はてなキーワード: 西北とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/7e10053491de960f636bef96f0abd1410f89f876
この記事が「つがる西北五広域連合とつがる総合病院の発表内容全文」掲載してて詳しかったでござるよ~。
「10分で支度しな!」って求められたんじゃなくて、「支度してから(ダブルセットアップ体制ってやつ?)経膣分娩やりな!」って話に読めるでござるよ。
それでこの判断は「産科医療保障制度原因分析委員会や県外の複数の産婦人科専門医の意見等を踏まえ」て出されてると。
元増田が語りたそうなことを語るための事例としては、適していないように感じるでござる。
サービスの設計がそうだから、としか言いようがないけど、個人的にはchatgptの方が好き
chatgpt
麻雀において、1番確率と点数の期待値が高いのは「役牌(ヤクハイ)」です。
役牌は、自風牌(東南西北のいずれか)、場風牌(場の風)、およびドラ牌(ドラ表示牌)のいずれかを含む役です。例えば、「東」を自風牌とするプレイヤーが、「東」を待ち牌として和了る場合、その役は「役牌・東」になります。
役牌には以下のような種類があります。
場風牌:場の風を含む役
白・發・中:それぞれの牌を含む役
確率が高い:自風牌や場風牌は、1局に必ず4枚ずつ存在するため、それらを含む役の和了率は比較的高いです。
点数が高い:役牌は基本的に1翻であり、役牌によっては2翻や3翻になるものもあります。また、ドラ牌が役牌になる場合もあるため、さらに点数が高くなる可能性があります。
ただし、役牌にもいくつかの種類があるため、その中でも特に高い期待値を持つ役牌は、自分のプレイスタイルや相手の牌姿などによって異なる場合があります。
"
送信済みメッセージ. 麻雀で1番確率と点数の期待値が高いのはどの役?
回答を生成しています…
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麻雀の役の中で、確率と点数の期待値が高いのは、状況によって異なります。期待値とは、確率と点数を掛け合わせたもので、平均的に得られる点数を表します1。例えば、自摸和了の場合、一盃口は出現確率が約0.5%で点数が2000点なので、期待値は10点です2。一方、三色同順は出現確率が約0.2%で点数が4000点なので、期待値は8点です2。このように、役の種類や牌姿によって期待値は変わります。
麻雀何切るシミュレーター3というツールを使うと、手牌から受入枚数や和了確率などを計算してくれます。これを参考にしてみてください。
受信したメッセージ. 麻雀の役の中で、確率と点数の期待値が高いのは、状況によって異なります。期待値とは、確率と点数を掛け合わせたもので、平均的に得られる点数を表します。例えば、自摸和了の場合、一盃口は出現確率が約0.5%で点数が2000点なので、期待値は10点です。一方、三色同順は出現確率が約0.2%で点数が4000点なので、期待値は8点です。このように、役の種類や牌姿によって期待値は変わります。 麻雀何切るシミュレーターというツールを使うと、手牌から受入枚数や和了確率などを計算してくれます。これを参考にしてみてください。
詳細情報:
1. bing.com
2. mjclv.com
3. pystyle.info
4. pystyle.info
国内観光客や海外からの観光客がなんだか多くなってきたような気がするわ。
街中だとよく見かけるもの。
こないだだって、
立て続けに道を尋ねられたわ。
大きな街はそうなのよ。
私のところのみかんの花咲く丘公園前駅とかそれら商店街とかはほとんど地元の人しかいなかったんだけど
以前のコロナ禍の前のときの最盛期のときはここら辺にも民泊の人が来ていて、
珍しいわねって思っていて、
さすがにまだ私の地元にまでの民泊には活気は戻ってきてないようだけど、
本当に最盛期のときは、
なんでこんなところに観光地でもないのに!って思っていたけど民泊の人たちだったのね。
いよいよ本格的に賑わいを取り戻してきていると言っても過言ではないかも知れないわ。
だから
街中は賑やかだけど、
そんで、
道尋ねられたときに、
日本語で話していたらどうもおかしいなと気付いて一生懸命言いたいことを拙い日本語で一所懸命聞いてもらおうと話していたのよ。
結局どこの国の人かよく分からないままのこういう時ってとりあえず英語でいいのかしら?って案内したけど、
スマホの地図をくるくる回していていつもより余計に回っているような気がしたわ。
慣れない人からしたら
北も南も西も東も
たぶん
その人は方向を見失っていただけだと思うので、
あなたの行きたい目的地はもうすぐよ!って言ってあげたら分かったみたいでよかったわ。
ほんのあと数メートルの大きな交差点で方角が分からなくなっちゃったみたいだったので。
とんなんしゃーぺい!って言えば大体は通じるみたい。
なんだか少しずつ賑わいを取り戻してきて景気が良くなって欲しいなってマジ思うので、
道を尋ねられたら
ちゃんと親切にしようと改めて思ったわ。
うふふ。
人気なの?人気ないのかしら?
