私の考え出す基点を真っ当性の中に、出来るか否か
日本国の思いを馳せながら綴ってゆこうとの所存です。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-7a01.html
つまりは手前の都合に合わせて放送したいのであろう。(都合身勝手放送屋)
2009年8月の総選挙に際して発言した動画映像での発言
> その最たるものがNHKだ。NHKはニュースでも、
「書いてあることは命懸けで実行する、書いてないことはやらない、それがルールです」
の部分しか放送しない。<抜粋引用
〔>「シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。
そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしい」<抜粋引用 〕この部分はカットされていると言う。
画像までもカットし、発言までもカットしうる能力を持つ。つまり手前の都合のいいように加工することが出来るのです。
要は国民の人が判断するのだからよかろうもんという事です。当局は都合の悪いことは放送しなくても構わないことになっている。
あなた方だって都合の悪いことは言いたくないことだってあるでしょう、それと同じですよ!
分からなければ分からない人がそれだけの能力しかなかったことでありましょう。局側はそこまで感知するわけにはゆきません。と踏ん反り返っているのであります。
あくまで受け取る人の感覚であり、自己責任において解釈してくださいということであろう。報道性に偏りはあるかもしれないが、局側のある程度の意識は仕方が無いものでしょう。会社組織の悲しいところであります。
これが国民の財産である電波法を授かっていないのであれば許されもしましょうが、自前組織会社の判断なれば視聴者も見なければ事は済むのですが、報道の真実性を基点に国民は公の役目を放送局側に依頼しているのであります。
操り精神まで身に付けているようであればもはや日本国には無用の放送局であります。どこぞへ出て行ってもらっても止めは致しません。喜びこそすれ悲しみは致しません。
- 2012/01/30(月) 21:32:19|
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http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-840.html#comment
基軸通貨がドルである以上はほっといてもお金を優位性に扱うことが出来ましょう。資産凍結はお手の物、為替レートも手の内にあるのではなかろうか?
まずは優秀な人材がアメリカを目指す事です。日本も昔はアメリカ様様で目上の別のような人種であると小学校の頃は思えたものです。
列車からガムや缶詰などを投げてくれ拾った覚えがあります。尤も列車が通るのを待ち構えて手を上げてアメちゃんアメちゃんと言って催促するのですが当時は食い物にも難儀をしていた頃だし有難かったのでしょう。
ともあれ現在も世界の頭脳の集積地であります。各国の才能、才覚を頂こうとの腹積もりもあるであろう。アメリカ人の優秀なところであります。
人々は自由を求める、基本の生活体系を成すアメリカであります。世界の先端をリードしながら人類に寄与しながら網の目をはぐらし利益誘導体制とも言える社会権を作り上げようと意気込んでいる。
つまりは金融資本の体系作りを世界に張り巡らそうと試みているのでしょう。金融には何処から取ってきたのか、あるいは何処そこの物であるとのけじめが無い、都合のいいように策略を絡めることが出来ましょう。
優位性、即ちお金を余計に持っている方が即勝ちになるのです。自由主義のいいところでもあり、悪い事になれば不景気を世界に押し付けることも出来ましょう。
一様にお金を膨らます方に方向性が定められ必然的に弱いところは貧困の憂き目に遭う。
同等にして立ち向かえればいいのですが頭脳がアメリカの方に行ってしまっているから弱いものが残っていては太刀打ちできるものではない。
勢い金銭を都合のいいように何かに引っ掛けて巻き上げられるのが関の山、この策略にTPPも言うまでもないこと。
日本丸は浮いているけれど中身が貧弱ではいつ沈むのか不安で使い物にならなくなってしまう。まさに現状はここの所に差し掛かっている。まだ誰も舵を握り切れない迷走中の日本丸であります。
- 2012/01/30(月) 15:57:06|
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http://yukokulog.blog129.fc2.com/blog-entry-802.html#comments
日本のこれからを仕向けることである。このままでは衰退してしまう危機感からの構築である。
本来の日本の姿勢に立ち返ろうではないか、目指す方向性を突き進むより手はないのですが、かくもこのような日本ではなかったはずであります。
何故このような状態になったのかを検証する、国民が不甲斐ないのか、政治家がつまらないのか?日本らしさを無くした原因は何か?排除せねば日本は立ち行かなくなる。
成長性の日本国とならねばならないのに何で衰退への道を辿らねばならないのだろうか?
