正論を口にしないことと正論の内容を否定することは全く別
↓「マンションを売る日は決まっているのに、杭打ちをやり直せば完成が遅れる。元請けにやり直しを求めると『やかましいことを言うな』と言われる」
ディレクターが黒いものを白と言ったら「ハイ、真っ白です!」って返します。(中略)だぁ~れも、そんな正論なんか聞いてませんし、言ったとしても、会社も世の中も変わりませんから。(中略)めんどくせぇヤツだな、と思われたら次の仕事がもらえませんから。素直に従った方が「じゃあ次も」って気になってくれるでしょ
https://twitter.com/tokukichi1/status/657195951187095552
「いじめはよくない」「人の者を盗んではいけない」「人を殺してはいけない」――
こういったことを幾ら言ってみたところで、それらの問題が改善するわけではないだろう。正論とはそういった効果のないスローガンのことを意味する。よってそれが主張として下らないのは確かだ。そんなことは分かりきったことであり、その上で其々がこの現状についてどう考えるか、ということを述べてこそ主張と言えるからだ。
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だが議論の上で正論を唱えるのと、正論で唱えられている内容自体を否定するのは全く別のことである。この二つを一緒くたにして何かを語るなら、それは余りにも乱暴すぎる。正論を唱えないことは、いじめや強盗や人殺しを許容することではないのだから。
ここでもそういった乱暴な形での語りが行われている。実際ここで鈴木氏が述べているような振る舞いを建設業で行ったら、杭工事偽装やむなし、ということになるだろう。
そしてこの社会が、そうした振る舞いをする人や企業ほど競争に勝ち残りやすい構造になっているとすれば、それはまさに大規模な市場の失敗が起きていることを意味する。
もちろん「市場の失敗を起こすべきでない」という正論を唱えることに意味は無い。だが今実際に市場の失敗が起こっているということを認識し、その問題に対処しようとすることは重要だろう。
しかし昨今はどうも正論の下らなさを根拠にしてその「対処」までもを否定するという、正論以上に下らない主張が幅を利かせているように思えてならない。
それからこのツイートでは鈴木氏の発言を「「お笑い芸人だけどこんなに政治に関心持ってますよアピール」が一切なく」と評価しているが、目上の者や趨勢を批判するのが政治なら、目上の者や趨勢の肩を持つのも政治である。よってむしろこれは極めて政治的な発言と見るのが妥当だろう。
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この記事を見る限り、恐らくこの芸人はある種のヒールのような存在として活躍しているのではないかと推測する。ヒールが憎まれ口を叩くのは当然である。しかしながら、その単なる憎まれ口に何か深みがあるかと言えば、そうではないだろう。
何も考えず上の者の言うことにホイホイ従っていたらそれだけで大金が手に入るような状況が手に入れば、大抵の者は彼と同じことをしてしまう。だがそれは体裁上余り表立って肯定することができない振る舞いでもある。それを体裁を気にする必要がないヒールが堂々と肯定してみせたことが、同じくそういった状況でそういった振る舞いをしている者達の自己肯定感を刺激し、ウケているに過ぎない。
もちろん鈴木氏個人の中では、ヒールとして生きることへの強い葛藤を乗り越えた末の、それなりに重みがある発言なのかもしれない。だが主張の内容としては全く深みのないものである。そこら辺は理解しておく必要があるだろう。
そしてこれは逆に言えば、そういう状況にない人が、つまり十分な見返りを期待できない人達が上の者や社会に文句を言うのは当然である、ということをも意味する。全ての者が鈴木氏のように経済的に恵まれた状況を手に入れられるようにすべきだ、という正論が通じないのと同じように、「社会に文句を言わず前向きに生きろ」などという正論もまた通じないのである。
あとこの人は「世の中のほとんどの人に異論を述べる資格なんてないんです」とも言っているが、主張を行うのに資格を設けない、というのは民主主義の大前提なので、これは民主主義を否定する発言に他ならない。近代国家において、まともな人間として見られようとすれば決して口にすることができない様な主張をこうも事もなげに言ってしまう辺り、さすがヒールである。
