年金を60歳で繰り上げ受給 NISA活用で老後を豊かに
「年金もらい損ね」リスク
最近、テレビの民放キー局などで「○○の金融教育」「マネー先生と××」といった資産形成関連番組が相次いでいます。私はテレビ局に3年間勤務経験があるので分かるのですが、テレビは基本的に「映像を見てなんぼ」の世界なので、「絵」がない投資・金融ジャンルはお茶の間の話題としては積極的に取り上げません。ここ数年の姿勢の変化は、視聴者の資産形成や投資への関心が沸き立っている証しなのでしょう。
ある番組特集で、シニアに年金給付時期を問うアンケートをやっていました。回答の多数は「65歳から受け取る」または「繰り下げる」で、繰り上げて給付を受ける比率は最も少数でした。65歳の年金受給時期を繰り上げると、年間4.8%ずつ(5年で24%)減額され、繰り下げると年間8.4%ずつ増えます(5年で42%増)。老後破綻、長生きなどに備えるなら繰り下げのほうが明らかに合理的な選択でしょうね。
繰り上げ受給をなぜ選んだのか――。インタビューでは「早く死んだら損」という消極的な理由が大半でした。なるほど、私の近親者にも60代、70代前半で亡くなるケースが多く、繰り下げは「年金もらい損ね」の可能性が高まります。寿命は神のみぞ知るですから、給付額が少なくなっても早くお金を得たほうが賢明という判断なのでしょうね。
逆のアプローチ
さて、本稿で提案したいのは株式投資を考えるうえでの年金の位置づけです。一般的な考え方は、(1)年金給付→(2)生計に足りない→(3)何かで補う→(4)株式投資→(5)NISA(少額投資非課税制度)活用、です。このプロセスを逆にたどります。(1)NISAを始めたい→(2)株式投資→(3)原資が足りない→(4)何かで補う→(5)年金受給繰り上げ、です。
そもそも、60〜64歳はふつうに働き、ふつうに給料をもらって生計を立てる期間ですから、年金など不要で、むしろ老後の蓄えを積み上げる追い込みの時期でしょう。一方、株式運用は長期ほど運用成績が良くなるので、老後までのスタート時期が早いほど有利になります。
この2つの理屈を組み合わせると、1つの答えが浮かび上がります。年金受給を早め、先取りした給付を運用原資としてNISAに投じるという発想です。
先取り給付を全世界株で
さて、このアイデア、有効なのでしょうか。
論より証拠でシミュレーションしてみましょう。まず、60歳に繰り上げて76%に減額された年金の累積給付額と、通常通り65歳から100%給付を受けた場合とを比べます。前者が後者に追い抜かれるのは80歳という試算が出ました。これが年金給付の損益分岐点で、80歳を超えて長生きするほどお得になるということです。
では、年金を運用原資に充当するという発想で試算しましょう。76%で受け取った年金を65歳まで5年間運用するとどうでしょうか。過去30年の実績を当てはめると、全世界株型投信の年間平均リターンは7%強ですから、65歳からの累積給付額に抜かれるのは83歳まで延びます。70歳まで10年運用すれば94歳まで逆転を許しません。
なお、試算は税を考慮していません。公的年金は雑所得扱いですが、繰り下げで税率が上がり、一方で先取り給付での運用益は非課税なので、手取りベースではさらに後者が有利になると予想されます。
健康寿命とのてんびんで判断
年金給付を先取りする利点は他にもあります。資産寿命と健康寿命のバランスを考えてみましょう。資産寿命とは資産を取り崩し、底を尽くまでの期間をいいます。健康寿命とは第三者の介助なく自立生活できる年齢です。老後貧乏は避けたいですが、といって持病や老衰で健康寿命が尽きても資産形成の意味が薄くなります。
自分自身の20〜40代を思い出してください。やりたいことは山ほどあったはずです。買いたい物もたくさんあったはずです。お金はどれだけあっても足りないと思ったのではありませんか。しかし、それは五体満足、健康体だからこそ可能なのです。
糖尿病を患い腎臓透析中だったら遠出はできませんよ。杖(つえ)が必要だと駅の階段の上り下りさえ不自由に感じるかもしれません。耳が遠くなると映画鑑賞の興味も薄くなるかもしれません。現在、健康寿命は男性で約72歳、女性が約75歳。将来、さらに3〜5年延びるとして、お金の価値を体験できるのはせいぜいその年齢までです。
ここで年金給付時期に話を戻しましょう。原則通り65歳で給付を受けた場合、80歳や83歳で、繰り上げ受給した場合の累積給付額を超えますが、そのときに「得した」「もうかった」と思えるでしょうか。
そもそも、著名人で60代や70代前半で亡くなる人も多くいます。年金の損得を必死に考えるのは悪いことではありませんが、それ以前にそもそも自分が80代にこの世にいるのかどうか……。
リビングニーズ的役割も
年金給付先取りの利点はまだあります。現実にお金が手元にあることです。教科書的な事例ですが、75歳で余命宣告1年を受けたとしたらどうでしょう? 単純化して65歳で100万円の年金給付が開始するとすれば、75歳で累計1100万円を受け取っている計算になります。
60歳給付で5年運用した場合は1273万円、70歳まで繰り下げなら852万円の給付になります。残された寿命をまっとうしたいのであれば、やはり軍資金が多いと都合が良いわけで、年金給付先取りは保険のリビングニーズ特約(余命宣告を受けた際に亡くなった場合の保険金が先に受け取れる)的な役割も果たすといえそうです。
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シニア層に向けて、人生後半を充実させるために役立つマネーの知識を実践的に解説。株・投資信託から不動産投資、保険、死後の準備、さらには健康情報まで、127項目に分けて取り上げます。日本経済新聞社で取材歴35年のベテランが、驚きのノウハウを多数紹介します。
田中彰一著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)
日本経済新聞社コンテンツプロデューサー 兼 日経CNBC解説委員。1989年、日本経済新聞社入社。主に金融・資本市場担当。ニューヨーク駐在などを経て2018年より現職。日経電子版コンテンツ開発、ニュースレター執筆、経済番組解説の「創る・書く・話す」の三刀流をこなす。日経CNBCの動画「未来のブルーチップを探せ」は2023年の年間アクセス数首位。CFP®認定者、健康マスター認定講師、宅地建物取引士、SAAJ公認シニア・プライベートバンカー、証券外務員1種。マネーと不動産の実務と健康に詳しい。
[日経BOOKプラス2024年7月24日付記事を再構成]
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