JAL再建、普天間問題など問題山積の中、共通するキーワードは「受け皿」になるのではないか。
JALに関してはさっさと新会社の受け皿を作ってそこに資産を移せば税金投入は最小限で済む話だと思うのだが、なぜか前原はぐずぐずして傷口を広げている。普天間問題は米軍がさっさとグアム移転をすれば済む話だが、日本が政府として約束してしまったという弱みがあるせいで一気に全面移転には踏み切れず落としどころを探すのが現状であろう。
もうひとつ、ある意味国内最大の問題が民主党に変わる受け皿。政権交代が実現したはいいが、本来は与党と野党が選挙を経て政権交代をしながら政策の実現を目指すというのが基本であるはずである。二大政党制を目指すのであればなおさら与野党共に成熟した政党でなければならない。しかし、自民党とその他大勢という図式から今は民主党とその他大勢という図式になっただけである。
民主も民主で小沢の影響力が強いのはあるのだろうが、自民党の崩壊ぶりは哀れですらある。しかし、これも身から出た錆で同情の余地はない。安倍政権が参院選で惨敗した時にサッと身を引いていればここまでひどい体たらくにはならなかったであろう。少なくとも民主が衆議院で300議席超も議席を持つことにはならなかったはずである。
2人のボンボンが自民党を崩壊に導いた。安倍のダメージも相当のものだったが、決定的なダメージとなったのはアソーの判断ミスだ。小泉・安倍・福田と続いた政権たらい回し劇はあまりに国民を無視したものだった。安倍が負けた時点で小泉流は否定されたにもかかわらず、安倍は政権にしがみつくばかりで挙げ句は健康問題を理由に投げ出し辞職。辞め方としては最悪だった。
福田内閣は実質的にその後始末に追われる暫定内閣。福田も周りに担ぎ上げられる形で総理大臣になった。淡々とこなしていたように見えたが「あなたとは違うんです」の発言でイメージをより悪くした。この時点で次がアソーというのは既定路線で総裁選が茶番劇なのは誰の目にも明らかだったが、それでもアソーが「民意を問う!」とすぐに解散に打って出ればたとえ勝つことができなかったにせよ、負け幅は最小限に済んだことだろう。
小泉流でメタメタにされた国民生活。その修正をするのは容易ではなく景気は上向くどころか勝ち組・負け組の二極化を生んだ。その上自民党は公明との連立で公明の組織票なしでは選挙に勝てなくなるまでに地盤が弱り切っていたのだから。
参院選の改選があるのはわかっていたこと。安倍とアソー、2度の建て直しのチャンスをフイにする間に時流は簡単に民主に傾いてしまった。それが読めなかったボンボン2人。つくづくKYである。アソーとしては自分が選挙の顔だというのが過剰な自信につながった。自分は小泉同様国民に人気がある、だから勝てると思いこんでいたあたりにアソーの阿呆さ加減がうかがえる。もともと、アソーは発言が軽く薄っぺらいところがあった。総理大臣ともなればその発言はいっそう注目されるのに慎重さがまるでなかった。かくして自民党は崩壊していったのだ。
自民党の再生はもうないだろう。少なくとも今のままの有様では。河野の息子が割って出るくらいのことをすれば何かしら変化はあっただろうが、それすらできないところに変わりたくても変われない守旧派、既得権益にしがみつく旧世代のカビの生えた政党のままの姿がある。
そのうえ、小沢が容赦なく手を突っ込んでくる。参院選で単独過半数を確保するべく全国土地改良政治連盟に斬り込んできた(情報弱者のオイラはそれがどういうものか、またその存在すら知らなかったが)。民主に合流すると決まったわけではないが離党者も出始めた。ダメ垣の敗因の総括もままならない間に。
民主は完全に信用されたわけではない。
とりあえず自民は嫌だ、民主にやらせてみようと言うのが実際のところで、本来は民主に取って代わる受け皿がなくてはならないのだが、自民党という受け皿はボンボン2人のせいでものの見事に瓦解した。当分、小沢がわがままを言い出さない限り民主の天下は続くし、小沢も過去の教訓に従ってどんなに少なくとも参院選で自民党の息の根を止めるまではわがままは言わないだろう。
