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 うええええっ!?
 ここで終わりなんですかーっ!!!?
 うーん……。
 今巻でのまとめかたは、駆け足感をぬぐえないかなー……と思いつつ、野梨原センセってこういう結び方っちうか終盤での筆致ってあるなぁ……とも思ったりして。
 なんちうか、キャラクターのそばから離れて、物語を見つめる第三者な意識が多分に現れているような。
 もう、そこから先は自分の関与するところではない、みたいな。


 ひとりの犠牲の上に世界の安寧が保たれるのであれば、その犠牲は認められるのか。
 もちろん、その犠牲が自分の手が届く範囲でなければという条件付きで。

 そんな社会に対する無責任な生き方を弾劾することって、これもまた野梨原センセの作品ではわりに見られる主張であるかなーとか。
 でもって野梨原センセは、今作ではフォルミカが、そんないびつな世界など滅んでしまえと叫ぶわけで。
 それはわがままかもしれないけれど、鮮烈で苛烈。
 みんなで生きられないなら、みんなで死のうと覚悟を問うているわけで。
 生きるも死ぬのも、みんなで分かち合うことを。
 少なくとも、「n-1」の状態を「みんな」とは呼び表さないことだけは彼女はハッキリしていて、そんな矛盾を誰も指摘しない世界を悔しく思っていて。


 きれい事では世の中は成り立っていないというのはわかります。
 でも、「犠牲の上に成り立つ世界」もきれい事では済まされていないとするならば、「そんな世界は滅べ」と言ってしまうのも決してきれい事だけではないと思うのです。

 こういう根幹に流れる野梨原センセの主張、好きー。


 でも、それだけに今作と「ちょー」シリーズとか他のシリーズで描かれることとの差異化はされていなかったかなぁ……という印象が。
 今作ならではの魅力っていうのでしょうか。
 フォルミカの能動的なところとか、わたしには魅力的でしたけれど、でもそういうオンナノコって野梨原センセの作品では定番ですしー(苦笑)。
 ……それゆえに野梨原センセの作品をわたしは好きでもあるのですけれ、どっ。


 ちゃ……ちゃんとしたのか、眞一郎?
 うー……。
 でも、あそこでさらにジタバタしなかったことは評価できるのかなぁ。
 それ以上に、ここ2話くらいのモジモジ感のほうが制作側の引き延ばしっぽく思えてしまったような。
 比呂美や乃絵は自分の気持ちに向き合って伝えているのに、それに対して眞一郎は返答を遅らせていただけなんだもんなー。

 とまれ、わかっていた展開にオチて意外性は無かったですけれど、そんな意外性の無さにもホッとしていたりして。
 もちろん賛否両論でしょうけれど、あれはあれできちんとしたひとつの答えだと思うしー。
 ちうか。
 高校二年生?くらいの年齢であれだけの対応できれば立派なような。
 むしろ、もっと恋愛について軽く考えても良いのでは?とか、わたしなどは思ってしまうくらいで。
 まぁ、そんな「遠い未来までの約束」を含めて目の前の相手と向き合う真っ直ぐさこそは若さの特権なのかなーとか思ったりして。
 若いわー、青春だわー(^-^;)。


 にしても終わってみれば乃絵はトリックスターで、比呂美こそが正ヒロインの座にきちんと納まっていました。
 だとすれば途中の描き方に対して、もっと、こう、なにかできたのではないかと。
 意図してミスリードを導き出しているようには思えなくて、どちらにも区切りをつけられなかった脚本の曖昧さを感じるのですがー。
 そんなウェイトのミス?が作品としては損している部分に思えてもったいなく。

 なんといっても、吹っ切れてからの比呂美の可愛らしさったらないんですもん。
 もったいなーい。
 もちろん乃絵の可愛らしさは言うまでもなく。
 最終回のEDが彼女に焦点を当てられていた作りだったのは良かった~。
 「涙」=「心をふるわすこと」と結ばれた今回、ひとりたたずむ乃絵の背中がっ、がっ!(TДT)
 乃絵が無くしたのは涙ではなく心だったのかなー、と。
 無くした……ちうか、見失っていた、かな。
 そんな失った部分を眞一郎との交流のなかで、また改めて見つけることができた。
 そう思うのです。
 東京国際アニメフェアに行くか行くまいか悩んでいたのですけれど、結局は行かずじまい。
 んー。
 最近のアニメシーンの盛り上がりを感じると参加もやぶさかではなかったのですけれど、昨日の盛況ぶりを聞くにつけ、または今日の天候もかんがみて、どんどん足が重くなって……(^_^;)。
 10時にはキッパリあきらめて、ネカフェで仕事してきました。

 ネカフェってコミックの単行本だけでなく雑誌も置いてあったなー……と思い出してパラパラ眺めたのですけれども。
 ひさぶりに見た『ッポイ』で、真さんがフラれているという事実に絶望した!(TДT)
 うえー、えー、ええーっ!?
 わたし、あの作品では完!全!に!真さん派なので!


 ……ああ。
 真さんって、智代とかヒカルの系譜につらなっていますね(^_^;)。
 そりゃ好きだわ。


 にしても、どうして真さんは真「さん」と呼んでしまうのでしょうか。
 中学生……なんですよねぇ?(苦笑)



 『Radio SchoolDays』#39 最終回
 「付き合う前から『ゼクシィ』買っちゃうもん」
 それは早すぎでしょ、河原木さん!?(笑)
 付き合いだすには結婚後の生活まで視野に入れて、その生活像を思い描けないならば付き合わない……って、へーほーふーん。
 付き合いだして3ヶ月で「結婚して」と言い出すのは、わたしはちょっと重いカンジがするかなぁ。
 でも、そこまで妄想を飛躍させる河原木さんは可愛いと思うー(^-^)。

 キモ&オヤジのキャラが突出してきた中盤すぎあたりは、なんとなーく悪ノリが過ぎるカンジがして避け気味になってしまいましたけれど、総合的に思えば河原木さんと岡嶋さんの飲み会的なトークにはホンッと楽しませていただきました。
 うまい別れ話を切り出す「誠の国から」や、妄想で思い描いた恋愛トラブルを真剣に相談する「妄想恋愛相談室」とか、斜め上気味なコーナーもわたし好みだったのかなーと。
 送ったメールを読んで頂いたのも良い思い出です(笑)。

 おふたりとも、お疲れ様でした。
 これからのご活躍を楽しみにしております。
 これまで育んできたモノが一気に開花したような感覚。
 これも「転」って言うんでしょうか?

 図書館に出没した痴漢騒動で小牧教官と毬江ちゃんの絆を描いたお話から始まり、昇任試験で堂上班(+柴崎)の人間模様を、そして差別用語問題を扱ったお話で『図書館』シリーズの根幹を見つめ直して、ラストは久しぶりの大規模攻防戦で派手に締めくくるというド派手な一冊。
 もう『図書館』シリーズの魅力満載っちう!

 でもこれってこれまでの2冊での諸々の積み重ねがあってこそ描けた内容であったかと。
 それだけに考えるのは、3作目にしてシリーズの集大成であるとともに、次の最終巻への転機となる巻であるなぁ……ということでした。


 小牧教官と毬江ちゃんの関係が前巻から最大の関心事(笑)になっていたわたしにとって痴漢騒動のお話は引き込まれたわー。
 3巻目で中だるみしそうなところ、一気に持って行かれたっちうか。

 二人の関係って、なかなか進展していかない堂上班長と郁の関係との対比でもありますよね。
 順調に関係を育んでいっている小牧教官と毬江ちゃんに対して、焦れ焦れしながらもある瞬間に二段飛び三段跳びで駆け上がっていく堂上班長と郁(笑)。
 まぁ、どちらもがんばれ!って思いたくなる関係ですけれど。

 ……あー、柴崎と手塚ですかぁ?(^_^;)
 あの二人はなんちうか、えーっと……まだまだですよね?(苦笑)



 昇任試験は意外な展開を持ってきたなーと。
 検閲闘争だけでなく、どちらかといえば日常的なシーンを描くという点で。
 もちろんこういう意外性といいますか、必ずあるはずの生活を描くことで物語に真実味が増すとも説得力が上がるとも思いますけれど。
 郁が図書隊員になってくれて良かった~と思えた展開でした。
 読書が「象牙の塔」で満足することなく、次の時代を生きる子供たちへ行為として伝わっていくこと。
 それを教えてくれる人って大切だなぁ……と思うのですよ。
 それも強制ではなく、自発的な関心を植え付ける手法で。


