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逝きし世の面影

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続、疑問だらけの日航123便墜落事故調査(資料)

2008年08月14日 | 社会・歴史

■気圧は半分以下。酸素も不足。でもマスクなしでも乗員異常なし

 地上では標準気圧は1気圧で、水銀柱で760 (1013ヘクトパスカル)ですが、高度24000ftでは約308mm(400ヘクトパスカル)と気圧は半分以下に低下します。
それに比例して酸素も薄くなります。
 事故調が推定しているように、5秒程度で気圧が半分以下に低下する のはまさしく急減圧です。
航空医学書などによりますと、(例「臨床航空医学」監修:上田 泰 航空医学研究センター発行)「このような急減圧では、減圧症と呼ばれる症状が現れる。
これは気圧が地上の1/2になる18000ft 以上の高度に急激に上昇すると、血液中の窒素が気泡となって血管や関節の中に詰まり、 激しい痛みを訴えるなどの症状が見られる」と記載されています。
これを防ぐためには、事前に100%酸素を少なくとも30分呼吸すると予防できる事が知られています。
減圧症はスキューバダイビングなどでも発生する、気圧の急激な変化に伴う症状です。
生存された方々からは、この様な症状の報告はありません。
これとは別に、高高度では気圧ばかりでなく、酸素の分圧も低く、呼吸をしても酸素が体の中に十分吸収できずに障害が起こります。
これが酸素不足による低酸素症です。
低酸素症は自覚症状がないまま意識を失うのが特徴で、突然、意識を失なう危険性があります。
そのために乗務員は、減圧を認識したら、他のことは後回しにして、直ちに酸素マスクを着用するように訓練されています。
子供を連れた乗客にも、子供は後にして大人が先に酸素マスクを着用するように指示しているのは、大人が先に意識を失ったら子供を助けることが出来ないからです。
 
ところがこの事故では操縦席の乗員3名は、「マスクつけましょうか」 と会話しながらも、終始酸素マスクは着用していません。
事故調が推定しているような激しい減圧があれば、これほどのんびりとはしていなかったと見られています。
事故調は、乗員が低酸素症になっていた可能性があるとして、CVRの会話から次の四点を上げています。

飛行高度の高い、異常発生の5分後から11分後にかけてと、16分後か ら19分後くらいまで、機長と副操縦士の間の会話が少ない。20000ft 以下になったら会話が増えている。
異常発生から約10分後、機関士が2度にわたって酸素マスクの着用を 提案しているのに、機長は「はい」と答えただけで、マスクをつけなかっ た。
異常発生後9分から19分にかけて、社用無線で地上から4回呼び出して いるのに、これに応答していない。
また応答先が、東京か大阪かを決 めるのに1分を要している。
11分後、機長の語調が強くなっている。

これらはいずれも、低酸素症でなくても他の原因でも発生することで、その時の他の条件も考慮しなければ意味がありません。
更に、CVRは事故調査委員しか聞いていないので、会話が多いか少ないか、特に語調が強いか弱いかについては、事故調の主観的評価であり、そのまま信用するのは危険が伴います。
 
7分から12分、16分から19分にかけて、機体は旋回中で、フゴイドも激しく、-0.5Gから+1.8Gが記録されています。
思うように操作できない機体を何とかしようと必死で、会話どころでないのは当然です。

機関士が酸素マスクの着用を提案したのに対して、軽く受け止めているのは、それだけ減圧が厳しくなかったと、逆の解釈も成り立ちます。これを減圧の証拠とする根拠はありません。
CVRはこれまで事故調以外の人は聞かされていないので、語調がどの 程度強くなっているのかわかりませんが、11分後はちょうど+1.7G が記録されている頃で、本当に言葉が激しくなっていたとしても当然だと思われます。
このように事故調が低酸素症の証拠として、説得性のないものしか取り上げられなかったこと自体、急減圧の結論を合理化するために、無理に低酸素症があったことにしようとしたためとも考えられます。


■事故調委員長が報告書を修正?

既に見たように、 報告書では乗員がなぜ酸素マスクを着用しなかったのか、については「その理由を明らかに出来なかった」としていますが、当時の事故調査委員長が、94年2月6日、日本テレビ放映の特集番組で「酸素マスクをつけていられないような状況にあったのではないか、もっと重要なことがあったのではないか」と報告書と異なる説明をしています。
乗員にとって減圧率が毎分300000ft(事故調査報告書)にも及ぶ激しい急減圧状態で、酸素マスクを着用する以上に重要なことは想像できません。
差し迫った空中衝突を回避するのでもなければ、自殺行為です。
 
事故調の委員長自身が報告書と異なる見解を事後に披露したのは前例のないことで、このマスク着用については報告書の内容に疑問を持っていたことを示すものです。
事故調は酸素マスクの着用より重要なこととはどのようなことかを明らかにしなければなりません。
 このような矛盾が生じたのも、事故調が原因を「急減圧」にこじつけようとした結果ではないでしょうか?


