今回の解散総選挙、皆さんはどう思いますか?「なぜ今解散をする必要があるのか?」それが率直な感想ではありませんか?
安倍晋三は国難突破解散と銘打って解散に打って出ました。では、国難とは何を言うのでしょうか?経済ですか?財政ですか?北朝鮮ですか?
大義がないという批判に対しては安倍晋三は消費税の使い道の変更のために解散すると言いました。しかも、自民党内の意見も集約せずに唐突に消費税の使い道を変えるからと言い出した。正々堂々、政権選択の選挙というのなら、なぜ正々堂々とは到底言えない冒頭解散をしたのでしょうか?
安倍内閣は仕事人内閣と誇らしげに語って内閣を改造したばかりです。
ならば、その改造内閣が具体的に何をするのかを国民に向かって説明するのは当然の義務ではありませんか。それさえやらずにいるのでは国会論戦から逃げ回っていると批判をされても反論できないでしょう。
安倍晋三に正々堂々と言う資格はありません。
森友、加計疑獄では自分が関わっていれば国会議員を辞めるとまで言いながら野党の臨時国会開催要求を拒否し続け、閉会中審査で形式的なものでしか対応しませんでした。憲法53条には議員の4分の1以上の要求があれば臨時会を開かなければならないと規定されています。すなわち、安倍晋三は正々堂々と憲法違反を犯していることになります。憲法53条にはいつまでに臨時会を開くということは定められていません。しかし、要求から3ヶ月も放ったらかしというのはあまりにも不誠実な態度であり、意図的に臨時国会を避けた、逃げ回ったと断じざるを得ません。
臨時国会に応じずに閉会中審査でお茶を濁すというのは森友、加計疑獄だけではありません。2015年の11月にも野党は臨時会の招集を求めましたが、これにも安倍内閣は応じませんでした。国会論戦から逃げ回っているというのが批判のための批判ではないことはこの点からも明らかです。しかも、自民党は憲法改正草案で要求があった日から20日以内に招集されなければならないと明記しています。すなわち、自分たちでやると決めたことすら、やる気がない、やろうとしないということになります。
共謀罪の強行採決はもっと露骨でした。与党は野党の対応を為にする反対だ、対案を出さない政党には存在価値がないかのように攻撃しただけでなく、中間報告という本来の目的から逸脱した手段で強引に共謀罪を可決しました。当時の法務大臣が国会答弁もできないような、法案として全く体を成していないものをたたき台にして議論をするなど対案を出せという以前のレベルの話です。さらに、中間報告は委員会を省略して採決する手段です。共謀罪はプライバシーの問題など非常に慎重な扱いが求められ、議論を重ねなければならないものであるにもかかわらず30時間もやれば十分だという極めて乱暴な取り扱いでした。
今回の解散総選挙は安倍晋三の、安倍晋三による、
安倍晋三のためだけの選挙です。
大義として突如持ち出した消費税の使い道ですら党内で異論が出ていてまとめきれていない。
党内で決めた憲法改正草案に従うこともない。すなわち、私利私欲のためだけに解散をし、
国民だけでなく国全体を振り回して国難に追い込んでいる。国難は安倍晋三自身ではありませんか。
解散が決まったあと、自民党の二階俊博は森友、加計疑獄に関しての批判に対して「その程度のことか」と見下したような態度で言い放ちました。自民党や、安倍晋三にとっては小さな事かも知れません。しかし、森友、加計疑獄に対する安倍晋三の対応は自分さえ助かればいい、自分のお友達にだけ税金を回せばいい、中身がどうであろうが知ったことではないという税金の、そして政権の私物化です。決してその程度のこととか小さな事で済まされることではないのです。
安倍政権を存続させること、認めることはすなわち国民を無視した仲間内だけでやりたい放題という国の私物化を許すことに他ならないのです。
美しい日本、強い日本、一億総活躍、人づくり革命など安倍晋三はむやみやたらにキャッチフレーズを並べ立てますが、どれもこれも言葉だけで中身はまるで伴っていません。消費税の使い道を変える、それまで自民党がバラまきだと批判していた生まれてくる子供への直接給付など民進党が主張する少子化対策をそっくりそのままコピペするような姑息な真似をしても決して実現などできませんし、する気もありません。加計学園のように自分のお友達だけにいい思いをさせるような安倍政権を見ていればそれは明らかではありませんか。
100兆円の予算だろうが、1000兆円の予算だろうが、
仲間内だけでおいしい思いをするだけの政権が国民のために税金を使うことなどないということに気づかなくてはなりません。
ブームからは決して希望は生まれない、と安倍晋三は言い放ちました。では、安倍政権が与えたのは何だったのか?絶望ではありませんか?国会を、議会制民主主義を無視し、破壊しただけでは飽きたらず、国債を日銀に大量に引き受けさせ見せかけだけの経済成長、企業は儲かっても汗水垂らして働いた人たちの取り分が企業の内部留保に流れてしまっている。それが安倍晋三が自画自賛してきたアベノミクスの本質です。
混乱からは希望は生まれないと安倍晋三は言いましたが
混乱の代わりに安倍政権がもたらしたもの、それは国家の暴走です。
これ以上安倍内閣の嘘を許せば、そのツケは国民に降りかかってきます。
いや、すでに降りかかっていると言ってもいいでしょう。
安倍政権にNOを突きつけることが唯一国民が生き残ることなのです。
安倍晋三は国難突破解散と銘打って解散に打って出ました。では、国難とは何を言うのでしょうか?経済ですか?財政ですか?北朝鮮ですか?
