私の考え出す基点を真っ当性の中に、出来るか否か
日本国の思いを馳せながら綴ってゆこうとの所存です。
https://hoshu-hoshu.blog.jp/archives/22334205.html
>共産党の党首選挙を訴えたジャーナリストの松竹伸幸氏が党から除名へ。 <引用
物言いの観念像は、自由であるのに、その自由罷りならんと剥奪しているのであります。剥奪するのは自由であるとしている事です。
共産党の取り行う事に対して、反抗した。よって気に食わないから、その文言をはく奪して、否定構図に据え付け、非難しているのであります。
自由趣旨の観念像を、共産党の趣旨構造を中心に置き考え、その進言は、攻撃したと見なし、否定構図に喃々とするものであるから、受け入れられない。
よって署名処分に致すと言う。共産党が、人物像を否定するのは、自由であるとしているのです。
そうしたらば、助言した人物像は、言論の自由の趣旨構造において、行使したわけです。助言した人物像は、共産党によれば、言論の自由はありませんと、一方的に否定され、剥奪したことになります。
誰しも言論の自由を、はく奪する権限は持ち得ないのに、共産党だけ、言論の自由を、剥奪する権限を誰から得たのか、説明しなければならん。
共産党は、言論の自由を、都合により行使したり、剥奪する権限を天の声から授かっている事になります。
つまり共産党の言論の自由は、天下の神から下された権限と言う事になりましょう。
なぜ共産党にだけ、天の神は言論の自由を与えたり、抹殺したりする権限を与えて下さったのか?理解に苦しむところであります。
何故反抗した人物像には、言論の自由を否定されたのか?別段神様に歯向かったわけでもあるまい。
なにゆえ言論の自由を剥奪されたのか?
どのようにして始めは党首を選出したのでありましょうか?ここに起因する。途中から民主行程破棄になったのか?納得のゆく説明があるはずであります。
迎え入れる人物像に前もって、共産党は言論の趣旨構造を持ち合わせていませんので、党員の皆さん、気を付けてくださいねえ、と宣誓しなければならない。
進言を攻撃したと解釈しているのであります。いろいろの解釈の仕方もあろうが、何故攻撃となるのか?説明してもいいのではなかろうか?
言論の自由は、双方に位置するものであり、人物像を育てる代物であり、人々の心身を磨くものとする。
党首交代は民主主義のやり方で行けば、上等の方策であり、新たな支持層が広がるかも知れない。皆の総意の元に取り計らうのは、民主的な法則に添うものであり、不思議な事ではないはずです。
要するに共産党のやり方は、民主主義工程を破棄するものであります。最初から共産党は、民主工程を破棄する主義でありますから、言論の不自由が、共産党の持ち味でしたと訂正しなければ、辻褄が合わない。
国民欺き誤魔化しの政党でありましたとしなければ、通用した物言いを確保できないことになります。
共産党は、言論の自由を、超越する持ち主であるとなってしまう。
- 2023/09/30(土) 21:40:02|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
人間解釈起点の持ちようと言う事ですが、果たして知力主義より、武力主義を上に押し上げて、世造りの概念が成り立つものかであります。
これも人間の解釈概念が、武力主義が優先する必要があると解釈すれば、そのようになってしまいます。
いいや知力主義を優先する社会にしなければ、人間の知力に対する迫力が廃れてしまう事になりましょう。
人の世造りの概念であり、人間の知恵を磨く事であり、世の進化構造を築き上げる元であるからです。
知恵を育てるでなしに、武力行使できるのなら、知力より上に来るのなら、武力を育てた方が、世界制覇できると解釈する事も、出来るわけです。武力優先構図であります。
