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普段の中に正当性を求めて

私の考え出す基点を真っ当性の中に、出来るか否か 日本国の思いを馳せながら綴ってゆこうとの所存です。

森の豊かさ

森がたくさんあるところは豊かな国の印だろう。森にもたくさんの種類があり、木にもたくさんの種類があり、同じ木にするのなら実のなる木の方が森になる効果は大きいのではなかろうか?

実のなる木の周りにはたくさんの動物達が寄って来るであろうし、木には落ち葉となって地面を潤し、潤すだけでなく雨を蓄えてくれる所でもある。これに加えてたくさんの木の種類も増えてくるのでありましょう。

人間の都合ばかりで木をそろえても偏りすぎたり、地面が弱ったりするのではなかろうか(道路際、鉄道際など)。循環する自然の法則を、本来の森の有り方を、適当な場所において整えておいても良いのではなかろうか?

ぶなの森はその典型的な例で我が国は雨の多いところだけに豊かな資源の活用が自然と共に生まれる。

  1. 2010/07/31(土) 21:21:23|
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私的放送屋

今は多少手心を加えても分からなければ伝えて良い事になっているようだ。申し合わせかどうか知らないが、都合の悪い事は伝えなくってもかまわないようだ。日本国民はいたって操作し易いと思っているのであろう。と言う事は放送局側にどこかの操り屋が存在していると言う事になる。日本人ではないようだ。

グローバル社会を形成せんと日本社会を撹乱させようとの策略が施されて、窮地に陥っている日本社会であります。国民を助けなければならないのに、あたかもなしのつぶてのように知らせないようにと企み、一途に洗脳する放送機関は不要となりつつある。

自らの都合の良いように放送する性質のものではなかろう。世情の放送局である。

私情の放送局であってはならない。こんなの放送局とは言わない。私的ご都合主義の放送屋である。
私的伝達屋とでも言おうか、公の放送のものとはならず、信用性には乏しいものである。

改心する気力有りや無しや!知ってか知らずか懸命に視聴者を己らの放送界へ呼びこもうと、もがいているようにも思える。転換期が来ていることを気付かないのであろうか?

  1. 2010/07/31(土) 18:06:18|
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 政治主導

官僚機関の無駄な所があるのではないかと国民が不信感を抱いたから民主党が政治主導と言う方法を持ち出したのでしょう、要するにもっと国民に分かり易く政治が出来るのではなかろうかと採用したのではなかろうか?

民主党は手前に利することばかり考えている私的な政党にならんとする。その私的な政党が政治主導と叫ぶ。ならば答えからして政治主導を行う民主党が私的な政治を行うとは政策に逆行しているのではなかろうか?

国家国民の意志すなわち政治主導でありましょう。しかしながら政治は移り変わるものであり、時の情勢によって変化する。政治主導をことある事に貫けるものかどうか?

つまり国の行く末を基点とするから、現況の票の行方と国策とは異にする。特に民主党は票に結び付く私的な計らい事の運営をしており、遺憾ながら国策を依頼できる状況下にはなっていないと言う事である。

その対処の仕方に責任体制が存在しない。無責任体質となっている。政党を維持する事に、他国に依頼する事に、妙に神経をすり減らしているのである。

政治とは国民・社会を引っ張って行く性質のものでありましょう。

  1. 2010/07/31(土) 17:21:56|
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政府首脳談話・無効

国民の総意に基づく合意でなければ安易に談話を発表すべきではない。何故なら確かめようがないからである。近隣諸国を見れば明らかであろう。特亜三国は策略国であり、我が国を敵視する政策を取り続けており、交わるような気質ではないのである。

わが国への対応振りを見れば分かりそうなものを、何を血迷っているのであろうか?我が民主党は!

そもそも国益を損なうような談話を採用する方が可笑しいのであって、国民に対する謀反である。何ゆえ国民の総意にも基づかないものが効力を発揮するのだろうか、分からない?違反したら罰則でもあるのだろうか?

何処の国の政治をやっているのであろうか?発表しなければならない規則でもあるのだろうか?

