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ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

引越ししたけど

隣や上の部屋の扉の開け閉めやくしゃみ、掃除機で床をこする音なんかが全部まる聞こえ。何の音か分からないがやたらドンドン音がするし。まあ今のところそれ自体は我慢できるが、当然こちらの音も周りにまる聞こえなわけで、それが気になる。集合住宅ってこんなものなのか。あと自分の部屋がまるで風呂屋みたいに音が響くのだが、一体何なんだこれは。他の部屋はそこまで酷くないのだが。

しかしそれよりも何よりも、とにかく階段や駐輪場で人と顔を合わすのが怖い。バスか原付に乗らないとどこにも行けないし、これは益々家から出られなくなりそう。

立ち退きしなくてはならなくなった

幼稚園になる前から住んでいる今の借家を立ち退かなければならなくなった。今住んでいるところは滅茶苦茶ボロい一軒家だが、その代わりにそこそこの広さがあり、ちょっとした庭もあり、駅も近くて便利だった。家屋の左右にある程度の空間があり、音に関して余り神経質にならずにすんだのも良かった。

しかし次に移り住む場所はそうはいかないだろう。今よりも確実に狭くなり、交通の便も悪くなるだろう。恐らく音に関する配慮も今よりずっと必要になる。

それ以前にまず金策の心配をしなければならない。場合によっては路頭に迷うという可能性も十分ありえる。

しかし数日後には肩の手術が控えているのに、このタイミングでこんな話が舞い込んでくるとは。目下立ち退き条件に関して交渉中。なるべく気を落ち着かせて手術に望もうと思っていたが、中々そうもいかないようだ。

有給6日分損した?

労災での休業補償に関することで会社まで行ったのだが、その際に自己都合退職届けを書いてくれ、ということになった。一ヶ月更新の派遣だし、特別条件が良いわけでもない所だったので別にいいか、と深く考えずにサインして帰ってきた。しかしその後になって思い出した。まだ有給が6日残っていたことを。

後になって考えると、怪我して出勤できなくなった時点で残っていた有給を使い切ることを申請していたらそれで6日分の給与が貰えたわけで、本当に大損した。あの時は怪我や労災の手続きとかそっちの方で頭がいっぱいで、完全に有給のことを忘れてしまっていた。

職場で、前にここで働いていた時に有給20日ぐらい残したまま切られた、みたいな話を聞いて、退職が決まった時点で会社側は時季変更権を行使できなくなるので、辞める時はちゃんと有給を全て消化しないと、みたいなことを言っていた自分がこのざまとは。なんとも情けない話。


【追記】その6日間が労災の休業補償になるか有給になるかだけで、さほど変わらないかも。結局、もっと惜しまずに有給をどんどん使っていればよかった、ということでしかないか。

肩関節脱臼して働けなくなった

自分には以前から腕の抜け癖があり、これまで二度ほど脱臼をしたことがあったのだが、それがまた再発してしまった。とりあえず三週間ほど腕を固定して、その後まだ抜けやすい感じがあるなら手術とのこと。

二度目の時も手術をした方がいいんじゃないか、みたいなことをチラッと言われたのだが、ちょうどその時、その手術に失敗して腕が動かなくなった人の記事を見たばかりで怖くて踏み切れなかった。お金のこともあったし。

今回は労災なので受けるなら今なのだが、やはり怖くて中々その勇気が出ない。上手く行っても完治には時間もかかるだろうし、リハビリもしなければならないし、それでも最終的に手術前より腕の動きは悪くなるみたいだし。さらに手術したからといって再発しないとは限らないという話もある。さてどうするか…。

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しかし底辺だと体を使う仕事しかないし、ちょっと大きな怪我か何かをしたらもうそれで終了なんだなと改めて思った。病気をしても貧乏だと病院代も払えない。そしてここから抜け出すすべは全くないのだ。本当に何のために働くのだろう。何のために生きているのだろう。それが無為な問いだと分かっていても何度も何度も問うてしまう。

そもそもこの脱臼しやすい体質が既に駄目だ。今回脱臼した右肩はもちろん、本当にちょっとしたことで様々な場所の間接が外れそうになる。歳を取って筋肉が衰えていけば、片っ端から間接が外れていくんじゃないだろうか。

とにかく人生が上手く行かない人はこんなふうに何もかもとことん上手くいかない。本当に生まれて来て良いことなんて何一つない。命を生むということは即ち死を生むことでもあり、そしてそこに至るまでに生じる軋轢と拷問を生み出すことでもある。生命の誕生が持つ善性は、この厳然たる事実が矮小化されることによって初めて成り立つものなのだ。

就業体験終了

契約が切れて再び天職である暇人に戻った。就業体験中は、休みが終わるとまたあのクソな労働が待っていると考えると全く気が休まらず、暇(休日)を楽しむことが全く出来なかったが、修業体験が終わったら終わったで、今度は先の不安でそれを楽しむことがまったくできない。何一つやる気が起こらない。まあそれはもうずっと前からだけど。暗黒の未来が決定付けられた人間には、もはや死んだ時間しか残されていないのだ。

ただ以前と違って、自分という存在が、低賃金で持続不能な職を転々とし、死ぬまで「世のため他人のため」にこき使われるか、それが無理なら極力他人に迷惑を掛けずに消え去るか、でしか社会(的趨勢)から認められない者であるということを、そして自分のような人間が、「世のため他人のため」に望ましい動きを取ることで、それに依存することで立派な社会人の立ち位置は保たれているということを――それは理屈上分かっていたことだが――改めて実体験を踏まえて再確認したというのは大きいかもしれない。

