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 なにかと話題の事業仕分け。
 そこで「廃止」やら「縮減」やらの回答を出された事業について、しかし「本当に必要なもの」については政府判断で復活することもあるとかなんとか。

 うーん……。
 本当に必要なものって、なんだろう……とか思ったり。


 こういう言葉を使うとき、人は、個や私としての立場を巧妙に覆い隠して公としての立場や発言、視点に置き換えているような気がします。
 私が考えているんじゃないんだよ。
 みんながそう思っているんだよ……みたいな。

 今回の事業仕分けに「本当に必要なもの」は、その判断の基準となる指針であると思うのです。

 例えば先だって批判が噴出したスパコン開発凍結にしても、「100年単位で諸外国に科学の後塵を拝することになっても、今、数百億の予算を必要とする」というような指針……っちうか覚悟っちうか。
 それが無いから「無能者として歴史に名を残すことになっていいのか」と言われてあっさりと翻すことになるのデスヨ……。


 しかし作業を行うためには、彼らなりに某かのルールがあるハズなのです。
 ルール無用で行っていれば、さすがにほころびが目立つハズなのです。
 矛盾点とか。

 そのルールっちうか指針っちうか、そういう部分を明らかにしない、明らかにできないトコロが今回の事業仕分けの胡散臭さにつながっているのではないかなー、と。

 いいじゃないですか。
 「財務省の言う通りにやっているんだ!」とか「日教組の方針に従うだけだ!」とかでも。
 それを「本当に必要なこと」とか言っちゃって隠すからよろしくないのです(笑)。
 いいですよ、「選挙のための実績作り。パフォーマンスっす!」でも。

 誰にとって「本当に必要なこと」なのか、誰のために「本当に必要なこと」なのか。
 そこが見えないことには、その言に信を置くにはあたわず、デス。



 コレと似たようなことは裁判における公判時に「本当のことを語って欲しい」という発言でしょうか。

 この発言をした人って「自分が望む発言をしてほしい」と思っているのではないかなー、と。
 故意ではない、偶発的であった、誰かが望んだことではなかった……ということであっても、それを語ったところで納得はされないのではないかな……。
 そういう意味でこうした発言は「自分が納得できることを口にして欲しい」ということを偽ったものではないかなと思うのです。


 そもそも自分以外の誰かに対して、その行為を強制する「語って欲しい」なんて願いはどうにもならないものではないでしょうか。
 願うことができるのは、自分の想いに対してだけだとわたしは思うのです。
 SF冬の時代とか呼ばれていたとか呼ばれているとかありますけれど、ホントなのかなぁ?
 『SFマガジン』が創刊50周年ということを目にして感じます。

 ライトノベルだってそれなりの時代を経てきているハズなのに、それ系の雑誌なんて休刊や変遷を繰り返して、いまだ業界を代表する1冊すら作れていないのに。
 それぞれのレーベルが自社レーベルを宣伝するためにバッラバラに作っているだけで、体系的に業界を俯瞰するような雑誌が生まれていない次第。

 これって、ジャンルとして定着していない……って言ってしまえる状態なんじゃないですかねぇ。
 冬の時代とか嘆く以前のハナシ。


 ランキングを実施してそれっぽくしている風潮はありますけれど、それってどこか「賑わっている」雰囲気を演出しているだけのパフォーマンスに思えて……。
 某かの権威付けを行う前に、もっと進むべき道があるような気がしている今日この頃です。


 結局、誰も「ライトノベル」なるものを理解せぬまま時間だけが過ぎて、いまさらそれを問うステージでもなくなってしまったということに問題があるのでしょう、か(笑)。
 そうであれば「ライトノベル」という言葉から一歩離れたスタンスを取り続けている電撃文庫は「わからないことをわかっている」という賢明さがあるのではないかと思います。
 そしてそれが強みでもある、と。




 伊達政宗公とその妻、愛姫の馴れ初めをライトノベル風にアレンジして……という作品。
 ありゃりゃ、ながとセンセ、歴史物へ回帰されてしまわれてしまいましたかー。


 デビュー作で武田信玄公を描かれてましたし、日本史に興味がお有りなのかなー……と。
 だもので『アルワンド』に比べると筆が走っているカンジは受けるのですが、それにしてもキャラ配置を含めて構造や展開が一般的すぎるような気がします。

 ホントは好いているのにお家事情で結婚を認めるわけにはいかなくて、それでいてやんわりと姫を傷つけずに済まそうとしている政宗公。
 一方のお姫様ははじめから政宗様LOVE!で、どうしても政宗公と一緒になりたくてあれこれ奔走するっちう……。

