9月2日は「第2次世界大戦終結の記念日」
欧米諸国のヨーロッパ戦勝記念日はフランス北部ランスの連合国遠征軍総司令部でドイツ国防軍作戦部長がドイツの無条件降伏文書に調印した5月8日なのです。
ところがロシアでは5月8日ではなくベルリン市内の赤軍司令部でドイツ国防軍のヴィルヘルム・カイテル元帥が降伏文書に調印した5月9日とされ、毎年この日をを対ナチス・ドイツ戦勝記念日として大々的に祝っている。
特に今年は戦後65周年にあたるため、メドベージェフ政権は第2次大戦がファシズム阻止の正義の戦争だったことを強調している。
『対日戦勝記念日』は、
サハリン州は以前から制定を求めてきたが、1945年東京湾上の戦艦ミズーリで日本の重光葵外相、梅津美治郎参謀総長が第2次世界大戦の降伏文書に署名した9月2日を『第二次世界大戦終結記念日』として今年7月7日ロシア下院が可決する。
ザバルジン下院国防委員長は『9月2日の記念日は、祖国と反ヒトラー連合国のために自己犠牲と英雄的精神、忠誠を示した同国人たちの記憶の印だ』と強調した。
『ポツダム宣言とアメリカ軍の原爆攻撃との関連』
広島・長崎両市に対する原爆攻撃の正当性としてアメリカが主張しているのが、『戦争の早期集結で100万人の米兵の命と救った』との言い分ですが、これを政府も一般アメリカ人も今でも主張している。
日本側の一般的な言い分は『最早継戦能力が無かったのだから、原爆は必要では無かった。』というものですが、果たしてどちらの言い分の方に分が有るのか。?
日米の主張は、どちらも真実の極一部ではあるが真実全部では無いのですよ。
アメリカ(トルーマン大統領)の上げた数字ですが、外地のグアムやサイバンでは日本軍は白兵突撃で簡単に全滅(玉砕)して米軍の損害は軽微なのですが、辺境の島とはいえ日本本土での戦いである硫黄島や沖縄戦では文字どうり最後の一兵まで頑強に抵抗して米軍に甚大な損害を与えている。
硫黄島での戦闘では、全滅したので死者の数では日本側の方が多いが全死傷者数ならアメリカ側の方が倍近い損害なのです。
これに懲りて沖縄戦では『鉄の雨』と呼ばれている艦砲射撃と絨毯爆撃を徹底するが、それでもで日本側20万の死者に対しアメリカ側6~9万以上の膨大な死傷者を出しているのですよ。
戦艦大和は沖縄に片道の燃料で特攻出撃しているが、援護すべき航空機はゼロで簡単に撃沈されているが、この時日本本土に戦闘機がゼロだった訳ではないのですよ。
日本は第二次世界大戦で動員率が8%で620万人の巨大な軍隊を持っていて半数は外地の中国やフィリピンやニューギニアに送っていたのは事実です。
しかし、無傷の半数の日本軍精鋭部隊は日本本土に残し、来るべき狂気の本土決戦に備えていた。
勿論航空機も最後まで持っていた。
ですからヒロシマナガサキへの原爆攻撃でアメリカ側の100万人の米兵の命を救ったとの忌々しい伝説も、全く根拠の無い数字ではない。
地上戦の行われた沖縄戦では日本側は4人に1人が死に20万人の犠牲が出たが、米軍の方も3~4分の1の死傷者が出るので単純計算して、九州南部上陸など日本本土全土での地上戦が行われたら確実に100万人の米兵が死ぬ計算になる。
日本の同盟国ドイツは全土で地上戦が行われ首都ベルリンの攻防戦まで行っているのです。
ですから、当然日本の首都の東京攻防戦が行われる可能性は十分に有ったのです。
宣戦布告した国家間の全面戦争で日本の様に空爆だけで無条件降伏した例はただの一度も無い。
敵兵が一人も本土に侵攻する前の降服は日本だけ。
日本側の言い分の継戦能力ですが、確かに空爆するアメリカ軍に反撃する能力は全く無かったのは事実ですが、日本全土で沖縄戦と同じ一億玉砕の地獄の地上戦を行う覚悟だった。
だから極力戦力を温存する(本土決戦に備える)為の時間稼ぎの目的で、あえて戦艦大和や沖縄を見殺したのです。
『核兵器の目的とは』
それでは原爆攻撃は『終戦に有効だったのか』の最初の疑問に戻るが、これが大違いなのですよ。
普通の一般市民は、それまでの空爆で痛め付けられていて食料も無い装備も無い、敗戦続きでいい加減『厭戦気分』が高まっていたのです。
ところが、原爆攻撃の惨状を目撃した日本人は態度を一変する。
この米軍の非人道的残虐行為に怒り心頭、今まであった厭戦気分を吹っ飛ばして、『鬼畜の米軍許すまじ』との怒りの感情から最後の一兵になっても戦い抜く覚悟をかき立てる。
勿論そんなこと(怒りにかられて民族は最後の一人まで戦うこと)はインデアン戦争を長い間経験しているアメリカは十分承知していた(インデアン戦争は60年前)のですよ。
原爆攻撃は『戦争終結に有効』どころか、まさに正反対で逆効果だった。
全ては伏せられているが、
日本が戦争終結決意した動機はヒロシマの悲劇と同時に始まったソ連軍の対日参戦だったのですよ。
何のために、冷戦時に戦略的に最重要な意味を持つ日本の千島列島の褒美を用意してまでドイツ降服後3ヶ月以内のソ連軍の対日参戦をアメリカが切望したのか。?