2010年の民主の本気度は如何に。
JALに関してはさっさと新会社の受け皿を作ってそこに資産を移せば税金投入は最小限で済む話だと思うのだが、なぜか前原はぐずぐずして傷口を広げている。普天間問題は米軍がさっさとグアム移転をすれば済む話だが、日本が政府として約束してしまったという弱みがあるせいで一気に全面移転には踏み切れず落としどころを探すのが現状であろう。
もうひとつ、ある意味国内最大の問題が民主党に変わる受け皿。政権交代が実現したはいいが、本来は与党と野党が選挙を経て政権交代をしながら政策の実現を目指すというのが基本であるはずである。二大政党制を目指すのであればなおさら与野党共に成熟した政党でなければならない。しかし、自民党とその他大勢という図式から今は民主党とその他大勢という図式になっただけである。
民主も民主で小沢の影響力が強いのはあるのだろうが、自民党の崩壊ぶりは哀れですらある。しかし、これも身から出た錆で同情の余地はない。安倍政権が参院選で惨敗した時にサッと身を引いていればここまでひどい体たらくにはならなかったであろう。少なくとも民主が衆議院で300議席超も議席を持つことにはならなかったはずである。
2人のボンボンが自民党を崩壊に導いた。安倍のダメージも相当のものだったが、決定的なダメージとなったのはアソーの判断ミスだ。小泉・安倍・福田と続いた政権たらい回し劇はあまりに国民を無視したものだった。安倍が負けた時点で小泉流は否定されたにもかかわらず、安倍は政権にしがみつくばかりで挙げ句は健康問題を理由に投げ出し辞職。辞め方としては最悪だった。
福田内閣は実質的にその後始末に追われる暫定内閣。福田も周りに担ぎ上げられる形で総理大臣になった。淡々とこなしていたように見えたが「あなたとは違うんです」の発言でイメージをより悪くした。この時点で次がアソーというのは既定路線で総裁選が茶番劇なのは誰の目にも明らかだったが、それでもアソーが「民意を問う!」とすぐに解散に打って出ればたとえ勝つことができなかったにせよ、負け幅は最小限に済んだことだろう。
小泉流でメタメタにされた国民生活。その修正をするのは容易ではなく景気は上向くどころか勝ち組・負け組の二極化を生んだ。その上自民党は公明との連立で公明の組織票なしでは選挙に勝てなくなるまでに地盤が弱り切っていたのだから。
参院選の改選があるのはわかっていたこと。安倍とアソー、2度の建て直しのチャンスをフイにする間に時流は簡単に民主に傾いてしまった。それが読めなかったボンボン2人。つくづくKYである。アソーとしては自分が選挙の顔だというのが過剰な自信につながった。自分は小泉同様国民に人気がある、だから勝てると思いこんでいたあたりにアソーの阿呆さ加減がうかがえる。もともと、アソーは発言が軽く薄っぺらいところがあった。総理大臣ともなればその発言はいっそう注目されるのに慎重さがまるでなかった。かくして自民党は崩壊していったのだ。
自民党の再生はもうないだろう。少なくとも今のままの有様では。河野の息子が割って出るくらいのことをすれば何かしら変化はあっただろうが、それすらできないところに変わりたくても変われない守旧派、既得権益にしがみつく旧世代のカビの生えた政党のままの姿がある。
そのうえ、小沢が容赦なく手を突っ込んでくる。参院選で単独過半数を確保するべく全国土地改良政治連盟に斬り込んできた(情報弱者のオイラはそれがどういうものか、またその存在すら知らなかったが)。民主に合流すると決まったわけではないが離党者も出始めた。ダメ垣の敗因の総括もままならない間に。
民主は完全に信用されたわけではない。
とりあえず自民は嫌だ、民主にやらせてみようと言うのが実際のところで、本来は民主に取って代わる受け皿がなくてはならないのだが、自民党という受け皿はボンボン2人のせいでものの見事に瓦解した。当分、小沢がわがままを言い出さない限り民主の天下は続くし、小沢も過去の教訓に従ってどんなに少なくとも参院選で自民党の息の根を止めるまではわがままは言わないだろう。
2010年の民主の本気度は如何に。