 うーん……。
 これは王道というトコロを過ぎてベタと呼ぶのではないかなー。

 問題の根源が政宗公の血筋にあって、ご母堂が彼を認めないというのもなぁ……。
 誰が裏で手を引いているのか意外性が無いっちう……。


 政宗公のイメージを崩したくないというのもわからないでも無いのですが、そのキャラクター性にも今作らしいオリジナルな部分を感じ取れなくて、そもそも史実におんぶだっこしちゃっている感を受けるのですよね。
 政宗公のキャラクターや知名度に頼ってしまっているっちうか。


 その手法を安易と取るか間口を広く取るっちう戦略性と見るかは意見の分かれるところかもですが。
 『PrincessBride』という作品があるのですが。
 作家の元長柾木さんやうつろあくたさんがシナリオを手がけられている作品で、わたしのお気に入りの一作なのですけれど。
 どうして気に入ってるのかなー、他の作品となにが違うのかなー……って、最近ふと考えてみたのです。
 考察の結果、この作品って「選ばれなかったヒロインの心情」を描いているから好きなのかなー……ってトコロへ行き着いたり。


 エロゲ・ギャルゲって、複数のヒロインが登場してその誰もが主人公と結ばれる可能性を持っている世界……なのですよね。
 その世界において主人公が人生の「選択」をしているうちに特定のヒロインのみに視線が固定されて、選ばれたヒロインとの縁を深めていくことがパターンだと思うのですが、その場合、ほかヒロインが持っていた可能性はどうなってしまうのかなー……とか考えてしまうのです。

 たとえ恋に届くことが無くても可能性のあったヒロインは主人公に対して「ほのかな想い」を抱いていたに違い無いのです。
 それを無かったかのようにして、たった一つ、成就した可能性のみを紡いでいく物語というものにどこか不自然さを感じてしまっていたのでしょうねー。

 どの可能性をはらんでいた世界も真実のひとつであるはずなのに、初めから可能性すら無かったかのように描かれることに対して。


 『PrincessBride』はそんな恋にならなかった想い、かすかに気になるという程度のものから永く意識し続けていたというものまで、選ばれなかったヒロインの気持ちにそれぞれ決着をつけている作品だったなー……と。


 ほかにそのような作品ってあったかなー……と思い出してみると、『D.C.』の音夢とさくらの関係は当てはまる……かな?とか。
 異論はあるかもですが(笑)。
 そこも含めて考えてみると、ヒロイン間の結びつきが浅からぬところにこうした「諦める想い」を描く必然性が表れるのかなー……と結んでみます(^_^)。
 自民党の新人議員、小泉進次郎議員が代表質問に立ったことが話題になってましたがー。
 なんだか見ているほうがツライ感じ……。
 小泉議員が斜陽の自民党を救う「中興の祖」になれるとは思えないのですよね。
 それよりはむしろ、敗色濃厚な大戦終盤に現れた若き勇将ってイメージを受けてしまって。
 その登場によって局地的には盛り返すのかもしれないけれど大勢を変えるまでには至らないという悲運の将。

 小泉議員自身「援護が足らない」って言っちゃっているあたりも悲哀を感じさせるトコロで、援軍も糧食も足りない軍の未来は厳しいなぁ……と。

 民主党のやっていることに賛成はできませんが、さりとて自民党がこの状態では期待もできず。
 絶望や諦観はなにも生まないとはわかっていても……ですねぇ。

 「じゃあ自分が政治家になればいいじゃん! できないならチキンだね!」
 ……って短絡的な意見があるかもしれませんけれど、わたしは政治家になるよりほかにやりたいことがあるから政治家の道は歩みませんし歩みたくないです。
 それでもひとりの国民として国政を憂うのです。
 そうした生き方が許されるシステムが間接民主制なのではないかなー。
 これが無責任な放言とされるのではなくて。


 あ、考えた。
 徴兵制ならぬ徴議員制ってどうでしょうか。
 人生において一定期間は必ず議員に就任しないといけないというシステム。
 なんか癒着とか二世議員問題とかも一気にクリアできる気がするのですがー(笑)。
 国民の政治関心もいやがおうにも高まります。
 ……受験のためだけに勉強する学生みたいな関心度合いかもですけれど!(><)
 『true tears』BD-BOX は、ひとまず予約申込件数が2000件を突破したそうで。
 めでたい!(≧▽≦)
 これで次のステージへ進むことができます!!