売れてるのか売れてないのかよく分からないけど
この組み合わせ最強かつ強まったサンドイッチだわ。
朝やっぱり寒かったのでホッツ白湯ウォーラーインレモンにしました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
19歳で大学進学のために京都に来てから、早くも二十年近くが過ぎようとしている。もともとのきっかけは本当に些細なことで、高校二年生のころ当時のクラスメイトに「京大受けてみようかな」と言ったところ「絶対に無理」と言われて、天邪鬼だった(いや、今もだけど)私は「それなら受かってやるよ!!」と心に何故か硬く決意したのでありまして。でも客観的にみればその友人の言ったことは甚だ正しく、なんとなれば当時の私の学力と言うと惨憺たるもので、高校の学年内順位なども辛うじて下から四分の一にいるかどうか。通っていた高校も曲がりなりにも「進学校」の枠に入ってはいたものの、当時(おそらく今もだと思うけど)札幌に四つあった東南西北(麻雀かよ、と思うけど本当にその四つがあった)の進学校のうちではドベで、北大への進学者数こそ多い(それだって今振り返って考えるにつけ、すごいことだと思うけど)ものの、東大、京大といった「いわゆる」難関大学への進学者は数年に一人くらい。まあそりゃ「無理」と言われるわという状況であったのね。ここまでの流れ、「それでもなんとか受かった俺すげー」みたいないけすかない感じにしか読めないな。すまん。違うんだ。そこは本題じゃない。なのでここを省略すると、現役のときは華麗に落ち、かつ後期受験の申し込みを前期受験前にしておかなくてはいけないことをしらず、後期受けようと思っていた、北大は受験すら出来ず(自業自得という言葉がこんなにも当てはまる状況他にある?って思った)、一浪確定。親に泣きついて予備校に行かせてもらい、ファンキーな講師陣に必死でついていくこと一年(代ゼミの英語講師(だけじゃないけど)は本当にファンキーで、セックスピストルズでかっこ良かったのはシドじゃなくてジョニロットンだったということを繰り返し述べていた)。そのおかげで本当にギリギリで合格したと言った塩梅。センターの自己採点やってたとき(何故か妹と妹の彼氏(これも未だに何故かよくわかってないが俺の高校の同級生)がいた)どんどんバツがついていくものだから、私も周りも顔が青ざめていくのは正味の話悪夢でしかないのではないか。二度と経験したくないし、この世から大学受験というシステムは無くした方が良いのではなかろうかと思ってますけれども閑話休題。
んで、京都に来てから。もちろんこれまで本当に過保護に育った人間には寮生活ってのはペットだった猫がいきなり野良に放り出されたくらいな無謀な状況ではあったのだが、やることなすことにだれか、というか親の監視が無いことに異様な解放感を感じた。
自堕落ではあるものの楽しい日々がきちんとそこにあり、毎日誰かとたくさん話をし、価値観が変わっていきながら、でもそれをちゃんと嬉しいこととして捉えられていた。人生で一番泣くことが多かったのもこの時期だし、まあなにかと閉じ込めていた感情が多かったんだなと改めて。周りにいた人たちがめちゃくちゃエモーショナルであった影響も、もちろん有ると思うけれども。
長々と前段が続いたが。
最初、私が京都に来たかった、と言うよりも「地元を離れたかった」のは、友だちもいねえし、黒歴史残ってるしで、そんなところから離れたいということかと思っていたんだが。今振り返ってみるとおそらくそこは理由の一個ではあるけれど、大きな要因ではなかったなあ、と思っている。
ここで、また冒頭のことに戻るのだが、何故京大でなくてはいけなかったか、と言うことが、わりとこの話の主題にもかかってる。
俺の母親は死ぬほど世間体を気にする人で、ひと昔前の言葉を使うなら、いわゆる「教育ママ」みたいな人やった。
今になれば、彼女がそう考えるに至った経緯もわからんくもないのだが、当時はよくわかってなかったし、母親の元から離れてようやく「監視、管理」をされていたのだと気づき、それがどんだけ嫌かもわかった。
うちの母ちゃんは母子家庭で、母方の祖父はもともと病弱ではあったらしいが戦争行って帰って来て母親が子供の時になくなったらしい。
それからは生活保護を受けたりして、まあいわゆる「普通ではない」生活をして来たのが、俺に対する教育だったりに現れてんやろな、と後に振り返って思うし、そこは「子どもに自分のような「「惨めな」」生活を送らせたくない」という気持ちがあったのもめちゃくちゃわかる。もちろんあとになって少しずつ理解できた話に過ぎないけれども。
ただ、それと関連するのかそうでないのかはわからないが、俺の母親は「通常そうなることが望まれてる」ルート以外の道を俺が辿ることに、異常な嫌悪感を持つ人であった。
極端な例えだが、俺がヘテロでなければ、あの人は納得しなかったと思う。タトゥーを入れたら、俺のことを拒否したと思う。法律婚をしないことにも違和感を感じたと思う。
なんとかわかってもらいたくて(甘かった)、きちんと真摯に向き合って話をしたこともあったけれども、最終的に彼女から返って来る言葉は「私はあなたの親なのだから」という、一つも意味を持たないものでしかなかった。
うちの母ちゃんは「性別に関わらず家事はしなさい」と言って、洗濯、料理、掃除、全部教えてくれた。今も改めて思うけども、その価値観はとても正しいと思う。大人になってから話した時に「結婚前に男性から良いように扱われて本当に辛かった」と話してくれた。聞いた時は俺も辛かったし、許せねえと思ったんだ。311以降に「初めてデモに行ったよ」と話してくれたことも嬉しかった。「もしかしたらようやくお母さんと和解できるかも」と思ったから。
でも、それはすべて「対他人に関して」のことで、彼女にとってはいつまでも俺は「かわいいゆうちゃん」でしかなかったとわかって「理解し合える」「親とはいえそれぞれ別の人間として付き合える」という望みを捨てた。
一個言いたいこととしては、「俺はあなたの感情ホストクラブではない」と言うこと。
あなたの期待通りに動かないといけないなら、そんなことはできないよ、と強く思った。
お互いに理解して、別々の人間として尊重しあいたいな、と思っていたけれど、少なくとも俺の親子関係のケースでは無理だった。
悲しいけれど、もう放って置くのが精神衛生上良いのだろうと思っている。
しんどい経験を経て来てたのは知っているからあまり強く言いたくはないけど、彼女は子どもを支配下に置きたかったんだなあと改めて思う。