安倍元首相撃たれ死去　民主主義の破壊許さない

　暴力によって民主主義を破壊しようとする蛮行である。参院選の街頭演説中に安倍晋三元首相が銃撃され、死去した。強い憤りをもって非難する。

　事件はきのう昼前、奈良市の近鉄大和西大寺駅周辺で起きた。安倍氏の後ろから男が近づき、2発の銃弾を発射した。安倍氏はドクターヘリで病院に搬送されたが、その後に死亡が確認された。

　41歳の元海上自衛官が現場で逮捕された。詳しい動機や背後関係は不明で、今後解明が必要だ。

　民主主義は主張が異なっても、議論を戦わせ言葉によって合意を形成する営みである。多様な意見に耳を傾けるのが基本だ。

　いかなる理由があっても、言論を暴力で封じ込めるような行為は言語道断である。

　安倍氏個人だけでなく市民社会全体に対する攻撃だ。

選挙演説狙った卑劣さ

　とりわけ深刻なのは、民主主義を支える選挙運動のさなかに起きたことだ。

　白昼、多くの聴衆が見守る中での犯行だった。街頭演説は、不特定多数の有権者が政治家の話を身近に聞くことができる場である。そうした機会を狙ったのだとしたら許されない。

　一報を受けて自民、立憲民主両党はじめ多くの党が、幹部による街頭での活動を中止するなど影響が出たが、選挙戦最終日の9日は各党とも予定通り活動を行う。

　岸田文雄首相は山形県での遊説を切り上げて急きょ首相官邸に戻り、「民主主義の根幹である自由で公正な選挙は絶対に守らなければならない。暴力に屈しない」と語った。野党も非難するコメントを発表した。

　歴史を振り返ると、首相経験者が襲撃によって命を落としたのは、戦前に陸軍青年将校が高橋是清ら政府高官を殺害した2・26事件以来だ。日本はそれ以後、軍国主義の歩みを強めた。

　選挙期間中に政治家を襲撃するという凶悪な事件は、戦後も発生している。

　1960年の衆院選直前、社会党の浅沼稲次郎委員長が演説中、右翼の少年に刺殺され、当時の日本社会に衝撃を与えた。

　2007年の統一地方選では、長崎市の伊藤一長市長が暴力団関係者の男に銃撃されて死亡した。

　今回の事件は、治安が良いと思われている日本で大物政治家が凶弾に倒れ、世界でも驚きをもって報じられた。

　首相経験者にはSP（警護警察官）らの護衛が付いているが、警備に隙（すき）はなかったか。民主主義の基盤を守るため、警察は取り締まりに全力を挙げ、再発防止に努めなければならない。

　安倍氏は06年に戦後最年少の52歳で首相に就任した。第1次政権は短命に終わったが、民主党から政権を奪取して12年に首相に返り咲いた。第2次政権は7年8カ月続き、憲政史上最長の在任期間を記録した。

政権返り咲き歴代最長

　デフレ脱却を目指した経済政策「アベノミクス」で大規模な金融緩和と大胆な財政出動を進めた。消費税率を2度引き上げて現在の10％にした。安全保障政策の強化にも取り組み、集団的自衛権の行使を一部容認する安全保障関連法を成立させた。

　衆参両院の選挙で連勝し「安倍1強」と呼ばれる体制を築いた。

　ただ、賛否が割れる政策を強引に進めるなど異論に耳を貸さない政治姿勢が、国内世論の「分断」を招いた。

　森友・加計学園問題や首相主催の「桜を見る会」の疑惑が相次ぎ長期政権のおごりも指摘された。

　20年9月に体調不良で退陣後も、党内最大派閥の領袖（りょうしゅう）として影響力を持ち続けた。最近は岸田政権に対し、防衛費の増額や積極的な財政出動を求めるなど、存在感を高めていた。

　参院選を巡っては、街頭演説中の元野党幹部が暴行を受けたり、危害を加える意図で別の元幹部の事務所に侵入した男が逮捕されたりする事件が起きていた。

　経済の低迷が続き、格差の広がりや世論の分断が指摘される。社会の不安や不満をすくい上げ、政策に反映するのが政治の役割のはずだが、そうした使命を十分に果たせているだろうか。

　今回の事件を受け、政治活動が萎縮するようなことがあってはならない。暴力に屈することなく、自由な言論が支える民主社会を守らなければならない。