人間の為の世造りが、知力主義でなく、武力主義が叶う事になります。知力を使う人間無用、武器使う人間の優位性と言う事になります。
ここで人間の知恵は、武力により制圧できると解釈している事です。人間の知力を否定し、武力を優先する仕組みが望ましいと解釈している事です。
であるなら、人の世を破綻させることになりましょう。これでは何の為に、人の世を過ごしているのか、分からなくなります。
人間の効力を無駄にしてはなりません。人間の知力主義が、武力主義より優ると解釈しなければならぬものです。なぜそのように解釈しなければならないのでしょうか?人の世だからと言う以外に解答用紙はありません。
いいや~当方は武力主義が望ましいと思うのだ。手っ取り早く、人間社会を制圧できるからだ。当方の天下となすには、好都合と解釈であるとしても、可笑しくはないのですが、それでは、人の世に通用する物言いにはならない。
武器使用するにしても、操っている人間は、人の世に暮らしを営むものであり、人間だからです。
いいや当方は、人の世に生きる人物ではありませんとしなければ、辻褄が合わない。偽り物の人間となってしまう。偽った世造りを致しましょうよ、と言うのなら話は別である。
かくして、武力主義よりは、知力主義に邁進することに相成りましたと、人の世進化構造の概念と、一致するのであります。間違っても、武力主義が優先する世造りをしてはならないと言う事です。
- 2023/09/30(土) 08:25:21|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
人間は知力の動物と言えましょう。その知力を、武力主義で押さえ付けようとしてはなりません。
そもそも、次元像の解釈が違うものであり、同一思考で考えるものではありません。
武力観念像は、人間の知力を、排除しようとする輩に替わって、正当性の社会維持の為に、悪辣な輩を抹殺する為に、やむなしの武力として行使するためのものであります。
武力で、人間をはく奪構図に押し嵌めるものではありません。あってはならない事です。
なぜなら人間尊重心の概念を貫く、世造りの為であります。
人間の気概を尊重しないならば、人の世を築けるものではありません。
人間の気概を尊重しない輩ならば、人間を喪失した物体として推し量られよう。
人間にして人間にあらずとなり、由々しき事態になります。そうならない為に、退治する器具が、武器が必要になります。
腕力で叶わない場合も出てくるからです。その為の武力が、正義像としての武器になります。
有意義な武器として活用することが許されるのです。
活用できなければ、資格概念の事として、人の世の将来像が危ぶまれることになってしまいます。これではいけないのですが、人々が知力において解決することになります。
- 2023/09/29(金) 23:21:10|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
https://www.47news.jp/9921352.html
潜水艦持つのに、大国はOKで、小国はなぜ駄目なのか?
大国の潜水艦は、平和を維持する為にあるのであると言う。ならば小国の潜水艦も、平和維持する為に持ってもいいのではなかろうか?
そんならお互い潜水艦を持たなかったら、平和を破壊することにはならんと言うわけですねえ!
かくして潜水艦を持つべきではないと言う結論になり、平和を維持する為に、双方ともに潜水艦を破棄することになりました。素晴らしい着想であったのです。
平和維持する為の構造においては、それぞれに意見の食い違いはあるものの、大国も小国も、異口同音に持ち合わせている事になります。
大国の責任上、潜水艦を持たざるを得ないと言う事のようですが、小国が持つと何か不都合なことが起こるようであります。何故なのでしょうか?