 しかし次なる難関は、2000件の入金が果たされるかどうか……。
 興味本位で申し込んだ人も少なからずいるでしょうし。
 あともう少し、がんばりましょう!(><o



 今年はインストールしても序盤でくじけてしまったゲームが幾つもあるのですが(^_^;)。
 その中で『ましろ色シンフォニー』はなかなか続けられているほうではないかと思います。
 とりあえず現在はラスト、みう先輩を残すだけになっています。

 アンジェが「よいことり」at『魔法はあめいろ?』だという意見を見かけたのですけれど、それを言うなら愛理って環じゃね?とかー。
 シナリオ担当も保住圭さんらしいですし、もう、テンプレって感じで進めてました。
 能力に秀でているが故に、物事を自分で抱え込みすぎてしまうタイプっちうか。
 『めいどさん☆すぴりっつ!』のアヤリとかも同タイプ。


 そんな次第で思い返す部分もありながら進めているのですけれども。
 しかし保住さんのシナリオにしてはビミョーに薄味かなぁ……という気も。
 言うなれば1番出汁と2番出汁の差っちうか。
 過去作品で見られたくどいまでの濃ゆい「味」が、今回はあっさり目っちうかボリューム抑えたっちうか。
 他のライターさんとのバランスという面では成功していると思うのですが、ファンとしては少々残念な気がしています。

 もっとも、物語を膨らませるガジェットが多数用意されているワケでもないのでこの「コンパクトさ」はそもそものコンセプトの部分であったのかなー……とも思います。
 ガジェットに関しては用意されていないどころか、現状のままでも全てを生かし切れていない感がありますし……。
 なーんかね、ライターがお互いに遠慮している感をおぼえてしまうのですヨ。
 調整がとられている……と言えば、そう、なのかもしれませんけれどー……。
 うーん……。


 調整をとっていると感じつつも、反面、保住さんと北川晴さんのふたりと、おるごぉるさんとのあいだには違和感をおぼえてしまったりして。
 おるごぉるさんのシナリオは基本的な人間関係の外側に位置するみう先輩をヒロインに据えているだけに仕方がないのかもしれませんけれど、対人関係における主人公の雰囲気に差をおぼえるのですよー。

 主人公のベースは「周囲に気を遣いすぎる」という部分なのだと思います。
 その主人公が学園統合の件で気まずさをかもし出しているテストクラスを放って、みう先輩とのクラブ活動に勤しむっていうのは、そもそもの物語のスタート地点から間違っているのではないかなー……とか。

 気の配り方が「周囲」にではなく「個人」なんですよねー、みう先輩ルートって。
 愛情をおぼえて覚悟を決めたあとなら成長という変化なのでまだしも、スタート位置からそうであるっていうのは主人公のキャラクターを間違えてないかな……って。
 お話の出来とは違うトコロで、そんな違和感をおぼえながら進めてマス(^_^;)。




 東北の女学校を舞台に、女の子の気持ちをつづった7つの掌編。
 作品のスタイルは豊島センセらしいのですが、今作は目線をオンナノコに絞ったことで独特の空気が漂っています。
 なんちうのかなー……。
 生々しくもあるし、純度の高い甘さでもあるし、傷つきやすさ壊れやすさでもあるし……。


 しかし今作って、興味や関心や好奇心で親しくなってみても、最後には望むことの無かった別れが描かれているのですよね。
 それは幼年期の終わりを示すのか、それとも少女時代の儚さを示すのか。
 どちらにしても失って気付く大切なモノを感じさせられるのです。


 「銀杏泥棒は金色」では、銀杏の枝を折った少女に興味を持ち親しくなって、やがては絵画のモデルになってもらってその気持ちを表現していくも、その気持ちが一方通行……っちうか、モデルの少女に向かっておらずただ自分と向き合っていただけだと指摘されてしまうのですよね。
 自己満足っちうか。

 加菜は私が描いたスケッチの、右の膝小僧を指して言った。
「あたしはここにホクロがある」
 そんな細かいこと、と反射的に逆らおうとしたら、次の一言でとどめをさされた。
「そんくらい執着してよ」

 んもー!
 豊島センセの言葉遣いはクリティカルすぎる!(≧△≦)

 自分では全力の想いをもって生きているつもりでも、じつはどこか手を抜いてしまっているという。
 それを他人から、それも自分が認めた存在から指摘される苦々しさ。
 イタタタタタタタ……。
 ハートをえぐられたわ……(TДT)。


 とりあえず資格でも取っておくか……という気持ちで教育実習にやってきた学生さんのお話もそんなカンジかなー。
 いいかげんな気持ちだから、生徒にもナメられるし自分の覚悟も定まらないっちう。
 目の前のことに向き合う、自分の気持ちに正直になる。
 簡単なことなのですけれど、それを行うには生意気な自尊心が邪魔して難しいという……。
 照れとかね。