進むべき方向性を導ききれない何かが横たわっていることは確かである。それは何なのか?
これまでの政策を辿って行けば日本人ならば自ずと分かってくるはずである。
自らの国は自らが守る、守りきれないのなら滅びるのは当たり前の事であります。
これからの政党に託すことを願うのであります。政党の樹立であります。
みんなの党、新党きずな、国民新党、新党大地・新民主、立ち上れ日本、新党日本、などまた新しい政党が出来るであろう。
- 2012/01/30(月) 09:40:36|
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http://www.j-cast.com/2012/01/27120222.html
校庭で私たちの遊ぶ姿を見ていてくれる動かぬ彫刻の人であった。
小学生の頃はどのような人かも分からず、後になって二宮尊徳像の由来を知るのである。
人の持っている回想を蘇らせてくれている。否定する材料は見当たらないのではなかろうか?昔からの言い伝え通りにすればいいのではなかろうか?
つまりは持っている精神であります。人が死ぬまで付いてくる心のあり方を窺い知ることができるのであります。
何はさておいても本を読み勉強せよとの少年の気心が暖かいものとなって伝わってくれればいいのではなかろうか?
少年少女たちを校庭で見つめ励ましてくれているようである。
道を本を読みながらでは事故に遭うとの気心でありましょうけど、携帯持ちながらの歩く姿よりははるかに表現力において、資質性において気高いものであり、子供たちのその旨話して聞かせればいいのではなかろうか?
撤去はもったいなくもその精神までも蔑ろにすることは罰が当たっても可笑しくはない。
清き子供たちの心が育って行くことに祈りを定めるのが大人の務めでありましょう。
かの二宮少年もまさか銅像になって後世への少年少女たちを見守る破目になろうとは夢にも思わなかったに違いない!
- 2012/01/30(月) 07:31:55|
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街頭演説と国会での演説とでは幾分の趣は違うものの本人が変わっているわけではなく、同じ口から発せられている言葉だから言っている本人は責任を持って語っていることに変わりはない。
時間のずれは多少はあるものの以前のものはその時の状況判断で出た言葉であり、現状は時間も経過していることであり、人は時間と共に進化するものであるから変化したとしても可笑しくはない。
上質の方へ変化するものなら救われもしようが、国家国民を蔑ろにするようでは救いようがなくなって来るのです。
何故か?つまり現状の言っていることが後退を意味し、進化しているようには見受けられないのです。
通常は以前よりは進化性のものでなければならないのに、後退の憂き目を見るようでは信用性において当てにはならないということです。
ましてや国のトップである総理大臣ではほとんど言っている価値は無いものになってしまいましょう。国家国民の趣旨を欺いていることになりはしないだろうか?