大国までも脅かす存在となれば、潜水艦をたくさん持とうとするのは、人情と言うもの。
よって武器兵器と言うのは、自国守りの精神像を貫く為に、必要不可欠なものとなります。
攻め来る敵側がある限り、自己防衛の為に、潜水艦は必要と言う結論に達しているのであります。
尤も大国が、その攻め入る国々を、こっ酷く叩いて保護してくれると言うのなら、話は別であります。小国も安心して平和維持に協力するのも吝かではないでしょう。
平和維持、事の本義構造はこのようになっています。
- 2023/09/29(金) 21:10:34|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
https://nezu3344.com/blog-entry-5734.html
日本人らしい趣旨感情とは何ぞや!日本人らしく振舞う事である。
多分日本人なら、このように振舞うであろうと思う事でありましょう。
あるいは、似せた日本人風に成るかもしれないが、自らが思う分には、日本人らしく振舞ったと言えるかもしれない。自らの趣旨に恥じなければいいのであります。
他の人がどう思おうが、外れている思いがないならば、日本人らしく振舞っていると言う事になりましょう。日本人ならばこうするであろうと言う思いであります。
自らの信念構造であります。あるいは他から見たら日本人らしくない振る舞いかも知れないからだ。日本人観念像として、これでいいのだろうかと反省であります。いいや日本人ならこうしたはずだと言う自信であります。ここが重要でありましょう。
自らが、日本人であると言う、感覚感情の持ち合わせであります。
日本人あまり先端感情を走ること罷りならん。もっと図太くなれ、狡い人種たれと洗脳したのでありましょう。
俺達が、人種先端感情を担うのだ。日本人種は控えておれ、と言うが如しであるのでしょう。戦争に負けると言う事は、敵対感情概念にも及んだのであります。
GHQの後遺症と言うのは。日本人精神はく奪行為でもあったのです。日本人をもっと見下す位置づけにしなければと焦ったのでありましょう。ほとんど日本人精神を打ち砕く事であったのでありましょう。日本人精神向上心が消え失せて行ったのであります。
この事に鑑みて、日本人精神の持って行きどころであります。日本国日本人なら、恥ずかしくない事であるのです。いわゆる日本人としての誇り構造であります。崇め奉る感情が自然と湧いてくるでありましょう。
向かう感情概念はいろいろあれど、これぞ日本人と言う先人たちを、たくさん見届けることが出来ます。受け継がれている日本人らしさであります。先人たちを辿り、現代人を介して、未来人の日本人を思う事であります。
- 2023/09/29(金) 12:08:07|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
http://totalnewsjp.com/2023/09/28/kurudo-7/
日本国土において、日本社会造りに応分の活躍をし、無くてはならぬクルド人の良さを存分に発揮して、貢献してもらう事が条件でありましょう。
何がなしに、ここは俺たちクルド人の住むべき地域であると、日本人と共存できるのであると迷惑かけるものではない。より良い日本国を作るために、協力するものであると宣誓してくれているのでありましょう。
犯罪を犯して迄、自治区にせよとは、いくら日本人が、不起訴処分にしたにしろ、甘え過ぎではなかろうか?
日本社会に多大の迷惑をかけた、申し訳なかった。如何様な処分でも受けると言うのなら分らんでもないが、ましてや不法移民も多いと聞きます。自前で処分してくれればいいのですが、ほとんど無理でしょう。
日本社会構造を馴染むようには思えないのであります。他人迷惑無用の心意気さえ伺えないのですから、日本社会構造に溶け込むようには思えないのですが、、、。
いかなる犯罪も致しませんと言うのなら、いくらかの救いはあるようにもみえるが、どうなのか?
- 2023/09/28(木) 22:48:26|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
あまりにも対比する主義のようですが、武力と言うのは、悪徳概念に寄せる退治する構造としての主義であり、争う事を起こす主義ではありません。
人物構想の世造りが、真っ当であり、人の世、生きる筋道の概念であります。
人物有用主義で行くのか?はたまた武力有用主義で行くのかの、分かれ道に差し掛かります。
かかる人々は、どっちの主義を行くのかは、知れた事なれど、多くの次元像の時代を築き来たは、武力制圧事項を取り計らって来たところであります。甲か乙かで雌雄を決してきたのです。
これには多数の犠牲的構造を築いてきたところであります。何故犠牲者を出さねば、築き上げることが出来ないのか?