とにかく就業中は仕事から帰って来たら直ぐに寝て、起きたらまた直ぐに行くという生活を繰り返していたので物を考える時間が殆どなかったが、その時間が出来ると再びドス黒い気持ちがどんどん湧き上がってきた。これからは再びそれを文章に変換するという無賃金労働に精を出すとするか。

にしても、あと二、三週間程で失業保険の受給資格が発生したはずだったのがつくづくおしい。

指示通りに作業していたらチンピラオヤジにもの凄い勢いで怒鳴られた

夜勤になってから、また自分の仕事のやり方も全く異なり、戸惑うことばかり。時間も朝からの時よりも少し長くなったし、仕事内容も以前よりきつくなったので、家に帰ってから風呂に入って寝たらもう直ぐに仕事に行かなければならないという、そういう毎日。それでもようやく今の仕事のに馴れてきた初めての週末、その最後の最後で事件は起こった。
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自分の現場に指導者は二人いる。一人はその現場の責任者の社員A。もう一人は今また新しく研修に来ている人を指導する嘱託社員Bで、後は皆自分と同じような短期契約の派遣社員ばかりだ。さらにうちの現場の直ぐ上にも部署があり、そこは嘱託社員Cが管理している。その部署は自分が今している仕事との関わりが深い。問題なのはこの嘱託社員Cだ。

この会社は製造業なので当然あるものを作っているわけだが、うちの現場は、元となる物(ブツ)にある加工を施して隣の現場に持っていくのが仕事だ。そしてその一工程を一サイクルと呼んでいる。その加工前の物を運んでくるのは自分に任された仕事のうちの一つだ。

で、その日は自分がこの現場で夜勤になって始めての週末で、朝礼でいつもより一サイクル少ないこと、余分な物は持ってこなくてよいことが嘱託社員Bから伝えられた。なので、いつもなら置き場所がある分だけ目いっぱい物を持ってくるのだが、その日はそれに合わせた分しか物を運んでこないようにしていた。しかし、もう直ぐ仕事が終わるという頃になって、社員Aから置き場所がある分、さらに物を運んできておくよう頼まれた。なのでそれに従い、物を持って行ったところ、いきなり何の前触れもなく、どえらい剣幕で嘱託社員Cに怒鳴られた。それも尋常な怒鳴り方ではなかった。たまにテレビでやっている、大阪の警察が暴力団の事務所に踏み込む時のような、あんな怒鳴り方だった。元々見た目も喋り方もヤクザみたいな奴なのだが。

自分は社員に支持された通りに作業していただけでしかない。しかし、アレが仮に自分のミスだったとしても、あんな風に怒鳴ることの仕事上の必然性、そうすることの仕事上のメリットが全く思い浮かばないのだ。ミスがあればその情報を伝達し、補正するのが彼らの仕事ではないか。しかも自分は今の現場に来て一週間、そしてたかだか一ヶ月半の人数合わせ、ただの使い捨て要員だ。職人を目指している者でもなんでもないし、会社は未熟なことを承知で雇っているわけだから、それに応じた対応と責任を取るのが彼ら(上役)の仕事であるはずだ。

それをあんな風にしてしまったら、職場の人間関係はギクシャクするし、怒鳴られた者だってモチベーションを失うだろう。それで辞める人間だっているだろうし、最悪、事件に発展する場合だってなきにしも非ずだ。あの行為はどう考えても仕事上マイナスでしかない。だとすれば、あれは仕事上の行為ではなく、奴の個人的なウサ晴らしとしての行為だったということになる。

要するに、奴は初めから自分に目を付けていて、何かにこきつけて怒鳴りつけてやろうと、そう考えていたのではないかと自分は疑っている。コイツなら何を言っても何をしても反撃してこないだろう、立場が弱い人間だから、そういう嫌がらせをしても何ら自らがリスクを負うこともないだろう――そういうことを考慮にいれた上での行動だったのではないかと(それが証拠に、自分に物を持ってくることを命じた社員には怒鳴っていない)。

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こういうことを我慢するのも含めて仕事であり、それができてこそ大人だと言う人もいるかもしれない。だがそれは違う。たしかに、労働がポジション維持活動であるとすれば、我慢もまた労働であると言えるかもしれない。しかしこの手の嫌がらせは決して(ある事柄を成し遂げるための作業としての)仕事ではない。それは明らかに個人的なものであり、むしろそれによって仕事を犠牲にする行為だ。

元々ポジションを獲得していない自分達使い捨て要員は、ポジション維持活動としての労働というより、単に一時的な取引として仕事を行うためだけにここに来ている。自分達はただその一点のみで結びついている。そのための契約を結んでいる。「他人に罵倒されて耐えるだけの簡単なお仕事です」というような契約内容ならともかく、そうでないなら個人的な嫌がらせに付き合うなんて仕事のうちに入らない。そんな契約は結んでいないし、それに付き合う義理もない。このようなことが続くのであれば、それは向こう側の契約内容に瑕疵があったと、少なくとも理屈上は言えるだろう。