ソ連軍参戦を聞けば、即座に日本軍が降服する事を熟知していたのですよ。
ロシアのロマノフ王朝が全員処刑され滅亡したのは1918年で1945年の敗戦時では、たったの27年前の極最近の事件である。
ロマノフ朝の最後は今では歴史上の出来事にすぎませんが、当時はつい最近の記憶も生々しい事件であり現実の話で誰も無視できない。
アメリカには降服しても良いが、ソ連だけには降服したくなかったので日本はポツダム宣言受諾しか道は残されていない。
『人体実験としての原爆』
それでは無意味な、戦争終結に逆効果にしかならない原爆攻撃は何の為だっただろうか。?
『研究の為に投下した』とは大統領や司令官など当事者が発言した等の直接証拠は無いが、数々の間接的証拠類で間違いないでしょう。
全くの嘘(虚構)なのです。
『ヒロシマナガサキは原爆実験』だとは、それが本当だったとしたら口が裂けても本当の事は言いません。
攻撃に使用された原爆がプルトニウムとウランと別々であったことや、アメリカが原爆攻撃したヒロシマやナガサキは原爆の威力の検証を正確に出来る様に他の日本の都市のように無差別絨毯爆撃を控えていた事実は、この原爆の意味を如実に現しているでしょう。
ヤルタ会談の時期を思い出してください。
当時既に大戦の行方は定まっていたのです。ドイツ軍はドイツ国内にまで追い詰められて最後の本土決戦?の負け戦の真っ最中。
対日戦ですが、これも半年以上前に日本帝国の最後の防衛線であるサイパン陥落で勝敗は既についていた。当時大都市は焼け野原であったのです。
いわゆる継戦能力(反撃能力)は日本軍にはまったく無かったのです。
何故トルーマンは原爆攻撃をしたかの謎の答えの一つは、
『日本には最早報復攻撃出来るの能力(核兵器)が無かった』だから、アメリカの原爆投下が可能だったのですよ。
いわゆる核抑止力が日本には無かったのです。
1945年当時に日本帝国が核を保有していたらヒロシマ・ナガサキの悲劇は生まれていないのです。何とも恐ろしい腹立たしい話ですが。
ご存知のように日本は細菌兵器や毒ガスを研究していて既に兵器化にも成功していた。
ドイツですが細菌兵器こそ無かったが毒ガス兵器は大量に所有していたのですが、日本もドイツも最後まで使わなかったのですよ。
何故か。
理由は極簡単で使えば相手も使うのです。反撃が怖いから使いたくても使えなかったのです。イラクイラン戦争を思い出してください。相手が使えば必ず報復で使うのです。
日本軍はアメリカ軍相手には使わなかったが、相手が反撃できない中国では毒ガスも細菌兵器も遠慮なく使っている。
『守勢は攻勢に優る「戦争論」クラウゼヴィッツ』
2月のヤルタ会談時点では3月に終結する硫黄島の結果は未だ判明していなかったが、アメリカは日本との戦争では徹底的に相手のことを研究していた。
基本的に戦争では攻撃側は守備側の3倍の戦力を集中する必要があるといわれているが、硫黄島では忠実にこの原則が守られていた。
そして戦争とは、サッカーなどスポーツ以上にホームとアウェイの違いが大きいのですよ。
日本軍ですが、外地のグアムやサイパンでの戦い方と、辺境の離島ではあっても本土の硫黄島ではモチベーションが全く違うのです。
これは日本だけに限らず何処の国でも同じです。
国家の為に死ねる人間は極僅かですが、故郷や親兄弟や友人など自分の愛するものの為には死ねるのですよ。
だからホーム(自国内)では別人のように強くなれるのです。
世界最強のアメリカ軍がベトナム軍に負けた原因とはまさにこのモチベーション(自国内か遠征先か)の差なのですね。
『本土の捨石だった沖縄・硫黄島 』
硫黄島や沖縄の悲劇とは、日本側の援護も補給もまったく行われなかったことで倍化したのですが、何故まったく援護しなかったのか。?
何故少しも助けようとしなかったのか。?
これ等の答えは全て『本土決戦の為』に収斂するでしょう。
本土にある『戦力』を温存する目的で、沖縄や硫黄島が戦われたことは誰もが認めることです。
トカゲが自分の尻尾を切り離して時間を稼ぎ、捕食者が尻尾を食べている間に逃亡する戦法に似ている。
6月の沖縄戦で日本軍守備隊が全滅した時、日本本土は何をしていたのか。?
