民主党の小沢一郎元代表(衆院岩手4区選出)は28日午前、盛岡市の岩手県庁で、達増拓也県知事と会談した。
東日本巨大地震発生後、小沢元代表が岩手入りするのは初めて。
元代表によると、達増知事は巨大地震からの復興に関し、「国には、県や市町村の状況に応じて使途を自由に使える予算措置をしてほしい」と要請。元代表は「今までの積み上げによる災害復旧だけではなく、従来の考え方、手法を超えた形で必要な予算をつけて、一日も早い復興をしていかなければならない」と応じた。
一方、東京電力福島第一原子力発電所の事故について、元代表は記者団に「自然災害に加えて放射能汚染という問題は、最悪の事態を招くことがあれば、日本沈没の話になってしまう。政府が先頭に立って、国民にきちんと事実を説明しながら総力で取り組まなければいけない」と強調した。
(3月28日(月)12時40分配信 読売新聞、ヤホー経由)
○民主・小沢氏「復興に努力」=震災後初の地元入り
民主党の小沢一郎元代表(衆院岩手4区選出)は28日午前、盛岡市の岩手県庁で達増拓也岩手県知事と会談した。席上、達増知事は、東日本大震災被災地の復旧復興の予算について「県や市町村で状況に応じて額と使途を自由に使える仕組みを考えてほしい」と要望。小沢氏は「国が地域のために(復旧復興政策を実施)できるよう自分としても努力していきたい」と答えた。
小沢氏周辺によると、同氏は11日の大震災発生後、都内の自宅や事務所にとどまり、27日に震災後初めて岩手県入りした。
会談後、小沢氏は「あまりにも被害が甚大なので、国としても巨額の予算が必要だ。今までの積み上げの災害復旧ではなく、従来の手法を超えた形で必要な予算を付け、一日も早く復興をしていかなくてはならない」と記者団に語った。
(3月28日(月)12時1分配信 時事通信、ヤホー経由)
○88年前の「帝都復興院」 後藤新平が主導
東日本大震災からの復興に向け与野党で「復興庁」や「復興院」を創設する構想が浮上している。モデルは88年前の関東大震災で復興計画を立案した「帝都復興院」。総裁は後藤新平(1857~1929)だ。ただ復興院が機能したのは、組織もさることながら、力量ある後藤という政治家の存在があったからのようだ。
大正12(1923)年9月1日昼の関東大震災で東京には焼け野原が広がった。死者・行方不明者は10万5千人以上。震災被害も収まらない2日夜に山本権兵衛内閣が発足し、救援と復興の責任者となったのが内務相の後藤だ。
教訓に富むのは、後藤がすぐに明確な方針を打ち出したことだ。内相就任の2日夜、帰宅した後藤はただちに机に向かって復興根本策を書き上げた。そこには「遷都はしない」「復興費は30億円」の項目とともに東京の改造が宣言されていた。
「区画整理を伴う新都市計画実施のため地主に断固たる態度をとる」。復興のためには決断が重要という後藤の考えがみえる。
後藤の大胆さは「復旧」ではなく「復興」を掲げたことからもわかる。12日には、「復興」を掲げた詔書が発せられた。
スピードも際だった。復興院発足(27日)は震災から1カ月かからなかった。
復興院は、震災で再び大きな災禍を受けないよう東京を改造し近代的な首都を造ることを目指した。震災で焼けた下町地区に大規模な区画整理を施す。昭和通りや永代通りなどの幹線道路、歩道や公園、鉄筋コンクリートの小学校、同潤会アパートの整備も描いた。
後藤は医師出身で衛生行政に詳しく、都市建設のエキスパートだった。台湾総督府民政長官や南満洲鉄道初代総裁、東京市長、閣僚を歴任した後藤。構想が大きく「大風呂敷」とも呼ばれたが、政官財界に「後藤派」と呼ばれる人脈が広がっていた。
後藤の人脈も復興院を支えた。復興院建築局長は耐震論の権威で東京帝大教授の佐野利器(としかた)、経理局長には戦後国鉄総裁として新幹線を推進することになる十河(そごう)信二を起用。実力派の官僚、専門家を集めた。
復興院の計画をもとに政府は大正12年12月に復興予算を提出。衆院で多数派だった野党政友会が削減したものの復興予算は成立し、同年末から、東京市などの協力で復興事業が始動した。永田町では今、復興院論議が進むが、後藤のような人物がいるかどうかが問題だ。(榊原智)
(産経新聞 3月28日23時04分、iza!より)
コピペ3連発w。
時事の記事には「今ごろノコノコ出てくんじゃねぇ!」だの「私財を擲って貢献しろ!」だの「こいつにまたどれだけカネが落ちるんだろうな」といったお約束のヤホコメもあるw。オイラとしてはもう少し早く入れなかったのかなというのはあるが、それでも地元に入っただけマシというもの。本来なら今ごろ偽黄門が地元福島で東奔西走、獅子奮迅、不眠不休で働いていなければならないはずなのに、小沢一郎は何やっても常に叩かれるというw。
オイラは「なぜ小沢一郎を使おうとしない?」と何度か書いてきた。
政治家としての才覚、器量、度量。どれをとってもアホ菅とは月とスッポン。比べるまでもなく小沢の方が優れている。ましてや、小沢一郎は岩手が地元。実情を最も知っている国会議員であり、人脈も持っていることだろう。その小沢一郎を蔑ろにして自民党に責任をおっかぶせようとするわ、仙ダニや馬淵を復活させたりするわで与野党問わずが聞いて呆れる身内だけのたらい回し人事。
アホ菅主導で復興院なんぞ作ろうものなら、官僚の天下り先と税金・義援金の無駄遣いが増えるだけだ。
今でさえ、対策会議だけはやたらと数や回数を増やして「会議は踊る、されど進まず」状態。交通整理役の官房長官は福島につきっきりで与えられた情報に基づいて「ただちに影響はない」と他人事のように繰り返すだけ。系統だった政府にまるでなっていない、アホ菅政権は既に無政府状態なのだ。もっとも、アホ菅政権はできたときから責任逃れだけは天下一品だがwww。
被災地は既に焼け野原状態。従来の方法論では通用しない局面も出てくる。アホ菅ごときに復興政策が打ち出せるはずもないのは今までの杜撰な対応からも明白。ガソリンを手に入れようとした被災者が寒さを凌ぐために車の中で焚いた練炭で亡くなるという事態まで既に起きてしまっているのだから。
頭が悪い、即応できない、落ち着きない、決断力ない、ケツを持つ覚悟もないとないないづくしのアホ菅。
非常時だから「仕方なく総理大臣でいられているだけ」にすぎないのである。
雁字搦めに縛られているが、小沢一郎の「本気」はどれくらいなのか?本来なら国会を開いてとっととアホ菅を引きずり降ろさなきゃならないのだが、統一地方選挙まではアホ菅政権は存続してしまうのが何とももどかしい。