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普段の中に正当性を求めて

私の考え出す基点を真っ当性の中に、出来るか否か 日本国の思いを馳せながら綴ってゆこうとの所存です。

言葉の概念構図

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/day-20171231.html

> 今回の譲位問題をめぐっては、
「そもそもの始まりが、NHKの『生前退位』という不気味な言葉だった」
「マスコミが、陛下の譲位問題について『世論調査』を実施した」
「陛下のお勤めが難しい場合、摂政を置くべきと皇室典範に書いてあるにも関わらず、なぜか譲位になった」
「譲位特例法の付帯決議として、野田佳彦や蓮舫が『女性宮家の創設を検討する』という一文をねじ込んだ」
「譲位の日時が、政治的都合で決められた」
 など、日本国民として納得ができないインシデントが多々ありました。 < 抜粋引用

物心の付き始めから言葉と共に文字を覚えてゆきます。読み書きの基本像を心得ながら頭の中に植え付けてゆきます。

日本人なら日本語をと言う事ですが、なかなかに会得する事は大変であります。しかしながら意思表示法の一番大切なところでありますから、いやがおうにも覚えなければ日本人が務まりません。

そこに大事さが加わり、日本語の意味合いを深くしてゆきます。古来から連なる日本語はどこから来たのだろうかと司馬さんはいい、そのルーツを若い人に尋ねてもらったらなあと言っておられましたが、相当の時間が必要なのでしょう。

漢字と言われるように支那から伝わったと言われていますが、伝わったはいいが、当時の漢字と現代語の漢字とでは幾分に趣が違うようで、ひらがなでも漢文詩のようにいろいろの変化をして、今日の日本語の土台をこしらえたのであります。

俗に日本語は外国の人にとって難しいと言われている。難しいだけに奥深い文語が隠されているのではないかと思ってもみるのですが、日本語は連鎖機能を帯びていると感じている。

一つのことを言えば三つも四つもの意味合いが含まれているような発展性の性質を持つのではないかと思っている。

一連の文章を書き綴れば必然的に次の文章が導き出されて物の様を書き終えることが出来えると思えるのです。妙なる日本語の有難さと思っている。

ここにその有難さが崩れるような文章を書き添えているのであります。「生前退位」と言う言葉で、正確には「譲位」と表現しなければならないとか、やはり日本語は難しいと言えよう。

これは皇室言葉になるのでしょうが、一般の人たちも皇室言葉を尊重するならば「譲位」としなければなりません。

尊意構造の意味なれば必定として含み置かねばならない性質のものでしょう。

その日本語の大事さを心得ながら締めくくり、来年の文章の書き添えを迎えたいと思います。

今年も数々の参考にしていただいたブログ主さんに感謝いたします。
良いお年をお迎えください!!
  1. 2017/12/31(日) 18:21:31|
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日本人流儀を破棄す その2

http://www.sankei.com/affairs/news/171225/afr1712250051-n1.html

言論の自由を金銭感覚の社会へと引きずり込んだ事である。
言論の自由の裁定を金銭感覚の社会へと通用させようと試みている事です。

当新聞社の言葉、記述事項は金銭感覚の動向において発せられるのであると言わしめているのであります。

言論の自由を金銭の変動で封じ込める事も可能であると知らしめているのであります。人間否定であります。

裁きは双方に是か非かの趣であり、改める事を社会に知らしめて反映させている。

言論の自由と金銭感覚は人間の社会活動にはなくてはならぬものですが、金銭感覚は人間の裕福さを求めて後で取ってつけた付属ものであり、原理原則活動の元ではありません。

その元ではない金銭感覚を言論の自由社会において刷り込もうとする意図は何なのか?説明を要するであろう。

金銭感覚の動向において、言論の自由社会が推移すると言うのなら、奇天烈な社会構造になってしまう。人間の尊厳的な価値のものではありません。

人間の基本構造である言論の自由が破棄されて、金銭感覚の社会へ取り込もうとする仕草は、現状の社会造りには通用しない、別社会構造を築いている事になる。異質次元構造を持ち合わせている事になる。