狂気の本土決戦を本気で考えていたのですよ。
『無意味な原爆 意味があったソ連軍対日参戦』
この決意を打ち砕いたのは『何』であったのだろうかとの考察ですが、『原爆』であった可能性は低すぎるのです。
地方都市への原爆攻撃を見て決断できるなら、それ以上の首都東京への無差別絨毯爆撃である3月の東京大空襲での10万人の犠牲者を目撃した時点で決断できた筈である。
あるいは沖縄戦の20万人の死者を出して日本軍が全滅する様を見て決断できる。
ところが、そのどちらも無かった。
それなら突然日本軍が心変わりした理由とは何か。?
また、第二次世界大戦の勝敗が既についいるにもかかわらず、日本の千島列島の褒賞まで用意して何故アメリカはソ連軍の対日参戦に拘ったのか。?
ポツダム宣言の起草段階で、何故トルーマンは原爆攻撃を命令したのか。?
当時の日本人全般に広がる『厭戦気分の高まり』を情報戦が得意のアメリカが知らないはずが無い。
そこでの残虐兵器(原爆)の使用は、逆効果しかないことは戦争のプロなら誰でもが知っています。
1945年は今では大分昔になりましたが、それでも記憶している人々はまだまだ生きている。
1945年当時はロマノフ朝滅亡の1928年は直ぐ昔の記憶で、忘れるはずが無い生々しい事件だったのです。
アメリカ人の行った民族絶滅戦争だったインデアン戦争でも当時は未だ60年ほど前の昔の生きた歴史であったのです。
『ヒロシマへの原爆攻撃とイラクのファルージャ掃討戦 』
アメリカの民間軍事会社の傭兵が市民に殺されて橋に吊るされた事に対する報復戦として海兵隊がファルージャ市街を包囲して市民を殺すのですが、これに人道支援の日本人ボランティア3人が巻き込まれ現地武装勢力に人質になったのですが、この時に日本の産経など右翼マスコミは武装勢力の声明文の中にヒロシマナガサキの言葉が含まれていたので、日本の自衛隊のイラク派兵に反対する自作自演の人質事件であるとの悪質極まる報道を行ったのです。
彼等右翼マスコミの考えでは、ヒロシマなど日本の一ローカルな話などイラク人が知っているはずが無いと思っているのですよ。
ネットウヨや産経などアメリカしか世界に無いと思っているので、確かにアメリカ人の多くはヒロシマはローカルな話で知っている人は少ないが、これとは正反対にイラクなどそれ以外の国々ではヒロシマを知らないものは誰一人も無い。
この落差は大きいでしょう。
今でもアメリカでは6割はヒロシマは正しいと信じている。
日本でも防衛大臣が『しかたが無い』と発言しているが、全ては原爆が戦争終結に役立ったのだとの理由であるのですが、『戦争終結に役立った』が事実であるなら、『原爆投下は正しい』(必要悪)となるのですよ。
『原爆攻撃を正当化』
今の多くの日本の新聞記事ですが『戦争終結に役立った』とも解釈出来る記述内容なのですよ。
これは大問題でそのまま見過ごしには出来ない。
何故なら、それではアメリカの原爆に対して反対出来ないのですよ。
トルーマンは原爆で100人の米兵の命を救ったのだと語っているが、確かに沖縄戦で米兵6万人の死傷者日本人20万人の犠牲者の数字を、そのまま本土決戦に当てはめれば鹿児島に上陸した米兵100万人日本人は数千万人のとんでもない数字になりますが、これを到底認める訳にはいかない。
論理的に考えてみれば、大日本帝国のポツダム宣言受諾の原因が原爆の惨状であったなら、トルーマンの発言が『正しい』(ヒロシマナガサキの原爆が米兵だけでなく、自動的に米兵の何十倍の日本人の命を救った)となるのですよ。
日本側のポツダム宣言受諾が『原爆が原因で無かった』でなければ、我々日本人は誰であれアメリカ軍の原爆攻撃の『不当性』を主張出来ないのですよ。
今のままでは、原爆攻撃のお蔭で沢山の日本人の命が救われたとの、とんでもない結論になってしまうのです。
『600万年の人類の歴史と残虐兵器』
人が人を殺す戦争が始まったのはどんなに長く考えても6000年程度前からでそれ以前は人類は平和に暮らしていたらしいですよ。
それなら戦争は0.1%の例外的な話になります。
日本人のご先祖様の縄文人ですが3万年程前に故郷のバイカル湖が寒くなりすぎて陸続きなっていた日本列島に辿りついたらしい。
もう一方のご先祖の弥生人は中国の春秋戦国時代など中国国内の戦乱を避けて日本に来たらしいのですが、彼等は今までの『揉め事は話し合いで解決』する憲法9条の精神の縄文人とは大きく違い、『揉め事は武力で解決する』グローバルスタンダードのアメリカ型だったのですよ。
以来日本は戦争の時代になるのですが、65年前の大失敗の結果元々のご先祖様の『武力を否定して話し合いで解決する』9条に精神を思い出したのですよ。(たぶん)
『残虐兵器』ですが、これが9条のある日本人の考え方と戦争を肯定するアメリカなどグローバルスタンダードでは、この『残虐』の言葉の意味が根本的に考え方が違うのです。
第一次世界大戦後に毒ガス兵器は禁止されたのですが、理由は何故だと思いますか。?