余分な支払いと余分なシバキ
気持ちは分かる。要するに支払いついでに1円玉5枚を5円玉に両替してもらいたかったということなのだろう。自分も1円玉がダブついてくると支払い時についこういうことを考えてしまったりする。
しかしおつりが5円玉で返って来るとは限らないわけで。その場合、一端1円玉5枚を渡しまたそれを受け取るという何とも奇妙なことになる。
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一つの常識を全ての人間が共有することなどない。そうである以上、「常識知らず」と非難したことで逆に周りから常識知らずとして糾弾されるというパターンに嵌りこむ危険性は誰にでもある。なので人間が出来ている人はそれがおかしいと思った場合でも、それとなく嗜めるに留めるだろう。
しかしここでは多くがお互い痛い目に合わせる(バカにする)ことで学ばせるというシバキ主義に陥っているように見える。
だがそのシバキはこのケースにおける5円と同じで本来は必要ないものなのではないか。
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結局何故人がシバキ主義に陥ってしまうかと言えば、その方が楽だからだろう。
それを尊重しようがしまいが、そこに存在して決して払拭できないのが多様性。それがある以上、意図のすれ違いは何時起こってもおかしくない。その中で他人を理解したり他人に理解してもらうのはわりと困難なことであり、それをするにはそれなりの能力が必要になる。ただの小銭のやり取り程度であっても。
店員が「500円で足りる」と言ったのにしても、「いやあの」ではなく、「いや、5円玉が欲しいので」と言えばそれで意図は伝わったはず。そしてその意図が伝わればそれで問題はないだろう。だがそれが中々できない。
つまり(そもそも不可能な)常識の画一化ではなく、むしろそういったすり合わせ能力こそ「日本の将来」に必要とされているのではないか(――まあ高級店でもないレジの店員なら一々確認なんかせず、足りていさえいればそのまま507円を受け取り200円と1円玉5枚を返すだけでも十分だと思うが)。
一方、バカにしたり恫喝したりという手段は既に誰もが平等に手に入れているものである。手元に銃やナイフがあればついつい使ってしまうものだろう。それと同じで、ついついそういった手段に頼ってしまいがちだ。特に相手がそういった手段で折衝を試みてきた場合は尚更。
攻撃されたから攻撃で返すという本能もあるかもしれないが、何にせよその方が容易なのだ。しかしその容易な方の選択をしたが故に争いが大きく発展し、後に大きな困難を招くということもある。
シバキ主義は一見「厳しく」見えるかもしれないが、実は余り深く考えず、単に容易な方に流された結果でしかないのである。
君はゴキブリに自分が何者かを説明しようとするか?
これに対し、人間なら大虐殺するから他の知的生命体もそうするだろう、という考えはその知的生命体が人類と価値観を共にしていることが前提となっているので間違いだ、とか、そんなに優れた存在なら人類のような愚かなことをしないだろう、という反論があるようだ。
だがその知的生命体と人類との間にそれ程かけ離れた差があるとしたら、その場合――「そんなに優れた存在なら何故我々に自らのことを説明しないんです?」「君はゴキブリより優れているかもしれないが、ゴキブリに自分が何者かを説明しようとするか?」(映画『プロフェシー』より)――というような断絶を生むだけだろう。
何にせよ、もし地球に知的生命体がやってくるとしたら、それは力の差から言って人間からすれば神のような存在ということになる(元来日本人は人知の及ばない力を「神」と呼んでいた)。
しかしギリシャ神話の神がそうであるように、人格神とは結局のところ「絶大な力を持った人間」に他ならない。そして人格を持たない神の場合、それは単に「自然の驚異」になる。そのどちらであっても人間からすれば危険なことに変わりはないだろう。
まあしかしそれ故に来て欲しい気もするが(人間社会に対する復讐心)。
2015-10-10
- 東大卒の旦那の歴代彼女らしき人をfacebookで漁ると揃ってすごい美人でビビる..