- 2012/01/29(日) 20:58:34|
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権力構造は対等性の力関係には成り得ない極めて不都合な力関係が生じている。
片方の都合を一方的に押さえ込む作用を持つ。しかも力の弱い所にしわ寄せが行き不均衡な力関係に陥っている。対等性の人間関係にはなりえないのです。つまり法的に馴染む性格のものにはなりません。
法は権力において押さえ込む性質のものではなく、統括を図るためであり秩序維持の為にある。
権力は公の為を隠れ蓑にし、法制度の裏を斯く民衆への迫害と捉えることができよう。人的資質を貶め己の趣旨を一方的に通さんとする謀であります。
ほかを目下勘定に置き己を優位性に見立てる法は存在しません。
咎人において権力を行使する事と普通の人に権力を行使する事とでは意味合いが違ってこよう。国家権威が住民に対して対等性の法規が叶えられ保護されているからであります。住民の暮らしを保護してくれるところの国家の役目が存在しなければなりません。
人類において構成されている国家主義の国家たるゆえんであります。
法は都合勝手に賄うべきものではありません。生活を守る基点として存在するものです。法は国家の守り神としてあるのです。
権力は公の為に保護するものではなく、法の効力は権力の行使とは別枠のものであり、同一性のものにはならない。法の前には皆等しく力を有する。
住民を守る機能が働かねば国家の役目は無いにも等しい。無法地帯となってしまいます。
何人たりとも法において公平に保護されており権力において差し押さえられるものではありません。
中国での法は不正法として官僚たち優位性で賄われている。つまり法の効力を失しているのであります。その法を生かすべき人材が存在していないことになる。
法が地方と中央を行ったり来たりしているのであります。つまり国を守る神が存在しないのであります。
国を守らなくても構わない官僚たちが自己保身を図る道具にされているのです。もはや法の機能は不毛と化しているのであります。
都合身勝手な取り決めが発生して官僚そのものが法と化して都合のいいように取り計らっているのであります。
法の管理体制が失われ秩序無き体制が蔓延っているのです。法の秩序維持管理体制が崩壊してしまっている。これ国家機能にあらず、不合理社会となっている。
- 2012/01/29(日) 13:36:26|
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http://www.epochtimes.jp/jp/2011/08/html/d94046.html
生き方に基本はあるのだろうか?相互関係を維持して人々の生活を持続して行くことにある。
法は誰が守るのでしょうか?人々が守って見せてこその法であります。守る人がいて始めて法が生きてくるのです。守ることが法の基点であります。
守られていないのなら無法地帯になります。人々に守るように促さねばなりません。誰が守るように促すのでしょうか?公に携わる人即ち国家の番人であります。
中国ではこれらの機能が働かず住民の意向を蔑ろにしているのであります。国家の番人が機能していないのです。番人そのものが法を守らずに都合勝手に自らの都合のいいように解釈しているのです。
つまり法の下に平等は取り仕切られてはいないことになる。と言うことは住民側が常に不利な体系を受けている。
片方だけが一方的に優位になる法など存在しないのですが、そのような一方通行の為の法が存在していることになる。
このようなものは法とは呼ばないのですが、今度は中央政府の承認により働くとしている。権力の行使をしているのであります。
権力は強い方が勝つ論理を引き出し動物主観の物見しか出来なくなってしまう。つまり戦争主観の物見しか出来なくなる。戦争状態と同様の見方が通用するようになる。
ほとんど人類社会における物見感情ではなくなってくるのです。人類社会を逸脱している事になってしまう。
と言うことは法があってもないような状態を作り出し無法地帯となってしまうのです。国家機能が働いていないことを意味します。
つまり国家不在となってしまいます。住民を賄う国家が存在しないのです。中国に国家を意識する住民が存在しないことを意味します。
住民はいるのだけれど国家が無い事になっているから法が存在しないことになるのです。
住民は意味不明の人とならざるを得ないわけです。まさか中国に意味不明の人が存在するとするのでしょうか?
人類の趣旨に反する社会が構築されていることになる。人の世にあってはならないことです。人間が人間を破壊させていることになる。
この地球上で人間破壊を招くことがあってはならない。神様に逆らっていることを意味する。
動物感情の社会を築いていることと一緒であります。人類の面影のない社会は築きたくありません。
法を動かす観念性が権力に移行していることです。権力構造の中に法の概念は存在しないものです。
権力は人間が都合勝手に拵えるものであり、法は対等性の趣を抱いて人的資質の配慮を最大限に活用する知力の財産であります。
公権力の効かない神聖な空気を満たす人々の裁量権であります。対等性の人の持っている権利において裁かれるのが上等手段であります。
中央政府といえども承認には天下の法が横たわっており、如何なる人も法の下を潜ることは許されてはいません。
政府というのは民間を取り仕切る為に人々の知恵として賄われる国家機関であってその責任は人類に帰属する。国家の政を機能する唯一の民衆意向を反映させる機能を持つ。
- 2012/01/29(日) 08:12:01|
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日本人が不審に思っているものを何故正そうとはしないのだろうか?