大勢が死ぬとか死に様が見苦しいとか死ぬ時により以上苦しむとかの理由ではないのですよ。
残酷な刑罰として誰でも思いつくのは火あぶりですが、火炎放射器で殺された人はこの範疇に入ります。
弾丸のように簡単には死なず犠牲者は悶え苦しむのですが、火炎放射器を禁止する法案は誰も考えなかった。
考えなかったどころか人を無差別に焼き殺す焼夷弾になりナパーム弾に進化し今ではデイジーカッターと言う巨大殺戮兵器にまで極限に肥大化し進化している。
『平和な時代に、戦争で死ぬ意味』
毒ガスが禁止された理由は極簡単です。
どちらかが勝って戦争は終結するのですが、恐ろしいことに毒ガスの後遺症で戦争後の平和な時代になってから死ぬ人が大勢出たのですよ。
毒ガスの最大の問題点とは、今世界で禁止するべきだと問題になっているクラスター爆弾と同じです。
そして世界で最初に禁止された残虐兵器とはダムダム弾なのですが、その禁止理由も全く同じで戦争終結後に鉛中毒で死亡する人が続出したからなのです。
これ等の禁止された『残虐兵器』は、禁止されなかった『残虐兵器』とは違い、戦争を止めた平和の時代にまで死者が出る。
ところが、この事実は人々に『戦争の恐ろしさ』を実感させて『戦争を起こし難くする』とんでもなく良い副作用があるのですよ。
原爆攻撃された日本人は今でも平和憲法を守っているが、同じような敗戦国でもドイツは残虐兵器の経験が無いので早々に憲法改正、共産党の非合法化、再軍備から徴兵制、今ではアフガンにまで軍隊を送って戦死者を大勢出している。
ですから残虐兵器の禁止の目的とは、『戦争のハードルを下げる』『戦争をやり易くする』隠された悪しき禍々しい目的がある。
ですから真に反対するべきは殺し方が残虐であるなしなど関係なく、『殺すこと』自体であり戦争自体なのですね。
私は、原爆投下の正当性についてアメリカ人と何度も議論していますが、彼らは勝った戦争には余り興味がなく、『日本は負け戦と分かった時点で直ぐに降伏すべきだったのであり、全ての責任は最後の本土決戦を計画して国民に犠牲を強いた天皇と日本軍部にある。』と答えます。 そこで、私の興味は過去でなく将来なので、『では米国は今後も核兵器を使用する気があるのですね?』と話を進めると、とても議論が紛糾するのです。
日本の太平洋戦争の原因は、欧米諸国と同じように日本が植民地政策を行ったからです。 欧米各国は自分達と同じように日本が植民地政策を行うことを認めず、英米蘭仏は日本の大陸進出を咎め、満州国を放棄するように勧告し、経済封鎖を行って日本を追い詰めました。 米国は、独伊と三国同盟を結んでいる日本を挑発することで、日本に戦争を起こさせて米国が欧州に参戦できるようにしたと考えられます。 全ては米国のシナリオ通りだったのでしょう。
>もえおじさん
勝者の論理、ということで何を最終的におっしゃりたいかわかりませんが、敗者は勝者の論理を受け入れなければならないのが、当時の国際戦争の道理だったのでは。
なぜなら、どちらも自分が正しいとおもっている2陣営だけがあり、第3の公平な観察者など誰もいなかったからです。
負けた国の政府は、勝った国の政府の言うことをきく、これが当時の国際常識です。
(もちろん民衆はそう思いませんから、ゲリラ戦とか義兵闘争をしますけど。)
それにそもそも第3の調停機関に成り得た国際連盟から世界で一番最初に脱退したのは、日本でしたし、リットン調査団の報告は間違っていると主張したのも日本全権の松岡です。そしてこのときには経済封鎖などされてなかったはずです。
それに満州の特殊権益を欧米は認めていたはずです。あくまで認めなかったのは、満州国が正当な独立国家であるという日本の主張。
植民地政策=南進論は、日本がかってに始めた日中戦争の戦局行き詰まりが原因です。欧米の経済封鎖は関係ないです。経済封鎖に至ったのも、ドイツがフランスを敗北させて、支配があいまいになった仏領インドシナに進出して、ナチスと交戦しているイギリスを刺激したからなのでは?それに応える形でアメリカが封鎖しても変な道理はないです。
当時はもうすでに2陣営に勢力が分かれていたと見るべきです。
帝国主義国として平等に~なんてお気楽な発想は通用しないはず。
俺たちは勝手にやる、(当然相手も勝手にやるのを認めなければいけない)と言ってドンパチやり始めた日本が、相手の勝手な道理でコテンパンにやられてもそれは当然なのでは・・。
原爆使用もアメリカからすれば何らかの当然の道理があって踏み切られたわけです。
しかし相手が自分勝手にやるなら、自分も思い通りやっていいのが国際常識だった、といって、アメリカを正当化するわけじゃないです。