よく分からんが、この人が学歴が高くない美人と不動産社長と深夜アニメとワンピースとクロスワードパズルに何か恨みを持っているということだけは理解できた。
- 自称「ホワイトプロパガンダ漫画家」のファイスブックを見たら、敵を表すキャラクターに言ってもいないことを言わせまくる絵で一面埋め尽くされてた。
- 寓話はブラックプロパガンダ
- はすみとしこ氏には、例の件で仕事を干され生活保護の庇護を受けながらもっと争いのない温和な日々を送ってもらいたい。
- https://twitter.com/iwakamiyasumi/status/652575527358730240
まあ政治家は他人の金で生活する人だわな。しかしそのこと自体を悪であるとするなら、はすみ氏のあれと同じことを主張していることになるが、これを拡散している人達はちゃんとそのことは理解してるのかな。「他人の金/自分の金」という姿はあくまでかりそめのものでしかない。「金は天下の回り物」とはよくいったもので、財政にせよ経済にせよ、先ずはそれを理解した上でものを考えないと、その議論はどんどん現実離れしたものになっていってしまう。
- https://twitter.com/yuuraku/status/649739551066292224
欧米のドキュメンタリーなどを見ていると、腹の中の思惑はともかく、最低限の体裁を保つことが出来る人達は主に、移民が増えればその人達が低価格で仕事を請け負うため、それによって自分達の仕事が無くなったり給与が低くなったりする、という理由を移民排斥の根拠として挙げるのが一般的なわけだが、それと同じような状況を自ら作り出そうとするこの現象は一体何なのだろう。それにもし本当にそう思うなら、日本は欧米以上に移民をバンバン受け入れてよいはずなのだが、実際は世界最低レベルであるという。dada@yuuraku
ゴミ収集を公務員が月給20万も貰ってやってるのはけしからん、民間に委託すれば15万でもやるやつはいる、って自分の町の雇用切り下げたっていいことなんかないのにね。
- 移民「こんにちはー、「厳しい現実」が参りましたー。受け入れの方お願いします!」
- そういえば一年前まで移民の人らと一緒に働いてたわ。
- https://twitter.com/no1hasgone/status/649878944666136576
地獄やな。no1hasgone@no1hasgone
.。oO(「年収300万円以下は返還猶予」をやめて、300万円以下でも(返還額を調整するものの)返還させる制度に切り替える、何故なら大学卒業者の三割が年収が300万円未満…と。何重にも絶望的としか)
- 一億総活躍社会とかお上の鶴の一声で携帯料金の引き下げとかL型大学(計画経済の成立が前提として必要)とか、発想がいちいち旧社会主義国的なんだよなあ。
- 「チーム力高めたかった」他の少年グループに傷害容疑、“綾瀬面子”メンバー10人逮捕
学校教育で言うところの、組み体操で団結力を学ばせたい、みたいなものか。綾瀬面子は最近メンバーの集まりが悪かったため暴行を理由に結束力を高めようとしたといい、リーダー格の少年は後に「きょうのお前らかっこよかった」とメンバーをねぎらったという。
- モルダーの、ボコられながら敵の油断や温情に助けられる率高すぎだろう。殆ど毎回そのパターンで生き残ってる。そもそも結局モルダーに関する「奴を甘く見るな」という評価や「利用価値」とは一体なんだったんだ。たまにしか本筋に結びつく話をしないから全容をつかみにくい。
- 『コールドケース』では何十年も迷宮入りだった事件を毎回解決していくわけだが、それは幾らなんでも無理がないか。
- 『サスペリア』とか『ファンハウス』とか『フェノミナ』とか、昔はよくテレビでやっていたのにいつの頃からか全く放送されなくなったのは、もしかして差別問題とかが絡んでいたりするのだろうか。
- 驚愕!陸上で捕食するウツボ - YouTube
ウツボはわざわざ陸に上がってまで捕食したりするのか。知らなかった。岩肌をするする移動してまるで蛇のよう。後はこれで羽さえ付いていたら…。