 自分の気持ちをいいかげんに扱ったことで犯す、ひとつの間違い。
 その間違いが次の瞬間にどう作用するのか、永遠の別離なのか新しい一歩なのか。
 そうした最後の余韻に考えさせられます。




 結婚したというのに今回もまた自分はエドガーに相応しくはないのではないかとリディアは悩み、一方のエドガーはリディアに寄せる信頼という名の怠慢で彼女を不安にさせて。
 もー、このふたりって……。
 さして進展も見られない物語に付き合っていけるのは、もはや訓練された読者だけと言えましょう(´Д`)。


 すれ違いや思い違いでケンカをしても、肌を合わせて仲直り……って、どこのハーレクインロマンスですか、これは!(笑)
 物語は進まなくても、ふたりのそうした離れたり近づいたりする様をニヤニヤ楽しむシリーズになってまいりました。


 今回のお話、リディアの自信の無さをついて無実の罪をなすりつけられるという部分がありましたけれど、そーゆーお話って以前もありませんでしたっけ?
 リディアが花嫁修業をしている頃のお話で……。
 むぅ……。
 長期シリーズなので記憶も曖昧になってしまった(苦笑)。



 しかしそれでも物語の軸というものが全く無いワケでもないのですよね。
 今回はシルヴァンフォード公爵家という過去と向き合うエドガーに、青騎士伯爵の妖精界の領地へ向かうための足がかりを探すというものですか。
 特に後者はプリンスと対決するに際して大きな力となりそうですし、少しずつシリーズクライマックスに向かっている感があります。

 うん、まぁ、手がかり足がかりな段階なので、これでまだどうなるっていう明確な何かがあるワケでは無いのですけれども、ねー(^_^;)。

 そういう次第でエドガーが「現代に生きる青騎士伯爵」として力強くなっていくのに対して、リディアのほうは予言者の許嫁の立場をどうかわしていくのか道筋が見えてこないトコロがもどかしいったら。
 どちらを向いて成長していくのかわからないっちうか……。

 こればっかりはリディアの気の持ちようでもどうにもならなくて、なにかこう、ブレイクスルー的な存在が浮き上がってこないと難しいかなぁ。
 物語の根幹にも大きく関わってくるところですしねー。
 その部分がエドガーの成長とのセットになってくることも考えられますし、ここまでシリーズに付き合ってきた身としては、ここで手を切るワケにはいかないぜー……ってカンジ(笑)。


 でも、あれか。
 ふたりが授かった子どもがプリンスの生まれ変わり……とかいうオチになったら、ちょっとどうしよう(^_^;)。




 自分の死でもって時間を「セーブ」した位置までさかのぼれる少年が、恩にきている部活の先輩のためにひと肌脱ぐお話。
 いや、ひと肌脱ぐってモンじゃなくて、先輩の実家に予言を与えたという「自分と同じ時間をさかのぼれる能力者」と繰り広げる知能戦なのですよねー。

 主人公の能力はもう読み手に明らかになっている中で、続編ではどう展開していくのか、同じギミックは使えないことをどう克服していくのか興味があったのですが――。
 うむ、こうきたか!ってカンジ。
 能力があることを前提として、先達と後進の裏のかきあい探り合いが緊迫感あって。


 主人公の特殊能力も、自動発揮される仕様ではないあたりも良いカンジ。
 能力の行使には主人公の挫折と後悔が必要なんですよねー。
 「これではダメだったんだ……」といった。
 そこでセーブ時間まで戻ってやり直すという描き方は読み手の側にも再推理を促すようで面白い感覚を味わってます。

 しかもその能力を「便利に使うことを良しとしない」矜持で縛っているあたりも◎。
 能力に頼り切るのではなく、とにかく自分の身体で真相に迫ることを第一としているという。


 やり直すことができるなら、その覚悟だってしれたもの……と思われるカモですけれど、読んでいてわたしはそうは感じなかったかなー。
 先述したようにバッドエンドを迎えてしまったときの喪失感を丁寧に描いているので。
 悔しさや無念さが、ね……。


 とにかく、そうした超常的な能力を巧みに物語へフィードバックして、見事な新感覚の推理ミステリを構築していると思うのですよ~。



 そして青春小説としても嬉しくなってしまうったら!