反対者が居るからですが、その反対者をやっつける、武力構造が必要であり、熾烈な戦いを繰り広げて来たところであります。
動物の概念においても、弱肉強食の世界であり、自然界の戦い事は、必然的に、行われてきたのであります。
相争う紛争事を抱き込んで、武力衝突が行われたのであります。
この戦い事は、定期的に行われるものではなく、次元像の歪んだ計らい事を抱え込み、大国と小国、小国と小国などの組み合わせにより、武力衝突して行ったのであります。
国土破壊であり、領土獲得、資源獲得、内部紛争迄抱え込んで、犠牲者を出して、治めて来たところであります。
これからもないとは言えず、現状は進行中の所もあり、複雑な世界状況であります。
当国は、人物を輩出する主義は、取りませんのでよろしくねえと言うようなところもあり、武力主義が、よせ来る波を制圧する事が、容易であるからでしょう。
理に適っているようでありますが、それでは人の世を台無しにしてしまいます。
しかしながら当方は、お金もある事だし、手っ取り早く皆を制圧できますのや!要するに従属主義と言う事ですねえ!早く言えばそういう事になります。
他の所がいややと言えばどうするのでしょうか?それは武力で押さえ付けます。
だから皆さんも武力で押さえ付けられないような対策を講じてください。止めは致しません。
相互に武力で対決することになりますが、やむを得んでしょうと言う事になります。
ここからの肯定が、人の世たる所以であります。皆の知力が、どのような方向性を辿るのかが試されるのです。
武力と人物像との勝負がかけられます。どっちの依存症に趣を置くかは、国々の選択肢に任せられています。自由選択肢の概念であります。
武力主義を叶えられる主義にするのか?人物主義を優位性に組み上げるのか?
人の世ですから、どのようなる世づくりが、最も相応しいのか、世界の人々の自由選択肢に委ねられているのであります。
ただ大国には、責任構造が付いてくることを、忘れてもらっては困るのであります。
平和次元像の、持って行きどころが、無くなってしまうからです。
- 2023/09/28(木) 20:20:50|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
https://hoshu-hoshu.blog.jp/archives/22334205.html
>共産党の党首選挙を訴えたジャーナリストの松竹伸幸氏が党から除名へ。 <引用
言論の自由の趣旨構造は、双方に自由に物言いを叶わせることにある。自由は自らの考えを、世に計らい、正しさの概念を作り出す事に在るのではなかろうか?
判別機能を自由に戦わせて、世の計らい事を見定めようとの、人々の知力であります。
人々の知力でありますから、まだ見境の概念は発生してなく、双方に自由に戦わせることが条件になります。自由さの概念を尊重した、意見判別機能として、取り行われることが条件なわけです。
自由さは相互に存在するものであり、一方的に片方だけに存在するものではありません。
>つまり、反撃能力を行使したということか……共産幹部「攻撃されたら党を守らないと」異論の党員除名 <
党首選挙の助言でありましょうに、どうしてそれが攻撃されたとなるのでしょうか?不可解であります。
相互に自由の概念を守らなければならないのに、一方的に言論を剥奪構図に招き入れて、処断するは、言論の趣旨構造に反するものであり、許される事ではありません。
自由の趣旨構造を、一方的に剥奪して置いて、当方の言う事を聞けでは、自由の概念が泣きましょう。
言論の自由の趣旨構造は、相互に依存して成り立つものであり、一方的に剥奪しておいて、成り立つものではありません。
自由の効力を満たすものは何か?人々の成長心、豊かさの概念であります。心の動きであります。生きる人たちの掛け替えのない精神像を養ってゆきます。
豊かな精神像の動きを尊重することになります。剥奪構図において成り立つものではありません。人物像否定にまでなってしまう。人の世造り否定にまでなってしまう。
当方は人の世造りをする輩ではありませんから、よろしくねえと言う事になりましょう。
なるほど人物像を否定しているのだから、言論の自由も、行使できないわけだ。
当方は言論の自由を、蔑ろにする輩ですから、皆さん気を付けてくださいねえと言う事です。
それならそれと言ってくれれば、わざわざ言論の自由を戦わせることもなかったのにと言う事になります。無駄と言う事になります。言論の自由を持ち合わせていない輩と喋っても無意味と言う事です。
本筋は、言論の自由に、否定構図を描くものではありませんと言う事です。
進化する世造りを、構成する為の、人々の知恵として、自由の概念を存続されてゆきます。日本人流儀で言えば、切磋琢磨の精神像と言う事になりましょう。
- 2023/09/28(木) 11:18:02|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
https://www.asahi.com/articles/DA3S15748940.html
人の持つ生きてゆく為の尊重心の概念、人権。
都合勝手に、人権をはく奪するものではありません。
人の権利構造は、必然的に備わる、個人の生きる趣旨構造の財産であります。
生活次元像の解釈概念に裏打ちされる人権の趣旨構造。
いかなる人物でも、人権をはく奪する権限はありません。
それを自らが、気に食わない文言を主張したからとて、社会上の食い違いを成すものであり、取り違いの概念は、誰にでも起こるものであり、否定される事柄に置き換えるものではありません。
口頭概念に置ける性質を、都合よく剥奪構図に、置き換えるものではありません。
ましてや人物像否定構図にまで持ってくる性質のものではありません。
己の主張は絶対的に正しいのである。逆らう事は許さないと決め込んでいるのであります。
物事効力概念は、我に有りと、いかなる人物像も否定することは許さないと、自我意識過剰であります。
自分だけ思っている分にはなんぼでも構わないのですが、よそにまで押し付けることもなかろうと思うのですが、、、。
人権構造の概念を、否定構図に置き換えてはならぬもの、なぜなら己の人権は無きものとして考えねば、通用するものにはなりません。
文言構造上の概念であり、対等に位置付ける公正な概念で、テーブルについて語らい合えば、事は済む事であり、人権否定構図には至らないのではなかろうか?