- カラス - Wikipedia - ウィキペディア
アオサギに嫌がらせ(モビング)しているのを何度か見かけたが、人間社会でよく見られる、虐めっ子ほどモテたり社会的に成功したりするあの現象はカラスの社会にもあるということか。モビングによって豪胆さを見せたカラスは序列を高め、伴侶を見つけやすくなる可能性が指摘されている。
ある文化圏の常識が他の文化圏でも受け入れられるとは限らない
蒼樹うめ展、すごい人気。
しかし、これだけの実績をあげても、ことマンガに関してはメディアの側には「私が知らない作品はマイナー。視聴者・読者は誰も知らない」と言い張るひとが必ずのようにいて企画を阻む。過去にハガレン、ブラクラ、よつばと! を「誰も知らない」と言われた経験あり。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2015, 10月 3
メジャー/マイナーは必ずしも売り上げ部数の多寡によって決定されるというわけではないだろう。何故ならある層においてメジャーなものが、他の層でもメジャーであるとは限らないからだ。むしろこれは文化圏の問題。
もし売り上げ実績を重視する企画部署なら、単にその実績を示せば納得させることができるはずなので、むしろやり易いはずだろう。だがそれで納得させられないということは、そこで「企画を阻む」者は自身が所属する文化圏、或いは潜在的顧客層として想定している文化圏でそれが受け入れられるのは難しいと判断しているからだろう(――何故俺達を潜在的顧客層として見てくれないんだよ、という思いもあるかもしれないが、大手メディアが広告で成り立っている以上、それに合致すると看做される層にターゲットが絞られるのは現在の構造上やむを得ない)。
なので立案側は、その文化圏においてもそれが十分受け入れられる可能性があることをプレゼンしなければならない。その際、自身が所属する文化圏でそれが如何にメジャーであるかを挙げたところで、相手側にとってそれが重要な要件になるとは限らない。何故なら特定の文化圏でウケたものが他の文化圏でもウケるとは限らないからだ。
今でこそ有名になった『まどか☆マギカ』だって放送当初はあの絵柄故に回避した人は多いはず。そういった懸念を抱くことはおかしなことでもなんでもない。
また、海外では有名だが日本では殆ど知る者がいない、というようなものだって幾らでもあるだろう。海外で人気を博したからといって日本でも人気を博すとは限らないわけだ。逆もまたしかり。だから企画を通すか否かを判断する際は、そのマーケットに合うか、ということを考慮せざるを得ない。
だいいち、テレビ等の大メディアが「みんながすでに知ってる・親しんでいるもの」だけ扱おうという時点で退廃じゃないの。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2015, 10月 4
もちろん提案を受けた側が単に世間的に知られているか否かだけで企画を通すか否かを判断しているとすれば、その人はフィルターとしてまともに機能していないということになるわけで、それを問題視するならば分かる。
だがこの議論は元々、自身の所属する文化圏において「みんながすでに知ってる」ものが他の文化圏で取り扱われないことへの不満から端を発しているものであり、多くの人々もその部分に食いついている以上、このコメントも取って付けたものにしか見えない。
実際、本当に「みんながすでに知ってる」ものだけしか扱われないことを問題視するなら、売り上げ実績があるのに扱われないことを批判する必要などないはずだ。何故ならそれは「みんながすでに知ってる」ものを扱おうという姿勢であり、まだ知られていないものが扱われる確率を下げる可能性を孕んだものでもあるからだ。
▼自身の文化圏での常識で外部と折衝するということ
さらにここにはもう一つ大きな問題が潜んでいる。
「ハガレン、ブラクラ、よつばと!」を全く知らない人なんて幾らでもいるはずだ(むしろ多数派だろう)。多くの人々にとってそれらは必ずしも知る必要がないし、実際それらがマイナーである文化圏は存在するだろう(そもそも漫画やアニメという娯楽がメジャーなものとして認知されるようになったのは最近になってからなわけで)。