  1. 2010/07/31(土) 14:43:26|
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最小不幸社会

社会作りには人々の努力が要ります。最大限にして最大努力でも果たして最大の社会作りが出来るかどうか?

機能そのものをどのようにすればいいのか?現状の機能を最大限に機能させることなのか?また別の機能の仕方があるのか?

これは未知のものであり、双方を上手く舵取りしながらの意味なのでしょう。

現状はシステムそのものがまだ完成されたわけではなく、これからの産業であり、働く人が機能的に割り振りされてきっちり満たされた時に適うシステム作りをしなければならず、どこをどのように削り、またどのように補充するのか、公的機関から民間の機関まで上手く機能しなければならない。

栄枯盛衰は世の習い事であり、常に別物のことを頭に入れながら機能して行かないと行き届かないものとなる。

どのような産業をどのような機能を持たせるのか、国家体系を促して行かないと先細りしないように常に世の情勢を見ながら監視しておかなければならない。

進行速度は増しており、優れた人材を適材適所に輩出することである。国家事業の大まかなところとなりましたが、決めの細やかな面を民間、並びに公的機関で打ち出して行かないと日本国の生き抜く道筋とも絡んで大事な事業となって行く。

人々の努力なしでは社会作りは出来ません。

  1. 2010/07/30(金) 22:29:21|
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 行かんとする道

社会とはどのようであらねばならないのか?を模索しているのであります。人類の最大の課題であります。

その社会に役立つようにと人々は生まれ出でて義務を果たすべく各々の居場所に散らばってゆきます。

国の役割の中を公私に分けて土台造りに尽くさねばなりません。人々の使命が課せられています。いずれも後世への筋道を託す事への伝来です。当たり前の事として心得ていなければなりません。

日本人は日本人であれねばなりません。他国人である必要はありません。無用なことです。

言うまでもなく現況は不安定な世の中であります。いつから安定する世になるのかそれは分かりません。ほとんど安定する社会にはならないかもしれません。しかしながら社会を放棄するわけにはいきません。

生まれいずる人の使命を各自に諭してゆきます。人の流れの中で生涯に掛けて浸透してゆきます。世に役立つ精神として悟ってゆきます。

社会に貢献することを、人はどうあるべきかと諭してゆきます。

  1. 2010/07/30(金) 16:12:57|
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広島・長崎・原爆資料館

二度と起してはならない人類の悲劇として、生き物最大の罪として後世にと伝えるべく、証拠として私達は刻み込んで行かねばなりません。

人が作ったもので人が苦しみ死んでゆく。自然の摂理に反するしぐさを施して人々は抑圧の道具としてこしらえ、人々を抑圧させた。

然れどもその道具を維持して依然として隠し持つたんとする。その軋轢の中で我々は暮らしていると言う事になる。威圧を施しながら切なく暮らしを依存していると言う事です。

性のある動物の証明として私達は許容するのか、しないのかを私達自身が決めなければなりません。永遠の課題ではあるけれど避けては通れない道筋となっています。性がある動物の一種として人間はどのようであるべきかを問うています。

人の性は許すのか、人の行為は許すのか?その選択肢の中を今私たちにこの原爆資料館を見て解答を求めているのであろうし、後世への道を求める人たちにも解答を促しているのである。

しかしながら正解を導き出せるのかどうかは後世への道を歩む人たちに託されている。残念ながら今の私たちにその正解を得る事は不可能であります、何故なら現実の近くにいるからです。私たちに解答を求める資格はないと言う事でありましょう。

  1. 2010/07/30(金) 16:06:45|
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中国の後遺症 

http://www.epochtimes.jp/jp/2010/07/html/d71542.html

自らが悪いことしていなければ堂々としておればいいのですが、よからぬことを仕出かしたから、いつ証拠となるものがでないかとビクビクしていなければならない。

重要な書類は自動処分装置を設置し云々とある、要するに証拠になるのを隠滅させようと言うのである。

罪を逃れようと自らを保身することに懸命であり、誰でも最終的には自分が可愛いのですが、政府高官ともなれば事情は違って来るであろう。

政府高官自らが自己保身に走るようであれば国家が乱れる元であり、公人であるならば国家に尽くすべき筋道があるであろう。私人とは違うのである。

国家に尽くすべき任務があるはずである。これが中国では自己保身に走るとすれば国家の崩壊を招くであろう。逆に崩壊しないとなれば余計に問題である。

つまり指導的立場の人たちが自己保身に走ってはならないのです。海外に資産を持って逃げるなんぞ謀反であります。公人が自分の身を心配してどうするのであろうか?

