失われない伝統
何と言えばいいのだろう、
この抑えきれない感情は。
ありとあらゆる言葉を含んでいるようでいて、
どの言葉もこの感情を表すのに相応しくない。
ただ確実に何かを消費している。
それだけは確かだ。
問題はこれを全て消費し尽くすまでに
その成果を外に放出すべきなのか、
それとも内に留め続けるべきなのか。
恩返しすべきなのかそうでないのか。
全てが嘘だと知っているのに
まだその嘘に従い続けるのか否か。
自分は檻の外にいる人間だ。
今まで檻の中に収まることだけに
力を尽くしてきた。
そのためには自分の感覚を
否定することすら厭わなかった。
しかしそれでも檻の中に入ることを
許されなかったそういう人間だ。
故に、自由極まりない。
何故なら檻の中のルールに拘束
される必然性が全くないのだから。
しかし自分は自由を求めていない。
だからその檻にしがみ続けている。
だが、いい加減それも疲れてきた。
もう手を離した方がいいのだろうか。
そして人間という檻の中で自由になるべきなのか。
そんな思いが頭をよぎる。
ああ、この人間という忌まわしい檻から
出ることが出来れば全てが万事解決するのに。
内側から壊すことが出来ないこの檻を
誰かが外から破壊してくれればいいのに。
人類が誕生した時から誰かが既に抱いていた想い。
それを今自分が継承している。
そしてこの想いは、この先もまた
どこかの誰かに継承され続けていくのだろう。
それが決して叶わぬものであると分かっていながら。
他のどんな伝統が滅びようとも、
この伝統だけは決して失われることはない。
人類が存続し続ける限り。
この抑えきれない感情は。
ありとあらゆる言葉を含んでいるようでいて、
どの言葉もこの感情を表すのに相応しくない。
ただ確実に何かを消費している。
それだけは確かだ。
問題はこれを全て消費し尽くすまでに
その成果を外に放出すべきなのか、
それとも内に留め続けるべきなのか。
恩返しすべきなのかそうでないのか。
全てが嘘だと知っているのに
まだその嘘に従い続けるのか否か。
自分は檻の外にいる人間だ。
今まで檻の中に収まることだけに
力を尽くしてきた。
そのためには自分の感覚を
否定することすら厭わなかった。
しかしそれでも檻の中に入ることを
許されなかったそういう人間だ。
故に、自由極まりない。
何故なら檻の中のルールに拘束
される必然性が全くないのだから。
しかし自分は自由を求めていない。
だからその檻にしがみ続けている。
だが、いい加減それも疲れてきた。
もう手を離した方がいいのだろうか。
そして人間という檻の中で自由になるべきなのか。
そんな思いが頭をよぎる。
ああ、この人間という忌まわしい檻から
出ることが出来れば全てが万事解決するのに。
内側から壊すことが出来ないこの檻を
誰かが外から破壊してくれればいいのに。
人類が誕生した時から誰かが既に抱いていた想い。
それを今自分が継承している。
そしてこの想いは、この先もまた
どこかの誰かに継承され続けていくのだろう。
それが決して叶わぬものであると分かっていながら。
他のどんな伝統が滅びようとも、
この伝統だけは決して失われることはない。
人類が存続し続ける限り。
クダクラゲに捧げる断片的君が代
クダクラゲに捧げる…
日本人なんてみんなバラバラになってしまえばいいんだ。
有りもしない共同体幻想なんて捨ててしまえ。
そして集団の一部位ではなく、
独立した一個の生命体として生きるんだ。
アレはもう、いや初めからずっとお前とは違う生き物なんだ。
なのにそれに気付かず、
お前はアレの一部になる努力ばかりしていた。
そのせいで何を失い、
何を獲得したかもうよく分っているだろう。
何時まであの母体への未練を
抱いているつもりだ、自分の感覚よ。
そもそも、母体ですらないんだ、アレは。
さあ、そんな未練さっさと捨ててしまうんだ。
大事そうに抱えていないで。
理性の方はとっくの昔にそのことに気付いているぞ。
そして、一生命体としての一歩を歩み始めるんだ。
もはや残された時間はあと僅か。
せめて死ぬ前にその一歩を踏み出すんだ。
日本人なんてみんなバラバラになってしまえばいいんだ。
有りもしない共同体幻想なんて捨ててしまえ。
そして集団の一部位ではなく、
