
「僕たちはやはり最後まで牛飼いです。
牛飼い農家は、牛を置き去りにして逃げる
なんて事はしないんだ、ともう心に決めて
るんです。国が殺せと云うから,俺たちは
生かすんだ、と。」
(20:10)
Published on Mar 13, 2016 by ktneij:
私たちの福島県双葉郡浪江町は、地震で壊され、津波で流され、原発の放射能で追い出され、もう町として戻る意味のない町になってしまいました。僕は3月14日の3号機の爆発音を、牛舎で餌をやりながら聞きました。 牛は全部放射能まみれで、経済的意味を失って、でも5年にわたって僕は生かしています。
周辺の農家さんの牛舎は生き地獄のような光景です。テントの所にパネルがあります。見て行ってください。繋がれた状態で、全滅の餓死の状態がそこらじゅうに見えました。
牛たちは放射能汚染の事実を知らせる生きた証拠です。うちの牧場には、約20頭の牛が爆発事故の1年後、白い斑点模様が出ています。他の農家さんにも斑点模様の黒毛和牛がいます。突然変異です。放射能で汚染された草を牛たちが食べた結果です。 国は原因を調べには来るが、原因は、「わからない」と言います。
これは、子供たちの甲状腺の問題も同じです。日本は今原発の時代への逆戻り、推進しようとしている時に、子供たちの甲状腺の問題とか、牛たちに白い斑点が出来たという問題がマスコミ的に大きくすることを非常に嫌がるのです。原発には常に情報コントロールがかかっています。
僕たちが非常に怒ったのは、東京電力が第一原発を作る時、計画は今より10メートル高く作る計画だったんです。ところが途中で計画を変えました。原子炉に冷却水を送るポンプのモーターの電気代がかかりすぎる。それじゃ下げればいいやということで、下げてしまう訳ですね。この話を僕たちは原発事故の後聞くのです。ふざけんなです。計画通りもう10メートル高く作っていれば、爆発は起きなかった。何とかコントロール制御したでしょう。もうハナから人間の仕業ですよ。人災ですよ。原発安全嘘っぱち。経済コスト最優先にエネルギーを生み出し利益を生み出すのが原発でしょう。
もうみんなわかっている。「さようなら浪江町」それが僕たちの姿です。移住です。みんな殆どの人たちが移住を考えます。帰りたいと言う希望者は15%しかいません。お年寄りです。そのおじいさん、おばあさんが終われば、浪江町は終わるんです。つまり、僕たちは福島に浪江にチェルノブイリを抱いているわけです。
残り人生のテーマとして、戦争の時代も原発の時代も乗り越えて行くんだということを胸に刻んで生きて行こうと思います。この宣伝カーに乗って全国を駆け回ります。今度はインドに行きますよ。インドから招待状が来ました。インドに安倍政権は今原発を売り込もうと躍起です。そこに行って、事故が起きるとこうなるんだよ、牛がひどい扱いになったんだよ。インドは牛を大事にする国だよ、だからこの話は、インドの人たちに通じるんじゃないかなと思っています。
行動によって、道を開きましょう。行動こそ、すべてです。行動によって国民の中に広く深い連帯をどう作るか、戦争の時代も原発の時代も、今綱引き状態です。一回で勝負なんか、決着はつかない。押したり引いたり、だから疲れたなど言わないでください。子供たちや孫たちの未来を考えたら、僕たちは残りの人生テーマとして胸に刻んで闘っていこう。
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