脊髄(せきずい)性筋萎縮症のためにストレッチャーで生活する「あそどっぐ」こと阿曽(あそ)太一さん(44)の職業はお笑い芸人だ。「障害をネタにするのは格好悪い」。そんな思いが変わったのは、養護学校時代に出会った相方が23歳で逝ったのがきっかけだった。【聞き手・遠藤大志】
福岡県筑後市にあった県立筑後養護学校赤坂分校(閉校)の高等部で、3年間を過ごしました。筋力が徐々に低下する難病「筋ジストロフィー」の患者支援に特化した学校でした。私は類似した障害ということで通っていました。すごく小さな学校だったので、とてもアットホームな雰囲気でした。基本的に食事などの介助は先生がやってくれて、介助専門の職員さんも1人いました。
今、私はストレッチャーで寝たきりの状態で、四肢がほとんど動かせないのですが、当時はかろうじてイスに座ることができて、ペンも握れました。ゆっくりですが、ノートを取って授業を受けていました。でも、どの教科も苦手でした。
唯一、好きな教科は体育だった
意外と思われるかもしれませんが、体が不自由な私が、唯一好きだったのが体育です。授業では「ピンポン球サッカー」というゲームをよくしました。卓球台の両端にゴールをつくって、3人ぐらいのチーム同士で打ち合うんです。生徒は障害の程度もさまざまなので、重い人を相手ゴールから近い位置に配置してアドバンテージを持たせました。ゲームは戦略性もあって楽しかったですね。
面白い先生も多かったです。授業中に恋愛について話してくれる先生がいたり、マージャンを教えてくれる先生がいたり。ある先生は、車椅子に乗りながらも地域で1人暮らしをしている人を紹介してくれました。実際にその方の家にも泊まらせていただき、いろいろなお話をさせてもらう経験もさせてくれました。すごく自由な校風だったと思います。
怖い先輩から「お前ら何かやれ」
クラスメートは1人だけです。相方の奥田耕一朗君です。お笑いを目指すきっかけになったのは、彼と一緒に、生徒たちの前でコントを披露したことです。1年生の時、怖い先輩から…
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