そうだ、断末魔ブログだった
もう、二ヶ月程前になるが、夜明け近くに
突然、得もいえぬ強烈な不安感と恐怖感で目が覚めた。
別に悪夢を見た訳でもないし、
近々何か嫌なイベントが控えていた訳でもない。
それは何の脈絡もなくやって来た。
何らかの脈絡があって、そういう強烈な不快感に
襲われることはよくあった。
例えば、朝起きて学校に行かなければならない時や
履歴書を書く時、電話を掛ける時、
何かに失敗したりその恐れがある時。
その他諸々…。
そもそも、生まれてこの方、心の安寧を得たことは一度も無い。
常に不安と恐怖と苦痛の湯船に身を浸している。
それらの感覚が増減、変容するだけであって、
そこから抜け出たことはない。
しかし、何の脈絡も無くここまで強烈な不快感に
襲われたのには流石に驚いた。
こういう事は、ひきこもりならばよく有ることなのだろうか。
この五年程、ずっと死が頭の片隅に張り付き、
なるべくそれを考えない様にしていたのだが、
この発作の様なものが起こった時、
初めて本当に死を身近なものに感じた。
***
そういえば、以前にも似たような症状が現れたことがあった。
小学校の低学年の時だ。
何の脈絡もなく、突然得もいえぬ不安感に襲われ、
心臓が激しい運動をした時の様に高鳴った。
そういう事が度々あった。
その症状に不安になった自分は、
なかなか本気で取り合おうとはしない
(元々関係が悪かった)両親に何度も訴えて、
ようやく病院に行くことが出来たが、
「心臓には何も異常は無いです」
という診断が下されただけで、結局なにも解決しなかった。
(当時はまだ、心因性の病気なんて殆ど誰も知らなかったのだろう)
その代わりに「他人に助けを求めても無駄なんだ」
という考えが、感覚と強固に結びついただけに終わった。
だから、我慢した。
それが自分にとっての唯一の武器だった。
そしてそれを使って、その症状を生み出す
主要な要因になっているであろう学校へ通い続けた。
クラスでの最下位争いや、
忘れ物が多いという理由で先生から
目の敵にされながらもその苦痛に耐え続けた
(なぜあの頃、あんなに忘れ物をしたのか不思議でならない)。
我慢という武器が、自身の命を削って得られる
諸刃の剣であることに気付きもせず。
やがて心臓の高鳴りという症状は治まった。
しかし、得もいえぬ不安感、不快感という
症状は常態化していった。
今思えば、あの時既にこの結果を揺ぎ無いものにする
道筋が出来上がっていたのかもしれない。
少なくとも、自分にとって学校は地獄に等しい場所だったし、
社会で生き抜く力を蓄えるというより、その力を削がれ、
成長を阻止される場所だった。
特に、クラスの中心人物に派手にターゲットにされた
高一の時は、強制収容所に自らの足で拷問を
受けに行く様な気持ちで毎朝学校に足を運んだ。
しかし、学校に通っている時は、
死のうなんて考えたことも無かった。
一縷の望みがあったからだ。
それはまだ、自分が持つ「我慢」という唯一の武器で、
何とか「普通」を獲得出来る日が来るんじゃないか、
という錯覚をすることが許される時間だった。
だが「諦めない」にも終わりが来る。
物心がついた時からなんとなく気付いてはいたが、
敢えて気付かないフリをしてきた事。
(超三流)大学を卒業し、就職活動を始めて
改めてそれを思い知らされた。
それは、自分がこの社会のシステムの一員として
生きていく能力が無い人間だという最終判決。
今の日本の社会は、他者に何らかの方法で
「私はあなた(方)にとって価値のある人間です」
という積極的なアピールが出来ない人間は、
そのシステムから弾かれるようになっている。
それに対し、自分は学校という社会の
常識に馴染もうとして、それにとって邪魔な
自分の感覚を抑圧し、消し去ろうとしてきた。
そして、その皆と同じ振る舞いを阻む己の感覚と、
幾ら頑張っても「普通」すら獲得出来ない
自身の無能さを「これでもか」というくらい
卑下し続けてきた。
自分が自分として生まれてきたことを呪い、
その感覚と無能さを恥じながらも、
その醜い自分というものから一時も離れることが