しかし自分が何より許せないのは、そこでは仕事にマイナスになる個人的なウサ晴らしや嫌がらせが、恰も仕事上必要な事柄であるかのように装われ、仕事上の立場を利用して行われていることだ。そしてそれが野放しにされ、それに耐え、順応し、そしてまた下の立場の者にも強いていくという因習が成熟であるとされ、なんら改善されないことだ。

政治に興味が持てない人が多いのは、こういった本当に深刻で切迫した身近な生活状況は、それによって改善されることは望めないと分かっているから、ということもあるのではないか。まあ確かに、今回の件はどちらかと言うと「人」の問題であり、そういった事柄に政治が直接介入してくるというのは不味いということはあるかもしれない。しかし政治によってまともな働き口を増やすことができるのだとすれば、こういった状況の深刻さも軽減されることになる。だが政治は、雇用を増やすことは考えても、その条件を改善することには見向きもしない。ただクソみたいな条件の働き口を乱発することにしか興味がなく、それを乱発した上で「(職は)探せばあるはずだ!」と言う。それが民衆の声だ。

すると結局のところ、自分みたいな趨勢から外れた底辺の人間がああいう人間や状況に報いるには、銃を乱射する、みたいな方法しか残されていないわけだ。

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それにしても運の悪いことに、奴の着替えのためのロッカーは自分のロッカーの直ぐ後で、毎朝(といっても実際は晩だけど)仕事前にも必ず顔を合わせなければならない。ほんと、どうすんのよこれ。

仕事がくだらない

とにかく仕事がくだらない。工場での仕事だが、その部署で自分だけ力仕事と雑用の役割で疎外感もある(案の定はみってるし)。常に向こうのスケジュールを気にして合わせなければならないため、一定のペースで仕事することができず、凄く忙しいか手持ち無沙汰のどちらかなのも辛い。それに、最初は大したことないと思っていたが、反復的な力仕事が徐々に体に来てる。最初は手が痛いのが心配だったが、膝もちょっと気になり始めた。なるべく膝や腰を痛めにくいような物の持ち方をしているものの、ひたすら下にあるものをかがんで上に持ち上げていれば、どうしても膝に負担が行く。たった二週間でこれだ。後一ヶ月半体が持つか心配。
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ここは短期で入っても継続を求められたりして、三年続ければ自動的に社員になったりする可能性もあるらしい(但し売り上げが落ちれば休業になったりもする)が、今の自分の仕事じゃどの道体がもたない(今の部署でも他の人がやっている仕事なら少なくとも体はもちそうだが)。帰って来てしばらくボーっとしたらもう寝る時間だし。仕事に「やりがい」を求めるのは馬鹿馬鹿しい、とよく言われるし、自分もそう思っていたが、その「やりがい」が仕事の持続性や積み重ねによる熟練の潜在性を意味しているなら、それは必ずしも間違いではないだろうと思うようになった。この仕事は持続性も積み重ねもなく、(自分が特別ひ弱ということもあるだろうが)正にただの使い捨ての消耗品用という感じだ。

そしてこの問題は単に景気が良くなっただけでは改善されることはないだろう。景気が良くなると社会のコアとして守られるべきポジションが増加するとともに、このような消耗品としてのポジションもまた増えるため、職に就きやすくなる。だが結局、誰かがこの消耗品としての役割を引き受けなければならないことには変わりないのだ。確かに景気が良くならなければ労働環境は改善されないが、景気が良くなっただけでもまた状況は改善されない(バブル期だって原発の被曝要員の労働条件は酷かっただろう)。

とりわけ自分のような人間からすれば、景気が良かろうと悪かろうと、その期間はともかく、人生の内容自体はもはや変わらない。このまま体を壊すまで使い捨て用品としての役割を引き受け続けようと、それを拒否しようと、ただ苦痛と苦悩だけを抱いて死んでいくことには変わりないのだ。このように、自分が社会のコアとしての部分を獲得・維持できる可能性があると感じている者(或いは、とにかく何が何でも生き続けたいと考える者)と、コアを守るための調整弁としての末端部分を担い続けることになると感じている者(或いは、死にたくはなくとも生きることに意義を感じることができない者)とでは、見えているものは全く異なってくるわけだ。このことを抜きにして一元的に語られる経済論議や道徳、人生論は、さっさとゴミクズとして焼却処分にしてもらいたいものだ(このような個別の全く異なった状況を無理矢理一元化のまな板の上に乗せて平等に語る語り口、そこから生み出される正当性が何故「平等主義」と謗られないのか不思議)。

だが実際にはそういうゴミクズほど商品としての価値を獲得し、流通するわけだから、自分のような(そこから見落とされた)人間にとってはそのような市場を、そしてそれによって支えられている人間社会など、肯定しようもない。というか、コアを守るためには自分の人生が下らないものであり続けることくらい我慢しろ、とのたまうコアなんて、破壊する必要はあれど守る価値なんて全くないだろう。 

病院に行ってきた

3月頃に風邪をひいて、それから一ヶ月経っても咳が出そうな感じが収まらなかったので、とりあえず耳鼻科に行ってみたが、ハッキリとした原因は分からず。吸引薬を処方されたものの、それで症状が治まる気配もない。同時に背中の奥に筋肉痛のような痛みもあり、気になったのでその後内科に行き、CT検査と血液検査をしてもらったが、異常なしということで、やはり原因は判明せず(CT検査の値段が高い!)。でも明らかに症状はあるし、今こうしている間も結構辛い。とりあえずしばらく経過を見ることになったが、どうなることやら。