 前巻では幼馴染みを救うために必死になった主人公。
 もちろんその幼馴染みとの関係も少しずつ前向きに変化しているみたいなのですが、今回はなんといっても渦中の先輩がががが!!!!
「向こうが牽制ならこちらは先制です。どうぞ、受け取って下さい」
 まさか、ここで、宣戦布告ですか!
 参戦ですか!(≧▽≦)

 しかしオンナノコたちのそんな覚悟も、鈍感さと自分のことに手一杯な状況の主人公の前には功を成さず(笑)。
 ダメだコイツ、早くなんとかしないと……。



 乗り越えなければならない相手、気にしてくれる異性、自分が持つ能力の意味。
 舞台がそろってきた感があります。
 次巻が楽しみ~!




 歳の差オフィスラブな恋愛小説かと思っていたらエロ小説だった――!!!
 なにを言っているかわから(ry

 32歳の優秀な営業主任の女性が年下の23歳の部下に求愛されてメロメロになってしまうお話。
 いや、メロメロっていうかヌレヌレっていうか(笑)。
 もう、とにかくセックスしまくりだった……。
 こんなお話だとは思いも寄らなかったデスヨ。


 ひと回り違う歳の差を思い悩み、彼からの求愛を素直には受け止められなかったトコロ、彼はその愛を身体で教え込ませていくという。
 まぁ、ベースには事故で両親を失って天涯孤独になったという女性の社会的立場の難しさとか、かつての恋愛で失敗していることから臆病になっていることとかがあって、そこからあらためて倖せの階段をのぼっていくハッピーストーリーなのですがー。
 いや、それでもエロ小説では?とか思ってしまうー(笑)。

 「絶倫」ってキャラ付け、はじめて理解した気が。
 ここまであっちに強い男性って、本家?のエロ小説でも見ないような……。

 もっともあちらはシチュエーションを入れ替え入れ替えしてエロシーンを多く描く必要があるため、1シーンごとの回数は多くはなりにくいってこともあるかもですが。


 まぁ、とにかくヤリまくりな次第。
 営業先で、会社で、自宅で、実家で、車の中で、結婚式の控え室で。
 うーわー……(≧△≦)。
 年上ということもあって恋愛に引っ込み思案な女性が自信を失いかけるとセックスで愛情を伝える男性……ってパターンなので、もう、とにかく!(笑)

 うーん……。
 極端ではありますけれど「自分に自信を与えてくれる相手」ってことで王子さま願望の作品なのかなぁ……。
 自分で自分自身の価値をそこまで高くはつけられないけれど、世界のどこかに自分を絶対的に求めてくれる相手がいますよー……ってメッセージで。
 認められたい、認めて欲しいって願望は、いつの世も存在するものですし。


 WEBサイトで公開されていた作品ということで、メディアによっての求められるものの違いっていうのもあるのかなー。
 シチュエーションにズバッと切り込んでいって勢いつけて衝撃的展開に持っていくというか。
 携帯小説などでも同様かと思いますけれど。
 とにかくセンセーショナルな要素を連続していかないと読者の関心を引き留められないマーケティング?みたいなみたいなー。



 余談。
 わたしこれ、電車の中で読んでいたのですけれど、わかる人から見れば
 「あの人、電車の中でエロ小説を堂々と読んでる~w」
 ……って状況だったんでしょうか。
 は、恥ずかしいわ……!(≧△≦)




 因習に縛られた山村。
 家族が犯した罪を背負わされて孤独に生きてきた女の子が悲劇的な運命にある一族の男性と出会い、やがて愛するようになるお話。

 瘴気によって外界とのつながりが限られている山麓。
 8年に一度、贄が差し出される村。
 退治できぬ化物におびえながら暮らす日々。
 序盤でむやみに世界背景を説明してこないで、展開させる舞台を絞っているカンジは悪くないなぁ……と。
 どこまでが物語の世界なのかハッキリと感じられて。


 わたしが思うところの夏目センセって、それほど設定には凝らずキャラクターの心情面の揺れ動きを描いて魅せる御仁なのかな……ってところなのですよー。
 今回も「やたらと考えすぎてしまうタイプ(オンナノコ)」と「すでに無条件で相手を受け入れるタイプ(オトコノコ)」という組み合わせは定番ですし。
 あまり凝ってるカンジはしないよーな。
 オトコノコのことを信じられなくてあれこれ考えているだけで物語は動いていくっちう(笑)。


 もっとも、その安定感?はクライマックスでの意外性に欠けるきらいがある気もしないでもないのですけれど……。
 キャラ配置で物語の行く先がある程度見えてしまっているという……(^_^;)。

 今作でも真犯人が誰であるかは定番どころのキャラでしたし、クライマックスでの緊迫感はアクションの行方にかかるというのは荷が勝ちすぎているかなぁ……というトコロ。
 そこで悲劇を描ける御仁であったりすると、別のトコロから突き抜けた感想を抱くのですが(とはいえそれが好評価になるかどうかは難しいトコかも(^_^;))。