にもかかわらず、ここではそれらが知られていて当然という前提で話が進められている。そしてそれらを知らないこと、それらをマイナーと判断することが断罪されている。
奥山犛牛 @bogyu
マイナーと言い張るのは、世間で有名な作品を自分が知らないという認知的不協和を解消しようとする試みだね。人はたいてい「私がそれを知らないのは無知だからではなく、知る価値のない情報だからだ」と考えるものだ。
最初に言った通り、メジャー/マイナーは文化圏の問題だ。日本と海外の常識が異なるように、アニメ・漫画ファン内の世間的常識とそれ以外の世間的常識は異なる(もっと言えばアニメ・漫画ファン内でもメジャー/マイナーの認識は其々で異なるはずだ)。つまり「世間で有名」か否かもまた環境によって異なるわけだ。
そもそも「世間」とは概念的なものであり、何らかの妥当性を担保してくれる絶対的存在ではない。その捉え方もまた様々だ。そして今世界中で起こっている紛争を見れば分かるように、そういった様々な世間的常識が一つに統一されることは決してなく、それらは常に衝突し続けるものなのだ。
そういう普遍的事実があるにもかかわらず、自身の所属する文化圏の常識が外でも通用して当たり前であるかのような姿勢で外部との折衝に臨み、それが通用しない状況に出くわした時、その事実を相手の無知のせいと認知するなら、それこそ認知的不協和解消のための修正そのものではないか。
もし仮に奥山氏の説を採るにしても、世界中の、いや日本中に限定するにしても、そのあらゆる文化圏での常識を知った上でマイナーか否かの判断を下している者などいないため、「マイナー」という言葉を使ったことがある人は全てその修正を行っていることになる。
つまり奥山氏の説による認知的不協和解消とは全ての者に当てはまるものなのだ。よってもしその事柄を他者を批判するための論拠として用いるなら、それは奥山氏の仮説を採るにしてもやはり明確に誤りである。何故ならそれを是とするということは、自身は超越者である、と言っているのと同じことになるからだ。
結局のところ、自身が所属する文化圏での常識を他の文化圏の人達が知らないことを「無知」と断罪することが問題なのだ。
例えばDTMをやっている人間でDAWやKontakt、VSTを知らない人間はまずいないだろう。だからといって、その外の文化圏の人にそれらを知っていて当然という前提で話をするとおかしなことになるだろう。だから外の文化圏の人達と折衝する際には、自身が所属する文化圏の常識が通用しないという前提でもって臨まなければならない。
逆に自分達が所属する文化圏での常識を絶対視してしまい、その常識でもって外部と折衝しようとすれば、齟齬が生じるのは避けられないだろう。
そういった振る舞いはオタクにありがちな負の特徴の一つとして世間から疎まれてきたものでもある(――実際はオタクに限らず他の文化圏の人間も普通にそのような振る舞いを行っているのだが)。もしそういった態度を取るなら、それは周りからウザがられても仕方がないだろう。そしてそのような状況は決して相手側の無知から生じているわけではない。
というか、普通に考えて蒼樹うめや「ハガレン、ブラクラ、よつばと!」をマイナーと言っただけで無知だのなんだのと糾弾してくるような人とは関わりたくないだろう。
REAPER拡張:エンベロープ・ポイント・ジェネレータ

Xenakios氏がLuaで作成した拡張。スレの一番上にあるリンク先から入手できる。
Lua and automation envelopes generation - Cockos Confederated Forums
「generate_envelope01.lua」をScriptsフォルダに放り込み、アクションリストの「Load」からそれを読み込み、リストに登録されたアクションをツールバーなどに登録して使用する。
使用方法は加工したいエンベロープと範囲を選択し、スライダーを動かして調節するだけ。似たようなことはSWSのLFOジェネレータでも出来たが、これはリアルタイムでコントロール出来るのでより使いやすい。