ネットで類似した症状を調べてみたところ、どうも胸膜炎っぽい気がするのだが、ウイルス性の胸膜炎の場合、放っておいても直ることが多いと書かれているものの、胸膜炎は結核や癌などに伴って発生することが多いとも書かれていて、怖くなる。CTでは異常なしということなので、大病ではないと思いたいが、どうしても不安になってしまう。

ホイットニー・ヒューストンの苦い思い出

米歌手のホイットニー・ヒューストンさんが死去―48歳 - WSJ日本版

昔、とあるスーパー横の一角に小さなCD屋があった。今現在、そのスーパーの上には二階が増設されているのだが、そこは、今はその二階に上がる階段となっている僅かなスペースを利用した、本当に小さな店だった。
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確か高一の時だった思う。ある日、自分はその店にCDを買いに行った。しかしたかがCD一枚とはいえ、資金が潤沢にあるわけでもない自分はそれを買う勇気を中々出せずにいた。

そうやって狭い店中で小一時間迷いに迷っていたのだが、そろそろ気まずさも限界に達してきた。そしてその気まずさの後押しを受けて、もう買うしかない、と意を決した自分は、CDを手に取ってレジにもって行こうとした。ところがその時、ちょうど後から入ってきた客がさっと商品を選んで先にレジにもって行ってしまった。自分は狭い店内で余り他人とくっつきたくなかったので、その人物と少し距離を取ろうとして後に下がった。

すると馬鹿でかい警報音が店内に鳴り響いた。店の出口付近に設置されていた警報装置が手に持っていたCDに反応したのである。

ただそれだけで店主は何も言わなかった。自分もまた何事もなかったかのように平静を装った。だが、警報音が延々と鳴り続けていたのと、長時間狭い店内で迷っていた引け目もあって、内心は凄くドキドキしていた。そして前の客の処理が済み、自分の会計の番が回ってきた。

店主と商品のやり取りをするほんの僅かな時間。しかし自分はその僅かな時間の間のもたなさに我慢できず、血迷って、ちょうどレジの横に置いてあったホイットニー・ヒューストンのCDを手に取り、「これも下さい」などと言うに至ってしまった。そんなことしたら余計に怪しまれるだけなのだが。しかも手持ちの金がなかったらもっとややこしいことになっていたかもしれない。

幸か不幸か、財布にはちょうどホイットニー・ヒューストン一枚分の金額が余分に入っていた。しかしながら、それで手持ちの資金を全て使い果たすことになってしまった。決して無駄金は使うまい、という強い思いが発端となって生み出された痛い無駄遣いだった。

それ以来、ホイットニー・ヒューストンの名を聞くたび、この時の苦い思い出が蘇るのである。しかし、キョドって欲しくもないホイットニー・ヒューストンのCDを買ってしまったことは痛いほどよく覚えているのに、その時に一緒に買った目的のCDがなんだったのかは、今となってはもう全く思い出せないのだった。

ましになってきた

昨日起きた時は左耳が麻痺したような感じで殆ど聞こえなかったのだが、徐々に聞こえるようになってきた。まだ少し詰まったような感じがするし、右耳と比べると高音が聞こえにくいように思うが、後者はもしかしたら元々そうだったのかもしれない。左耳はこの症状が出る以前から常に耳鳴りはしていたりしたし。

ただ、症状が酷かった時はその耳鳴りさえも聞こえなくなっていた。そして音が徐々に聞こえるようになると同時に、また耳鳴りも聞こえるようになってきた。なんなんだろう、これ。またぶり返したりしなければいいのだが…。

朝起きたら左耳が…

痺れたような感じで、聞こえ難くなっていた。
このままだと、唯一の趣味だった音楽鑑賞や
音遊びをすることさえ難しくなるかも。

となると、もう本格的に何もすることがなくなるなあ。
本当にろくでもない人生だ。

「みんな一つになろう」という呼びかけが…

「あなたはそこにいますか」に聞こえてならないのだが。

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棄民の日常

原発事故でナイーブになった妹が避難のために横浜からこっちに帰ってきた。お陰で自分の気が休まらない。
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もうずっと前から座して死を待つ状態にある自分からすれば、この非常時もまたいつも通りの日常。こちらもまた、2~30年以内に大地震が来るのは間違いない、いつ来てもおかしくないと言われている。今住んでいる家はかなり年代ものの木造住宅で、おまけに阪神大震災でかなりのダメージを負っている。あの日、地震の最中に目を覚まし天井を見たら、家がひし形になっていたのを覚えている。なんというか、あれは悪意を感じるような揺れだった。そのせいでヒビは入ってるし、歪んで窓もちゃんとは閉まらない。遠くで車が走っているだけでも揺れを感じる始末。しかも家の中に安全な場所がどこにもない。

しかし、幾ら危険だと分かっていても、金や気力がなければ何もできない。仮に圧死せず生き残ったとしても、自分は人間の波の中で生きていく力がないので、ほんの少し死が先延ばしにされるだけで、どのみちソレが来たら終わりだろう。要するに――よ~し、俺の生存環境の崩壊と地震の来襲、どちらが早いか競争だ!みたいな日常を送っている。

