岩崎恭子さん、14歳娘見守る母の顔 金メダルとった自分と同い年

14歳だった1992年、バルセロナ・オリンピックの競泳で金メダリストになった岩崎恭子さん(46)。テニスをしているという長女は自身がメダルを取った時と同じ14歳になった。プライベートでも親交がある女子テニス元世界4位の伊達公子さん(54)と対談し、娘を見守る母の顔を見せるとともに、水泳への思いなどを語った。
2人の出会いは
伊達 バルセロナ・オリンピックに出た時は2人で話す機会はなかったよね?
岩崎 バルセロナではお会いしていないです。はっきり覚えているのは、アトランタ(五輪)の食堂に伊達さんが来られたんですよ。
伊達 私は選手村に泊まりませんでしたが、1回くらい食事に行ったと思います。
岩崎 勇気を出して、食堂で伊達さんと一緒に写真を撮ってもらいました。その後にお会いしたのはシドニー(五輪)です。テレビで(歌手の)福山雅治さんと伊達さんと私の3人がオリンピックの番組を担当することになり、記者会見をしました。
伊達 恭子ちゃん、大学生でしたね。LA(ロサンゼルス)に行こうかと思っているという話をした記憶があります。
岩崎 そうです。あの後、2002年10月から日本オリンピック委員会(JOC)のスポーツ指導者海外研修でロサンゼルスに1年行きました。それからも伊達さんが時々、「一緒にご飯食べない?」と誘ってくださってお付き合いが続いています。
伊達 バルセロナ、アトランタ、シドニーと全部オリンピックつながりですね。
岩崎 伊達さんが(90年代に)出てきた時は、まだ女性のスポーツ選手が海外で活躍することがあまりなかった時代なので、こういう世界があるんだとかテニスはこういうふうに世界を転戦するんだと思って見ていました。
伊達 水泳はそんなに海外を転戦しない?
岩崎 今は合宿とか留学とか増えてきましたが、私の時代は年に1回程度の海外遠征くらいでした。
自分の経験はちょっと特別
伊達 (急に注目を浴びて)メダルを取ったことが嫌だと思ったことは。
岩崎 それはしょっちゅう。でも、バルセロナで金メダルを取ったから今も水泳と関わっているし、普及活動をしたいと思うし、取っていなかったらとか考えたことがないです。
伊達 メダリストのお母さんって、(娘さんは)どう見ているの。
岩崎 別に何とも思っていないと思います。私の友達でもメダリストがいっぱいいるじゃないですか。
伊達 知り合いと自分の親がメダリス…
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