■乗員は激しい緊張と労働をしていたにもかかわらず、 酸欠は見られない

 低酸素症で自覚しやすいのは視野が狭くなることです。 時には体が熱く感じることもあります。
 外から見える低酸素症の症状は、「顔色が悪くなる」「簡単な計算が出来なくなるなど、知能活動が低下する」「反応が遅くなる」「字を正確に書くなど、協調した運動が出来なくなる」「言葉がはっきりしなくなる」 「意識障害」などで、いずれも本人は自覚しにくいとされています。
又、18000ft以上は「危険域」と呼ばれ、意識障害が起こり、放置すると命に関わる危険性があるといわれています。
更に、これらの症状は「酸素を多く消費する激しい緊張や労働を伴うと発症しやすく、危険性が高まる」 と医学書には書かれており、注意を促しています。
 
動作が鈍くなり、判断力が損なわれ、バランスのとれた運動が出来ず、 字が正しくかけなくなる状態になるまでの時間を有効意識時間と呼んでいます。有効意識時間は高度22000ftで5分から10分、高度25000ftでは 2、3分というのが航空界の常識で、世界的な定説です。
 事故調の報告書によると、有効意識時間は、低酸素症で筆記文字が崩れ出すまでの時間で、急減圧の場合は、緩やかな減圧よりも短くなり、身体的作業(力仕事)を伴うと更に短くなると書かれています。
そうすると、操縦という身体的労働をし続けていた、この事故機の乗員の場合、有効意識時間は平均的な値よりも短くなるはずです。
 事故機の乗員は墜落の瞬間まで、操縦桿を飛行機の姿勢を修正するように動かし続けていたことがFDRに記録されています。
操縦桿は油圧が なくても操舵感覚を持たせるためのスプリングによる抵抗があるために、正常な時と同じく、かなりの力を必要とします。
急減圧に続いて、力仕事を続けていたら、有効意識時間は大幅に短くなるはずです。
 それに加えて経験したことのないエンジン推力だけによるピッチ(機首の上下)操作は、かなり予測を必要とするため、頭脳の働きとバラン スのとれた手の操作が必要で、地上のシミュレータでやっても難しい操作です。
それにも拘わらず事故機の乗員が、異常発生から10分から12分後にエンジン推力の操作だけで機首を安定させることに成功している事は、事故調も確認しています。
もしも本当に急減圧が発生し、飛行高度の外気と等しく、気圧が半分程度になっていたと仮定すると、エベレストのベースキャンプ付近の高さまで数秒間で上昇し、そこで酸素マスクなしで、20分も重労働をしていたことになり、酸欠症状が出ないことはあり得ないはずです。
 
しかし、事故機の乗員の取った行動をみると、とても酸欠症にかかっていたとは考えられません。
航空機関士も、 異常発生から10分経過した時点で、会社との無線連絡──通常は機関士の業務ではない──を適切に、はっきりとした言葉で処理していたのが傍受されています。


■急減圧説を守るために『意気込んで』行った実験

 事故調の主張するような、急減圧の存在については航空関係者では、一部の「航空評論家」以外はあまり信じてはいないようです。
86年4月25日に開催された聴聞会でも急減圧説を述べた口述人はいませんでした。
 
聴聞会で日乗連を始め、日航の乗員組合、機長会(現在の機長組合)、 客室乗務員組合などの現場の乗員はいずれも急減圧には否定的で、別の観点の調査や、相模湾の海底調査を求めました。
中でも日乗連と日航乗員組合は具体的に、「急減圧状態の後、20000ft以上の高度を20分近くも飛行を続けることは低酸素症に陥り、いろいろな事態への対応が不可能ではないか」と指摘し、急減圧はなかったと考えられると口述しました。
 
聴聞会から4ヶ月ほどたった8月7日付けの読売新聞で、「急減圧でも操縦可能」「隔壁主因を補強」などと6段抜きの見出しで、事故調による航空医学実験隊での実験結果が報道されました。
 