 差別用語の件についてのお話は物語のベースにある仕掛け以外には、柴崎×手塚の関係を深めるといったエピソードでしかなかったように思うので、あまり……。
 その意味するところがシリーズとして重要な部分を担っているとはわかっているつもりなのですけれど、もー。

 むしろ重要という意味では次の茨城県展警備のほうが?
 もともと原則派と行政派の内部対立という面は描かれてきていましたけれど、それにしたって関東図書隊あるいは各図書隊の中で済んでいた対立構造であったわけで、この県展警備のお話はもっと大きく、組織として全国が一枚岩ではないことを明らかにしたわけで。
 さらにはこれまでその存在で図書隊を支えてきた稲嶺司令が勇退することで、いよいよ隊員各自に「図書隊員」としての意味を考えさせ抱かせるっちうかー。
 あー、これは『図書館「危機」』でありますなぁ……と、タイトルに納得がいった展開でした。

 にしても茨城図書隊の業務部と防衛部の対立は陰惨だなぁ……。
 いや、対立じゃないか。
 防衛部のほうが一方的に虐げられているだけですし。
 有川センセのうまいと思えるトコロは、もちろん目に見える動的な部分を描かれることにセンスを感じる(端的にアクションを明示できる)だけでなく、こういう精神レベルでの闘争?を描けるところにあるのではないかなーと思うのです。
 それって、つまり、葛藤ってことだと思いますし。

 ことにセンセが女性だから……というのはうがちすぎかもですけれど、女性の精神面での駆け引きが、なぁ(苦笑)。
 悪意を目に見えるかたちで表現してくるっちうか。
 だけれどもそうして目に見せておきながら、同じ女性であることに郁が引け目を感じているところに――

「お前はそのときのお前と同じ思いを他人にさせるようなことは思いつけないよ。お前はそういう人間だ。そういうことは思いつける人間と思いつけない人間がいるんだ。お前はそもそも思いつけない奴だ」
「あ……あたしだって、本気で傷つける気になったら、」
「お前はな、喧嘩になるタイプだよ。本気で喧嘩になって本気で傷つけるんだろうよ、相手を。それで自分も本気で傷つくんだろうよ。でもこんな悪意は思いつけない」

 ――と、同じではないことを認めてくる堂上がッ、がッ!(≧▽≦)
 ひゃー、じわじわ接近してきたわー(笑)。

 でもって、そんなドロドロとしたゆがんだ構造も防衛戦が明けたときには問題解決に向かっていたのですけれどもー。
 立場が悪くなった業務部が曖昧な謝罪をしようとしたところへ郁の怒りがドンッと落ちたわけで。
 うんうん。
 郁のこういうハッキリとした意志表現って、ほんと好感。
 先述の堂上が評するところの「喧嘩になるタイプ」って、こーゆーところも含んでのことなのではないかと思うー。
 手塚のお兄さんも言ってましたけれど、直感的といいますか感覚派といいますか(笑)。



 いやいや、ホンッと面白かったわー。
 これだけのことを描いてしまっては、締めとなる次巻が楽しみでもあり不安でもあり……。
 早く読もっと!


 人間のみならず、生きとし生けるもの全てを「遺伝子を明日へと運ぶための器」として考えるなら、存在するだけで「意味」はあるのだと思う。
 いまはその「意味」を見いだせなくても、いやむしろ今の時代に「意味」が無いからこそ「明日」にはその「意味」が明らかになる可能性があるわけで。

 でも、「意味」と「価値」は違うわけで。

 「明日」になって判明する「意味」が、世の中に「毒」をまき散らすだけの存在であったというものであれば、それは多くの人にとって「無価値」であり「有害」であるということ。
 でも、その「毒」がもしかしたら人間に仇成す存在への切り札になる時代が来るかもしれない。
 「価値」は、人によって、時代によって変わってしまう定義でもある……かなと。
 だからある人によっては「大切な人」であっても、別の人には「どうでもよい人」になってしまうのかなー……。



 「どうして人殺しをしてはいけないのですか?」
 という問いかけがたまにWeb界隈を走りますけれど。
 以前はこの問いに対する答えを――
 「人間は社会の中で生きる存在であるから、その社会を脅かす存在は許されない」
 ――と考えていました。

 でもなぁ……と、ふと。

 先述のように、人間という存在は「可能性」のかたまりであるという「意味」があることに気付きました。
 人を殺すということは、そのあまたある「可能性」を消し去ってしまうこと。
 それは人殺しをした人が生き続けていくことで成し得るかもしれない「可能性」と定義の上では同等であるわけで、そして誰しも「ひとひとり以上の可能性」は持ち得ていないわけで。
 つまり、人を殺すと言うことは、その人がもつ「意味」だけでは負うことも償うことも埋め合わせることもできない「責」であると思うのです。
 絶対的に。


 ただし社会を営む存在として「価値」が無いと、その者が持つであろう「可能性」では対価にならないほどに「無価値」であると、そう判断されるのであれば、社会がその「責」を負うことで「排除」することも仕方のないことだと思うのです。
 もし将来、ここで無くした「可能性」のために世界が終わるのだとしても。
 今日と明日と、そしてもう少しだけ先の未来のために、ひとつの「可能性」を失ってでもいまの社会を守りたいと願うのならば。
 その覚悟を社会で共有できるのであれば。



 「意味」の無い人間なんて、いないのだと。
 でも「価値」の無い人間は、いるのだと。
 「殺す」という「行為」は、この社会この世界に生きる存在として許されることではないと。
 でも「殺したい」という「思い」は、相手を「無価値」だと判断した結果ゆえなので仕方のないことではないかと。

 そんなことを考えた三月下旬。


 だから、「意味」だけでなく「価値」を自分に見つけていこう、授けていこう。

 そんなことも考えた今日この頃。
 『フタコイ オルタナティブ』が再放送決定!!!
 金月さん脚本のなかでも最高傑作の一本と信じているので、この再放送は嬉しい!
 このまえカラオケで「ぼくらの時間」を歌ってきたところだったよ!
 なに、このハッピーサプライズ!(≧△≦)

 三角関係の果てに刃傷沙汰とか、それまでの気持ちを裏切るかのごとくあっさりと別れを切り出してきたりとか、昨今のオタ作品においては恋愛がネガティブな方向に向きがちな気がするのですけれどー。
 がしかし、この『フタコイ オルタ』はすごい。
 思い切り悩んで悩んで悩み抜いたあげくに導き出した答えが――「3人でいたい」。
 やーもー、器が大きいんだか飛び抜けてお馬鹿さんなのか。
 でもその気持ちにはいい加減さはなく本当にココロから思っているんだなぁ……ってことが感じられてすがすがしさがありましたですよ。

 で、その「3人でいたい」気持ちを突き通すために、砲弾飛び交う中を恐れずに乗り込んでいく様が呆れるほどに格好良くてですね。
 思いを貫き通すためには、主人公がその身ひとつで駈けだしていく。
 わたしの好きな典型的なパターンなのですよ~ん♪

 そして平穏な毎日に戻って、三人一緒になって眠っている姿が幸せそうで嬉しいったら!