当新聞社は言論の自由を破棄して金銭感覚の裁ける物言いしかできませんのでよろしく、そこんとこ間違えんようにお付き合いくださいませねえというわけです。

そんなら前もってそのように宣言しなければならないのでは?購読者を欺いている事になるのである。

なるほとアッチ系の新聞とはそういうわけですねえ。
誑かすには持って来いの日本社会であるのです。
ひたすら日本社会を貶めて支配構造をこしらえ、おれたちの手中にあると思い込ませているような気がしないでもない。
  1. 2017/12/31(日) 11:39:55|
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鮮人気風と日本人気風と

https://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/35012289.html

国家は民族気風を漂わせている。日本国なら日本人気風を持ち合わせてなければならない。

でないと日本国主体性の概念を描けないからだ。よそ者気風で日本人主体性の国造りを成せるはずがない。

その日本国に不必要な風が吹き出しているのであります。いたらん風なのですが、わが国の許容性を謳歌しているのであります。

謳歌してもらうのはいいのですが、これが日本人に楯突いているのです。日本国の鷹揚さを逆手に取り、あろうことか日本国の衰退を良しとしているのです。

日本国衰退すれば住みつけることにはならないと思うのですが、自らは日本国滅亡しても住み続けるつもりであるのでしょう。

日本人が滅びれば、日本国も滅びるのです。つまりよその国になってしまいましょう。

つまりよそ者の放送になってしまうのです。もはや日本国の為に放送しているのではなく、別の国の放送を手掛けている事になるのです。

ここまで気付くのかどうか知りませんが、日本人気風を消失しようとしているのです。

現状の放送局は日本人気風が吹き続けているから、多少の反日も穏便主義の日本国だから流されているのです。

鮮人気風が吹き荒れれば、もはや日本人気風はどこかへ吹っ飛び、当然穏便主義も無くなってしまい、真っ当な放送体制ではなくなるでしょう。

言論の自由は蘇るはずもありません。窮屈な放送体制で日々の暮らしを立てなければならないでしょう。

その時になってやはり日本人体制が良かったなあと思っても後の祭りであります。

現状の北朝鮮、支那共産党のやり方を見れば一目瞭然でありましょう。

後戻りをする国家なのですから、言論の自由なんてなく、反日帯びた放送など出来る筈がありません。

何を血迷っているのか知りませんが、日本国に住みつきながら主体性の概念を見失っては困るのであります。放送体系の在り方を問うている。当局は日本人気風を持ち合わせていないと言うのなら話は分かりますが、、、。
  1. 2017/12/30(土) 23:13:15|
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日本人流儀を破棄す!

http://www.sankei.com/politics/news/171230/plt1712300005-n1.html

個人をも脅かさんとする仕草である。

日本社会は言論の自由を謳歌できる社会になっている。人々の推移を凝らそうと言うわけです。

とりもなおさず基本的人権の最も原理原則構造を捉えんとする言論の自由の概念であります。

自由であるからには責任観念像をこしらえねばなりません。過ちもあるから責任を取る事も忘れずにねえと言う事です。要するに訂正すればいい事です。一連の流れを言論の自由に託します。人間の妙なる生き方の基本形であります。

ここに日本人流儀を破棄し、あろうことか司法において言論の自由を裁こうと願う新聞社がある。

元に言論の自由を裁けるはずがないのに、しかも言論界において司法に委ねる事を真っ当としているのかどうか知らないが、相手側に金銭面を覆いかぶせて自由な言論を封じ込めようと企んでいるところがある。