それが私が、宗純さんのおっしゃる『真に反対するべきは殺し方が残虐であるなしなど関係なく、殺すこと自体なのです』という意見に賛成だからです。
拙い歴史理解ですから、なにか間違いがあるかもしれません。間違いがありましたらご指摘お願いします。
ただ、この記事の趣旨は原爆についての日本人が持っている大きな根本的な勘違いについて論じたものなのですよ。
一つはアメリカの原爆攻撃の直後に日本がポツダム宣言を受諾した為に、原爆と終戦が何か関連しているのではないかとの誤解ですね。
そしてアメリカは一貫して『戦争終結に果たした核兵器の威力』を強調しているので、これに影響されて日本でも久間防衛大臣の『仕方が無い』発言が生まれるのです。
トルーマンの主張が正しいなら原爆被害者の皆さんいは不謹慎だが日本人全体から見ればヒロシマナガサキの原爆とは『人類への犯罪行為』などではなくて、その正反対のキリストの磔刑のような『日本人の救いの神』で『正義の行為』と解釈出来るのですよ。
まさに錬金術なのです。
トルーマンの人類への許しがたい戦争犯罪行為が、この論理では正反対になる。
これがなんと、二十数万人の少ない?犠牲で2000万人以上の人命を救った人道的?な崇高な名誉ある行為へと完璧に変質して昇格するのですよ。
そしてこの二つの内のいずれか片一方であるのです。
真ん中は無いのですよ。
人類全体に対する戦争犯罪であるか、
それとも数千万人もの大量の人命を救った崇高で名誉ある犠牲で称えられるべき偉大な正義の行為であったのか。
どちらかであるのですが、日本人はこの問題を65年間も考えることをせずに放置してどっちつかずの曖昧なままに放置していたのですよ。
あのヒロシマの主語無しの言葉なんか、その典型です。
何故結論を出さずに、思考停止のままで放置したのかの理由ですが、出て来る結論が怖すぎるのですよ。
余りに怖すぎて考えることを放棄してしまい、全てを曖昧にしてきたのです。
まさに奴隷根性ですね。情け無い限りです。
もう一つの主題は『残虐兵器』禁止の欺瞞ですね。
『残虐だから禁止するべきだ』なとは大嘘であるのですよ。
残虐でなくて見てくれが綺麗で殺せるなら戦争の抑止力はより低下して、もっと今よりも悪いのですよ。
第二次世界大戦ですが、第一次世界大戦後に毒ガスが禁止された分だけ戦争へのハードルが下がったのですよ。
皆さんは悲惨な毒ガス被害者が大量に後方の本国に送り返されたらと想像して下さい。
間違いなく本国では反戦世論が起きて戦争が続けるのが困難になるのです。
事実第二次世界大戦の開戦前にはアメリカ市民の反戦意識は強固で揺るがず,幾ら盟友のイギリスが敗戦直前でもルーズベルトには参戦の可能性はゼロで全く不可能であったのです。
その不可能を可能にしたのは、連合艦隊の真珠湾攻撃であるのですから、それならルーズベルトもチャーチルも山本五十六には足を向けては眠れない恩義があるのですよ。
開戦した後の戦争中でもアメリカ人の40%は戦争に反対であったとの驚くべき数字もあるのです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hague_Conventions_(1899_and_1907)
原爆使用に関して腹立だしいのは、戦争に負けたことによって日本の一般市民までが広島・長崎の原爆使用を正当化する米国の論理に表立って反対せず、今日における核抑止力や核使用を日本政府として暗黙に受け入れていることです。 本来、憲法第九条の戦争放棄とハーグ条約の理念は本来同じ理想に基づくものであるはずなので、論理的な整合性が成り立っていません。 一般市民を大量虐殺した東京空襲を含む日本本土への無差別爆撃(ドイツでは、ハンブルク・ドレスデンの大空爆)、広島・長崎の原爆投下、陸上戦での市民の虐殺、(日本軍による大陸での無差別爆撃や市民殺害も含まれる)は非人道的な犯罪行為です。 大切なのは、そのことを明らかにすることが将来の戦争の危険を減らすことに繋がるということです。
私の「日本の太平洋戦争の原因は、欧米諸国と同じように日本が植民地政策を行ったからです」以下の説明に関しては、詳細は間違っている部分もあるかもしれませんが、日本が連合国側と戦争したことで、結果的に多くのアジア諸国が長い欧米の植民地支配から独立することになった事実は認識すべきです。 歴史的に、日本の帝国主義が敗れることで欧米の帝国主義も否定されることになったのは、理にかなったことです。
日本が、とかアメリカが、とかの考え方では如何も話を部分的にしか見ていないで、
あの太平洋戦争とは何であったのだろうか。?