 ――やばい。
 思い出していたら、ひとり盛り上がってきてしまいました。
 再放送、見る!(><b
 でも、わたしのトコロだとTVKで視聴することになると思うのですけれど、日曜の25:30ですと『隠の王』とかぶるんですよねぇ……。
 うむむ……。
 今日も今日とて通販物のお受け取り。

 そんな中で届いた『milktub 15th ANNIVERSARY BEST ALBUM BPM200 ROCK'N ROLL SHOW』が、ものすごく素敵すぎるわ!(≧▽≦)
 期待通り、いや、期待以上のボリューム!
 ロック系のエロゲミュージックでは、ひとつの集大成のような。

 「グリーングリーン」には代表されるガールズロックを中心としたDISC01。
 milktubのおふたりで奏でる男臭いハードロックのDISC02。
 ロックと言っても収録されている内容には幅があって、それだけに聴き応えも十分。
 しかもゲーム主題歌の再録がほとんどかと思いきや(もちろんそれでも良かったのですけれど)、アルバムMixな曲やオリジナル曲が思いの外多くて嬉しいサプライズですわ~。


 ちうかね!
 Special thanks へ名を連ねる人がすごすぎ!
 いまのエロゲ音楽のシーンでロック系に分類される人がこれでもか!ってくらいに。
 さすがmilktub……さすが15周年……(^_^;)。


 それしても桑島由一センセの作詞はハートに響くわ~。
 言葉遣いがセンス溢れているっちうか、独創的っちうか。
 「Ever Green」とか「ガッデーム&ジュテーム」とか弾けすぎでしょう!みたいな。
 ことにDISC01の「グリーングリーン」から「Ashberry」までの連続5曲は引き込まれるわ。
 各作品の主題歌オンパレードということもあるかもですけれど、この5曲、ほんっとに「世界」を作ってる~。


 そして『らき☆すた』の4人が歌う「男子ムリムリ大改造」は、はたして畑亜貫センセらしいブッ飛んだ歌詞でした……。
 そんなイカレた歌詞がまた、milktubの曲に合ってるんですよねぇ(笑)。


 でもって同封のペーパーで告知された第二文芸部のツアーファイナルのチケ申込を早速!
 気付くの遅れて締め切り日が過ぎてて東京公演は申し込めなかったのDEATHよ!(T▽T)
 抽選の神様、お願いします!(><)
 いまにも壊れそうな脆さと危うさの中でかろうじて姿を保っている世界。
 そこで奇跡のようなバランスでもって居場所を見つけている人たち。
 あー。
 わたしが感じる白倉センセらしい作品でしたわー。

 にしても前巻以上に自叙伝のおもむきが強いなぁ……。
 そうした自らの内面に踏み込む描き方すら、実のところ白倉センセらしいと思えてしまうのですけれどー。
 んでも、センセの場合、なんちうかその書き方は自傷にも近い雰囲気を受けるのですよね……。
 世界の有り様と重ねて、不安になってしまうっちうか……。


 それでも今作はセンセご自身が仰るように「初めてのハッピーエンド」でもあることから、そうした視線の向け方はなにかの扉を開けたのではないかなー……と思ったりして安堵するのですけれども。
 うん。
 これはたしかにセンセの作品にはいままでなかった読後感でした。



 ちうかさ。
 白倉センセの作品は「通過儀礼に挑む少年少女」を描いていると思うのですけれど、しかし「通過儀礼を果たした、その後」については描かれないといいますか通過儀礼を越えても倖せであるとは限らないというような暗喩で示されるといいますかー。
 世界はどこまでも少年少女には厳しいものだと表していたように思うのです。

 それが今作では少女が大人になる、まさに通過儀礼をくぐった果てに倖せを見つけるという展開であったわけで。
 むしろ倖せを掴むために通過儀礼を為さねばならないと、既作とは逆の視点で描かれた作品だったような。

 今作が自叙伝的位置づけであるように思えるところも含めて、少し違うステージへと移られたのではないかなーと思ったりして。


 月末ということで通販で申し込んだモノが次々と送られてきたりして。
 うーむ。
 こんなにDVDを注文していたんですか(笑)。



 Webラジオで声優さんがモノマネするというのは、いまやなにかの潮流になってるのでしょうか。
 『true tears こちらチューリップ放送局』での眞一郎の母さまのマネが恐いです(T▽T)。

 にしても母さまのキャラ名は「眞一郎の母」なんですね。
 公式サイトで見て驚いたー。


 『そのままの僕で』を聞くと、第10話での自転車で比呂美を追いかける眞一郎の姿を思い浮かべてしまってプチ感動状態。
 と同時に「全部ちゃんとするから」の台詞まで思い出しちゃって、感動と同じくらいにげんなり。
 当時言われたように、ここで最終回で良かったような気がしますよ、いまでは……。
 次が本当の最終回ですけれど、どうなるのか……。

 第10話の時点では比呂美と仲良くすればいいよ!とか思っていたのですけれど、そのあとの2話の流れを見ていたら、それもなぁ……という気分に。
 だからといって比呂美から離れて乃絵と仲良くなるのもなぁ……。
 うーん……。
 ホント、どうやってこの三角関係を落とすのか、気になります。
 なんちうか、眞一郎は情けないのではなくテンパっちゃっているのかなぁ……と、ちと同情。
 自分自身も含めて、状況が見えてないことから推察したり。
 でも、そんなかっこ悪さの中でも、なんとなく大切なモノへと歩んで行けているような?

 つまりオトコノコよりオンナノコのほうが、一歩先に大人に近づくってことなの?
 ……三代吉は、えーと、そのー(笑)。
 あ。
 あのふたりは男女間の年齢差が逆転してるから大人へ近づく行程も逆転されるのですよ!
 たぶん(^_^;)。

 比呂美とのことはー……んー……。
 あまりにも近すぎたっちうか、同化しすぎちゃったのではないかなーと思えたり。
 憐憫っちうか、自己愛っちうか。

 ――なんてことを粛々と考えながら見ていたところに、あのラスト。
 乃絵――ッ!!!(><)
 to be continue じゃねぇですよっ、もう!
 そこで引くかーっ!?

 同情はする。
 でも、次こそは飛べるんでしょうねぇっ、眞一郎!!!
 飛ばずに乃絵を泣かしたあげくに比呂美の腕に抱かれてみろ。
 ゆーるーさーんんんんんんっ!
 もうすぐ発売になる『鋼鉄の白兎騎士団Ⅵ』。
 表紙はセリノス&ノエルノード姉妹ですって!
 んきゃーっ!(≧▽≦)
 でもオビのコピーでは――
 「入団試験なんてそっちのけ!? ガブリエラ VS ドゥイエンヌ!」
 ――ってあるんですけれど、どんな展開に?
 新入生が来て雛たちにも後輩ができるって流れだとは予想できるのですけれどもー(^_^;)。



 WOWOWでボクシングを見たのですけれども――。
 なんなのでしょうか、このスピード感は。
 手数とか体の動かしかたとか、日本の民放で流れるそれとは全く異なるスポーツみたいで。

 柔道とJUDOが違うと言われるように、日本人にはボクシングというものの本質は会得できないのかも……。
 どうしても、こう、武道的ななにかでとらえてしまっているような。
 楽しみに満ちた日常の裏側で、ほぼ同時に進行しはじめる暗躍。
 動いているキャラクターは変わっても『アリソン』の頃からと構成は変わっていないなー。
 落ち着く反面、それで良いのかなぁ……とか不安にも。
 定番といえば言えますけれど、それってマンネリと紙一重かなーと思えますし。

 んでも『リリアとトレイズ』と異なる心境でいられるのは、やぱし、旧作のキャラクターが出張っていないことでしょうか。
 唯一既知であるメグミカにしても、どういう行動規範で動くのかわかってませんし。
 新鮮な楽しみ?みたいなー。


 ラリーとニックのテンポ良い会話とか、時雨沢センセらしい楽しさにあふれているなーと感じるのですよー。
 生きている会話というのとも違くて、むしろ生き生きとしている文章とでも言いましょうか。
 これぞライトノベル!という気もするのですけれど、地の文を多くする最近の傾向からすると、少し時代が古いラノベの様式なのかもですが(^_^;)。


 まぁ、でも、しかし。
 物語としての構成にはうなずけても、この上下巻という販売体制はどうなのかなー……とか思ったりして。
 たとえばキャラクターの個性をひとつでもハッキリさせた上で区切っているワケでもなく、ただただ事件へのイントロまでへの時間を動かしただけの内容っていうのはなぁ……。
 次巻への引きという点からすれば、ここでひとつ分けるというポイントであるには違いないのでしょうけれど。

 ……でも、「このあとどうなるの!? もうwktkが止まらない!」ってトコロで引いているわけでも無いような。
 まだまだ安全地帯にキャラクターはいるわけで。
 うーん、うーん……。
 このあたりがギリギリのラインなのかなぁ。
 上下巻にするため、であるならば。


 2008年女子カーリング世界選手権の日本初戦、vsイタリー!
 最終エンド、最後のショットでの逆転により勝利!
 やっば、これぞカーリング!というくらいの面白さを見せてもらっちゃったわー。

 最終エンドの先攻だったイタリーのショットが正確性を欠いたという幸運もあったのですけれどー。
 でも、どんなショットであろうと気を抜いてはいけないというものがカーリングです……よね?ってことでー。



 姪っ子が携帯電話を持つことになったのでメアド交換したですよ。
 で、機会あればメールを送りあっているのですけれどー……。
 どこまで漢字を使っていいのかわからない!(><)
 小学生ってどこまで習っていたっけ!?
 漢字だけでなく文章も、こう、どういう書き方をしてよいのやら(笑)。
 絵文字とか使わないといけないの!?(普段使ってないのよ)