大義がないという批判に対しては安倍晋三は消費税の使い道の変更のために解散すると言いました。しかも、自民党内の意見も集約せずに唐突に消費税の使い道を変えるからと言い出した。正々堂々、政権選択の選挙というのなら、なぜ正々堂々とは到底言えない冒頭解散をしたのでしょうか?
安倍内閣は仕事人内閣と誇らしげに語って内閣を改造したばかりです。
ならば、その改造内閣が具体的に何をするのかを国民に向かって説明するのは当然の義務ではありませんか。それさえやらずにいるのでは国会論戦から逃げ回っていると批判をされても反論できないでしょう。
安倍晋三に正々堂々と言う資格はありません。
森友、加計疑獄では自分が関わっていれば国会議員を辞めるとまで言いながら野党の臨時国会開催要求を拒否し続け、閉会中審査で形式的なものでしか対応しませんでした。憲法53条には議員の4分の1以上の要求があれば臨時会を開かなければならないと規定されています。すなわち、安倍晋三は正々堂々と憲法違反を犯していることになります。憲法53条にはいつまでに臨時会を開くということは定められていません。しかし、要求から3ヶ月も放ったらかしというのはあまりにも不誠実な態度であり、意図的に臨時国会を避けた、逃げ回ったと断じざるを得ません。
臨時国会に応じずに閉会中審査でお茶を濁すというのは森友、加計疑獄だけではありません。2015年の11月にも野党は臨時会の招集を求めましたが、これにも安倍内閣は応じませんでした。国会論戦から逃げ回っているというのが批判のための批判ではないことはこの点からも明らかです。しかも、自民党は憲法改正草案で要求があった日から20日以内に招集されなければならないと明記しています。すなわち、自分たちでやると決めたことすら、やる気がない、やろうとしないということになります。
共謀罪の強行採決はもっと露骨でした。与党は野党の対応を為にする反対だ、対案を出さない政党には存在価値がないかのように攻撃しただけでなく、中間報告という本来の目的から逸脱した手段で強引に共謀罪を可決しました。当時の法務大臣が国会答弁もできないような、法案として全く体を成していないものをたたき台にして議論をするなど対案を出せという以前のレベルの話です。さらに、中間報告は委員会を省略して採決する手段です。共謀罪はプライバシーの問題など非常に慎重な扱いが求められ、議論を重ねなければならないものであるにもかかわらず30時間もやれば十分だという極めて乱暴な取り扱いでした。
今回の解散総選挙は安倍晋三の、安倍晋三による、
安倍晋三のためだけの選挙です。
大義として突如持ち出した消費税の使い道ですら党内で異論が出ていてまとめきれていない。
党内で決めた憲法改正草案に従うこともない。すなわち、私利私欲のためだけに解散をし、
国民だけでなく国全体を振り回して国難に追い込んでいる。国難は安倍晋三自身ではありませんか。
解散が決まったあと、自民党の二階俊博は森友、加計疑獄に関しての批判に対して「その程度のことか」と見下したような態度で言い放ちました。自民党や、安倍晋三にとっては小さな事かも知れません。しかし、森友、加計疑獄に対する安倍晋三の対応は自分さえ助かればいい、自分のお友達にだけ税金を回せばいい、中身がどうであろうが知ったことではないという税金の、そして政権の私物化です。決してその程度のこととか小さな事で済まされることではないのです。
安倍政権を存続させること、認めることはすなわち国民を無視した仲間内だけでやりたい放題という国の私物化を許すことに他ならないのです。
美しい日本、強い日本、一億総活躍、人づくり革命など安倍晋三はむやみやたらにキャッチフレーズを並べ立てますが、どれもこれも言葉だけで中身はまるで伴っていません。消費税の使い道を変える、それまで自民党がバラまきだと批判していた生まれてくる子供への直接給付など民進党が主張する少子化対策をそっくりそのままコピペするような姑息な真似をしても決して実現などできませんし、する気もありません。加計学園のように自分のお友達だけにいい思いをさせるような安倍政権を見ていればそれは明らかではありませんか。
100兆円の予算だろうが、1000兆円の予算だろうが、
仲間内だけでおいしい思いをするだけの政権が国民のために税金を使うことなどないということに気づかなくてはなりません。
ブームからは決して希望は生まれない、と安倍晋三は言い放ちました。では、安倍政権が与えたのは何だったのか?絶望ではありませんか?国会を、議会制民主主義を無視し、破壊しただけでは飽きたらず、国債を日銀に大量に引き受けさせ見せかけだけの経済成長、企業は儲かっても汗水垂らして働いた人たちの取り分が企業の内部留保に流れてしまっている。それが安倍晋三が自画自賛してきたアベノミクスの本質です。
混乱からは希望は生まれないと安倍晋三は言いましたが
混乱の代わりに安倍政権がもたらしたもの、それは国家の暴走です。
これ以上安倍内閣の嘘を許せば、そのツケは国民に降りかかってきます。
いや、すでに降りかかっていると言ってもいいでしょう。
安倍政権にNOを突きつけることが唯一国民が生き残ることなのです。