とか日本の真実の姿を何であったのだろうか?との根本的な視点が有耶無耶になりそうであるのですよ。
日本が大戦で大きな被害を受けたことは事実であるのですが、・・・・
如何も何かが可笑しいのですよ。辻褄がしっくりとは合わないのです。
ヒロシマの原爆ですが、それ以前の東京などの度重なる無差別絨毯爆撃と、それ程被害の甚大さには遜色は無いのですよ。
そして日本人が口を揃えて『戦争の悲惨さ』を訴えているのですが、これも如何も可笑しいのですよ。
日本本土では地上戦を行ったのは本土から見れば遥かに離れた離島である硫黄島であり沖縄島なのですよ。
欧州で地続きのイタリアやドイツとはこの点が大きく違うのです。
そして空爆と地上戦では恐ろしさが文字どうり天と地の違いがあり、全く違う戦争であるのです。
空爆だけだった北ベトナムと地上戦が行われた南ベトナムでは被害の程度が二桁違いで全く問題にもならなりレベルであるのです。
そしてアメリカ軍の行った北ベトナムへの北爆は第二次世界大戦で投下された爆弾の何倍も信じられないような絨毯爆撃が行われたいたのは記録に残されている。
それでも南の地上戦に比べれば、本当の殺し合いと子供の遊びくらいの南北間でとんでもない差があったのですよ。
で、何が言いたいのかの話ですが、太平洋戦争での日米決戦は1945年8月15日時点では半分しか決着が付いていなかったのですよ。
後半分が続いていたら間違いなく数千万人も命が失われたのです。
今までの歴史上の数々の、どの様な戦争でもいえる共通した原則ですが、本当の戦争の地獄は、自国内に敵軍が入ってからなの血で血を洗う地上戦なのですよ。
そのために日本軍は離島である沖縄を完全に捨石としてしか見ていなくて、着々と本土決戦を計画していたのです。
無傷の日本軍精鋭部隊の半数を本土に最後まで残していたのは、このためであるのです。
これとは違い、ドイツは精鋭部隊を使い果たして本土決戦時には少数の残存部隊の老人とか子供の促成部隊で連合国に抵抗したのですよ。
日本のは大違いなのです。
プロイセンの軍事戦略家クラウゼヴィッツによれば戦争で攻勢と守勢では常に守勢が勝ると一般的な常識とは正反対のことを『戦争論』で述べているのですが、その理由は攻勢側は三倍の兵力の集中する必要があるのですね。
それと『これが最後』『もう後が無い』とのモチベーションの違いで自国内では幾ら苦戦でも徹底的に戦うのですよ。
そしてこの『守勢』で恒に勝っていたのが伝統的なロシア軍の戦法であるのですが、守りに徹する縦深陣地を構築して敵軍を自国深くに誘い込んでから時間をかけて壊滅させる作戦です。この作戦でソ連軍はドイツの鉄の軍団を破るのですが、第二次世界大戦で最大の2000万人もの桁違いの被害者が出たのですよ。
ヨーロッパロシアの全部が戦場になったのですから膨大な損害が出たのです。
日本の空襲などは、地上戦に比べれば子供だまし杜までは言わないが、それに近い話であるのです。
ドイツが降服しても未だ日本本土は手付かずであった理由はまさに日本列島とは天然の要害の地で誰であれ容易には侵攻できないのですよ。ルーズベルトがソ連軍の対日参戦に拘った理由とは、本土決戦の回避であったわけです。
今まで、久間発言や米国退役軍人会の話を聞いて、おかしい、詭弁だとは思ったのですが、その後深く考えたことはなかったんですね。
しかもおかしいと思いながら、日本降伏は核兵器の投下によって彼我の力の差を思い知らされたから、とずっと思ってました・・。
しかしそれならミッドウェー以降、そう思える機会はいくらでもあったはずですね。東京大空襲をはじめとする甚大な被害をも考えれば、原爆が終戦をもたらした、というのは筋が通らなくなる。
ソ連の対日参戦の意味を分かってなかったです。中国戦線が膠着状態の上にソ連軍では、確実に勝ち目がない。
それに実際、もし自分が、リアルな体験として原爆を経験し親兄弟を亡くしたら、間違いなく「鬼畜米英」の憎悪で身を奮い立たせたと思います。
「主語なしの原爆記念碑」のお話もありましたが、式典では最近、子供に何か言わせるみたいですね・・。
アメリカ大使が出席するということで、今年の中継を見ていたのですが、驚きました。まじめにやっている方々には申し訳ないですが、あれはヒドいです。
大の大人の能天気な願い事を知力もまだまだ初等な小学生に刷り込んで、代弁させるというのが・・どうも情けないような気がしてなりません。
自分にしても、戦争資料館などにいって、「戦争は良くない、愚行だ」という、おそらく全うだけども陳腐で当たり前の願い事で思考停止するのは、おそらく生々しい憎悪の感情から、自分が解放されているからだと思います。もしあの当時に肉親を亡くすようなことがあったら、戦争は悲惨だと思うより、むしろ戦争だからやり返してやったって問題ないはずだ、と言って、撃墜されたB29の搭乗員を虐殺する可能性のほうが高いです。
>もえおじさん
>勝者の論理とは、~
>原爆使用に関して腹立だしいのは~