 どうにもならないので、お堅い大人なメールで返してます。
 ……そのうち相手にされなくなるんだろうなぁ(T▽T)。
 行きの電車の中で読んでいた本が読み終わらなくて、それがあまりにも気になりすぎたために秋原UDXの chiocciol@ pizzeria のテラス席に陣取って読み進めたり。
 天気良かったからって! ギネス1パイント片手に! 往来で! 素敵な本を読書!
 ――はぁ~、倖せや~(´Д`)。



 キャラ萌えリテラシー。(Something Orange)
 エロゲで「本物の」美少女を描く難しさ、或いは安直な美少女表現への批判(Half Moon Days)

 媒体がラノベだったりエロゲだったり同一ではありませんけれど、3次外での「美」を考察していたところが重なっていたので印象深かったり。


 わたしは設定としての「美」(可愛いなども含んで)は、キャラが立つ上での基礎点でしか無いと思うのですよ。
 Something Orange さまで指摘されているように、どれだけの修辞を重ねたところで「美」の大きさが設定以上に強められることは無いと思うので。
 だもので例としてあげられている『とある飛行士への追憶』の引用部分についてもさして意味無い部分として斜め読みしてしまっています。

 でも全く意味がないというのかといえばそうでもなく、基礎である「美」についてどれだけの考察を行っているかという筆者の準備について察せられる部分であるので、重ねての修辞が無駄だとは思わないのです。
 ただ「設定」として加えただけではなく、この場合の「美」について筆者はどう考えているのかイメージがある……ということへの証明だと思うので。


 Half Moon Diary さまでは「丁寧に描写されれば(中略)可憐さが伝わってくる」と、ちょっと逆の指摘をしてますけれど、まぁ、エロゲはビジュアルありきの媒体ですし指摘するところが異なるのも当然なのかなーとか。
 そもそもテキストのルール?が異なっているので、一元化は無理だと思いますし。

 でも、だからこそ3次外の媒体で「美」を語るときの要点が浮かんでくるのかなーとか。
 それは、ラノベだろうとエロゲだろうと――

 登場するヒロインの容姿が可愛い(美しい)のは不文律である

 ――ということです。
 なぜならそこで描かれる物語は「現実」ではなく「理想」であるべきはずだから。
 主人公が男子である場合、関わってくる女の子たちが普通の容姿であるというような「現実論」では物語が成立せず、「理想論」である「可愛らしさ(美しさ)」でもって紡がれることも当然だと思うのです。
 つまりは「理想論」という異常性の上で成り立っている媒体である、ということでしょうか。

 誰だって見目麗しい相手にかまってもらいたい基本があります。
 そこでは自分(の感情移入対象である主人公)がカッコイイかどうかは問題ではありません。
 むしろ「格好良くない自分(主人公)にも感情を向けてくれる『可愛い(美しい)』ヒロイン」という構図のほうが、現実とは異なる理想を描いてくれているために良いのかもしれません。


 で、まあ、みんなが可愛かったら(美しかったら)相対的には「美しくない」ってことになりませんか?という話であると思うのですよ。
 ええ、そうの通りです。
 Half Moon Diary さまでは他のキャラクターとの差別化をするための手法として「ヒロインを慕うファンクラブの有無」を挙げられています。
 あー、まぁ、そういう物証的な比較もできるでしょうけれど、ちょっとそれは対象とするヒロインの枠から外れたところかなーと思ったりします。
 そんなアタッチメントみたいな設定で、他者と比較して勝利となるまでの「可愛らしさ」を得ることは出来ないのではないか。
 仮にファンクラブがヒロインから離れて他のキャラへ移ったとしたならば、その「可愛らしさ」まで移行してしまうことになってしまいます。


 んーと、わたしが思うところの差別化って、「ヒロインの行動様式」ではないかなーと。
 ビジュアルとしての可愛らしさはヒロインとして持ち得ている当然の資質であることは先述しました。
 そのうえで「モブキャラとは違う行動を為す」というポイントを加えられたキャラこそが「可愛いヒロイン」になるのではないかなーと思うのですよー。
 柔らかい物腰とか、凛々しい指導力とか、旺盛な挑戦心とか、過度の自虐趣味とか、周囲への無関心とか。
 もう、とにかく「一般的ではない言動」こそが3次外媒体における「可愛らしさ(美しさ)」の要点であるのではないかと!
 よってラノベやエロゲの送り手が重視すべきは外見がどうのという記号論の末端ではなく、もっとキャラクターの行動起因となるべく性格や嗜好・思考の部分であると思うのです。

 Half Moon Diary さまで取り上げられている『とらドラ!』の逢坂大河嬢を思い出してください。
 彼女が可愛らしいのはそのミニマムでお人形さんのように整った容姿ですか?
 思いこみが激しくて強引なところがある反面、泣き虫だったりドジッ子だったりする言動のギャップが「可愛らしい」のではありませんか?
 Something Orange さまで取り上げられている『とある飛行士への追憶』でファナが可愛らしく思えるのは、旅立ったあとで見えてくる彼女の強い気性の部分でありませんでしたか?



 このような流れを踏まえた上で指摘するのですけれどもー。
 キャラクターを設定する際、「ツインテール」だの「メガネ」だの、外見に関わるところで差異化させるのって大きな意味は付与できないのではないかなーとか。
 もちろんそういう嗜好カテゴリーが現状で存在することは知っていますし、それがまた「萌え」という枠組みで受け入れられていることも知っています。
 でも、それは受け手である消費者が築く結果論であるべきで、送り手である制作者がそうした記号でキャラクターを立たせようとすると失敗するのではないかと思うのです。
 アクセントとして用いるまだしも、当該キャラを説明するときに――
 「このキャラは『メガネっ娘』です」
 ――なんて説明は恥ずかしくないですかーと。

 「ツインテール」だの「メガネ」だのは絵を見ればわかること。
 キャラクターを活かすのって、一見してわかることだけでは済まされないトコロにキモがあると思うのですよねー。



 しかしながら「行動様式」を登場したその瞬間に受け手に理解させるというのはなかなかに難しいトコロです。
 もちろんそれができれば「つかみがOK!」ということになりますし、そういう印象深い登場シーンを描ける人こそ優秀な書き手ということになるのでしょうけれど。
 んでも、世の中そうした優秀な人ばかりではないでようし、だからこそラノベなら挿絵が、エロゲなら立ち絵やイベント絵など、外見で印象づけられるビジュアルとのセットで売り出されているのだと思うのです。
 受け手の感受性、そして送り手の力量へのハードルを下げる意味で。

 あ、べつにこうしたことを言うからといって「文芸作品のほうが立派である」ということを主張しているワケではないです。
 ただラノベやエロゲのほうが大衆へ受け入れられやすい手法を考えているということだと思う……ということです。
 おそらくそうした大衆寄りな構造を、たとえば「文壇の偉い人」たちは嫌っているのではないかなーと推測したりもします。
 俗っぽさが、ね(^_^;)。

 ……あるいは「書き手」ひとりで勝負してないという手法がフェアに思われてない、のかも。
 ビジュアルがなければ印象づけられないのか!とか。
 こちらとしては「そういうルール(感性)で勝負するのも勝手ですけれど、残念なことにわたしたちのルールとは違うみたいですね」としか言えませんけれど、もー(´Д`)。



 ――ああ、いわゆる「越境作家」という方々は、こうしたビジュアルの恩恵を受けずともキャラクターを印象づけることができる人たちのことを言うのかも。
 となればこちらののルールをひとつ制覇した上での飛躍なのですし、やはりその実力については折り紙付きと言わざるを得ないのでしょう(好き嫌いは別にして)。
 
 4,000円も払って、あのメニューはないわー。
 お見送りの会があったわけですけれど、出されたメニューにがっくり。
 まぁ15人くらい集まったのでコースにするしか無かったわけですがー。
 なんだかションボリなお見送りの会になってしまった……。



 「KSL Live World 2008 ~Way to the LittleBusters! EX~」と「OTSU #02」の開催発表ががが!
 もー、今年はチケット争奪戦に負け続けてるので、ここらで一発キめたいところ。
 いや、ホントにですね……これは行きたいっ!(><)



 仙桃茉莉花茶を買ってみました。
 先日から「お茶」を飲みたい欲にかられまして、買おう買おうと思っていたところにお店で見かけたのでエイヤッ!と。
 コップにお湯を注いでしばらくしたら茉莉花の良い香りが漂ってきたのでそろそろ飲み頃かなーと口に運んでみたのですがー。
 コップの中を覗いてビックリ。
 お湯を注がれて花が開いたその姿、なんだかグロくないですか……?
 宇宙生物みたい(^_^;)。

 Webではイソギンチャクと評していた人もいましたし、ああ納得(笑)。
 お茶そのものは香しくて美味しかっただけに、なんとも言えずっ!(><)
 脇が固まってきて俄然面白くなってまいりました!
 といっても鮮やかになってきたのは女性陣のほうばかりで。
 柴崎しかり、初登場の毬江ちゃんしかり。

 男性陣のほうはさー、真面目でバカでラブリーな方向に行っちゃって。
 あの小牧教官ですら、その行動理念の軸が見えてくれば堂上教官と同レベルかそれ以上のシンプルなお馬鹿さんですよ?