 いろいろあったけれどハッピーエンド。
 大きすぎない倖せで満足している姿に嬉しくなる終わり方。
 全ての困難が取り払われたわけではないけれど希望をカンジさせる結びに、ホッと安心できる作品、御仁です。




 中学2年生、総勢35名のクラスで描かれる「好き」という感情の行方。
 通じ合う気持ち、これから始まる気持ちがあるなかで、届けられる予感も結ばれる期待も無く行き場を与えられない気持ちが教室には充満しているという。
 あー、もう!
 こうした感情の切り取りかた、まさに豊島センセの真骨頂ですわ~!!!(><)


 気持ちの届け方、昇華の仕方を心得ていない幼さやつたなさが愛おしいデス。
 なんちうか、こう、風船の中で気持ちがどんどん膨らんでいくカンジ。
 破裂するまで外の世界に開放されることがないという。

 あまりにも真剣すぎて余裕がないのもまたカワイイっちうか(^_^;)。
 世界は「2年2組」の教室で閉じられているワケではないって教えてあげたいのですけれど、少年少女たちにはその世界が全てでもあるのですよね……。
 だからこそ真剣になるという。
 歳を経て、外の世界を知った大人は「次がある」と考えてしまって、ひとつの恋に真剣にならなくなるのかなー……。

 14歳の身空で語る感じるトコロの「真剣な恋」といってもやはり「14歳」のそれでしかないのですが、だからといってここで描かれている恋が一生物にならないとも限らず。
 次があると思いもつかず、ただ今の時間を生きることに必死になる強い感情。
 このパワーこそが若さなのかなー……(^_^;)。


 掌編が集められた作品ですとどのお話が良かったかとか考えるのが常なのですが。
 んもー、眩しすぎるよキミタチ!(><)
 選んだりなんかできませーん!!!
 どの気持ちも切なくて切なくて、少しだけ甘酸っぱくて。


 あんまり嬉しくなかった。いつかそうしたいと考えていたはずなのに、達成感よりずっと、苦しさのほうが胸を満たした。やわくて熱い、やらしい唇、でもくっつけ合ったってなにが変わるわけじゃない。俺たちはいっこといっこのままで、同じ願い事を抱くことすらできない。


 せつねぇ……(TДT)。
 なんてこと考えてるの、中学生……。
 でも、そこまで考えられるのは羨ましくもあります。
 初恋って……うんうん、こういう気持ちだったんですよねぇ(≧_≦)。

 愛おしさと寂しさと、嬉しさと不安と。
 たくさんのドキドキにあふれている作品でした。




 14歳のオンナノコたちの身に突如降りかかった転変。
 性逆転、大人化、人格入れ替わり、動物への変態、憑き物。
 昨日と変わらないハズだった毎日が、ひとつの転変とともに自身の世界をひとつ決定する方向へと動きだして。


 んー……なんちうのかなぁ。
 きっかけがあって物語が動きだすってのは当たり前のハナシなんですけれど。
 変化していくことが物語だと思いますし。
 んでもその変化の行く先がヒネてるっちうか悪意にあふれてるっちうか。
 悪意に満ちてるってワケではないにしても、どこか露悪的な気もするのですよー。


 世界ってこんなにも脆かったのかな?って感じます。
 変わることは仕方ない。
 でも、流れるままではなく変わらないものもあるような。

 たったひとつのことで日常が非日常になって、その先にある非日常の積み重なった世界は頼りにならないくらいに小さなモノ。
 寄る辺を失って、少女たちはどうやって生きていくのかなー……って考えたとき、人間なのだからひとりで生きていくしかないのだなぁ、って思ったり。


 少女たちの物語のなかには暗さを感じさせずに結ばれた物語もありますけれど。
 そんないっときの倖せだけでこのあと生きていく時間の全てが照らされているようには感じられなかったのですよー。


 気持ち悪さと恐さの同居した作品。
 しかし少女時代の終焉は突然訪れて、彼女たちの世界はいつだって儚い。
 そういうことなのかもしれません。




 ある週のウィークリー音楽チャートの順位を下敷きに、各順位のアーティストにそれぞれスポットをあてて日常を切り取った10の掌編。
 初登場1位を宿命付けられている歌姫、その歌姫と取って代わろうとする新人、音楽性に苦悩するベテラン、限界を感じて引退を考えるアイドル……etc。
 たった1週のチャート結果ながら、それに思い描く感情は各人でドラマを持っているという。