Rate modeでは周期を音符単位に変更することができる。

この拡張はさらに多機能になるはずであったが、残念ながら開発は途中で中止されてしまった。理由は作者がLuaに嫌気が差してしまったため。Luaはシンプルなプログラムを組むには良いが、ある程度複雑なものをつくろうとすると面倒なことになってくるらしい。Reaperの実装も関わっているかもしれないが、特にGUIがからんでくるとよりややこしいことになるようで、そういったものはもうやる気がしないとのこと(因みにLuaはv5からReaScriptで使用可能になった)。
以下は開発途中で放棄されたバージョンの画像

上の画像のように、ここではエンベロープで効きの強さをコントロールしたり、シェイプを変更したりできるようになっていた。ここにさらにエンベロープなどを有効にしたり無効にしたりするボタンを加えようとしたところ不具合が生じ、どうにもならなくなったらしい。
上の画像のバージョンはまだ以下のリンクにある上の方のリンクからテキストとして拾うことができる。
http://forum.cockos.com/showpost.php?p=1576930&postcount=145
興味のある人はバグがあることを承知の上で使用してみるのも一つの手かもしれない。なにぶん非常に有益な機能が追加されているので。
尚、クリックでエンベロープ・ポイント追加、「Alt+クリック」でポイント削除、スライダー上で「右クリック -> Show envelope」でエンベロープの切り替えが可能。
安全にとってマイナスな高速化(技術)
白紙撤回の背景には、インドネシアにおける都市部と地方の格差がある。ジョコ氏は、これまでの大統領のような名門家や軍出身といったエリートではなく、貧困家庭の出身だ。所得分配制度の改変を公約に掲げ、貧困層の支援を重視してきた。
インドネシアの低所得者層にとって、運賃の高い高速鉄道は高値の花だ。政府のカネを使って開業にこぎつけても、乗るのが所得の高いビジネス客ばかりだとしたら、低所得層から不満が出るのは間違いない。(中略)
もう1つ、注目すべきポイントがある。それは「時速200~250キロメートルで十分だから、コストを30~40%下げてほしい」という点である。速度は速いに超したことはない。ただ、高速運転にはその分だけカネがかかる。安全面や環境面の要求が高くなるからだ。
ジャカルタ―バンドン間の144キロメートルは、日本でいえば東京―新富士間に相当する。この程度の距離なら、時速200キロメートルと300キロメートルで所要時間にそう大きな違いはない。それなら事業費が安いほうがいい、というわけだ。(中略)
TGVは目下、高速バスや格安航空との競争にさらされている。対抗策として選んだのは、速度アップではなく、運賃の引き下げだった。
また、ドイツの大手メーカー・シーメンスがドイツ鉄道向けに開発中の新型高速鉄道車両「ICx」の最高速度は、時速230~250キロメートルにとどまる。速度は抑える代わりに高速化に伴う線路の改良負担を減らし、乗り入れ可能な都市を増やすことを狙ったものだ。
今回のインドネシアも建設コストを抑えるために速度抑制を要求したのだとすれば、スピード以外にも目を向け始めた世界のトレンドと合致していることになる。
インドネシア 高速鉄道で技術は最重視せず NHKニュース
「最も大事なのは技術ではない」を安全を軽視しているかのように捉える人がいるが、それを言うなら交渉相手は安全にとってマイナスな高速化(技術)なんて求めていなかったのではないか。しかもそれは僅かな時間短縮にしかならないわけだし。
また、金が無くても人は死ぬのだからコストにシビアなのは必ずしも人命軽視とは限らない。運賃が高くなれば低所得者層にメリットがない上に、国庫を使うとなればその分他のインフラ整備や福祉を削らざるを得ない、ということにもなるだろう。この件ではそういった目線での感想を殆ど見かけないのが気になる。
何にせよ日本側が持ち掛けた新幹線案はオーバースペックだ、と取引先に判断されたということだろう。
