一人ツイッター
・ツイッターのつぶやき形式だけ戴いた。理念を殺し、形式だけを剥ぎ取って利用する。これぞ日本の伝統文化。そしてそういう伝統を持っていることこそが日本の強みであり弱みでもある。
・そもそもまともな文章なんて書けもしないのに、無理に文章として仕上げようとすること自体に無理があったんだな。普通の記事でも使えそうだ、この形式は。
・Orbの『Orbvs Terrarvm』が¥250で売ってた。1枚組みの方だけど。
・俺も「ちょっと優しくされただけで誰にでもなびいちゃう惚れっぽいメンヘル処女」に目を付けられてみたいもんだよ。いや、みたかったと言った方がいいか。今じゃなく若い頃にね。正直今はもうそれどころじゃない。というか、そもそも人に優しくしたことなんてなかったわ。
・しかし迂闊にこういうことを言うと「処女厨乙!」とか言われそうだ。一応言っておくと、上のはとあるアニメに出てきたセリフです。
・おまわりがそこらじゅうをウロウロしていて非常にウザい。この前も職質されちまったよ。「お仕事のお帰りですか」だって。「いいえ違います」と正直に言っておいた。
・自分の場合、高校生の時、嘘みたいに踏ん反り返った昔の西部劇に出てきそうな悪徳保安官さながらの態度の悪さを持つ警官に職質されて以来、警察に対するイメージが一気に悪くなった。
・そうか、笑点って今は歌丸さんが司会をやってるのね。そういえば、『ドラえもん』も声優が変わってから一度も見てないや。
・『リミット』の最終回を見逃してしまった。これは痛い。
・日本人がオシャレをする主な理由→みんながしてるから。オシャレしないと差別されるから。或いは誰かを蔑み、嫌がらせをするための口実を手に入れることが出来るから。
・『天地人』の「愛の兜」は、小泉改革の時にホリエモンが着ていた「改革Tシャツ」にある意味似ている。
・『N響アワー』での西村朗の語りが中々軽妙でいい感じ。因みに、『スピリチュアル名曲論』発売記念として、全11回のレクチャー映像が配信されている。なんと太っ腹な。
・そもそもまともな文章なんて書けもしないのに、無理に文章として仕上げようとすること自体に無理があったんだな。普通の記事でも使えそうだ、この形式は。
・Orbの『Orbvs Terrarvm』が¥250で売ってた。1枚組みの方だけど。
・俺も「ちょっと優しくされただけで誰にでもなびいちゃう惚れっぽいメンヘル処女」に目を付けられてみたいもんだよ。いや、みたかったと言った方がいいか。今じゃなく若い頃にね。正直今はもうそれどころじゃない。というか、そもそも人に優しくしたことなんてなかったわ。
・しかし迂闊にこういうことを言うと「処女厨乙!」とか言われそうだ。一応言っておくと、上のはとあるアニメに出てきたセリフです。
・おまわりがそこらじゅうをウロウロしていて非常にウザい。この前も職質されちまったよ。「お仕事のお帰りですか」だって。「いいえ違います」と正直に言っておいた。
・自分の場合、高校生の時、嘘みたいに踏ん反り返った昔の西部劇に出てきそうな悪徳保安官さながらの態度の悪さを持つ警官に職質されて以来、警察に対するイメージが一気に悪くなった。
・そうか、笑点って今は歌丸さんが司会をやってるのね。そういえば、『ドラえもん』も声優が変わってから一度も見てないや。
・『リミット』の最終回を見逃してしまった。これは痛い。
・日本人がオシャレをする主な理由→みんながしてるから。オシャレしないと差別されるから。或いは誰かを蔑み、嫌がらせをするための口実を手に入れることが出来るから。
・『天地人』の「愛の兜」は、小泉改革の時にホリエモンが着ていた「改革Tシャツ」にある意味似ている。
・『N響アワー』での西村朗の語りが中々軽妙でいい感じ。因みに、『スピリチュアル名曲論』発売記念として、全11回のレクチャー映像が配信されている。なんと太っ腹な。
他人のせいにするな!※ただし俺を除く
「他人のせいにするな!」というセリフは、要するにそのセリフを向ける対象に対して「お前のせいだ!」と言っているわけだろう。本当に「他人のせいにしてはいけない」と思っている人間の口からそんなセリフが出てくるはずもない。つまり、あの定番フレーズが意味する本当のところは、「他人のせいにするな!※ただし俺の除く」であるということ。
追記:
「他人のせいにするな!」というセリフにも様々な使われ方がある。例えば、相手の主張に瑕疵があることを述べる前の枕詞言葉的なものとしてそれが用いられることもある。この記事で指摘しているのはそういったものではなく、あくまでそれを他人に社会規範として要求するような使い方をする場合に於ける「他人のせいにするな!」に限る。
追記:
「他人のせいにするな!」というセリフにも様々な使われ方がある。例えば、相手の主張に瑕疵があることを述べる前の枕詞言葉的なものとしてそれが用いられることもある。この記事で指摘しているのはそういったものではなく、あくまでそれを他人に社会規範として要求するような使い方をする場合に於ける「他人のせいにするな!」に限る。