物事効力概念の位置づけは、対等性の概念において成り立っているからです。
一方的に否定構図に置き換えるものではありません。
公正さの概念を否定している事になります。我こそは絶対的な物言いを弁えるものである。
他の奴が何のかんの言うと許さないぞと言う剥奪構図であるからです。
話し合いに位置付ける効力概念を喪失しているのであります。
ひたすら効力概念を否定構図に持って行っている事であります。
物事効力概念を一方的に引き寄せて、我の言う事に従えとは、成り立つはずがない。
- 2023/09/27(水) 22:26:23|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
http://endokentaro.shinhoshu.com/japan/post10080/
あの~日本人はどうするのでしょうか?そりゃあなた我慢しなければならんとですよ!その為に入国させのでしょうから、文句を言うようやったら最初から入国させんなと言われる事でしょうよ!
そりゃ話の筋としては、成り立ちましょうが、ことは犯罪でっせ!犯罪に目を瞑っては、社会が乱れまっせ!
我が国は、一応は法治国家として、成り立ってますので、犯罪は分け隔てなく、罰せられることを謳ってますから、何か帳消しになる事を、仕出かしたのでしょうか?いや~そこら辺は分からんとですよ。
いや~クルド人が、暴動みたいにまた暴れまわったら、手が付けられないようになりまっしゃろ!日本人が犠牲にならんように、不起訴にしたんでしょうよ!うう~ん分かったような分からんような感じですが、、、。
う~ん、なんか日本国日本人社会が、甘く見られたような気がしないでもないですが、、、。
川口市の治安が、乱されなければいいのですが、ただでさえ不法難民が多いと聞きます。
とっとと犯罪者は、国外追放でなきゃ、日本人が犠牲になるだけでしょうに!犯罪者まで囲うつもりでしょうか?
我が国は、あまりにも外国人に大らかすぎる。ましてや敵側からでも、どうぞ御髄時にと言うがごとく、貶めらいでかとやってくるのであります。腑抜けの王様になるわけではなかろうが、命取りにならなければいいがと危惧するのであります。
日本人と同等の性質構造ではありません。あまりに住み易いために、この事を悪用し、何でも自由であると決めつけている風情であります。
我が国の尊意構造のルールを守ってこその自由であるのです。他人迷惑無用と言う事ですが、日本人こそクルド人を敬えと言うがごとく、もっと大事に扱えと言うがごとしで、どこの国に居るのか分かりはしない。
外国人に疎い日本人だけに適当に利用されているのでありましょう。
日本人効力概念が、クルド人に否定されているのです。クルド人を肯定して、日本人を否定しなければならない、と言う判例を示しているようであります。
- 2023/09/27(水) 20:52:21|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
次のページ
プロフィール
Author:樫岳の正太
FC2ブログへようこそ!
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
このブログをリンクに追加する
ブロとも申請フォーム
この人とブロともになる
QRコード