日本代表、薄氷の思いで決勝トーナメント進出。おめでとう!と同時にごめんなさいと言おう。
朝早い仕事なので視聴は諦め、結果のみ知った。1点差負けでも決勝トーナメントに進出できるチャンスを生かせないようならそれまでのことと割り切った。嫌と言うほどダイジェストの映像が流れた。川島もやらかしを払拭する好セーブを見せた。武藤が素直に宇佐見に流せばいいものを自分でキープしてチャンスを潰した。槙野があわやのやらかしもしていた。
とにもかくにも、西野監督率いる日本代表は決勝トーナメント進出という結果を出した。それで十分じゃないか。
キャプテンの長谷部が言った。「真実は結果の中にしかない。」
結果でしか評価されない世界に生きて、結果でしか評価されないというのが凝縮された言葉だ。
点を取りに行かずに卑怯だというコメントがTVで流れていた。オイラは全くそうは思わない。
じゃあ、取りに行って逆にカウンター、致命傷食らって決勝トーナメントを逃したとしたら?
「よくやった」と果たしてそいつが言うだろうか?答えは間違いなくNOだ。
馬鹿正直に攻めるなど愚の骨頂、結果を出してなんぼだろう!とそれこそ全人格を否定するくらいに罵倒したに違いない。
何せ、やたら国の権威とか威信が強調されがちなのがワールドカップ。普段代表やJリーグの試合なんて見ていないどころか今の日本の惨状なんてまるで頭になく、日頃の憂さ晴らしをするしか考えてない連中がこんな時に限って日本代表に国の威信とかを過剰に乗っけてただただ「ニッポン!」を連呼する。勝てば日本スゴい!とただただ叫んで、負ければ「お前ら最低!」とひたすら罵る。あわやオウンゴールとなりそうだった槙野が敗戦の“主犯”となろうものならそれこそ罵声で死ぬんじゃないかってくらいにバッシングの嵐だったことは容易に想像がつく。
選手の入れ替えはあるとは思ってはいた。やれ博打だと言われてはいるが勝てば官軍。
博打をする決断をした西野監督、ブーイングにも負けずにボール回しをして結果を出した選手たちは賞賛されるべきである。
朝早い仕事なので視聴は諦め、結果のみ知った。1点差負けでも決勝トーナメントに進出できるチャンスを生かせないようならそれまでのことと割り切った。嫌と言うほどダイジェストの映像が流れた。川島もやらかしを払拭する好セーブを見せた。武藤が素直に宇佐見に流せばいいものを自分でキープしてチャンスを潰した。槙野があわやのやらかしもしていた。
とにもかくにも、西野監督率いる日本代表は決勝トーナメント進出という結果を出した。それで十分じゃないか。
キャプテンの長谷部が言った。「真実は結果の中にしかない。」
結果でしか評価されない世界に生きて、結果でしか評価されないというのが凝縮された言葉だ。
点を取りに行かずに卑怯だというコメントがTVで流れていた。オイラは全くそうは思わない。
じゃあ、取りに行って逆にカウンター、致命傷食らって決勝トーナメントを逃したとしたら?
「よくやった」と果たしてそいつが言うだろうか?答えは間違いなくNOだ。
馬鹿正直に攻めるなど愚の骨頂、結果を出してなんぼだろう!とそれこそ全人格を否定するくらいに罵倒したに違いない。
何せ、やたら国の権威とか威信が強調されがちなのがワールドカップ。普段代表やJリーグの試合なんて見ていないどころか今の日本の惨状なんてまるで頭になく、日頃の憂さ晴らしをするしか考えてない連中がこんな時に限って日本代表に国の威信とかを過剰に乗っけてただただ「ニッポン!」を連呼する。勝てば日本スゴい!とただただ叫んで、負ければ「お前ら最低!」とひたすら罵る。あわやオウンゴールとなりそうだった槙野が敗戦の“主犯”となろうものならそれこそ罵声で死ぬんじゃないかってくらいにバッシングの嵐だったことは容易に想像がつく。
選手の入れ替えはあるとは思ってはいた。やれ博打だと言われてはいるが勝てば官軍。
博打をする決断をした西野監督、ブーイングにも負けずにボール回しをして結果を出した選手たちは賞賛されるべきである。