 毬江の意志を無視して、毬江の感性を否定する論法には、誰が決して膝を屈するものか。
 あの子が自由に本を楽しむために。そのために、毬江に対してだけ正義の味方でいられたら、
 それ以外のことはどうだっていいのだ――


 飄然とした中に、どんだけパッション詰め込んでいたんですか、この人は!
 世界を見る基準が「毬江ちゃんとそれ以外」なんて!(≧▽≦)
 そんな愛すべきお馬鹿さんに3回も失恋して4回目の恋を成就させようとしている毬江ちゃんはスゴイ。
 恋するオンナノコは、ほんっとパワーがあるわー。

 有川センセの筆致がまだ、そんな毬江ちゃんの心情と、彼女を応援する郁と柴崎の憤りを見事に書ききってるんですよねぇ。
 このあたりが今巻から面白くなってきたトコロかも。


 柴崎にもいろいろありましたけれど、まあ、美人の恋愛は難しいってことでー。
 んでも今回は恋心に惑う様より、郁をはじめとした仲間を陥れられたことに対して見せた怒りが鮮烈すぎて。

「残念ながら、あんたたちあたしの逆鱗に触れたのよ」

 こ……こわー(TДT)。
 郁のように感情を表に出さない分、その下に流れる強い怒りが……。
 自分のせいで仲間が傷つけられたというのに、このときの柴崎には表だって仲間を助ける行動を起こすには制約があったのですよね。
 そのやるせなさがまた怒りを倍増させているっちう……。
 そうした「義」を持つところを見せられたら、彼女への評価も変わりますって!
 イイ女!(≧△≦)



 物語としては敵がハッキリしてきたカンジ?
 誰ひとり固有名が出てこない良化委員会なんてヤラレキャラもいいとこでしたし。
 倒すべき、乗り越えるべき相手というのは、いつの世も身内から輩出されるんですねぇ……。
 手塚兄の言うことはもしかしたら一理あるのかもしれないけれど、どんな理屈にだって一理くらいあるわさ。
 でもやっぱり気に入らないのは、自分は傷つかないところでのうのうとしているところなんですよねぇ。

「お膳立てされた舞台で戦えるのはお話の中の正義の味方だけよ。現実じゃ誰も露払いなんかしてくれないんだから。泥被る覚悟がないんなら正義の味方なんか辞めちゃえば?」

 という柴崎の言葉。
 言ってみれば手塚兄はこの「お話の中の正義の味方」なのかなーと。
 綺麗な戦いを成し得たい。
 そしてもちろん綺麗なことをすれば綺麗な勝利が待っていると信じて疑っていない。
 その純真さが気持ち悪い。
 夢を見る歳でも無いでしょうに。
 ……あ、違う。
 夢はいつまでも見続けていい。
 でも大人になるってことは現実も見ることであるから。
 毬江ちゃんですらツライ現実と向き合って、夢をかなえるために大人になろうとしているのに。

「汚名を着てまで守りたいものがあるから、図書隊員は隊と一緒に泥を被るんだと思う」

 そんな柴崎の言葉に対して、郁の答え。
 きれい事では済まされない道を歩むのはとてもツライこと。
 でも、一緒に歩んでくれる仲間がいるなら、そのつらさも支え合って歩んでいける。
 手塚兄の言動からは、そんな仲間を思いやる姿が見えてこないワケで。
 だからどんなにきらびやかな文言であっても、どうにも軽く、安く、聞こえてくるのかも。


 やっぱりね、理屈の正しさなんかより、そこに自分以外の誰かの倖せを願う気持ちがあるかどうかが大切なのだと思うのよーん。


 アーサー・C・クラーク氏が亡くなられたそうで……。
 氏の作品と比べると歩みは遅々としていますけれど科学はここまで進歩してきました。
 やがては氏が見た世界にまで辿り着ける日も来るでしょう。
 いつかの未来で待っていてください。
 ご冥福をお祈りいたします。
 表紙で弓引いているオンナノコ、誰だっけ……?と思い出せなくて焦ったりしたのですけれども、今巻での新キャラだったのですね。
 あまりにも堂々としているものですから、てっきりレギュラーキャラかと(^_^;)。

 そんな彼女、キーラもまた幻獣の巫女姫で。
 彼女との出会いがアリアを成長させたと思うのですよー。
 決して優しい導き方ではなかったかもしれないですけれど、巫女姫とは、幻獣を使役できるということはどういうことなのか、そのケースとして。

 思えばアリアは「巫女姫」の生き様?についてはかなり勉強を積んできているのだと。
 アランダム騎士団や聖女の館でのことや、もちろんシエネスティータ様と出会いなど。
 そしてまたここで一族を率いるという重荷を背負ったキーラとの出会いが、またひとつ幻獣との関わりを考えさせてくれたわけで。
 ちょっと考えてもここまでたくさんの巫女姫と出会ったオンナノコって、この世界では稀少なのではないかしらん。

 数々の出会いがアリアを成長させて、そして強くしていっているなぁ……と感じられるのデスヨ。
 やぱし経験が人をはぐくむということなのでしょうか。

 その反例がサフィアとディクスかなぁ。
 もう、どちらも手に負えないくらいに視野狭窄状態っちうか。
 とくにディクスの脱落っぷりがスゴイ。
 ラスボスな勢いで暗黒面に引きずり込まれてますよ?

 ……ディクスの発明品がもとで誰か命を落とすんじゃないかと心配。
 でも彼は「殺すつもりはなかった。そんなところにいたあいつが悪い」とか言い出しそうで。
 アリアはそんな強大なチカラを行使する術を学ぼうとしているのに!(><)


 我欲に取り憑かれたディクスと違って、恋心を自覚したシェナンは頼もしく見えたわー。
 初めて見えた生きる目標が、自分のためではなく大切なオンナノコのためだなんんて、あんた偉いよ!
 でもってライルを明確にライバルと目した辺り、見る目あるなぁ……と。
 いま一歩以上にリードをしているのはライルですもんねぇ。

 ……とはいえ前巻の様子を思い出しながらこの先の展開を想像すると、シェナンがライルを追い抜くというパターンが王道?
 うーん……。
 わたしはライルが好きなので、それは、ちょっと、なぁ……(^_^;)。



 お話は佳境に入ってきているそうですけれど、まだまだ見えてない部分が多すぎでしょ!とか言いたく。
 王家がらみでライルのこととか、そもそもシェナンの出自が表舞台で活かされるハズでしょうし、サフィアが騎士団を使って争乱を起こすのは確実だし、そんなところで今回はミルヒランド公国までも絡んできちゃいましたし、すぐそばには不穏な帝国の影があって、そして姿の見えない幻獣ケルベロスを中心とした動きとか……と盛りだくさんすぎ!
 すごく楽しみ!(≧▽≦)


 素敵な読後感を抱きながら就寝すると、翌朝の目覚めがちょー気持ちいい……ということを精神医学のお医者様は研究してみるといい。
 たんに興奮してるから目覚めもイイってだけかもですけれど(笑)。
 そんな次第で今日はすごく目覚めが良かったー。
 ちなみに読んでいたのは『図書館内乱』。
 毬江ちゃん!(≧▽≦)

