期限までに盗んだ商品を返さなければ顔写真を公開するという「まんだらけ騒動」は結局警察の要請で公開には踏み切らなかったようで。その理由として大きく取り上げられたのが一旦ネットで顔写真を公開するとその人が犯罪を犯したことが一生消えることなく残るから良くないということだった。

 でもさ、殺人とかより軽微だとは言え窃盗だって犯罪だぞ? 

 セカンドレイプとかリベンジポルノとかネットに「晒す」ことに関わる問題は確かにあるが、罪を犯せば社会的な制裁を受けるのが普通じゃないのか?大げさな言い方をすればそうした抑止力があるから法治国家として成り立つんじゃないのか?

 今まで公正中立なふりしてきたマスゴミが「私刑は良くないですねぇ」と何を偉そうに! 

 金の出所もわかっている、手続き上での些末な手違いを針小棒大に報じて小沢一郎を散々叩いた。STAP細胞にしても論文のコピペ疑惑にかこつけて小保方女史を嘘つきとバッシングしたし、犬HKは過剰報道でケガまで負わせている。 笹井教授は自殺に追い込まれたが、オイラはマスゴミのバッシングが自殺に追い込んだようなものだと思っている。STAP細胞及び笹井教授の自殺に関しては、ヤホーにも取り上げられたこの記事が比較的まともに捉えているとオイラは思う。ヤホコメでは「こいつ何にもわかってない」とか「こいつも嘘つきだ」とかで溢れかえっていたがwww。
○NHK、STAP細胞検証番組で小保方氏捏造説を“捏造”か 崩れた論拠で構成、法令違反も
http://biz-journal.jp/i/2014/08/post_5714_entry.html

 この文章に関しては

 科学論文の世界では「不正」および「ミス」が見つかることは少なくなく、「不正」の指摘があれば「正し」、更に検証を受けるという“手続き”の連続である。それが科学における検証のあるべき姿だ。その結果、再現性がなければ消えていく。科学は、そのような仮説と検証のせめぎ合いで発展してきた。

 この一点にほぼ集約されるとオイラは思う。
 マスゴミは海のものとも山のものともつかないある仮説をさも世紀の大発見だと騒ぎ立て、それが間違いかも知れないとなったらロクに検証もしなかった自分のことは棚に上げて論文を発表した人物を嘘つき呼ばわりした。

 小保方女史の説は世紀の大発見に至るまでの「間違い」の1つではあるかもしれないが、「嘘」ではない。エジソンの99%の失敗を持ち出すまでもないが、要は数多ある可能性の中で1つの間違いが見つかった。発見に至るまでの間違った道筋の1つが明らかになったということじゃないのか?それがどうして小保方女史がとんでもない罪を犯したとか大嘘つきみたいな報道になってしまうのだろうか?

 そして、「STAP細胞はあります!」と主張した小保方女史の再現実験においても横槍が入る始末。本人がやりたいならやらせてあげればいいのに何でだろうね?たとえ再現できなくても小保方女史だって間違いだったんだと納得できるだろうし、その間違いから新たな道筋のヒントが得られるかも知れない。その道筋が結果的に間違いだったとしてもだ。

 間違いを1つ1つ潰していくことで新たな発見に繋がる。そうした視点が決定的に欠けている。
 短絡的というか二項対立的で近視眼的なものの見方でしかない。

 新たな発見がSTAP細胞に遠くおよばない地味なものかもしれないし、もしかしたらSTAP細胞どころではない天地がひっくり返るような大発見かもしれない。冒険とかロマンとか言うのは似つかわしくないかもしれないが、科学者ってそういう未知の世界に自分の知識や感覚で挑んでいくのが大好きな人たちなんだとオイラは思う。

 そんな1人である笹井教授を私刑で自殺に追い込んだマスゴミに自省ってもんはない。
 ブーメランが怖くてひたすらに嘘つきと叫び続けるだけ。今日も今日とて絶賛垂れ流し状態である。