なるほど、確かにその通りだと思います。
わざわざご説明ありがとうございました。
以下記事の主題とズレてしまうのですが・・
>植民地支配から独立することになった事実は認識すべき
まず優先的に考えるべきは、アジア民衆の率直な感情だと思います。
日本は初期はともかく、結局は歓迎されていなかったはずです。日本がそもそも、恨まれ役となってでもヨーロッパ諸国からアジアを解放しようと思っていたなら別ですが・・
恨まれ役ではなく、正反対の「正義の解放者」を自認してませんでしたか。
僕にはそれがひっかかります。
それにアジアの人から見れば支配者が変わっただけ、ということではないでしょうか。
旧宗主国もヨーロッパ本国はナチや連合国の反攻で蹂躙されて、植民地回復どころではなかったのでは。もし植民地どころじゃない、という状況でなかったら、彼らがどう行動したかは分かりません。植民地回復を目指した可能性はあります。
(実際に、フランスはベトナムとインドシナ戦争を行い、オランダはインドネシアと独立をめぐって戦争してますし。)
終戦後も結局旧宗主国と戦争です。日本は資源を頂戴した上に抗日ゲリラに人々を駆り立てた分、やはり無駄なおせっかいだったと思うのです・・独立を目指すなら、一回で済ませたいと思うのが普通ですから・・。
長くなってしまい、すみません。
ソ連の対日参戦の意味を分かってなかったです』<
そうなんですよ。筋がとおらないのです。
本当に原爆で日本本土の地上戦が避けられたとのアメリカ側の主張が正しいと仮定するなら、
ヒロシマナガサキの原爆に因る最大の利益を得たのはアメリカ軍では無くて、日本人自身だとのとんでもないは話になるのですよ。
それが事実なら『原爆反対』ではなくて、原爆さまさまで、『原爆大賛成』で無いと辻褄が合わないのですよ。
あるいは最低でも久間防衛大臣の『仕方が無い』が正しい発言となります。
日本で唯一地上戦の行われた沖縄戦の死者だけに限定すればアメリカ側の1万数千人に対して日本側は20万で約20倍の損害で、この比率はアメリカの行う対外戦争では良く似た数字であるのです。
ベトナム戦争でも朝鮮戦争でも6万人対300万人で50倍ですね。
大体ですね、全面戦争で空爆だけで無条件降伏した例は大日本帝国以外には一つも無いのですよ。
全ての戦争で降服する最低条件は首都を敵軍に占領されてからの話で、誰が敵軍の一兵も本土にたどり着く前に降服するなど欧米の常識では誰も考えていないのですよ。
日本軍ですが外地にいる徴兵された一般兵士には『生きて虜囚の辱めを受けず』とする戦陣訓を義務付けたが、肝心の国内にいる参謀本部は真っ先に手お挙げ降服したのですよ。
国内に温存していた半数の無傷の日本軍も全て抵抗することなく異教徒の占領軍に協力するのですよ。
伝説と事実との間には、とんでもなく深い乖離があるのです。
アジア諸国の独立問題と大日本帝国の関連性は薄いでしょう。
何故ならアジア諸国は19~20世紀に欧米に植民地化される以前はそれぞれが歴史ある独自の文化を持ったりっぱな独立国であったのですよ。
独自の独立国を殆ど持たなかったアフリカ各国が独立する1960年代に僅かに十数年程度早くアジア諸国は独立国になるのですが、元々が独立した文化と歴史を持っていたのですから日本の役割は全く無いと考えられます。
あるいは、あってもとんでもなく小さいでしょう。
アジア諸国の独立にはまったく無関係だろうが、
ところがこれとは正反対に余り皆さんは指摘しないが、今のアジア諸国の近代化、工業化に果たした日本の役割はとんでもなく大きいのですよ。
これを今の若い人たちはもっと誇りに思って欲しいですね。
1965年に日韓条約を結ぶのですが、この時の南北朝鮮の一人当たりの国民所得は今とは正反対で韓国は北朝鮮の半分であったのです。
韓国の国家予算以上の日本の援助で近代化に成功するのですが、東南アジア諸国も同じような状態であるのですね。
1960年代には、実はアフリカ諸国よりもアジア諸国のほうが貧しかったのですが、停滞するアフリカと躍進するアジア諸国では正反対になったのですが、
この理由がアフリカは基本的に欧米の影響下にあるのですね。
アフリカがアジア諸国とは大きく違った原因を考えると興味深いですね。
そうなんですよね。
思うにこれは歴史修正主義者とかが良く使う指摘だから、ということで扱いを自重するのかもしれないです。
日本の援助と韓国の近代化については認知していましたが、南北朝鮮の所得逆転、欧米の影響下にあったアフリカ諸国と、アジア諸国の対比というのは非常に興味深い視点です。勉強になります。
日本軍の野蛮な侵略戦争を肯定したい右翼が大日本帝国の行動が『アジア諸国の独立に役だった云々』と言って周辺諸国の怒りを買っているので、
これに反対する護憲派は『アジア諸国の近代化、工業化に果たした日本の役割』を殆ど言わないのですよ。
これを主張すると『日本は良かった』『日本は正しい』の右翼と同列に見られるとでも心配しているのでしょうか。?
