区では民主党候補に、比例は共産党に入れた。比例で共産党が議席を獲れたことで自分の票が役に立てたと思えるのがせめてもの救い。

 海江田が落選というのはオイラとしては特段驚くに値しなかった。今までの総括をちゃんとしなかった、アホ管や野ブタ、枝野などを叩き出すくらいのことをしなければ民主党は決して受け入れられないだろうなと思ってもいた。ただ、共産党が20議席越えで法案を出せるようになったなど安倍NOの芽は確実にある。それが大きな力になっていない、民主党には集まらなかったということ。

 吹けば飛ぶような小さい政党にもかかわらず安倍晋三は小沢一郎を執拗に狙い続けた。さしもの小沢一郎も自分の選挙に手一杯になったが、それでも選挙区で勝ったのは選挙至上主義のなせる業かもしれない。と同時に、選挙で勝たなければ何にもならないという現実を見せつけられた。海江田が比例でも助からずアホ管が生き残った、生き残ってしまったのはアホ管もやはり選挙を「闘って」いたからなのだろう。闘士といってはきれいにすぎるが、アホ管もそうした権力闘争への姿勢は持っていた。民主党の代表選ではそれこそ何でもありで代表の座に就いたのだから。

 闘争という言葉の通り、争いの前には闘いがある。
 つまり、闘えない政治家は争いに加わる資格がないということでもある。

 ゴミ売りは相手(すなわち最大野党=民主党)が弱いとつまんねえよみたいなことを書いていた。ずいぶんとコケにされたものである。 ほとんど民主党は存在意義を失っているが仮に代表選で岡田が勝つようなことがあればもはや民主党は完全に終わる。細野でさえ百歩譲ってな話なのに。民主党がしっかりした核を持った政党になれるのか。

 闘える人がぜひとも出てきてほしい。闘いというリアリティを見せる政治家が必要だとオイラは思う。