許されない現実に苦しむだけの毎日。
だから、自分は大学二年位まで、
家の外で自分の顔を鏡で見たことすら無かった。
家の中ならまだしも、家の外で自分の顔を
見てしまうと、自分が自分であることを
再確認してしまうと共に、
その醜い自分というものを周りに
晒し続けているという認識が、
視覚を通して直接脳みそに飛び込んでくる。
その結果、吐き気がし、何とも言えない不安感と劣等感に
まとわり付かれてしまうことになる。
そうなる事に気が付いていたからだ。
実際、高校の時に夜の電車に乗る機会があって、
その電車のガラスに映った自分の姿を見ただけで、
一週間はその不快感が消えなかった。
そんな風に、散々自身を卑下して生きてきた人間が、
就職活動になると、今度は自身を企業に
売り込まなければならないのである。
つまり、自分自身がどうしようもない欠陥品だと
思っている商品を相手に売りつけなければならない。
他の商品よりも良い物です、と偽って。
そんな悪辣なことできるかよ。
それに、就職活動をする為には履歴書を書かなければならない。
その為には自己分析をし、自分の長所を見つけ、
自己PRを考えなければならない。
しかし、自分の短所は幾らでも思い付くが、
長所が全く思い浮かばない。
自身に向き合えば向き合う程その醜さと無能さを確認する。
それは「家の外で鏡を見る行為」に等しかった。
しかも、今度はその「鏡に映った自分」という履歴書を
相手に見せるために自らが作成しなければならない。
自分にとってそれは拷問以外の何物でもない。
問題はそれだけではなかった。
それまでの経験で、集団に絡め取られた人間達に対する
不信感と恐怖心が染み付いてしまっているので、
会社という集団生活の場が、第二の地獄としてしか認識出来ない。
「火炎地獄がいいか、針山地獄がいいか選べ」
などと言われた所で選べる筈も無い。
しかも、その地獄には門番がいて、
「俺に気に入られた奴だけ入れてやる」
なんて言っている。
だから、その地獄に入るためには門番に
気に入られる様に自分を売り込まなければならない。
彼らに取り入らなければならない。
しかし、それは相手と自分を欺く事になる。
そのことで、また罪悪感に苛まれる。
そもそも、他人に上手く取り入ったり
騙したりする能力など殆ど持ち合わせてはいないので、
その罪悪感に苛まれることを覚悟した
悪辣な目論みは結局失敗に終わる。
そして、その失敗がさらに自身の無力さと醜さを補強する。
そんなこんなをしている内に、
履歴書を頭に思い浮かべただけでも体に震えがくるようになった。
もう精神的にも限界だった。
しかし、就職活動を止めた時は、やり遂げたという様な感覚だった。
全身全霊を掛けても、唯一の目標であった
「普通」になることは出来なかったという確認。
「諦めない」の終着地点に辿り着いたある種の清々しさ。
そして、ふと気が付いた。
自分が生まれて来て良かったと感じたことが無かったこと。
生きていることが、苦痛としてしか認識出来ないこと。
その事に気が付くと、もはや新しい目標を見つける
ことなんて出来なかった。
もう学校に通っていた時の様な目標もない。
それを獲得する精神力すら残っていない。
敢えて目標を搾り出すなら、「穏やかな死」くらいだろうか。
しかし、死そのものを積極的に望んでいるわけではないので、
それは心から望んだ目標とは言えない。
もはや、二十代にして既に老後だった。
***
そうやって引きこもり始めてもう十年近くなる
(自分自身は老後を過ごしているだけであって、
引きこもっているという意識はないが)。
そしてこの数年、何時今の環境が失われても
おかしくない状況にある。
しかし、自分はホームレスとして生きていける程有能ではない。
刑務所でまた集団生活なんてのも真っ平ごめんだ。
だから、さっさと死に方を考えておかなければならない。
それは理屈では分かっているが、ヘタレな自分はなかなか
それに対して積極的な努力をすることが出来ない。
自分の死についてなんか、出来れば考えたくなんかない。
むしろ、奴らの思い通りに死んでたまるか!と思っている。
(奴らって誰だ?)