その後、読売新聞社から出版された『悲劇の真相』ではこの実験について、「もし日乗連の主張通りなら、隔壁引き金説は崩れ去りかねない。
それだけに、事故調の意気込みには、ただならないものがあった。」と書かれています。
科学的に公正な調査ならば、実験の結果「隔壁引き金説」が否定されても、真実への一歩前進であり、矛盾のない新しい推定原因を考えればよいことです。
全く意気込む必要はありません。
この記述からも、事故調が急減圧という結論を変えない方針であったことが読みとれます。


■急減圧を否定した事故調の実験結果

 事故調は垂直尾翼を破壊するには、計算上、毎分約300000ftの「急減圧」(1分間に約90000mの高さの気圧まで、又は6秒間でエベレストの頂上近くの気圧まで下がる減圧)があったとしていますが、報告書には、一時的な白い霧が発生したなど、緩やかな減圧を示す事実は見られますが、これほど激しい急減圧を示す物理的な事実は見あたりません。
むしろ急減圧の発生を否定する事実が目に付きます。
 
事故調では「毎分300000ft程度の減圧は、人間に嫌悪感や苦痛を与えない」と言っていますが、これに同意する航空関係者はいません。
事故機の乗員は異常発生後も酸素マスクはつけていませんでした。
事故調の言うような急減圧があったとしたら、20000ft以上の高度を18分間にわたって飛行していた事になり、当然、機能低下や意識障害が起こ るのではないか、との疑問が出されました。
 この点を指摘された事故調は、急減圧とそれに続く20000ft以上の高度の飛行でも、意識障害が起こらずに操縦できることを証明せざるを得なくなりました。
そこで自衛隊の航空医学実験隊の施設を借りて、「ただならぬ意気込みで」減圧実験を実施しています。
 
ところがその実験では、後で述べるように、事故機の半分ほどの時間だけ酸素マスクをはずしたり、減圧症が起きないように事前に酸素吸入を行なっています。
このような実験では「急減圧があったとしても、操縦可能である」ことの証明にはなっていません。
むしろこの程度の実験しかできなかったことは、急減圧を否定する結果になっています。


■実験は酸素マスクをつけて、事故機の百分の一の減圧率、マスクなしは12分だけ

86年8月7日付の新聞記事の内容は、「9分間マスクをつけない」というだけで詳しい内容は報道されていません。
報告書から見ると、実験は2回行われています。
試験1と呼ばれているものでは、被験者は2名で、事故調の推定した状況とは違い、 酸素マスクをつけて24000ftの気圧まで8分かけて減圧し(減圧率は毎分3000ftで、 事故調の推定の1/100程度のゆっくりした減圧)、その後、24000ftの気圧で、12分間だけ酸素マスクを使用しないで身体作業を伴わない簡単な作業を行いました。
実験の結果は「わずかな機能低下は起きたものの、操縦不能につながるような激しい変化は起きなかった」というもので、機能低下に限って言えば、事故機が20000ft以上を飛行した時間の半分でも機能低下が発生することを認めるものでした。
 
20000ft以上の高度では、最大12分間程度は操縦可能ですが、それ以上長くなると、操縦は出来なくなり、まもなく失神する危険性があることは、AIM-JAPAN(AIRMAN'S INFORMATION MANUAL JAPAN:運輸省航空局監修)にも記載があり、一般に知られている事で、今更実験をするまでもないことです。
なぜ事故機と同じ18分間の実験をしなかったのでしょうか? もし、20000ft以上の高度の気圧で18分間減圧にさらすと意識障害発生の可能性がある事を事故調も承知していたために、12分間しか実験出来なかったと考えると、この実験は「事故機が経験したような急減圧でも操縦可能」という事故調の意図した結論を否定する結果になっています。


■減圧症が出ないように脱窒素をした;試験2

 試験2と呼ばれるものは、減圧室の同乗者は3人でしたが被験者は1名のみで、減圧症の発生を避けるために実験前に100%酸素を吸入しています。
報告書には、被験者は、実験開始から終了まで酸素マスクなしで、 客室高度を650ftから約5秒間で24000ftの気圧まで減圧し、その後20分間20000ftを維持するように設定したとあります。
20000ftを維持している間は簡単な作業を行って、作業能力の低下を調査したとされています。
 酸素マスクをつけていた同乗者3名のうち2名は交互に10分だけ酸素マスクをはずして作業能力調査に参加していますが、その結果は、

急減圧した際、被験者には急減圧による格別の症状は認められなかった。
被験者の計算に要する時間は、漸増する傾向にあり、声の基本周波数は8分経過した頃から明らかな上昇を示した。
音圧は変化しならも低下している。
マスクをはずした同乗者は、被験者により差があるが、マスクをとって4分後から、著しく反応時間が増大し、マスクをつければ元に戻った。
と報告されています。
 
減圧症の予防対策として、100%酸素を吸入してから実験したという事実は、「事故機に発生した程度の減圧は、人間に直ちに嫌悪感や苦痛を与えない」と事故調が報告書の中で主張していたことと、裏腹で相いれないものです。
 
減圧症の予防をしておいて、「急減圧による症状は認められなかった」 のは当たり前のことで、これでは単に、事前の酸素吸入の効果を確認しただけの実験に過ぎません。事故調は何を目的にこの実験を行ったのでしょうか?