独立した一個の生命体として生きるんだ。
アレはもう、いや初めからずっとお前とは違う生き物なんだ。
なのにそれに気付かず、
お前はアレの一部になる努力ばかりしていた。
そのせいで何を失い、
何を獲得したかもうよく分っているだろう。
何時まであの母体への未練を
抱いているつもりだ、自分の感覚よ。
そもそも、母体ですらないんだ、アレは。
さあ、そんな未練さっさと捨ててしまうんだ。
大事そうに抱えていないで。
理性の方はとっくの昔にそのことに気付いているぞ。
そして、一生命体としての一歩を歩み始めるんだ。
もはや残された時間はあと僅か。
せめて死ぬ前にその一歩を踏み出すんだ。
常春が良いに決まってる
冬。
ひたすら寝てる。
起きてもすることが無い。
したいことが無い。
ただただ、寒いだけ。
体が凍てつけば心も凍てつく。
内から外から削られる。
もはや、出来ることは限られている。
不治の病への対処療法。
苦痛の軽減。
緩やかなる死。
抜本的な治療法も無く、
自ら死を選ぶことが出来ない以上、
その対処療法にこそ最善を尽くす。
「四季は美しい」
貴族達は口を揃えて言う。
何を寝ぼけたことを。
忘れたか、自然の驚異。
冬の無慈悲さ、夏の暴虐性。
そして秋は不吉な予言を突きつける。
彼らは観光気分で冬に訪れる。
珍しもの見たさに夏を観察する。
秋の忠告にも聞く耳持を持たない。
後に直ぐにも逃げ込める安全地帯を用意して、
四季の波打ち際で、キャッキャ、キャッキャ
さざなみと追いかけっこ。
完全に安全が確保された、
テーマパークとしての四季の堪能。
それで四季を知ったつもりか?
感じたつもりか?
冬を地肌で浴びてみろ。
夏の鋭い眼光を直視してみろ。
秋の不安に溺れてみろ。
そしてその安全装置を捨ててみればいい。
それでも、その軽薄な「美しい」
を口にすることが出来るか?
見ているんじゃない。
見られているんだ。
そして、その視線が生命の
命を削り、奪っていく。
そんなことすら忘れてしまったのか。
昔の人も言った。
「四季は美しい」と。
しかし、それは当世貴族が言う
美しさとは全く別の物。
命を削ってこそ知ることが出来る美しさ。
極限状態に脳内麻薬が引き起こす
死の匂いが入り混じった美しさ。
そして、儚い命への惜別の念。
テーマパークで生涯を過ごす
貴族達には一生知りえない美しさ。
貴方達が本当に美の求道者であると思うなら、
先ずその物々しい鎧を脱ぎ捨てて、
地肌で自然と抱擁してみればいい。
後の保険を破棄してみればいい。
そうやって四季の怖ろしさを、
本当の美しさを味わってみればいいんだ。
それでも「美しい」と言っていられるか?
それでもその美しさを求め続けることが出来るか?
それが出来るなら、貴方は立派な求道者だ。
でも、それが出来ずに「四季は美しい」
なんて言っていた人間は、
ブランド品で身を固め、それで己の価値を
高めたつもりになって酔っている人達と
なんら変わらないよ。
え、自分?
自分は本当の美しさなんて知りたくもない。
だから、そんな自分にとっては、
常春が良いに決まってるじゃないか。
ひたすら寝てる。
起きてもすることが無い。
したいことが無い。
ただただ、寒いだけ。
体が凍てつけば心も凍てつく。
内から外から削られる。
もはや、出来ることは限られている。
不治の病への対処療法。
苦痛の軽減。
緩やかなる死。
抜本的な治療法も無く、
自ら死を選ぶことが出来ない以上、
その対処療法にこそ最善を尽くす。
「四季は美しい」
貴族達は口を揃えて言う。
何を寝ぼけたことを。
忘れたか、自然の驚異。
冬の無慈悲さ、夏の暴虐性。
そして秋は不吉な予言を突きつける。
彼らは観光気分で冬に訪れる。
珍しもの見たさに夏を観察する。
秋の忠告にも聞く耳持を持たない。
後に直ぐにも逃げ込める安全地帯を用意して、
四季の波打ち際で、キャッキャ、キャッキャ
さざなみと追いかけっこ。
完全に安全が確保された、
テーマパークとしての四季の堪能。
それで四季を知ったつもりか?
感じたつもりか?
冬を地肌で浴びてみろ。
夏の鋭い眼光を直視してみろ。
秋の不安に溺れてみろ。
そしてその安全装置を捨ててみればいい。
それでも、その軽薄な「美しい」
を口にすることが出来るか?