しかしですね。
欧米以外で唯一先進国に成れたのは日本ただ一国であるのは紛れも無い事実で、誰であれ否定できないのです。
今幕末を描いたNHKドラマが放送されていたが、あれは感心しませんね。
欧米先進国対未開な日本との図式で描かれているが嘘くさいのですよ。
欧米の技術、経験を導入したから日本が近代化したとの公式論をそのまま踏襲しているのですが、欧米先進国の真似をしたのは、すべての世界中の後発国なのですが、
ところが、ただの一カ国も成功する国は無かったのです。
『教育が』云々も可笑しくて中国も韓国も科挙の試験でとんでもなく教育熱心で、これは今でもらしくて韓国の受験戦争は日本どころでは無いらしいですよ。
未開野蛮な国が突然に先進国にはならないのです。
日清日露の戦争は明治維新の近代化からそれ程の時間が過ぎてはいないのですよ。
NHKの放送とは全く違い、日本は欧米一神教文化圏とは全く違っていたが、独自の文化を持った先進文化地域であったのですよ。
明治の軍国主義政府の宣伝している遅れた日本が明治維新で近代化したのではなく、そもそも日本国は未だ産業革命以前の社会としては最高度に発達した平和な近代文明社会であったのです。
幕末以前でも文献だけで日本独自の技術で反射炉や蒸気機関車の試作に成功しているのですから、『ものづくり』の伝統は江戸時代からのものですね。
最先進国であるイギリスよりも日本の植字率は高かったし幕末時に江戸が100万都市で世界最大の都市であったのですから封建国家としては世界一の中央集権の均質性もあったらしいのです。
当時の欧米人から見て、一番衛生的な安全な街であったのですが、それなら一番文明的でも有ったのだとも解釈出来るのです。
特に注目するべきは働く人々の意識の違いらしいのですよ。
これは今でも同じ傾向が有るのですが、日本では職業に貴賎は無くて、どんな仕事でも尊いので其々の職人たちは自分の仕事に対して誇りをもっているのですが、これは神も人もそれ以外の動物も同一の地平線上に並立しいるとする日本的な道徳観と関係しているのでしょう。
欧米的な一神教世界では神と人と動物は完全に別々の存在で同一の地平には無くて、超えることが出来ない上下関係にあると考えられていて、この考えは仕事にも言えて職業に貴賎があるのですよ。
実際に物を作る職人(労働者)の地位は高いとは言えず一生同じものを造る続ける人は日本とは違い尊敬されない。
日本では何十代と変わることなく技術を伝承していることは尊敬され、みんなから尊ばれる。正反対ですね。
幕末から明治にかけて日本を訪れた異人(欧米人)がこの事実に驚き色々と書き残したものを渡辺京二著『逝きし世の面影』に記録されているのですが、
アメリカ初代駐日公使ハリスは、
『私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進するゆえんであるかどうか、疑わしくなる。
衣食住に関する限り完璧に見える一つの生存システムを、ヨーロッパ文明とその異質な信条が破壊し、ともかくも初めのうちはそれに変わるものを提供しない場合、悲惨と革命の長い過程が続くだろうことに愛情に満ちた当然の懸念を表明せずにはいられない。』と言っているのです。
150年前には、ここ日本の地にも、今では滅びて跡形さえないが(美しく優しげな)高度に発達した文明が(西洋人に知られること無く)繁栄していた時代があったらしいのです。
その独自の文明の残滓は今でもいくらかは残っているのでしょう。
欧米の真似は成功する可能性は低すぎるのです。
今いわゆる先進国以外で工業化に大成功しているのは日本との距離や関係の近い国々だけである事実はある意味驚異的ですよ。
韓国や台湾は日本が一番最初に技術や資金をいれた国であり中国は日本ODA予算の半分を振り向けた国であるのです。東南アジアで一番発達しているるタイは日本との関係が一番近いのです。
>ヒロヒトは日本国民の敵であった (井上信三)
2010-09-03 16:06:51
>万一、天皇の決断が無かったら。
恐らく日本は、<焦土>と化していたに違いない。<
44年秋頃から終戦講和交渉を行うべきだとする政治家や重臣の一部が、我利我利亡者の卑劣漢昭和天皇ヒロヒトにその旨具申したが、ヒロヒトはもう一花咲かせてからにすべきだとして、講和に反対したことは周知の事です。その結果として、その後敗戦時までに2百万人以上もの死傷者を生じ、日本中のほとんどの都市は焦土と化しました。そうなったことの責任のほとんどは卑劣漢昭和天皇ヒロヒトにあります。
8月15日には少なくとも日本の主要な都市は焦土になっていたのですから、あの日に降伏することなく、ドイツ敗戦のごとく武器弾薬が尽きるまで本土陸上戦を戦い抜き、最後は日本軍お得意の玉砕戦をやってから降伏した方がはるかにましであったはずです。もちろん、そうなると天皇制も雲散霧消、卑劣漢ヒロヒトも国民の手によってか、自分の手によってかはわかりませんが、死んでいたはずです。
その結果として、羊のように従順で、支配者の言うことに何事もおおせごもっともで反抗しない現在の日本人とは異なる、自己の諸権利を堂々と主張できる、主体性を持った人間で構成された日本人民共和国が成立し、現在のような国民をほしいままに食い物にしている政治は行われなかったでしょう。