 んもー!
 豊島センセはこういう短編連作が上手いな! ホントに!(≧▽≦)
 「日常を切り取った」と先程は述べましたけれど、その切り口がスパッと鋭利な断面を見せているようには感じられないのですよね。
 そうして単純化すればもっと綺麗でもっと明確な物語になるかもしれないのですけれど(往々にして世の中に上梓されている作品群はその道を選んでいるように思います)、しかし豊島センセは世界はそこまで単純ではないと考えておられるような。

 かといって、どうにもならない複雑怪奇な世界を描いてるかといえばそうでもなくー。
 世界は両手の広がる範囲で収まるものではなくて、そのもう少し先までつながっている……というような空間感覚、ちうか。
 もっと遠く、もっと広い世界で、ひとりの人間が思うところではどうにもならない部分は広がっているけれど、でも近しいところでは自分の気持ちの有り様ひとつで動かせる部分はあるものだよ、と。


 「(キャラクターなどの要素が)有機的につながっている」とは簡単ではない関係性を表す目的で用いられる言葉ですけれど、わたしにはこれまでのところそのつながりを二次元的にしか受け取れないトコロが少なくなかったのですよね。
 既存の作品において。
 でも豊島センセの作品って、もっと立体的に、三次元的に人や物のつながりを描いている気がしてくるのですよー(^-^)



 本編はどれも趣が異なっていて味わい深いのですが。
 あえて選ぶとすれば5位にランクインした(笑)アイドルグループ「シュガフル」のメンバーのお話が好きかな~と。
 芸能界を一生の仕事とは思うことの出来ないメンバーにどう接すればよいのか悩む主人公。
 そんな主人公でも学校へ行けば芸能人扱いされてあまり親しい友人もいないのだけれど、そんな中でひとり、なにも気負わずに接してくれる普通の友人ちゃんがいるのですがー。
 彼女との気安い雰囲気がまた良いのですよ~。

 友人ちゃんは話しのメインに位置するワケではないのですけれど、こういうポジションのキャラもしっかりと描くあたりが豊島センセの魅力のひとつかもですわ~。


 倖田來未さんを彷彿されるキャラを描いた第2位の相葉ミリ嬢のお話も面白かったですけど。
 芸能人しながら恋人とラブしている度胸を買うね!(笑)



 芸能(界)モノって最近ひとつの潮流がオタのあいだであるような気がしますけれど、そうした流れにおいて必読の1冊かもです(^_^)。




 高校卒業と同時に選択の余地無しで林業の現場に放り込まれたオトコノコのお話。
 文明から遠く離れた田舎暮らしに当初は辟易しながらも、なにごとにも大らかな村民と触れ合い、都会では見られない自然のダイナミズムを目の当たりにする中で見事に順応していくオトコノコ。
 都会では生きる目的を見つけられずにくすぶっていた彼が田舎暮らしを経て「大人へと成長する標」を見つけるまでの物語。


 林業という昨今話題の後継者難な職業現場を舞台にするあたり、三浦センセらしい嗅覚というか視点というか、面白いものを感じ取る作家としてのセンスを感じます。

 林業のみならず生活上不便が多い田舎暮らしって、こと現代の物語を書き下ろすにあたっては一筋縄ではいかない部分が多々あると思うのですよ。
 都会モノへ向けての共感性とか、反対に田舎暮らしへの好奇とか。
 そういうったものをどちらか一方に偏ることなく、ことさら堅苦しい雰囲気を醸成せずに語っていくのは見事なバランス感覚ではないかとー。


 なんといってもキャラ配置が絶妙ですよね~。
 主人公の勇気は10代の少年?として年相応に反発しつつも、ただ逃げることは負けだと受け止める負けん気とかー。
 アタマで理解するより先に大事なモノ大切なモノを感じ取れる積極性とかー。
 その行動力とか気概や性格がまったくもって主人公(笑)。
 そんな単純な勇気が主人公だったからこそ、この作品は物語になっているのだなぁ……と思ってしまうくらい。

 その兄貴分の与喜は無茶と無理を通しながらも細かな気遣いは忘れてませんし、言葉より行動で道を示す頼りになるガキ大将(笑)。
 ほかにも仕事の先輩たるおじいさんたちが脇を固めて、勇気の成長を厳しく温かく導いていくという。

 うーん……。
 こりゃファンタジーのビルドゥングスロマンですかいの?(^_^;)


 とくにキャラクターというものが用意されていなくても村中みんな顔見知りな田舎村独特の交流があって、それがまた都会にはもう見つからない絆として描かれているんですよね~。
 たしかに鬱陶しい部分もあるのでしょうけれど、そうした関係をうらやましくも思えるのです。