言論をぶっつけ合う事は良い事であるのに、都合勝手にそれを避けて、一途に不逞奴である、懲らしめなけりゃならんと裁定に掛けているわけです。

当方は懲らしめることも自由に出来るのであると一方的に宣誓しているのです。

当方に楯突くとこういう事になるのだぞ!と口を慎めと訴えているのであります。

言論の自由を謳歌している社会において、その言論の自由を破棄して、裁定こそがまともに叶えられるやり方であると、別の方策を言論機関が探っている事です。

ここでは言論の自由は破棄して、裁定の社会を身勝手に作りだし、俺たち新聞社には独自の言論封殺と言う社会造りも可能なのであると異次元構造を言論の自由と言う社会に刷り込ませようとしているのであります。

己の都合のいいように割り振りするわけです。言論の自由も割り振り上手さが加わるのであると自負しているのであります。

当方が自由に物申す事は構わないが、相手側が自由に物申す事は罷りならんと拒否しているのであります。当新聞社が言論の自由社会に生きる事は許されるが、相手側は生きる事は許されていないと剥奪しているのであります。だから当新聞社が訴えることは理に適っており、言論の自由社会には相手側は剥奪されても構わないのであると一方的に思い込んでいるのであります。

思い込むのは構わないが、相手側の趣旨、主張を尊重するのが先でしょう。

お互いの主義主張は尊重しなければならないからです。ここに言論の自由の観念性が生きてくる。

一方的に相手側の主義主張を破棄して、言論の自由もないもんだ。

司法に訴えると言う事はそういう事でしょう。

司法は人間の精神面での白黒の判定であり、善か悪かを人間としてあるまじき振る舞いはよしましょうと裁定を下すのでありましょう。

人間の基本的原理原則構造を破棄せんとする暴挙であります。しかも公的機関がであります。
あっち系手法を日本社会に刷り込まんとするペテン師となる。


  1. 2017/12/30(土) 11:56:25|
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慰安婦・合意事項の観念性 その3

前政権が合意した事は、現政権には納得がいかない合意であるから、再び新たな合意事項が必要であると言う。

韓国では政権が変わるたびに新たな合意事項を目指さなければならないと言う。韓国とはさようなところとおもって、以後合意するようにと諭しているのです。

国家間の合意は現政権下の合意が最も相応しいものであるのです。では現政権が合意したものは次なる政権下ではどうなるのでしょうか?それはやはり次なる政権になった時に合意せねばならないと言うのでしょう。

これでは交渉相手が定まらないのではなかろうか?いっその事合意しなさんなと言ってくれれば、同じ轍を踏まずに済むのですが、、、。

つまり新しい政権が誕生すれば前政権の合意事項は反故になると言う。

政権、政権で趣の違う仕組み構造が出来上がるのであります。

これでは国民はたまったものではなかろう。新しい政権が出来るたびに国民は靡かなければならないのである。国民主体性の概念が存在しないようになる。

政府自らが主体性の概念を放棄しているのだから、国家としての概念を描けないのであります。描けるのは政権政権ごとの仕組み構造になびく仕組みをこしらえている事です。

これはどういうことかと言うと、主体性の概念が政権ごとに代わるのであると言う事で、国家構造が時に、個人構造を優先する不特定な国造りとなるのです。

で朝日新聞はこのことをまず向こうの言う事を優先させよ、主体性は向こうにあると思い込め、して日本側も首突っ込んだのだから、機嫌取りに終始せよと言わば韓国と同類項になりなされと言うのです。

当国民は気位が高くて、政府も往生しているのですよ、分かってくださいよと日本政府に泣きついているのでしょう。
日本側が上手く引っかかってくれればいいがなあと、片方の目はアカンべーと舌を出しているのかもしれんが、、、。
  1. 2017/12/29(金) 22:20:32|
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慰安婦・合意事項の観念性 その2