見ているんじゃない。
見られているんだ。
そして、その視線が生命の
命を削り、奪っていく。
そんなことすら忘れてしまったのか。
昔の人も言った。
「四季は美しい」と。
しかし、それは当世貴族が言う
美しさとは全く別の物。
命を削ってこそ知ることが出来る美しさ。
極限状態に脳内麻薬が引き起こす
死の匂いが入り混じった美しさ。
そして、儚い命への惜別の念。
テーマパークで生涯を過ごす
貴族達には一生知りえない美しさ。
貴方達が本当に美の求道者であると思うなら、
先ずその物々しい鎧を脱ぎ捨てて、
地肌で自然と抱擁してみればいい。
後の保険を破棄してみればいい。
そうやって四季の怖ろしさを、
本当の美しさを味わってみればいいんだ。
それでも「美しい」と言っていられるか?
それでもその美しさを求め続けることが出来るか?
それが出来るなら、貴方は立派な求道者だ。
でも、それが出来ずに「四季は美しい」
なんて言っていた人間は、
ブランド品で身を固め、それで己の価値を
高めたつもりになって酔っている人達と
なんら変わらないよ。
え、自分?
自分は本当の美しさなんて知りたくもない。
だから、そんな自分にとっては、
常春が良いに決まってるじゃないか。
神様のヴェクサシオン
奥谷禮子は欲する。
道具としての他者、
消費財としての命を。
「自己責任」の名の下に。
それは経営者の本音。
そして、正規社員はフリーターに、
フリーターは無職者に対して奥谷禮子になる。
いじめっ子がいじめられっ子に対して
奥谷禮子になる様に。
ジコセキニンン
それは社会主義という、
システムによるユートピア幻想
が立ち去った後に訪れた、
意志の力によるユートピア。
演出から現実へ飛び出たセカイ系。
新たなる幻想の台頭。
そこにも奥谷禮子はいた。
奥谷禮子からは逃れられない。
またもや奥谷禮子として
生きることを余儀なくされる。
誰も彼もが奥谷禮子。
みんなそろって奥谷禮子。
屍の山の上で正義を叫ぶ奥谷禮子。
或いは、アウトローとして生きる奥谷禮子。
善良者の皮を被った奥谷禮子。
悪党の仮面を付けた奥谷禮子。
人気のある奥谷禮子。
人気のない奥谷禮子。
強い奥谷禮子。
弱い奥谷禮子。
頼りがいのある奥谷禮子。
頼りない奥谷禮子。
騙す奥谷禮子。
騙される奥谷禮子。
石を投げれば奥谷禮子に当たる。
睨み付ける奥谷禮子。
伏目勝ちな奥谷禮子。
無自覚な奥谷禮子。
思慮深い奥谷禮子。
声高に奥谷禮子。
控えめに奥谷禮子。
でも蓋を開けてみれば奥谷禮子。
奥谷禮子は捨てられない。
奥谷禮子が奥谷禮子を生み、
奥谷禮子が競合する。
そうやって、
奥谷禮子の渦の中を泳ぎ続けることを
義務付けられた奥谷禮子。
…ミニマルミュージック!
スティーヴ・ライヒ、テリー・ライリー、
フィリップ・グラス、ブライアン・イーノ、
マイケル・ナイマン、タンジェリン・ドリーム、
…ヴェクサシオン。
定められた律の中、奥谷禮子という音型が
織り成す物語。
同じ事の繰り返しに思えても、
一度として同じものはない。
同じ奥谷禮子に見えても、
それは違う奥谷禮子。
誰一人として同じ奥谷禮子はいない。
しかし、定められた法則からは逃れられない。
奥谷禮子という音型であることに変わりはない。
その奥谷禮子という音型が生み出す
影響から避難しようとするひきこもり。
しかし所詮、奥谷禮子が織り成す物語の
掌の上で隠れているだけに過ぎない。
結局、そういう役割で
奥谷禮子が奥谷禮子として
生きる為の一角を担っている。
そしてまた、ひきこもりも
奥谷禮子としての恩恵を受けざるを得ない。
与えられた命を捨てられなくて、
消極的に奥谷禮子になるひきこもり。
奥谷禮子として残飯を漁るひきこもり。
自分の資質を拒否する奥谷禮子。
でも奥谷禮子は腐っても奥谷禮子。
それに耐えられなくて自殺する奥谷禮子。
奥谷禮子に命を搾取され破滅する奥谷禮子。
「ワタシハ人間デス!」
むしろ、殺人によってそれを
証明しようとする奥谷禮子。