マスクをとった同乗者の気圧の状態と時間経過については、に 「試験2 同乗者」のグラフで示した通りで、事故機の飛行時間から見れば半分に近い時間で、ほぼ有効意識時間の範囲内で行っているに過ぎません。
それでも4分間で反応が遅くなったのです。
 
事故機の乗員には、「語調の変化はあった」と事故調は言っていますが、作業遂行能力が低下した事実は確認されていません。
その様な記載は、報告書にも見あたりません。
 本当に急減圧があったとすると、この実験結果からは、減圧10分後にフゴイドをエンジン操作だけで押さえるような高度な操縦は出来ないことになります。


■被験者本人が酸素マスクをつけたと証言

その上、「急減圧」シナリオの要となる、この急減圧実験結果については、事実隠しの疑いもあります。
 
報告書が出される以前の、86年11月25日、日本航空の機関士会員10名が、立川市にある自衛隊航空医学実験隊を見学に訪れました。
このときの報告が機関士会の会報(87年1月15日付)に掲載されています。
その中で、最も印象に残ったこととして、 事故調が行なった減圧実験の被験者だった人から聞いたという次のような話が記載されています。

最も印象に残った事は、
雑談の中で聞いた日航事故を想定して、客室高度650FTを7~8秒かけて24000FTに急減圧した実験で、今までに経験した事がないほど肺から空気が吸出され、すぐにまわりが暗くなり(低酸素症)思わず酸素を吸ったという話でした。

日航の乗員の間では急減圧の有無については、前記の読売新聞の記事などもあって関心が高く、この話は広く知られていましたし、その年 (86年)の12月17日付で、日乗連から出された「事故原因と調査を考える」 と題したパンフレットでもすでに公表されていました。
この実験結果が世間に知れ渡ったことで、乗員の中には事故調も最終報告書では急減圧はなかったと訂正するものと思っていた人も少なくありませんでした。
 
ところが報告書を見て唖然としました。

被験者は、試験開始から終了まで酸素マスクなしで、課題作業に従事した。
急減圧した際、被験者には急減圧による格別の症状は認められなかった。
実質的に約23000フィートの高度に、12~20分間低酸素状態にさらされた、いずれの被験者・同乗者も、低酸素暴露中に課題作業遂行能力が減退したが、意識の喪失は観察されなかった。

と報告書は両方の実験結果をまとめています。
 
この報告書の記載は明らかに被験者から直接聞いた話と異なっています。
被験者は「酸素マスクを着用した」と、日航の機関士たちに語っていましたが、報告書では「被験者は試験開始から終了まで酸素マスクなしで、作業を実施した。」と記載されています。
これは急減圧の有無を示す要となる実験です。この食い違いは重要です。
 
単なる見学者であった機関士に、 被験者がわざわざ「マスクをつけた」と嘘を言う必要性があるでしょうか? 被験者の証言が事実だとすると、 報告書は実験結果を隠し、偽の結果を記載していることになります。
こうなると他の実験の結果や、CVRの解読、FDRのデータにも疑いが生じてきます。事故調は疑惑を晴らし、真実を明らかにする義務があります。


■事故調による実験結果隠しは許せない

 このように、急減圧実験の結果については、事実隠しが行わたのでは・・・という疑いが生じています。
これまでも事故調は、中標津事故調査でプロペラに関する調査資料を改ざんしたとして、国会で取り上げられたことがあります。
このような事実隠しや改竄は、事故調が初めに「結論」を持っていて、 それに併せて「事実」を取捨選択し、「結論」を否定する事実は隠すか改ざんするために発生します。
事故調査は公開された科学的に公正なものでなくてはなりません。
このような事故調査を続けていたのでは、事故の再発防止は不可能で、航空の発展の障害になります。
事故調は急減圧の実験を今度は公開で行い、その結果に従って自主的に再調査しなければなりません。
これが事故調査への国民の信頼を回復する唯一の方法です。


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