何処を照準に合わせているのだろうか?まさかそよの国を基点に描いているのではなかろう。
趣旨概念構造の事実に近づければ一番いいのですが、そこはそれ歴史上の事にて行き違いもあり、不明な面も出てくる。
日本人の主体性に合った劇場の組み立てであっても依存はあるまい。悪い事ではないのである。
不作為に作り出すことが異質性を帯びるのである。日本人の物思いを打ち砕くようならその責任は重いと思わねばならない。
趣旨概念の表向きは誰しも天皇家で通るものでしょう。現状においては国家国民の象徴である天皇家で充分のはずです。して裏向きと例えれば王家になるやも知れませんが、、、。
時代を遡っての歴史上の劇場製作なれば、普通に表向きを採用しても何ら不思議な感覚ではないのでは?
むしろ裏向きの例えを持ってきたところに王家となぞらえた事である。こうした採用過程を経たところに違和感を覚えるのであります。
必要に何故王家と裏向きの概念を採用したのかということです。何らかの意図を計っているのではなかろうかと勘ぐるのであります。
この頃のNHKの謀は一筋縄ではいかない面を秘めている。胡散臭い不信感を抱かざるを得ないのであります。胡散臭さついで妙に埃っぽさを感じるのであります。兵庫の井戸敏三知事がクレームを付けられていたが、素直には馴染めない。
- 2012/01/28(土) 08:32:12|
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http://cloud.watch.impress.co.jp/docs/news/20120127_507601.html
趣旨において会社存続が第一命令であり、涙を呑んで従業員に削減する旨を通知したのでありましょう。
時代の志向性に間に合わなかったことが人員削減に繋がったと言う事でありましょう。
自然の流れといえばそうなのでしょうけど削減にあった人はこれにめげることなく別の活路を祈るのですが、幾多の山あり、谷ありの人生にて前向きに生きられんことを新たなる進路が待っていることも事実であります。
企業の存続も大事でしょうけど、幾分の働く人たちの生命力にも活力の事を見出せなければならず社会性の役目を維持しなければならない。
他の道があるからろかろうもんでは施策としては不明なものになる。社会の不幸せな面が通常として出て来たのであろう。
仕事の織り成す構成において生活力の安定を維持せねば国としての概念が破綻することになる。
>国内7000人、海外3000人の合計1万人の人員削減を実施する。<
日本国内の人員が多すぎたのでありましょうか?始めから雇わなければよかったのにと思われんことも無い。
これも企業主体性な考え方に基づいており、働く人たちの主体性が蔑ろにされているのであります。つまりは働く道具感覚であります。
企業存続の為には目を瞑ってくれというわけです。あるいはそのままの状態で会社は立ち行かないというのです。止む無しの裁量であり、幾許かのお金を積み増して振り払おうとしているのでしょう。
国家と企業の主体性が違うものであり、同一線上では計れないのですが、公と私の状況では私が負けるに決まっている。
企業が潰れても国家は残るし、人員は残る。一企業の存続性は失われたのは残念ではあるけれど、栄枯盛衰は浮世の習いにて致し方のないこと。これを人材不要としたところに違和感を覚えるのであります。
会社の資産を削減するというのなら話は分かるが、そのくせ400億円の構造改革費用を投入するという。社会性の趣旨概念が会社存続一辺倒の様相であり、確かに業績を上げねば潰れてしまっては元もこうもない。
何故現在に至ったのかを検証し責任の所在を明らかにしなければならないのではなかろうか?でないと人員まで削減して存続を図ろうとする趣旨概念が分からないようになる。
ひたすら業績に立ち遅れた不信感を従業員削減に結び付けるは大企業にしては心許ない限りであります。