社会的な抑圧を内面化し萎縮している者の中には、非常時になることでそのしがらみから解き放たれ、新たな人生を歩みだす人もいるという。しかし、自分は死というイベントをただ先送りにしているだけでしかない。生きたいという思いが微塵も沸いてこない。その程度の下らない人生しか送ってきていない。

そういう自分が想うのは、やはり向こうで自分と同じように抜け殻としての生活を送っていた人間のことだ。そういう人が中途半端に生き残ってしまったら…いや、そんなことは余り考えない方がいいのかもしれない。どのみち結果は同じなのだから。ならば、どうにもならないことを考えて無駄に苦しむことはあるまい。それよりも、ただいつも通り淡々と残された余生を過ごそうと思う。もはやこの人生に望むことは、いかに楽に死ぬことができるか、ただそれくらいしかない。

霜焼けの悪化

右足踵の霜焼けが悪化して中々直らない。

去年も同じような症状が出て、その時はもう踵の大部分がかさぶたになり、膿んでどうしようもなくなってから病院(皮膚科)に行った。それがあったので、今回は年末の症状が出始めた頃に直ぐに病院に通い始めたのだが、結局症状は改善せず、また前回と同じように悪化してきた。

こんな風に(グロ注意)
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今回は両足に症状が出て、最初は左の方が腫れて症状が重かった。ところがその左足がようやく治ったかと思うと、今度は右足の前回患った部分にまた症状が出始め、その後はもう悪化する一方。前回の跡もモロに残っていたし、一度患った部分というのは弱ってクセになるんだな。前回は飲み薬と塗り薬によって直ぐに症状が改善し始めたと思ったが、アレはもう三月頃で、ちょうど寒さがなくなり始める頃だったから、それも関係していたのかもしれない。

病院では「ちゃんと対策を取らんと何度でもぶり返すで」と言われたが、寒いんだからどうしょうもない。いちおう石油ファンヒーターを付けてはいるが、経済的な配慮から設定は一番低くしているため、室温は大体11℃くらい。とにかく着込みまくってるので、それほど寒いということはないのだが、足だけはどうしても冷える(靴下を二重に履いて、履くタイプの薄手のスリッパを履いて、その上からさらにユニクロのふかふかスリッパ履いているのだが)。

運動した方がいいとも言われたが、患部が足なので歩けないし、靴を履くのも難しいため、出来ることは限られている。というか、そもそも二日続けて長距離を歩いたことが切欠になって症状が出始めている(前回もそうだった)わけだから、余り長距離歩くというのもまた危ない。いちおう片足づつ(片足だけではなく、一方を曲げて一方を伸ばすタイプ)のスクワットを40回(片方20回)、その他幾つかちょっとした運動を組み合わせたものを二セットだけやっているが、もっと増やした方がいいのかねえ。余りやりすぎるとヒザを痛めそうな気もするのだが。だが今はかさぶたが靴下に引っ付いて剥がれ、クレーター状態になってしまったので、その程度の運動ですら難儀する。

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しかし霜焼けというのはこんなにも悪化するものなのだろうか。いちおう病院に行く度に「本当にこれはただの霜焼けなんですか」と訊いてはいるのだが。医者が言うには、冬だけ、特定の部位だけというのであればそうだと言うのだが。「あなたの場合ものすごく血行が悪い」らしい。まあ確かに子供の頃はよくアカギレなんかになったりしたものだが。

にしても、こういう身分だと中々病院にも行きづらい。経済的にも精神的にも負担が大きい。多分それで病院に行けずに症状を悪化させて死んで行った人間も結構いるんだろうな。

普通という状態を失うと、痛みが無いとか、或いは歩いたり走ったり、誰もが当たり前にできることができるというのは、それだけで凄く恵まれた状態だということが良く分かる。しかしその普通を維持することこそが難しい。これは社会的な問題についても言えることだけど(――野生の動物なんかは、ちょっとした怪我が即死に繋がったりする。つまり「普通」というのは実はかかなり環境的に恵まれた状態にあることを意味する。そしてその状態の獲得は、個々の力による結果ではない。そういった環境的恩恵を受けられない他の動物は、そういう状況に追い込まれると、いくら各々が努力を尽くしても、結局そのまま死んで行く。そしてそれは人間という動物にも言えることだろう。つまり個人の努力が個人だけの努力であるうちは、いくらそれを尽くしても良い結果には繋がらない)。

運命があるか無いかが問題なのではない

問題は、例えどちらであろうとも、自意識は単独で「自分」という状況をコントロールすることが出来ないということだ。

祖母が亡くなりました

享年88歳でした。こういう身分で後ろめたさがあるので、入院してから一度も顔を出したことは無かったけど、一応亡くなる前に顔を出すことは出来た。まあ、当人が自分のことを分かっているかといえばかなり怪しいけど。――というか、本当は自分が真っ先に死ぬべきなんだけど。勇気が無いのは生命力。
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その後のことだけど、普通の葬儀を執り行うお金は無いので、うちの家族と親戚数名だけが集まって焼香を行い、直葬という形を取りました。それでも二十万ほどの費用が掛かったようです。葬儀屋の言値だと、最低でも三十万以上は掛かるということだったらしいが、うちはそれが出せる費用の限界だということで、その金額に落ち着いた。でなけりゃ、こっちの生活も破綻しておだぶつになる。というか、直葬で三十万ってちょっとぼり過ぎだと思うけど。笑ってしまうほど大雑把な費用の内訳を見る限り、その殆どが人件費みたいだし。実際にはそう書かれてはいないけど。あれはちゃんと人件費として表示すべきだろう。その葬儀屋ではないが、父の知人なんかは、最初に提示された金額に加え、後から百万くら請求されたそうだ。あの業界は本当に胡散臭い。