http://deliciousicecoffee.jp/blog-date-20171229.html

国家間の合意事項とは相手を困らせる事ではなかろう。相手を手懐ける事でもなかろう。

相手と握手すれば、合意成立と言う意味もあろうが、気心を合わせましょうと言う人間としての気質が備わって見て始めて至るものであります。

いや当方の合意と言うのは貢物持って来いのスタイルであり、一部(>元慰安婦たちの意見を十分に聞かなかった<抜粋引用)で合意は不十分であったのだ。

再度合意事項を取り付けたいと韓国側は促しているのです。例によって例の如しですが、慰安婦との気心が一部ではあるが通じてなかったというのでしょう。

早く言えば、慰安婦問題より、当韓国側の政府(公約として当選したわけだから)を日本側は見立ててくれ、顔を立ててくれと言うのでしょうが、、、。

日本側は何も言っていないのである。韓国側が独りでに持ち出して独りで騒いでいるだけだで、そっちの国内問題であるわけでしょう。

自らの国の事を片付けられんようでは交渉の余地はないでしょうに!あえて干渉して言うこと聞いてくれればいいが、とても聞く耳を持ち合わせていないような気がする。

第一慰安婦問題はもう持ち出さないと決めたのではなかったか?それさえも打ち破り、また再び持ち出したと言う事は貢物持って来いの口であり、もっとよこせの、足りないだのゆすりたかりの部類になってしまうのですが、それではあなた方韓国政府のメンツが立ちますまい。尤も当方を国家として見定めてくれるなと言うのなら話は別ですが、、、。
  1. 2017/12/29(金) 10:03:14|
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慰安婦・合意事項の観念性

http://deliciousicecoffee.jp/blog-date-20171228.html

真義事項の観念性において、お互い同等の気質構造を持ってはじめて成立するのであります。

他国同士が持ち合わせる観念像は違うものであり、日本人気質とは違うのでありましょう。

ここに国々の観念性を定めるべく、いくつかの選択肢が存在するのですが、これらを全く寄せ付けないところが存在する。

そのようなところと何やらあったようななかったような事柄を表に持って来て成立させようと言うのだから、お互いが濡れ衣をかぶせたような合意事項になってしまうのです。

これには片方が資質構造の概念を把握していないことが原因であり、ちゃんとまともにしようと思って取りまとめたところがみそであったのです。

民族的な資質構造の部分がはだけだして、合意に結び付けようとしたのがそもそもの発端でありました。

合意付けの概念が存在しないところに、合意を取り付けたように見せびらかしたのがまずかったのであります。いいように利用させられたのであります。

嘘も百回言えば本当になるがごとく、貢物持って来い、もっと出せ、足りないと手懐けるのであります。あっち系の気質に日本側はうまく引っかかったのであります。

日本国は目の上の瘤であるのでしょう。ようするに日本人が韓国人より上に出る事は罷りならん、常に下部に置きたいのでしょう。韓国人が日本人より賢くて位は上であるのですと位置付けたいのでありましょう。

日本人と顔形がほとんど変わりなく、同種の種族のようであり、それなら韓国人が位は上であると慰安婦問題で舵取りを取りつけ、このままずっと手懐けたい腹積もりなのでありましょう。

日本側も堪忍袋の緒が切れたという所でしょう。付き合うからこのような目に遭うのです。日本側も懲りずにお付き合い、関わりを持たがゆえの不幸であったのです。結果がこれなのですから自業自得と言えばそのようであります。

何も韓国側が百パーセント不利になったと言う事ではないのです。日本側のなあなあ主義が招いた事柄が跳ね返ってきたことだで、これからも尚お付き合いするのかしないのか?選択肢はずっと続くようです。
  1. 2017/12/28(木) 12:21:49|
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日本人に反抗しているのか?

http://deliciousicecoffee.jp/blog-date-20171227.html

日本国は先祖からの恩恵を受け、現状の社会を築き上げている。我ら一代が築き上げたものではありません。多くの人たちの血と汗が滲んだ結晶としての遺産が日本国であります。どこも一緒のはずであります。