だが、あの発作が起こった時、始めて本当に死にたいと思った。
それしかあの苦しみから逃れることが出来ないことを
知っているからだ。
そして、その発作による苦しみは、
自分という存在を生み出し、苦しめてきた外界への
途方もない怒りをも引き起こした。
かといって、包丁を持って飛び出して、
町の人間達に斬り付ける程自分はエネルギッシュではない。
だから、取り敢えずこのブログでその怨念を
具現化し、撒き散らそうと思った。
ところがだ。
暫くすると、今度は自分の死を意識することで、
新たな想いが芽生えてきた。
それは他人を恨みたくないという想い。
死ぬ時は全てを許して死にたいという想い。
前々から気付いていたが、他のひきこもりのブロガーと
自分には決定的な違いがある。
彼らのその行為は、
今の状態を何とかしたいという心の叫びであり、
それによって、社会との融和の架け橋を作ろうとする試みだ。
だが、自分がやっているのは単なる断末魔の叫びだ。
淘汰される者が吐き捨てる呪詛の言葉の羅列だ。
自分は長らく「孤独」というものを忘れていた。
その「孤独」とはただ一人きりのことではない。
集団に於いて一人孤立するという「孤独」だ。
だが、ブログを始めてみて、
改めて自分の孤独さを知ることになった。
他のひきこもり達が社会との融和の道を探っているのに、
自分は一人怨言ばかり吐き続けているこの浅ましさ
(投稿には至らない、書きかけの恨みの篭った記事が多数ある)。
そして、その怨念の篭ったタイピングにより
具現化したものが、また自分の醜さを照らし出して己を苦しめる。
「人を呪わば穴二つ」とはよくいったものだ。
だから、それを何とか改善したいと思い、
この二ヶ月間考えてきた。
しかし、やっぱり駄目だった。
それをするには自分は余りにも多くネガティブな
空気を吸い過ぎている。
そのせいで、全てをネガティブな物としてしか
認識出来ない様な体になってしまっている。
全てに対し、拒絶反応を起こしてしまう。
そして、そのネガティブなものに触れることによって
生まれる苦しみが、怒りと憎しみに変換され、
それがそちらの道へ行こうとすることを
決して許そうとはしない。
結局、そういった葛藤を重ねた末、
再確認することになっただけだった。
これが断末魔ブログであったことを。
でも、死ぬ時には全てを許して死にたい
という想いに変わりはない。
だからその為にも、自分は環境が許す限り
このブログを断末魔ブログとして続けていくだろう。
社会との融和の為ではなく、
自分が人生で吸い続け、溜め込んできたネガティブな
空気を少しでも多く吐き出し、
自分が死ぬ時に全てを許して死ぬことが出来る程度にまで
それを目減りさせる為に。
溢れ出る怨念を晴らしたいという想いと、
他者を恨みたくないという二つの想いに引き裂かれながら。
突然、得もいえぬ強烈な不安感と恐怖感で目が覚めた。
別に悪夢を見た訳でもないし、
近々何か嫌なイベントが控えていた訳でもない。
それは何の脈絡もなくやって来た。
何らかの脈絡があって、そういう強烈な不快感に
襲われることはよくあった。
例えば、朝起きて学校に行かなければならない時や
履歴書を書く時、電話を掛ける時、
何かに失敗したりその恐れがある時。
その他諸々…。
そもそも、生まれてこの方、心の安寧を得たことは一度も無い。
常に不安と恐怖と苦痛の湯船に身を浸している。
それらの感覚が増減、変容するだけであって、
そこから抜け出たことはない。
しかし、何の脈絡も無くここまで強烈な不快感に
襲われたのには流石に驚いた。
こういう事は、ひきこもりならばよく有ることなのだろうか。
この五年程、ずっと死が頭の片隅に張り付き、
なるべくそれを考えない様にしていたのだが、
この発作の様なものが起こった時、
初めて本当に死を身近なものに感じた。
***
そういえば、以前にも似たような症状が現れたことがあった。
小学校の低学年の時だ。
何の脈絡もなく、突然得もいえぬ不安感に襲われ、
心臓が激しい運動をした時の様に高鳴った。
そういう事が度々あった。
その症状に不安になった自分は、
なかなか本気で取り合おうとはしない
(元々関係が悪かった)両親に何度も訴えて、
ようやく病院に行くことが出来たが、
「心臓には何も異常は無いです」
という診断が下されただけで、結局なにも解決しなかった。
(当時はまだ、心因性の病気なんて殆ど誰も知らなかったのだろう)
その代わりに「他人に助けを求めても無駄なんだ」
という考えが、感覚と強固に結びついただけに終わった。
だから、我慢した。
それが自分にとっての唯一の武器だった。