インドネシア高速鉄道:中国案、用地取得など波乱含み - 毎日新聞
他にも日本側の事前調査の内容が漏れてしまうというアクシデントもあったようだが、日本の敗北の原因は単に政治的なことだけではなく、こういった世界的潮流に対応することが出来なかった、ということも大きいのではないか。
もちろんダンピング競争になっていると判断したなら降りた方が良い。
インドネシア高速鉄道計画、「中国案歓迎」は遺憾=菅官房長官| Reuters
だがこの決定を「遺憾」だと言っている以上、少なくとも日本側は降りたくなかったと考えるのが妥当だろう。そもそも中国案の総事業費の方が高いわけだし(冒頭の記事によると日本案は総事業費64兆ルピア、中国案は74兆ルピア。ただし中国案の3年で運行開始、という計画には無理があるのではないか、という見方がある)。
まあ中国側が要求を飲んだ、全額融資で政府は融資保証もしない、という条件が絶対だったとするなら、それをしないと考えている日本側にはどの道勝ち目はなかったということになる。その場合唯一のチャンスは「時速200~250キロメートルで十分だから、コストを30~40%下げてほしい」を実現することだっただろう。
米中、ラスベガス・ロサンゼルス高速鉄道で合弁-習主席訪米控え合意 - ブルームバーグ
ただどちらにせよ日本はアメリカでも中国に負けているわけで、この結果を単にインドネシアの特異性だけに求めるのもまた無理がある。
夢”のリニア、実現すると可能になることが全く夢がないと話題
そもそも、例えばリニアの「始発で名古屋を出た営業マンが朝8時に東京で会議に出席。午後は名古屋に戻って事務作業、夜は再び東京でクライアントを接待、11時台の終電で名古屋に戻る――そんな働き方を可能にする」 みたいな考えは日本でしか受け入れられないだろう。そんな働かされ方をするくらいなら高速鉄道なんてない方がマシという。こんなことのために貴重な予算を投入しても、低所得者層はもちろん、殆どのサラリーマンにとっても総合的に見るとマイナスにしかならないだろう。
しかしそれでも日本政府はそれを為そうとしている。そういった国内でしか通用しない内輪ノリで外部と折衝しようとしていたなら、それは上手くいくはずがない。
これに限らず高速化、或いは技術そのものを重視するあまりに他の何かが失われる、ということは幾らでもあるわけだが、日本人はそういったことに余りに無頓着だ。その無頓着さ故の技術の高さを誇ってみせたところで、相手もそれを評価するとは限らないだろう。実際高速鉄道を外に売り出すつもりなら、高速化よりもそれを犠牲にしてコストを下げる方向でのノウハウこそ積み重ねておくべきだった。
もちろん相手がいることだから、努力すれば勝てるなんて保証は全く無いが、力を尽くす方向が間違っていたのではないか、と省みることは重要だろう。
だがこの件ではそういった省みは殆ど見られないどころか、「最も大事なのは技術ではない」発言を理由に、日本案を採用しなかったインドネシア側を揶揄するようなコメントが非常に多く見られた。
しかしそんな風に商談に失敗した原因を取引先の不見識に求めるなら、この先の受注競争の前途も暗いだろう。グローバル人材育成のために英語教育の充実を、みたいな話はよく目にするが、その手のコメントを見ていると、そんなことよりももっと先に見直さなければならないことがあるのではないか、と思ってしまう。
さっそくインドネシアを敵国認定するかのようなコメントも幾つか見かけたが、受注競争で選んでくれなかったからといって敵国認定していたら、それこそ世界中が敵国になってしまう(その理屈で行くとアメリカも既に敵国)。
こんなことでは日本がこんな風に見られるのも仕方がないよなあ、と(日本人は世界をこういう風に見ているに違いない、という偏見地図)。
日本から見たアジアと中国から見たアジア。日本から見た中国と中国から見た日本が笑える。いや笑えない。いや、やっぱり笑えるw pic.twitter.com/EdCUsGHusl
— iano (@ianoianoianoo) 2015, 9月 27
因みに全く関係ないが、自分が一番最初に話した言葉は「新幹線」だったそうだ。