 感想は明日。



 事情によって生まれ育った土地から逃げるようにして旅を始め、その旅も少しずつ仲間が増えていって運命的な契約も交わしたりして、でも自らに備わった強大なチカラを恐れて失敗したことで仲間とも離れることになって、そこからあらためてチカラについて学んでいって……とか書くと、なんだか『ベルガリアード物語』に思えてきたですよ、『幻獣降臨譚』。
 隠された高貴な血筋に生まれた少年 or 少女のビルドゥングスロマンと言ってしまえば、そら同じになってしまう?(^_^;)
 少年と少女の終わらない旅。
 どにたどり着くのかという結果ではなく、どうして一緒にいるのかその気持ちを探るあたりに力点があるので、一見したところにあるロードムービー的な解釈では間違いなのかなーとか。
 旅をして得られる「何か」に希望を見いださせるのではなくて、広い世界のなかですぐそばにいる大切な人の気持ちに気づけるのかどうかを問うっちうか。

 答えが明らかにされない分カタルシスには欠けるのかもしれないけれど、ふたりの気持ちがゆっくりと醸成されていっている様が感じられて好感。


 人が存在自体を徐々に失っていく「喪失症」に冒された世界。
 名前も過去も、およそ物語にあって当然のもろもろの記号が無いということもあって、自然、物語の流れは感情の部分に依っていく次第。
 派手で複雑な設定を披露していくことで物語ることの少なくないラノベの昨今、この割り切り方は好きー。
 主人公の過去が生い立ちがどうあれ、いまここにいることに対しての物語を見せてくれているわけで。


 まぁ、目立った記号が無いことで電撃大賞という「商品を選び出すコンテスト」のなかでは、抜きん出る決め手に欠けていたのだろうなぁ……ということも想像に難くないのですけれども。
 イラストを用いたビジュアル展開も必須となるライトノベル業界において、さしてイラストの必要性を感じさせないのもアタマ痛いところかもー。
 そういう点では、ライトノベルより一般文芸な雰囲気を持っているのかもですが。

 ……主人公の決意だけを残して、旅という行為には終わりを見せないあたりも一般文芸寄りかな(わたし基準)。
 んでも、嫌いじゃない。
 むしろ好き。

 普段ならそういう投げっぱなしな結び方に眉をひそめるわたくしですけれども。
 ふたりが導き出した決意が「一緒にいたい」というものであるならば、それはもう応援するしかないでしょう!みたいな!(≧▽≦)
 少年が少女のために全てを賭けるのは当たり前ですし、少女が少年を自分のそばに誘うのも当たり前です。
 そういう当たり前のことを、ほかのゴテゴテとした修飾的設定で隠さずに、まっすぐ描いてくれたことをわたしは嬉しく思うのです。
 VIVA!(≧▽≦)


 今シーズンもF1開幕!
 3度のSC登場とか、相変わらず開幕戦はバタバタしてた~(笑)。

 そんななかでウィリアムズの中嶋選手は予選14番手から7位フィニッシュ!
 おりょりょ、これはおめでとうと言わざるをえませんか。
 まぁ、追突の責任取らされて次のGPでのグリッド降格処分のおまけ付きですけれど、なになに、この程度は若いのですからいまは不問です(^_^;)。

 肝心の本選レースでは優勝したハミルトンのマクラーレンと、先述の中嶋のウィリアムズが調子良さげ?
 今季のフェラーリは、まだちょっと戦闘力不足な気が。
 とりあえず現状ではフロントフラップウィング vs ハイノーズのフロントノーズ対決では前者に軍配?
 この10年くらい引っ張ってきたハイノーズは、いささか時代遅れな感もあるかなぁ……。
 現在のトレンドはセイウチノーズかしらん。
 「わたし、雪の海って好き! 海、行こっ!」
 こ……こわぁぁぁぁっ!!!
 ダメなんです、ほんとに、もう、海へ誘うオンナノコって!(><)
 理屈じゃなくって本能の部分でダメなんです。
 怖くて(T△T)。
 しかもそれを口にしたのが、前回から憑き物が落ちたように「陽」性になった比呂美でしょう?
 その豹変ぶりが恐ろしいったら……。

 以前は彼女「雪の降らない街へ行きたい」って口にしてましたけれど、そういう意味でも変わったという表現なのでしょうか。

 で、かわりに「陰」性に引き込まれてしまったのが乃絵でー。
 痛々しくって見ているのがツライ……。
 「間が悪いというか、乃絵とは一週間会えなかった」とか言ってる場合じゃないっしょ、眞一郎は!
 会いに行けっ! んもーっ!(`Д´)
 狭い町なんだから会おうと思って会うことにどれほどの困難があろうか。
 それは翻って「会おうとしなかった」ことでしょう!?
 ……そういう「『ちゃんとする』と言葉にしたのに、それを実行できない」眞一郎の心境を表した言葉なのかもしれないけどーけどーっ!

 眞一郎の優柔不断ぶりも、比呂美の浮かれっぷりも、乃絵の諦観ぶりも、みんなまとめて胃が痛いわ……。
 そんななかで愛ちゃんの件はもう片が付いたみたいで心痛のタネではなくなったのですけれどもー。
 「眞一郎にフラれたから、また三代吉と『友達』からやりなおす」って選択はどうなのよ?とか。
 うーん……。
 これが愛ちゃんと三代吉の物語であったら、いわゆる「真実の愛」を見つけたパターンに類似していると思うので、これはこれで尊いココロなのかもー……とは思うのですけれど。
 いや、でも、しかし、愛ちゃん切り替え早すぎ!と思わずにはいられないっちうか……。
 意外と現実的なオンナノコだったということなのでしょうか……。

 愛ちゃんの変わり身、男性視聴者には驚愕されて女性視聴者からは理解は出来つつも共感は得られないのではないかなぁ……とか思ったりして。
 でも比較されるのが、あの眞一郎ですしねぇ……。
 ここのところオトコを上げた三代吉とは相手にならないのかも(笑)。
 亡くなった祖父から“禁断の森”の領主の座を受け継いだオンナノコのムイ。
 しかしその土地は悪魔や獣人が住まうおとぎばなしのような土地だったのです。
 16の身空で領主のなるというだけでも大変なのに、森の住人がそれでは落ち着くヒマもないというモノ。
 はたしてムイは立派な領主となって森を守ることができるのでしょうか――。


 なんといってもムイの真面目さが素敵!
 面倒くさがりであることを自覚して問題を避けようとはするにしても、人として間違ったことをしてはいけないといった物の道理をわきまえているっちう。
 冒頭の祖父のお葬式にしてもそう。
 面倒くさがりであっても仲の良かった祖父の葬式までを蔑ろにすることは無いとことかー。
 きちんと自分がそれをすべきかどうかをわかっているのですよねー。

 あとこのシーンでは形式張った式よりも、式が終わったあと、祖父の友人たちが故人を懐かしみながら語り合っている方が葬送の儀式として相応しいのではないかと感想をもらしたところも良かった~。
 カタチに惑わされることなく、コトの本質をとらえる目……とでも言いましょうか。

 こういった利発さに加えて、約束は守るところとか、他人を思いやることができるところとか、んもー、良い子過ぎっ!
 子供好きの悪魔じゃなくてもさらっていきたくなるわ!(≧▽≦)


 ムイが幼かった頃に会ったことのあるラーシェンとフィンドル。
 ふたりのうちではムイに向ける感情がハッキリしているのはフィンドルのほう?
 いろいろとしがらみを抱えてしまっているフィンドルですけれど、彼はムイをムイとして見ているっちうかー。
 ラーシェンのほうはまだ「礼を返す相手」として見ているわけでー。

 ……ああ、でもこういう「世間知らず」な王子様のほうが将来的には相手になってくるのかなぁ。
 いまはまだそのバカ王子(ちうか、すでに彼は王ですが)ぶりが鼻につくことこの上ないので問題外ですけれどもー(笑)。

 ムイの呟きに、フィンドルは大人達を怒鳴りつけたくなった。
 おそらく大人達はムイに母親を思い出させて悲しい思いをさせたくないのだろう。だが今までずっとそばにいた母親を急に忘れるはずがない。
 まだこんなに幼いのだ。思い出して泣いたっていいではないか。

 フィンドルはこういうことに怒ってあげられる優しさをもっているのですよねー。
 そこが非常に好感。
 いまのところはふたりの関係はギクシャクしてますけれど、この先、そんな関係が改善していくのであろうと推測すると、思わずニヤけてしまふ~(≧▽≦)。
 というわけで、わたしはフィンドル応援派です。