会社趣旨の存念を優先する社会が出現したということでしょう。人民の為の会社にあらず、お金を稼ぐ会社が取り仕切る世になってゆくのです。
要するに私的に優位性の働きを有する所が社会を生き抜く条件として浮かび上がって来たのです。人民の面影は二の次ということです。人民の主体性で世は動いていませんとの裏返しであります。
会社が潰れれば元もこうもないでしょう、だから会社を優先させなければなりません、人は世界何処からでも寄せ集め出来ますからそのつもりでこれから生まれてくる人は覚悟してくださいと暗黙の了解を政府は民衆に取り付けなければなりません。
でないと日本国に生まれる価値がないもの。どうせ生まれるなら安い賃金で働ける国に生まれてくれれば、企業側は助かりますから、そっちの方を採用いたしますからあしからずというのでしょう(尤も日本国には人的資質における財産が豊富ではありますが、、、。)
企業の主体性でこれからの世は構成されることになるのです。日本国民は覚悟して会社に就職するようにと政府からお達しがでるやも知れない。
私たちも企業に就職するからにはずっとその会社で働けると思ってはいけません。栄枯盛衰は世の習い、いつ潰れてもいいように各々次なる方策を考えながら仕事せざるを得ないようになるでしょう。
悪く考えれば如何に多くの人員を削減させることが出来たか、無論なりふり構わずに収益も上げることができたかに、会社存続の趣が移行してきたのであります。
グローバル化に日本の社会は掻き乱されて収益が悪ければ人員削減、人件費が高ければ、安い所へ移動すればいい、必ずしも日本で存続する必要性もなしと不特定所属の企業が出現し、収益企業を保護する主体性の社会へと変化して行くのでしょう。
日本的会社のイメージが崩れて国際収益体制へとアメリカ式に移行するのでしょうか?日本人は何処の会社の就職すればいいのでしょうか?分からない!
日本国もアメリカにあるようにTPPではないけれど多国籍企業を保護する優位性の展開がこれからの生き残る条件となるのであろうか?これでは今の不公平感を助長することになってしまう。現状の世情を生かしきれないでいる。
- 2012/01/27(金) 13:57:35|
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何故わが国はよそから策略攻勢に合うのだろうか?わが国がよそを同様に策略しているというのなら、お互い対等の立場で窺えるのですが、わが国はよそを何も策略してはいない。
一方的にわが国が策略に合っているだけで、防ぐ手立てにきゅうきゅうしているのであります。よほどわが国は策略に適しているのでしょう。住みやすい国土の裏返しともいえますが、、、。
わが国に何か収穫があるのでしょうか?収穫があるのかといえばあるどころか惨めな損失を被っているのであります。
これって可笑しいと思いません。可笑しい何処ろの騒ぎではないのですが、下手をすれば潰されてしまうのです!
しかも内部から弱らしめる輩まで存在して何で日本はこのような体系になってしまったのでしょうか?尤も日本国を守る気概が無いからでしょうが、先祖はちゃんと日本人の未来を見ています、あまりにも日本人はお人好し過ぎる。
まるで潰されるのを待っているような素振りであります。在日から日本人は追い出されても良いのでしょうか?社会に日本国消滅の緊迫感が抱けない、それほどに在日の策略が見事なわけで、本当に排除でもしなければ日本民族は世界流浪の旅人になってしまいます。
現に日本各地(長野の聖火リレー、対馬、尖閣列島漁船衝突事件など)から在日、カルト、特亜人から日本人の暮らしを破壊されているのではないでしょうか?果ては国土まで削られ、TPPまでも引き入れんとす。わが国とは同等の資質にはあらず、真義の持ち方が違うのです。
日本国は日本人が建国する義務を負う。ほかの国造りをする必要はありません。
- 2012/01/26(木) 07:58:31|
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