そんなわけで、それはまあなんとかなったのだが、まだお墓の問題がある。すでに祖父の遺骨が納められているお墓があり、そこに祖母の遺骨も納めることになっているのだが、そのためには戒名をもらったり(なんなんでしょう?戒名一文字ごとに十万とか。金で故人への想いの大きさを示させるみたいな宗教は本当に最低だと思う)、墓を掘り返して埋めてもらったり、墓石に名前を彫ってもらったり、その他もろもろでまた相当な金額が必要になるということで、その費用が出来るまで(多分出来ないだろうけど)は当分自宅に遺骨を保管しておくことになった。

しかし、あの世も自由意志も存在せず、“自分”とはあくまで状況でしかない。そして葬儀も墓石も生きている者達のためにある。だから死んだらその後はもうどうなってもいい、というような宗教観を持っている自分からすれば、こういう儀式や仕来りにはどうも違和感を感じてしまう。まあそう言いつつも、お別れの時はちゃんと心の中でお別れの挨拶はしたけど。他人の宗教を尊重するのも大切なことだと思うから。

にしても、次の世代には自分みたいな者やワーキングプア、そしてこの手の仏事宗教や利権に不信感を持っている者達の割合が一気に跳ね上がることになるだろうし、こういうある種の弱みにつけこんだビジネスモデルはいつまでもつんだろうな。盛大な葬儀を行って費用が高くつくならしかたがないが、そうでもないのに掛かる費用の最低金額が不透明な上に高すぎる。それを工面するために残された者の生活が破綻したらどうにもならないと思うが。

なんも言えねぇ

北島康介とは逆の意味で。

でも何か言った方がいいような気もする。さもないとこのままずっと黙ったまま人生を終えそうだ。
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ものを言うというのは、様々な行為の中で最も簡単なこととされている。しかし、その行為を行うべきか否かをいちいち意味や価値の秤にかけて判断するようになれば、口を開くことさえ難しくなる。――自分の存在に意味や価値を感じることができない者であれば尚のこと(価値が無い者の行いもまた価値が無い、ということになる)。

多分、今自分に一番必要なのは、意味や価値という秤を捨て去ることだろう。まあどのみち後は死を待つだけの人生だが、そうであるが故に尚更、それが必要なのだと思う。

今年の正月は久方ぶりに

妹が帰って来るみたいで非常に気まずい。元々仲がいいわけでもなかった上に、もう十年以上も顔を会わせていないので、気持ち的には赤の他人が家にやって来るような気分だ。いや、自分の過去をよく知っている赤の他人だからこそ余計に気まずい。

で、職歴ナッシングのK点を遥か後方に置き去りにし、もはやこのまま記録を更新して飛び続けるしかなくなった自分に対し、その妹はと言えば、数多の職を渡り歩く職歴王となっているらしい。ゲストハウスを利用して何の当てもなく東京に進出する妹と、未だ室内冒険を続ける兄。このバランスの悪さは一体なんだ。人間が本来持っているはずの慎重さという要素を全てこちらが受け持ち、アクティブさという要素が全て向こうに行ってしまったかのようだ。

それは本当にデフレせい?

どうも違和感があるなあこの記事。

千円CD人気、デフレが伴奏 若者離れ、安値でテコ入れ(朝日新聞)

円高について一切触れていないのは意図的なものだろうか?最近散策していないので断言は出来ないが、輸入盤でも最近のもの、とりわけ比較的マイナーなヨーロッパ盤なんかは、今でも結構な値段(二千円代後半とか)がするんじゃないのか。クラシックの旧譜に関しては以前から元々安かった(五年ほど前に、バッハのオルガン曲全集20CDを二千円で買った)ので今更驚くこともない。それに邦楽の新譜は未だに三千円とかするんでしょう?売れ難くなってはいるかもしれないけど、値段は昔から全く変わっていない。再販制度に守られているせいもあってか。

レコード会社も動き出している。EMIミュージックは今年6月以降、ジャズの名門レーベル「ブルーノート」の有名作100タイトルを1100円で再発売した。今月9日には、さらに50タイトル増やす。うたい文句は「かつてない低価格」だ。

いやいや、ジャズやクラシックの千円盤企画なんて過去に何度もあったし、別に珍しいものでもなんでもない。「かつてない低価格」というのは、単に今までラインナップに載らなかったものがそこに仲間入りしたくらいの意味なんじゃないか(もしくはJAROか)。その他の洋楽だって千二百円企画とかがあったはずだ(この記事に取り上げられているような中途半端な編集版ではなく)。

企画盤以外に関しても、過去に何十万枚も売れた流行り物なんかはファッション的価値が失われると同時に中古市場に大量に品が出回って中古価格が暴落するので、新品をいつまでもバカ高い値段で売っていても仕方がない。そして一度元が取れた旧譜を低価格で販売するというのは必ずしも不健全なこととは言えないだろう。競争のために人件費を削って無理して低価格商品を作るのが問題なのであって。むしろこの業界が持つ問題は、旧譜や編集盤に頼らざるを得なくなっていることの方だ。それはこの業界の舵取りが下手だからなのかもしれないし、単に時代の変化によるものなのかもしれない。だがそれにしたってもうかなり前からその傾向は表れていたはずだ。

