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ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

一人ツイッター

・好きな言葉「心頭滅却して焼け死ね」

・「孤高の一人ツイッター」/取り敢えずハミってる奴は頭に「孤高の」とか付けとけば何となくそれっぽい雰囲気をかもし出せる。

・性的行為や欲求を嫌悪するのは、人間はただの動物じゃないと思いたいからなんだろうな。人間には理性によって感覚を律する能力がある、みたいに。もう少し言えば、そういった幻想を抱く理性勝ちな意識が内面でよりはっきりとした形で分化された状態になっている。

・「ええい、控えい、控えい!ここにいらっしゃるこの私をどなたと心得る!恐れ多くも“庶民感覚”の代弁者様であらせられるぞ」/結局“民”とか“庶民感覚”って、多数派である自分自身のことなんだよな。共有イメージとして神聖化されたそれらを一旦経由することで自己愛をロンダリングし、自意識的に無垢なまま自己を肯定をしようとする卑怯なナルシズム手法に辟易。

・そろそろ『Let It Be』をラリピーに置き換えたものが出回りそうな予感。というか、出てくる情報出てくる情報がいちいち今まで作られていたイメージと間逆のものばかりで呆れ果てるわけだが。しかし芸能リポーターとか絶対知ってたでしょ、こういった情報。今までそれをひた隠しにしながら虚構のイメージを作り続けてきたわけか。まあイメージ偽装はどの個人、企業でもやってるけどね。ただ余りに極端というか。

子育て成功/失敗の分水嶺

子供が「生まれて来て良かった」と思うことが出来たら子育て成功。幾らその者が破廉恥事件で捕まろうと、殺人鬼になろうと、人類の歴史的汚点としてその名を残すことになろうと、その者が本当に心から「生まれて来て良かった」と思うことが出来たならば子育ては成功。その親は胸を張って良い。こと子育てという分野に関しては。

逆に、子供が「生まれて来て良かった」と思うことが出来なかったら子育て失敗。例えその者がどれほど華々しい経歴を手に入れようと、如何に周りから祝福された人生を送ろうと、その者自身が「生まれて来て良かった」と思うことが出来なければ子育ては失敗。断じて失敗。
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社会的評価は子育て成功/失敗の根本的な判断材料にはならない。何故なら、所詮人は自分以外の誰かが幾ら悩もうが苦しもうが生きようが死のうがそんなことは大してなんとも思っていないからだ(そもそも、殆どの人間のそれを知りもしない)。

いや、それを大したことのように思えたとしても、それはその者の一部として内部に作り出された他者像の苦しみや生死が引き起こす自分の感覚を気にしているだけであって、純然たる他人のそれを気にしているわけではない※1。或いは、自分の人生にとって役立つ道具として、自分の世界観を補強(布教)するための、感情的満足を得るための材料としてその誰かを気にしてるだけだ。もしくは、己にとって邪魔な存在として如何に自分に影響を及ぼしているか、ということでその誰かを気にしているだけだ。

所詮人はそのような形でしか他人を評価出来ない。しかも世界は、「自分にとって」を「社会(世間・みんな)にとって」に置き換えることで己の主張の正当性を印象付けようと(そう思い込もうと)するインチキ野郎で溢れかえっている。そもそも、他人の感覚や経験を知ることすら出来ないのに、つまり評価下すのに必要最低限の前提情報を得ることすら出来ないのに、(評価する側の都合に依存しない)正当な評価なんて下せるはずもないだろう。だからそんな他人がどう思っているかなんて、世間がその者に対してどのような評価を下しているかなんて、そんなものは全く成功/失敗の判断材料にはならない。勿論、傾向的に言って高い社会的評価を獲得した者ほど「生まれて来て良かった」と思うことが出来る確立は高まるだろう。しかし、それは成否を判断するための根本的な判断材料にはならないということだ。

それでももしそれによってその成否を判断しようとするなら、それはその者が如何に他人にとって都合のよい人間であるかを判断しているだけでしかない。或いは、その者が如何に親にとって都合の良い子供であったかどうかを判断しているだけに過ぎない。

――ただ誤解のないように一応付け加えて置くと、別に成功した者の判断や行動が正しくて、失敗した者のそれらが間違っていたとかそういうことを言っているわけではない。誰も物事の因果を知ることは出来ないし、最善と思われる方向に最大限の労力を払い続けた結果が最悪の事態を招いたりするのが現実なので。



※1 他人に対する虚偽の情報を与えられてもそれを本当のことと認識し得る。また、虚偽の情報を事実として認識することによって作り出された感情、感覚自体は嘘ではない。

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プロフィール

後正面

Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
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※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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