大河ドラマの主人公は江戸の名プロデューサー 蔦屋重三郎の「べらぼう」な軌跡を訪ねる

新吉原遊郭の出入り口、「大門」付近にあった「見返り柳」。客が名残惜しさから帰り際に遊郭を振り返ったことから「見返り柳」と呼ばれた。数代にわたり植え替えられているという=2021年3月、牧野宏美撮影
新吉原遊郭の出入り口、「大門」付近にあった「見返り柳」。客が名残惜しさから帰り際に遊郭を振り返ったことから「見返り柳」と呼ばれた。数代にわたり植え替えられているという=2021年3月、牧野宏美撮影

▼ゆかりの正法寺は関東大震災や空襲で焼失も供養碑を再建

▼吉原のガイドブックで財をなし、美人画や役者絵の絵師を発掘

▼時代の空気を読み、大衆に受けるものを世に送り出す卓越したセンス

 NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」の主人公のモデルは蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)。数々の書籍や浮世絵を世に出した江戸時代の版元だが、どのような人物だったのか? ゆかりの地などを訪ね、人物像を探った。

 東京都台東区東浅草にある誠向山正法寺(じょうこうざんしょうぼうじ)はビル型の寺院。3階より上階は室内墓地となっている。

 建物に入り、左手のドアから外へ出ると、立派な黒い碑が現れる。蔦屋重三郎の墓所だ。1797(寛政9)年、47歳で病没した蔦屋重三郎はこの寺に葬られた。供養碑にはびっしりと字が刻まれている。

平成6年に再建された供養碑

「正法寺は、火災、震災、空襲などの被害を被ってきました。蔦屋重三郎の墓石も残すことができず、寺が灰燼(かいじん)に帰するたび、ご遺骨は歴代がかき集め、守り続けてきました」

 遺骨は供養碑の左にある萬霊塔に安置している、と正法寺の住職、佐野詮修さんは話す。

 現在の供養碑は1994(平成6)年、正法寺の現在の建物が完成したときに再建された。右側には蔦屋重三郎についての碑文、左側には彼の実母顕彰の碑文が刻まれている。

 供養碑の右奥には蔦屋家の墓がある。こちらには蔦屋重三郎や母、親族などの名が刻まれている。その下には山の下に蔦の葉が3枚描かれた模様があり、その左に「蔦屋」、右には「通油町」の文字が見える。後述のように、この絵は蔦屋重三郎の…

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