そしてそれを使って、その症状を生み出す
主要な要因になっているであろう学校へ通い続けた。
クラスでの最下位争いや、
忘れ物が多いという理由で先生から
目の敵にされながらもその苦痛に耐え続けた
(なぜあの頃、あんなに忘れ物をしたのか不思議でならない)。
我慢という武器が、自身の命を削って得られる
諸刃の剣であることに気付きもせず。
やがて心臓の高鳴りという症状は治まった。
しかし、得もいえぬ不安感、不快感という
症状は常態化していった。
今思えば、あの時既にこの結果を揺ぎ無いものにする
道筋が出来上がっていたのかもしれない。
少なくとも、自分にとって学校は地獄に等しい場所だったし、
社会で生き抜く力を蓄えるというより、その力を削がれ、
成長を阻止される場所だった。
特に、クラスの中心人物に派手にターゲットにされた
高一の時は、強制収容所に自らの足で拷問を
受けに行く様な気持ちで毎朝学校に足を運んだ。
しかし、学校に通っている時は、
死のうなんて考えたことも無かった。
一縷の望みがあったからだ。
それはまだ、自分が持つ「我慢」という唯一の武器で、
何とか「普通」を獲得出来る日が来るんじゃないか、
という錯覚をすることが許される時間だった。
だが「諦めない」にも終わりが来る。
物心がついた時からなんとなく気付いてはいたが、
敢えて気付かないフリをしてきた事。
(超三流)大学を卒業し、就職活動を始めて
改めてそれを思い知らされた。
それは、自分がこの社会のシステムの一員として
生きていく能力が無い人間だという最終判決。
今の日本の社会は、他者に何らかの方法で
「私はあなた(方)にとって価値のある人間です」
という積極的なアピールが出来ない人間は、
そのシステムから弾かれるようになっている。
それに対し、自分は学校という社会の
常識に馴染もうとして、それにとって邪魔な
自分の感覚を抑圧し、消し去ろうとしてきた。
そして、その皆と同じ振る舞いを阻む己の感覚と、
幾ら頑張っても「普通」すら獲得出来ない
自身の無能さを「これでもか」というくらい
卑下し続けてきた。
自分が自分として生まれてきたことを呪い、
その感覚と無能さを恥じながらも、
その醜い自分というものから一時も離れることが
許されない現実に苦しむだけの毎日。
だから、自分は大学二年位まで、
家の外で自分の顔を鏡で見たことすら無かった。
家の中ならまだしも、家の外で自分の顔を
見てしまうと、自分が自分であることを
再確認してしまうと共に、
その醜い自分というものを周りに
晒し続けているという認識が、
視覚を通して直接脳みそに飛び込んでくる。
その結果、吐き気がし、何とも言えない不安感と劣等感に
まとわり付かれてしまうことになる。
そうなる事に気が付いていたからだ。
実際、高校の時に夜の電車に乗る機会があって、
その電車のガラスに映った自分の姿を見ただけで、
一週間はその不快感が消えなかった。
そんな風に、散々自身を卑下して生きてきた人間が、
就職活動になると、今度は自身を企業に
売り込まなければならないのである。
つまり、自分自身がどうしようもない欠陥品だと
思っている商品を相手に売りつけなければならない。
他の商品よりも良い物です、と偽って。
そんな悪辣なことできるかよ。
それに、就職活動をする為には履歴書を書かなければならない。
その為には自己分析をし、自分の長所を見つけ、
自己PRを考えなければならない。
しかし、自分の短所は幾らでも思い付くが、
長所が全く思い浮かばない。
自身に向き合えば向き合う程その醜さと無能さを確認する。
それは「家の外で鏡を見る行為」に等しかった。
しかも、今度はその「鏡に映った自分」という履歴書を
相手に見せるために自らが作成しなければならない。
自分にとってそれは拷問以外の何物でもない。
問題はそれだけではなかった。
それまでの経験で、集団に絡め取られた人間達に対する
不信感と恐怖心が染み付いてしまっているので、
会社という集団生活の場が、第二の地獄としてしか認識出来ない。
「火炎地獄がいいか、針山地獄がいいか選べ」
などと言われた所で選べる筈も無い。
しかも、その地獄には門番がいて、
「俺に気に入られた奴だけ入れてやる」
なんて言っている。
だから、その地獄に入るためには門番に
気に入られる様に自分を売り込まなければならない。
彼らに取り入らなければならない。
しかし、それは相手と自分を欺く事になる。
そのことで、また罪悪感に苛まれる。
そもそも、他人に上手く取り入ったり
騙したりする能力など殆ど持ち合わせてはいないので、
その罪悪感に苛まれることを覚悟した