勿論デフレは様々なところに影響を及ぼしているだろう。だからそれが全く影響を及ぼしていないとは言えないし、これからもっと顕著な形でそれが表れ出てくるのかもしれない。しかしながら、この記事に書かれている現象だけに限ってみると、それは必ずしもデフレが主要な要因となって生み出されているものには見えない。むしろこの記事の方が、「まずデフレありき」で周りを固めていった結果生み出されたものに見える。つまり「デフレ」のインフレ化によるものなんじゃないかと。まあ今まで音楽市場に興味が無かった人から見れば、そう見えてしまうのかもしれないけど。

風邪ひいた×精神論を否定する物語が不足しています

風邪をひいてからもう一週間近く経つのにまだ直らない。まあ症状は咳が止まらないくらいで大したことはないが、もういい加減に直ってもらいたい。もし働いていたら大打撃だよ。まあ働いてないからいいけど。
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それでなくとも普段からずっと疲れ気味で、温度がちょっとでも変わるだけで鼻水が止まらなくなるし、おまけに慢性便秘で年中苦しいし、そのお陰で熟睡出来ることなんて滅多にないし、冷え性だし、ちょっとしたことでももの凄くストレスを感じてそれが長々と尾を引いたりして、ほんと脆弱なんだよな、この身体と感覚は。

その上自分の存在自体に後ろめたさを感じているから、ちょっとしたコミュニケーションを取るだけでもものすごい抵抗感を感じながらそれを行わなければならない。その結果、どうしてもその振る舞いが不自然で挙動不振なものになってしまうという。とにかく会話を成立させなければならないと思って無理やりそれを推し進めると、いつの間にか自分が思っていることと正反対のことを言っていて、それ以後それを前提に話を進めなければならなくなったりして。

この脆弱な感覚・性質を「努力と根性さえあれば何とかなる」と言って憚らない人間――つまり、己の意思で自分の周りの状況をコントロール出来る/してきたと思っている精神論者達に感染させることが出来る能力があればいいのに、と時々思う。その能力を使えば、一、二ヶ月でターゲットとする立派な社会人を駄目人間へと追い込むことが出来そうな気がする。そうなればその者達も、自分達が他人に押し付けてきたその考え方が如何に罪深いものであったかということに気づかざるを得なくなるだろう。

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日本で作成される物語の殆どは、非精神論者が悔い改めて精神論へと改宗するというようなものばかり。ならばそのカウンターとしてそういった逆の物語がもっと作成されていてもよさそうなものだが、実際には殆ど無い。まあ相手の主張や手法をただ反転させただけの批判というものが批判として如何に駄目なものであるかということは分かっているけど、それはまた別として、娯楽としてそういうものがもっとあってもいいはずだと思うんだけど。しかしそれが殆どないということは、やはりそれだけ精神論が幅を利かせているということなんだろうな。自分の思想が精神論を前提としたものであるということに気づいていないために、限定的な「精神論」を批判している精神論者も多いことだし。

一般市民「これが真の廃人という奴か…」

日立「我が奥義を受けるがいい…ッ!【Inspire the Next】ッ!」 無題のドキュメント

TDK「ぜんぶ聴かせろ!『Sound Nonfiction』!!」

…ってな感じのカセットテープのポスターが未だに部屋に貼ってある。何故こんなものを貼ろうと思ったのかは全く覚えていないが、剥がすのが面倒なので、中学の頃にこれを貼ったきりそのままにしてある。
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寒いから中々文章を書く気にもならない。どうせ何か書いたとしてもこれ以上につまらないただの嫌ごとにしかならないだろうと思うと尚更モチベーションが下がる。とはいえ、何も書かないでいるとそれはそれでまたストレスが溜まってきたりして。

で、何をしているかと言えば、何の目的もなくただひたすら寒さに耐えているだけという。コタツに入って音楽でも聴こうかと思っても、人が来るんじゃないかと思うと少し離れた位置にあるラジカセの音量を満足いく程度にまで上げるのも憚られる。まあ、所詮怒りと恨みだけを原動力とする廃人の生活なんてこんなもんです。自分からすればネトゲ廃人ですら活き活きして見える。

ここ数日の課題

「精神論を憎んでイチローを憎まず」

悪意が原動力

たまに正論みたいなことを言って非常に嘘臭くなるこのブログですが、基本的には悪意(怒り)が原動力となってそれが運営されています。
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ですから、どんなに奇麗事を言っているようでも、それは所詮悪意から生み出された言葉でしかありません。其々の記事は、その悪意がどのような形に変換されて吐き出されているか、という悪意のバリエーションでしかないのです。故に、何も悪意が湧いてこなかったり怒り疲れたりしたら更新出来なくなります。

多分自分がまだ生き続けているのも、その悪意の力が残っているからこそ。悪意こそが自分の命を支えている。それすら枯渇してしまった時、それが自分の死ぬべき時なのだろう。勿論、周りの環境との兼ね合いもあるけど。