 イラストは池上紗京センセなのですけれど、細やかな筆致に磨きがかかっているような……。
 表紙イラストの存在感は圧倒的ですよ?
 かわいーかわいー!
 こういう描き込みするかたはコバルトでは珍しいような気もします。
 コバルトって最近は淡いタッチと柔らかな色彩で描かれるかたが多いように思うので。

 ところで、表紙のムイ。
 よく見ると顔に汗を浮かべていたりしませんか?
 やぱしこの状況に緊張したりしているんでしょうかねぇ(笑)。


 とまれ、先が楽しみなシリーズです。


 活動再開するアボパって、かつてのメンバーは全く?居ないとかなんとか。
 じゃあ、その団体の正体はなんなの?という話かなぁ。

 ヒトではなくココロを受け継ぐこともあるかもしれないけれど。
 うーん……。
 これは「温かく見守る」から「生温かく見守る」に温度変化しそう。



 この週末はソニーの銀座ショールームにコンデジ触りに行ったり、橋本紡センセのサイン会へ行ってきたり、ひとりカラオケしたり、友人たちとお酒を飲んできたりと遊び回っていました。

 コンデジはこの春に欲しいな~と考えて、いまのところ候補を FinePix F100fd かCyber-shot W170 のふたつにしぼってみたのです。
 で、W170はまだ発売前ですけれどショールームでは展示がされているとのことでしたので、こりゃ手にしてみて判断材料にしようかなーと。

 画質など性能的なことはなにぶん素人なものでよくわかりません。
 ちうかスペック上で見比べてしまったら、昨今のコンデジに差なんてあるの?ってくらい。
 だものであとは持ちやすさとか操作性とかかなーと。
 昨日発売されたF100fdも店頭で触ってきたのですけれど、んー……。
 第一印象ではF100fdに軍配かなぁ……。

 ただ、この週末に上記二機種以外のコンデジもいろいろと見たところ、Cyber-shot T300 がわりと好みかも……という結果を持ったりして。
 3.5型の液晶は見やすいですし、タッチパネルの操作感も悪くなかったので。
 でもこれ、オタク的なイベントで使っていたりすると冷笑されたりするんだろうなぁ……とか思ったりして。
 あいつカメラのこと、全然わかってねぇよ、みたいな(笑)。



 ひとりカラオケはDAMに「Like a Green」が入っているということを昨日耳にして以来、いてもたってもいられなくなりましたので、小一時間ばかり時間が空いた中でするりと行ってきました。

 最低でも最高の夏 涙流し笑ってた
 ずっとこのままでいたくて
 大人になっても忘れない きみが「少女」だったって
 星空の下 抱きしめた


 声が出ないのは予想できたのですけれど、もう、ここが歌いたいっちうか叫びたくて(笑)。
 作詞って桑島由一さんでしたっけ?
 いかにもーな感性ある言葉が並べられている歌詞だなぁ、と。

 ところで、歌い終わるとモニターに消費カロリーとか表示されたりするじゃないですか。
 「Like a Green」の消費カロリーって4kcal弱だったと思うのですけれど、そんな平均的な数値じゃなくてもっと消費すると思うのはわたしだけ?
 サビ部分、ブレス無しで叫び続けるんですよ?(^_^;)


 そのほかの曲はエロゲ・ギャルゲ祭りというカンジ。
 ひとりカラオケなのですから、場の空気を読むようなことも必要なくて、ただ好きな曲ばかりをチョイスチョイス!
 「Princess Bride!」と「Princess Brave!」を歌い比べてみたところ、やぱしライブでも感じたように「Brave!」のほうが楽しいかなぁ……。
 以前にも書いたかもしれませんけれど、「Brave!」は歌詞が良いのですよねー。
 「折れた剣を杖に立ち上がる ボロボロのPrincess」ってトコがですねぇっ!(≧▽≦)
 作詞はうつろあくたさんでしたっけ? さすがっ!
 作詞の部分に注目するのであれば「Kiss The Future」の元長柾木さんもー。

 これだけだとひとりI've祭りをしてきたように見えてしまうのですが、ほかにもYURIAさんとかyozucaさんとか歌ってきたのですよ。
 たのしかったー!
 「第2ボタンの誓い」はわりと声を出せることを知ったので、もう少し練習したいなー。
 YURIAさんでは「モノクローム」を歌いたかったのですけれどDAMには入っていないのですねぇ。
 JOYSOUNDには入っているみたいですけれども。
 うむむ……。
 「Like a Green」をとるか「モノクローム」をとるか、悩みどころデス……。
 ちうかmilktubを網羅しているカラオケを切望します!(><)


 思いのほか楽しめたので、また今度行ってこよーっと。
 ……同じ嗜好の友人が居ないので、この手の曲を歌いたいとなると、必然、ひとりカラオケになってしまうのですよねぇ(T▽T)。
 アリシアとの結婚は形式的なものだと思っていたのですけれどー。
 ライセンってば、この結婚に……ちうか、アリシアに?結構本気になってきてませんか?
 ほかの誰かがアリシアに触れようとすると不機嫌になったりさー(笑)。
 守り石の贈り物にしたって、なんといいますか、大切にしてるなーって感じられたりして。

 誰に対してもこのような態度をとるとは思えないので、それはやぱしアリシアのココロに惹かれたってことなんでしょーね。
 ある一面では現実的なのに、同じ目で夢のような世界を見つめてる。
 そんな不思議さ、あやうさが魅力といいましょうかー。
 子供っぽいというのは違って、んー……ふところが深い?って言うの?
 包容力がある、かも。
 誰に対しても存在を否定しないんですもん。
 そりゃあライセンでなくても惹かれるわー(笑)。


 あー……。
 結婚を「形式」なものとしてとらえているのは、むしろアリシアのほう?
 自分は買われてきたのだという意識が強いといいますか。
 ココロはきちんとライセンに応えてるのに、アタマがそれを理解できてないっちう。
 ココロを疼かせるそれを「恋」だと、アリシアはいつ気付くのでしょうか?
 ライセンは無理強いせずに待っていてくれるみたいですけれど、早く気付いてくれないとライセンが可哀想(笑)。
 がっついてないのはオトナな態度なんですけれどもねー。



 物語の構成についても前巻同様、序盤で張った伏線でもってクライマックスでは見事に解決(?)を図るという王道展開。
 意外性は無いのかもですけれど、そのぶん安心して読み進められます。
 ちうか、アリシアをしてなにか変なことにはなりそうもないといますかー。
 絶対に!万事丸く収まるような気がしてくる不思議!(笑)
 これ、彼女の人徳かしら?(^_^;)


 人のつながりも賑やかになってきて、この世界がはらんだ問題にも少しずつ関わってきて。
 厳しさと理不尽さを見せるそんな流れの中でもアリシアとライセンの仲が可愛らしくはぐくまれている様が素敵~。
 ふたりはもっとイチャイチャするといいよ!(≧▽≦)


 あ……。
 新谷良子さんが歌う『紅』のED曲「crossing days」がイイかも……。
 ラジオの最後で流れているんですけれど。
 昨日はラジオ聞きながら日記を書いていて、ラジオが終わらないうちにアップしてしまったのでー。

 EDという雰囲気を押さえつつ、次の流れへの期待を抱かせるような明るい曲調。
 Bメロ部分が楽しい~(^-^)。



 アボガドパワーズが活動再開するんですってーっっっ!!!?
 うわぁ、ドッキドキするわ~。
 その反面、ほんとに大丈夫なのかしら、とか心配してしまふことよ。
 あの頃とエロゲ業界をとりまく環境って、さほど変わってない……っちうか、むしろ厳しくさえなってはいまいか、と……。

 でも復帰は素直に嬉しいところでありますので、とりあえずは温かく見守りながら応援していこうかなー。
 暴力を嫌い、言葉だけで戦うことを望む王子様。
 「暴力ではなにも解決しない」とは言いますけれど、ならば解決するにはどういった手段が策として残されるのか。
 それをこのミスマルカのマヒロ王子は「話し合い」だとのたまう次第。

 きれい事かなー、と笑わばどうぞ。
 でも、絶対に無理でなないかも……と思わされてしまったですよ。
 その可能性、希望に。

 武力は行使さえしなければ取引のカード。
 でも目の前の答えを導き出すためにひとたび暴力に頼ってしまえば、次はさらなる暴力が襲ってきて元の木阿弥。
 暴力に頼る存在は、いつかそれ以上の暴力に襲われて敗北するという。
 簡単なルールなんですけれど、わかってはいても向き合うことが難しいわけで。
 それは「暴力に頼ろうとする『弱さ』」なんでしょうけれど、ねー。
 人間は自分の弱さを認めたがらないってことなんでしょうか……。

 そこへいくとマヒロ王子は「暴力を嫌う」という自らに課したルールを命を賭けてまで守り通そうとする『強さ』がある、と。
 やはり本当の力とは、人の意志、なのかなぁ。
 身一つで刃と向き合う王子の姿勢に、そう思うのですよ。
 

 「舐めるなよ帝国三番姫!!」

 武勇の誉れ高い帝国のルナス姫を前にして一歩も引かずにこの言葉。
 これには熱くなったわー!(≧▽≦)
 よくぞ吠えた!