悪辣な目論みは結局失敗に終わる。
そして、その失敗がさらに自身の無力さと醜さを補強する。
そんなこんなをしている内に、
履歴書を頭に思い浮かべただけでも体に震えがくるようになった。
もう精神的にも限界だった。
しかし、就職活動を止めた時は、やり遂げたという様な感覚だった。
全身全霊を掛けても、唯一の目標であった
「普通」になることは出来なかったという確認。
「諦めない」の終着地点に辿り着いたある種の清々しさ。
そして、ふと気が付いた。
自分が生まれて来て良かったと感じたことが無かったこと。
生きていることが、苦痛としてしか認識出来ないこと。
その事に気が付くと、もはや新しい目標を見つける
ことなんて出来なかった。
もう学校に通っていた時の様な目標もない。
それを獲得する精神力すら残っていない。
敢えて目標を搾り出すなら、「穏やかな死」くらいだろうか。
しかし、死そのものを積極的に望んでいるわけではないので、
それは心から望んだ目標とは言えない。
もはや、二十代にして既に老後だった。
***
そうやって引きこもり始めてもう十年近くなる
(自分自身は老後を過ごしているだけであって、
引きこもっているという意識はないが)。
そしてこの数年、何時今の環境が失われても
おかしくない状況にある。
しかし、自分はホームレスとして生きていける程有能ではない。
刑務所でまた集団生活なんてのも真っ平ごめんだ。
だから、さっさと死に方を考えておかなければならない。
それは理屈では分かっているが、ヘタレな自分はなかなか
それに対して積極的な努力をすることが出来ない。
自分の死についてなんか、出来れば考えたくなんかない。
むしろ、奴らの思い通りに死んでたまるか!と思っている。
(奴らって誰だ?)
だが、あの発作が起こった時、始めて本当に死にたいと思った。
それしかあの苦しみから逃れることが出来ないことを
知っているからだ。
そして、その発作による苦しみは、
自分という存在を生み出し、苦しめてきた外界への
途方もない怒りをも引き起こした。
かといって、包丁を持って飛び出して、
町の人間達に斬り付ける程自分はエネルギッシュではない。
だから、取り敢えずこのブログでその怨念を
具現化し、撒き散らそうと思った。
ところがだ。
暫くすると、今度は自分の死を意識することで、
新たな想いが芽生えてきた。
それは他人を恨みたくないという想い。
死ぬ時は全てを許して死にたいという想い。
前々から気付いていたが、他のひきこもりのブロガーと
自分には決定的な違いがある。
彼らのその行為は、
今の状態を何とかしたいという心の叫びであり、
それによって、社会との融和の架け橋を作ろうとする試みだ。
だが、自分がやっているのは単なる断末魔の叫びだ。
淘汰される者が吐き捨てる呪詛の言葉の羅列だ。
自分は長らく「孤独」というものを忘れていた。
その「孤独」とはただ一人きりのことではない。
集団に於いて一人孤立するという「孤独」だ。
だが、ブログを始めてみて、
改めて自分の孤独さを知ることになった。
他のひきこもり達が社会との融和の道を探っているのに、
自分は一人怨言ばかり吐き続けているこの浅ましさ
(投稿には至らない、書きかけの恨みの篭った記事が多数ある)。
そして、その怨念の篭ったタイピングにより
具現化したものが、また自分の醜さを照らし出して己を苦しめる。
「人を呪わば穴二つ」とはよくいったものだ。
だから、それを何とか改善したいと思い、
この二ヶ月間考えてきた。
しかし、やっぱり駄目だった。
それをするには自分は余りにも多くネガティブな
空気を吸い過ぎている。
そのせいで、全てをネガティブな物としてしか
認識出来ない様な体になってしまっている。
全てに対し、拒絶反応を起こしてしまう。
そして、そのネガティブなものに触れることによって
生まれる苦しみが、怒りと憎しみに変換され、
それがそちらの道へ行こうとすることを
決して許そうとはしない。
結局、そういった葛藤を重ねた末、
再確認することになっただけだった。
これが断末魔ブログであったことを。
でも、死ぬ時には全てを許して死にたい
という想いに変わりはない。
だからその為にも、自分は環境が許す限り
このブログを断末魔ブログとして続けていくだろう。
社会との融和の為ではなく、
自分が人生で吸い続け、溜め込んできたネガティブな
空気を少しでも多く吐き出し、
自分が死ぬ時に全てを許して死ぬことが出来る程度にまで
それを目減りさせる為に。
溢れ出る怨念を晴らしたいという想いと、
他者を恨みたくないという二つの想いに引き裂かれながら。