日本国の行く末は日本人に任せなければならない。よその国の人に任せればよその国になってしまいましょう。ここまで来たのは他ならぬ日本人形成の日本国でありましょう。

ここに日本人とよそ者の資質構造の概念が一様ではないと言う事です。

日本人がよそ者に合わせるのか?よそ者が日本人に合わせるのかであります。

ここに朝日新聞がある。日本国において新聞分野の開拓を帯びて日本人に知らしめているのであります。

知らせてくれるのは有り難いが、およそ日本人を無視した構図では嫌われもしましょうに。

多々反省の概念を持ち合わせれば、その分に反省の気質を整えればいいわけである。

日本人に対して是是こういうわけで当新聞社は考えていると、現状はこのように推移している。如何様な事態になろうが、日本人気質に則り考え方があるはずだから、信義構造に置いて正しいのではないかと思えると日本人流儀を乗せればいいのである。

なまじよそ者流儀を乗せるから真っ当な判定が出来ないでいるのであります。出来たとしてもよそ者流儀優位性構図であったわけです。

つまり大げさに言えば日本人が存在しない、物の見方を日本社会に押し付けているわけです。

ここは日本国であります。日本人を誑かす魂胆があからさまに見え、とても日本人本義構造を会得しているとは思えない報道だからであります。

ここにも反省の弁さえ整えていれば、日本人には通じるのである。

その弁明も通じないような仕組み構造を描いているから不可解であるのである。よそ者気質しか見ていないと言う事です。これでは嫌われても仕方ないのではなかろうか?

反省の流儀を心得よと言う事です。ここが日本人の律するところであるからです。

よそ者流儀の蔓延りは許すことが出来ないのです。日本国で流行らそうと言うだから謀反であるのです。気付くのか気付かないのか?試されている新聞社であります。
  1. 2017/12/27(水) 23:36:38|
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日本国に空母と潜水艦を!!

http://blog.goo.ne.jp/wagasato/d/20171227

空母は沖縄と日本海に浮かべ、潜水艦は日本国近海にと潜らせ、自国の守りは自国で賄うがごとし。自国守りに受け身構造の仕組みは不自然であり、効力を高めるために必要な事は手を打つべし。有事近いと設定しても可笑しくはない。
  1. 2017/12/27(水) 21:50:53|
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日本国建国の足を引っ張る輩

よそ者を撃退する方を見つけ出さねばならない。何で日本国に住みながら日本人が貶められなきゃならんのだ。不可解である。別に悪いことしているわけではあるまい。

日本国本義構造は日本人にある。よそ者にあるのではありません。
ところがこれがあるのである。

日本人本義構造よしましょう、よそ者本義構造をこしらえましょうよとしているのです。

その典型的なものがメディアと呼ばれる公的機関であります。俗にいうマスゴミでありますが、日本国の恩恵を受けながら、日本人心得の本義構造は持ち合わせてはおらず、あからさまによそ者本義構造を優先しましょうよと日本人をおちょくっているのであります。

これらの部類はさっさと退治すればなんてことないのですが、退治できないでいるのです。何とも奇妙な現象がわが国には存在するのです。

挙句にヘイトとかいうもので日本人に適用させているのです。あまりに日本国が住み易いためによそ者から貶められているのです。

俺たちは日本人封じ込める事は許されているのであると勝手に解釈し、アッチ系よろしく得意技を披露しているのです。

日本国に居ながら日本人が貶められりゃせわない。日本国の不備体系といわれりゃそのようであります。腑抜け構造の一環でありましょう。

この仕組み構造を脱却しなければ、日本国建国は無きものと思わねばならない。

反日本人的気質があまりにも蔓延りすぎているのであります。また我が国も妙に温存しているから、味を占めて企み事を拡大させているのでしょう。いわば育て上げているのです。責任は日本国にもあるのである。

我が国を住み難くしている輩を取っ払ったらいいわけです。国家法義に逆らう奴を取り除けばいいわけです。

その取り除く仕組み構造を持っているはずなのに、持て余しているのであります。反日本人的仕組み構造を持っているところから取り除くことが要求されましょう。日本国建国の足を引っ張る所です。
  1. 2017/12/27(水) 20:57:39|
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