 もちろん「話し合い」とはバカ正直に全てをさらけ出すということではなくー。
 その手段のなかには相手を騙すことも含まれる次第。
 騙すというのは「自分を信じさせる」と同義だと。
 うはぁ、へりくつ~(´Д`)。
 んでも、どれだけ屁理屈であろうと、それで誰も傷つかないのであれば、その屁理屈は立派なものだと思います。
 誰かが犠牲にならなけれないけないような金科玉条よりも。



 お馬鹿で軽薄なノリはいつもの林センセらしさを感じますし、うん、これは先が楽しみになってまいりました。
 なにしろ問題解決に「暴力」を許さない設定ですから。
 数々の作品がそれでコトをなしえてきた中で、いったいどのようにしてこの先の窮地を切り抜けていくのか、もー、期待しまくり。
 もし本当に言葉だけで世界を統一できたら、そのときは名作の仲間入りを果たすのではないでしょうか?


 まぁ、とまれ、そんな大層な夢物語を始めてしまうあたり、林センセらしい風呂敷の広げ方だと思いますし、夢を語ってこそライトノベル!てなもんでしょうし。
 いろいろな意味で今作のこれからを楽しみにしています。



 ところで今作の時間軸って、『マスラヲ』の後?
 聖魔杯って、あれのこと、なのかなー……とか思ってしまうワケで。
 そのあたりの関連性にも期待、なのです。


 沈丁花の香りが漂っていたり。
 あー、春ですね。


 『EXIT』の最新刊、11巻が発売されてた!
 ちうか、それ以前に10巻が発売されてたのを知らなかった!!(><)
 bk1に頼んで、届いて、ようやく読める~。

 いろいろな要因がかみあって、有名になってきたVANCA。
 でも大きくなればなったで別の「限界」に突き当たったりして。
 歌を歌っていればいいだけの世界ではないことが、ただ音楽を好きなだけの彼らには窮屈で辛くて。
 はぁぁ……。
 バンドコミックなのはそうなのですけれど、なんちうか生き方? 人生?について考えさせられてしまうわー。

 にしても『EXIT』って藤田センセのデビュー作ですから、もうかれこれ20年ですよ!
 うひゃぁ!!
 20年で! 11冊!(笑)
 まぁ、途中ほかの作品も上梓されていましたし、寡作……とは言い切れませんけれど。
 あー、でも、やっぱり寡作なセンセなのかなー。
 お休みされることも時折ありますし。
 ……って、なんだかESKみたいじゃない!?(^_^;)



 『紅』ラジオ 「おとなの時間」 が始まってますよー。
 栗林みな実さんが歌うOP曲。
 疾走感あふれる曲調で、おお、これは!てなカンジ。
 ……ふむふむ。
 あの『紅』で、こう来ますか。
 意外な気もしたのですけれど、こういう解釈もアリかなぁ……と思ったりして。
 これは、ちょっと、期待が高まってきたかも。

 うーん……。
 曲だけで判断するのは軽率ですけれど、イベントでの告知とかWebでの展開とか、スーパーダッシュ文庫発のアニメ化なのに、これまでのレーベル作品と比べるといろいろとお金かけてる印象がありまするー(苦笑)。
 作り込みに対して(あまり)妥協しているように見えないっちう。


 しっかし、パーソナリティのおふたりの会話のトーンが渋いっちうか。
 ヴィヴィットなWebラジオばかりに慣れていたわたしには新鮮だわ。
 なんちうかFMラジオっぽいデスよ?
 ……いや、FMでこんなエロトークはしませんか(笑)。
 真田アサミさんにエロい解釈のできる言葉を言わせて楽しむって、どんな番組ですか!
 黒田さん、オヤジすぎ!!(≧△≦)
 うひゃー。
 やってくれるわ、藤森くんってば。
 実際、もうこの巻では藤森くんの気持ちはがっちり固まっていたワケで、あとはそれを皆に告知するだけであったけれども。
 だもので物語としてはどうにもムリクリ引っ張った感がなきにしもあらず。
 んでもんでも。
 そんな自分の気持ちを、臆せず、惑わず、自信を持って伝えたという彼の姿勢にはなんだか勇気づけられます。


 ええ、まぁ、藤森くんの気持ちは決まっていたワケですから、吉野ちゃんと黒河さんのどちらかがふるい落とされるのは、もう、始まる前から自明の理であったといいましょうかー。
 このあたり、いろいろと設定がらみで伏線を築き上げようとしていたようにも思えるのですけれど、タイムアップ、なのでしょうか?
 あまり掘り下げられることもなく、設定だけの深い関係になってしまっていたことが残念です。

 でも、この件については「もう少しシリーズが続いてくれれば……」と思うより「どうして前巻でこの辺りの状況を扱わなかったのかなぁ……」という疑問を。
 そもそも「中学生の頃の藤森くん」が、今作、いうなればシリーズのクライマックスになんの影響も及ぼしてこないことからも、前巻の位置づけは知れようもの。
 むしろ無くてもいいくらいだと思ってしまうのですけれどー。
 やぱしあれはドラゴンマガジンでの連載を鑑みてのネタや構成だったのかなー、とか。
 ビジネスが理由では仕方がないなー、もー。

 ……だから富士見はダメになっているような気がしますけれど、もっ!(><)


 にしても「失恋」をここまで明確に暑かったラノベというのも珍しいような。
 恋が成就するお話は多々ありますけれど、きちんとライバルとして関係を築いた上でハッキリと選択を受けるのは。
 むしろラノベのパターンとしては、最後までどっちつかずでいるか、ふられても諦めないパターンとか?

 先述のように設定がらみで初めから報われることが難しい恋でしたけれど、その気持ちをきちんと伝えて、それを真正面から受け取ってもらえて、そして答えを返してもらったというのは天晴れと感慨深く思ったりして。
 藤森くんにも、そして「彼女」にも、よくやった!と褒めてあげたいです。



 ところで。
 壱乗寺センセがあとがきで吉野ちゃんのことを「恋人にすると重いかも……」と書かれていますけれど、これ、わたしも同じことをを思ったりして。
 うーあー……なんていうのかなー。
 相手に100%の気持ちを求める代わりに、自分は120%の気持ちを返そうと自助するタイプ……とでも申しましょうか。

 逆に黒河さんはお互いに均等であることを願う、ような?
 それが100%であろうと80%であろうと。

 ちうかですね。
 吉野ちゃんの本質を時間で表すと「継続」で、黒河さんは「一瞬」なのではないかなーと思うのですよ。
 いつまでも共にあることを願うのか、この瞬間だけでも共にあることを願うのか。
 線と、点、ちうかー。

 だからこそ物語としては黒河さんのほうが栄えて、吉野ちゃんのほうが強かった……のかも?(^_^;)



 あら、やだ。
 あまり書くことがないと思っていたのに、またいつものように書き進めてしまえましたことよ(笑)。
 壱乗寺センセのキャラ付けのセンスは、ほんとわたし好みやわ~。

 今シリーズはこれで幕ですけれど『さよならトロイメライ』は富士見ファンタジアで継続されるようですし、楽しみ楽しみ。
 「梅園」「榊」のように設定で共通する部分もありますし、シリーズを越えてあちらでも登場……とかあったりしませんかね~。
 今作での「それはまた――別の話」という最後の言葉に、そういう部分を期待してしまったりして(^-^)。


 『グレンラガン』って『導きの星』を反対側から眺めた主題なのではないかと思ったりして。
 この場合、ツカサがアンチスパイラル。
 で、ニアがアルミティたちパーパソイド。
 ということでスワリスがシモンたち人間……という配役。

 超地球生命体のほうがアンチスパイラルに近い……?
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