余り褒められたものではない褒め方

・何かを貶し、それと比較することよって別の何かの素晴らしさを強調する。
・何かを批判する為のダシとして利用する為に何かを褒める。
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とはいえ、こういった方法を用いれば何も考えずに簡単に何かを批判したりその素晴らしさを訴えたりすることが出来るので、ついついその方法に頼ってしまい勝ちだ。

日本には「甘え」や「逃げ」を悪いこととして批判する人達が多いが、そういう人達がそれらを批判する時もまた、大抵はこういった安易な方法に「甘え」たり「逃げ」たりしている。

ついに活動期に入った

自分じゃなくて、ゴキブリが。

またつまらぬものを書いてしまった

と記事を投稿する度に思うのだが、
幾つもの記事に手をつけていながら、
結局最後まで書き上げることが出来るのは
何故か何時もそういものばかりなんだよ。
多分、つまらないと思っていると
気負わずに書けるからなんだろうけど。

まあ他の人から見ればどれも似たようなものだろうし、
単にその時自分が書きたいと思っていることほど
書くのが難しいというだけのことなのだが。

何もしない事ほど疲れるものはない

休息のように、何かの為、後々の為に「何もしない」というのは、
既に「何かをする」行為の一部としてのもの。

そうではない、ただただ「何もしない」ことは本当に疲れる。
ああ、命が削られて行ってるなあという感じ。
逆に言えば、ただそれだけが「行われている」。

ピンポンダッシュしていく子供らがいるのだが…

こういう時、リッパナ・シャカイジンだったらその子供らを捕まえて親のところに連れていって誤らせるくらいのことはするのかもしれないが、立場上自分がそんなことしたらこっちが犯罪者扱いされるし、そもそも家から出て行って注意することもままならないから我慢するしかないよ。

まあ人間であれ動物であれ、子供というのは元々悪戯するものなんだろうけど、同じ子供でも動物の子供だったらその悪戯も「かわいい~」ってことになったりもするんだろうけど、人間のそれには怒りしかわいてこないな。複数犯だから「社会性」を感じさせ、余計に腹が立つというのもあるけど。

この手のものは、大抵グループの中心人物がそれを企画立案し、周りの者を共犯者として巻き込む形でそれが実行される。こういう関係性は、大人の社会にもそのまま当て嵌まる。自分が幼かった頃のことをよく思い出してみれば分かるが、幼稚園にもなる頃にはもう既に明らかなロビー活動を行う者が出てくる。その時点でもう既に、個々の人間の政治力の有る無しにはっきりとした差がつき始めている。そしてその能力差の積み重ねは、当然大人の社会にも持ち越されていくことだろう。勿論、後にそれを獲得する晩成型の人間もいるだろうが、こういった子供の悪戯の中心にいた人物が、社会に出てもやはりそこで中心的役割を果たしているように自分には思える。だから腹が立つ※1、複数犯によるそれは。何故ならそれは、「子供の問題」であると同時に、「大人の問題」でもあるのだから。

 ***

そういえば、同じ子供の悪戯でも、自分が高校生くらいの時にこんなことがあった。

自動販売機でジュースを買おうとしてお金を入れ、どれを買おうか迷っていると、何処からともなく補助輪つきの自転車に乗った、4、5歳くらいとおぼしき子供が颯爽とやって来て、その一連の流れの中で何の躊躇もなく下の方にある人気の無いお汁粉系の商品のボタンを押そうとしたから、自分は慌てて適当なボタンを押して最悪の事態を回避した。そして一体何事だ?とその子供の方を見ると、その子は何の屈託も感じられない満面の笑みを浮かべたかと思うと、また颯爽と去っていた。この時ばかりは怒りがわくというよりも、「何だったんだ今のは…」と、ただただ呆気に取られるばかりだった。今のは本当にあった出来事なのか?と。ああいうのを「狐につままれたような」と表現するんだろうな。



※1 本当は自分に余裕や自信が無いのが苛立ちの一番の理由なんだろうけど。

何を今更な話

目的の達成ではなく、その目的へと向かう道筋、或いは何の目的も無くただ彷徨い続けるその変遷にこそ、その価値を認めなければならないのだと思う。

少なくとも、あらゆる「意義あるもの」は「意義無きもの」の存在無くしては存在し得ないし、「意義無きもの」からしか「意義あるもの」は生まれない。というか、そもそも「ある意義あるもの」は、常に他の誰かにとって「意義無きもの」であり続けるわけだし。

想いは届かず

いつも自分の頭の上にどでかい隕石が降って来るようお祈りしているわけですが…

「都市一つ壊滅したかも」小惑星あわや激突…豪学者が観測(読売新聞)

3日未明、直径30~50メートルの小惑星が地球の近くをかすめていたことが、オーストラリア国立大学の天文学者、ロバート・マクノート博士の観測で分かった。

 最接近時には地球からわずか約6万キロの距離で、博士は「衝突していれば1都市が壊滅するところだった」としている。(中略)

 地球への再接近は100年以上先になる見込み。

どうやら隕石乞いは失敗に終わったようです。もうちょっとだったのに。次のチャンスは100年以上先か。でも100年後に願いが叶ってももう意味がないしなあ。

それにしても残念。きっと自分の努力が、自分の小惑星に対する想いが足りなかったからこそ、小惑星は自分に衝突することが出来なかったんだ。きっと自分が変わりきることが出来なかったから、世界もまた変わることがなかったんだ。…精神論的に言えば。

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Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
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