なぜオカミに頼らず改革できないのか?(2)
大学の価値は入学から卒業までに、一人一人の学生にどのような付加価値を与えられたかがポイントであり、それがタイムラグを経て、新聞社などが作成する大学のランキング(評判)に反映していく。大学入試には、受験生家庭の情念が詰まっているが、社会全体の人材育成のプロセスとして、その比重はさほど大きなものではない。大学改革というならば、国際的に、単位や学位の価値が低く評価されている現状を、いかに打破するかという課題に取り組むべきだろう。本質的な問題へのアプローチを見失い、声の大きい人の意見に引っ張られ、出口のない袋小路に迷い込まない方が良い。AI時代の大学教育という観点から、大学設置基準や単位制度を見直すとともに、MOOCsのようなICTを活用したオンライン教育に、先進的大学が世界レベルの経験値を蓄えるために、実験的システムの設計、デジタルアーカイブ(授業コンテンツ群)の構築、教育プログラム開発への支援などの施策を講じて、高等教育の未来への布石に注力してもらいたい。大学側(特に国立大学法人)にも、オカミに頼ろうとする経営を離れて、学納金を始め広く自己収入を増やす方向に、教職員の働き方を転換してもらいたい。文科省(=オカミの役割を果たせなくなった偽りの主役)、国公私立大学(=オカミ頼りに陥りがちの本来の主役)ともに、危機感をもって、直ちに熱せられている釜から飛び出なくては、高等教育の未来像は描けない。
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