 一点、惜しむらくは、そんな村で出会った年上のワケあり女性とのロマンスがかなり省略されてしまっているところなのですがー。
 今作においてロマンスはちょっと的はずれな方向性でもあるでしょうし致し方ないトコロでしょうか。
 オトコノコにとって恋心は起爆剤である――その意味づけは十分に描かれていますし(笑)。


 林業という仕事についての描写以外にも、村の祭りや四季と共に姿を移ろう山の情景とかまでもしっかりと書き込まれていて。
 ステキなスローライフ読本ですわ~。




 ラスト、どちらにでも受け止められるよう決定的なコトを描かずに「結末やアナタの考えるように」とする形式のリドルストーリーが連なった作品。
 そういう技巧的なことは、んー……という次第でいまひとつ意義を見いだせなかったのですけれど、でも根本的にそういう雰囲気っていうんでしょうか、このような描き方って米澤センセって普段の作品からあるような気がします。
 ほかのセンセと比べて、ラストに事実の重みだけを乗せて心象や結論じみたことを述べないっちうか。

 というようにカンジたので「リドルストーリー」という形式そのものを前面に打ち出した今作にはどうにも収まり悪い気がしてました。
 普段、無意識で行っていることをあらためて意識的に行う居心地の悪さと言いましょうかー。


 とまれ、偶然的に引き受けた書籍の捜索を続けるウチに、やがて隠されていた隠していた過去の事実と向き合っていく流れは大きく引き込まれる強さがあってさすがだなぁ……と。
 こういった構成についてはもうベテランの域ですよね~。

 で、どのエピソードからも、そして最後に打ち明けられた真実からも、甘く許されるような希望とか優しさとか見えてこないあたりが厳格な雰囲気を受けたりして。
 主人公が高校生である<古典部>や<小市民>シリーズでは抑えられているそれが、主人公の年齢が高くなるにつれてタガが外れていくような……。

 もとがライトノベルレーベル出身ということで、なにか意識してしまっているトコロがあるのかしらん。
 マイケル・ジャクソンのラストコンサートへ向けてのリハーサル映像を収録したドキュメンタリー映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』を観てきました。

 感想をひと言で言うなら……「かっこいい」かなぁ。
 マイケルのダンスとかそういう部分はもちろんのこと、コンサートにかける思い入れとかそういう部分も含めて。
 スタッフへの指示とか議論している姿とか、良いモノを作ろうとする真摯な態度がまた。
 決して感情的でなく、押しつけるようなトコロも無く、納得して悟ってもらえるように言い含める姿がカッコイイなぁ……と。

 私生活の部分ではいろいろとスキャンダラスな人でありましたけれど、心底エンターテイナーだったのだと感じられます。

 もちろん、こうしたことは一流のエンターテイナーであれば誰しもが行っているであろうコトで普段はそうした努力する姿を「観客」へは見せないだけなんでしょう。
 楽しんでもらうハズのわたしたちへ、自分たちがいかに頑張っていたのかを知ってもらう必要は無いという理由で。
 だから、わたしたちがこうしてマイケルの「頑張っていた」姿を知ることができたのは、やはり彼がこの世界にはもういない、彼のエンターテインメントを感じることは無いのだなぁ……と思うと、熱心なファンでなかったわたしですら悲しみを感じたものです。


 マイケルが私的に撮っていたビデオが中心だったなかで「Thriller」だけはひときわ完成度が高く流れていました。
 これがまた素ッ晴らしい映像でですねぇっ!
 ラフなウェディングドレス姿で踊る女性ダンサーがめっちゃCOOL!(≧▽≦)
 高いヒールで思い切りよく踊る姿には感動です。

 ギターのひとりも女性でしたねぇ。
 あのかたも迫力あってカッコよかった~♪

 そうそうギターと言えば。
 あちらの男性が構えると、なんだかギターが小さく見えるなぁ……とか変なところに目がいってしまいました(笑)。


 終盤になると「環境破壊をくい止めよう!」といったメッセージ性が打ち出されてきて、そこには違和感をぬぐえなかったのですけれど、そのこと自体は間違いではないですし実際にマイケルもそれを望んでいた願っていたかなー……と少しは思うので、これはこれで。
 「Heal the World」はなんといっても名曲ですし、締めを飾るには相応しい曲ですしね。


 特になにかあるというワケでもありませんし、私的用に撮っていただけあってカメラもいろいろとよろしくありません(ブレがひどくて途中軽く酔いました)。
 でもこれが彼の勇姿を見る最後の機会だとすれば、この映画の価値はそういう部分とは異なっているのだろうなー……と思います。
 少なくとも某かのエンターテイナーを目指す人には目にしておいて損は無い――そう感じられた作品でした。
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