この世はミニマルミュージック。
神様のヴェクサシオン(嫌がらせ)。
その中で人間は、
奥谷禮子として生まれ、
奥谷禮子としての営みを続け、
奥谷禮子として死んでゆく。
誰もそれを否定出来ない。
誰もそれから逃れられない。
だって、奥谷禮子は人間の一部だからね。
それを捨てたら、もう人間は人間でなくなるよ。
***
サティのヴェクサシオンに倣って、
“「奥谷禮子」を八百四十回盛り込む”
というアイデアが一瞬浮かんだが、如何考えても無理だな。
だって、この世に「大いなる静寂」なんて無いからさ。
でも、無理すればボレロくらいなら出来たかな…
アレ何回だっけ。
道具としての他者、
消費財としての命を。
「自己責任」の名の下に。
それは経営者の本音。
そして、正規社員はフリーターに、
フリーターは無職者に対して奥谷禮子になる。
いじめっ子がいじめられっ子に対して
奥谷禮子になる様に。
ジコセキニンン
それは社会主義という、
システムによるユートピア幻想
が立ち去った後に訪れた、
意志の力によるユートピア。
演出から現実へ飛び出たセカイ系。
新たなる幻想の台頭。
そこにも奥谷禮子はいた。
奥谷禮子からは逃れられない。
またもや奥谷禮子として
生きることを余儀なくされる。
誰も彼もが奥谷禮子。
みんなそろって奥谷禮子。
屍の山の上で正義を叫ぶ奥谷禮子。
或いは、アウトローとして生きる奥谷禮子。
善良者の皮を被った奥谷禮子。
悪党の仮面を付けた奥谷禮子。
人気のある奥谷禮子。
人気のない奥谷禮子。
強い奥谷禮子。
弱い奥谷禮子。
頼りがいのある奥谷禮子。
頼りない奥谷禮子。
騙す奥谷禮子。
騙される奥谷禮子。
石を投げれば奥谷禮子に当たる。
睨み付ける奥谷禮子。
伏目勝ちな奥谷禮子。
無自覚な奥谷禮子。
思慮深い奥谷禮子。
声高に奥谷禮子。
控えめに奥谷禮子。
でも蓋を開けてみれば奥谷禮子。
奥谷禮子は捨てられない。
奥谷禮子が奥谷禮子を生み、
奥谷禮子が競合する。
そうやって、
奥谷禮子の渦の中を泳ぎ続けることを
義務付けられた奥谷禮子。
…ミニマルミュージック!
スティーヴ・ライヒ、テリー・ライリー、
フィリップ・グラス、ブライアン・イーノ、
マイケル・ナイマン、タンジェリン・ドリーム、
…ヴェクサシオン。
定められた律の中、奥谷禮子という音型が
織り成す物語。
同じ事の繰り返しに思えても、
一度として同じものはない。
同じ奥谷禮子に見えても、
それは違う奥谷禮子。
誰一人として同じ奥谷禮子はいない。
しかし、定められた法則からは逃れられない。
奥谷禮子という音型であることに変わりはない。
その奥谷禮子という音型が生み出す
影響から避難しようとするひきこもり。
しかし所詮、奥谷禮子が織り成す物語の
掌の上で隠れているだけに過ぎない。
結局、そういう役割で
奥谷禮子が奥谷禮子として
生きる為の一角を担っている。
そしてまた、ひきこもりも
奥谷禮子としての恩恵を受けざるを得ない。
与えられた命を捨てられなくて、
消極的に奥谷禮子になるひきこもり。
奥谷禮子として残飯を漁るひきこもり。
自分の資質を拒否する奥谷禮子。
でも奥谷禮子は腐っても奥谷禮子。
それに耐えられなくて自殺する奥谷禮子。
奥谷禮子に命を搾取され破滅する奥谷禮子。
「ワタシハ人間デス!」
むしろ、殺人によってそれを
証明しようとする奥谷禮子。
この世はミニマルミュージック。
神様のヴェクサシオン(嫌がらせ)。
その中で人間は、
奥谷禮子として生まれ、
奥谷禮子としての営みを続け、
奥谷禮子として死んでゆく。
誰もそれを否定出来ない。
誰もそれから逃れられない。
だって、奥谷禮子は人間の一部だからね。
それを捨てたら、もう人間は人間でなくなるよ。
***
サティのヴェクサシオンに倣って、
“「奥谷禮子」を八百四十回盛り込む”
というアイデアが一瞬浮かんだが、如何考えても無理だな。
だって、この世に「大いなる静寂」なんて無いからさ。
でも、無理すればボレロくらいなら出来たかな…
アレ何回だっけ。