民衆を率いている事を忘れてしまっているのである。民衆こそいい面の皮である。自らは今まで美味しい肉を食べていたのではなかったか?それを吐き出しても遅くはないはずである。

国家民衆の為にこそあるべき高官の姿なのである。自らの国は自らが立て直さなければならない。どこの国も一緒のはずであります。

自らの国を後にすると言う事は国も辛かろうが本人達も辛かろう。好き好んで出かけるわけでもなかろう。
ましてや自ら好んで国をでてゆくと言うのは国家の恥であり、引いては国家の損失となってゆく。世界どこへ行っても通用しないものとなろう。

力ずくで直せるものでもなかろう。精神面での遅れと言うのは一朝一夕には取り戻せるものではないのである。少なくても日本は2000年の歴史抱えているのであり、その間の人々の習俗としての積み重ねの中で、風土における気質と言ったものが精神の中に育てられたものと思われる。

知らず知らずの内に人々の感性となって浸透していったのです。構築する人類社会においてこのように精神作用と言うのは気が遠くなるほどの長い時間をようしている。

お金がたくさんある云々の事情ではないのである。本能社会を築いているのではないのであります。
人材構築こそが人類の宝となって行く。
  1. 2010/07/29(木) 21:02:37|
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竹島問題・閣議報告先送り

機嫌取り以外の何ものでもない。要するに我が国の主体性を持ち合わせてはいないのであります。すなわち我が国の政治体系の意味をなさないものが政治を司っていると言う、民主党自らが政治を行うと言う概念を持ちあわせてはいませんと言う意思表示なのです。

そのような政治体系の民主党と交渉すること事態がナンセンスなのですが、どこぞの国はそうではないらしい。

その前にわが国の国家体制の不甲斐なさを追求せねばならないのですが、国家とは何ぞや!自国民の生命・財産・国土を守る事にある。ならば自国民の領土を優先させねばならないはずであります。

民主党の手前勝手な都合を優先させて先送りしたのであり、日本国の主体性を優先させているわけではないのですから、日本国の政権党であるはずがありません。これでは日本の政党とは言わず私的政党と言われる所以であります。国家の政権党の意味を成していないのであります。

国家の領土を蔑ろにするものであり、許される事ではありません。どこの国の政党か分からなくなってしまう。尤も外国人の政党でしたと言うのなら分からんでもないが、、、。つまりわが国の政党ではなかったと言う事であります。

我が国の政党ではないところと交渉しても埒明かないのではなかろうか?何せ日本国の主体性を持ち合わせてはいない政党なのだから当然でしょう。

我が民主党は国家の主体性が備わってはいませんと白状しているようなものである。と言う事は偽物の政党でありますと言う事になる。要するにそのような主体性のない偽物の政党と交渉する気はありませんと言うのなら相手側こそ本物の政党と言う事になる。
早い話が相手側を侮辱している事になる。尤も相手側が気付けばの話ですが、、、。

国家国民の意志はそっちのけで自らの民主党の都合で領土問題を省いて交渉事をするなんぞは国家に対する謀反であります。国家の命ともなる領土問題を棚上げにしていうなれば国家の命題を抜きにして交渉事などできるはずがない。例え交渉したってまやかしの交渉以外の何ものでもない。

国家国民の総意に基づくものでなければならない。一政党の談話では効力はないものである。政党が消えれば消滅する性質のものである。村山談話、河野談話など検証性が確立したものではなく、国民の総意には基づくものではないからです。

策略の可能性もあるわけで、誤魔化されないような仕組みを持たねばならない。ましてや敵側の様相であり信用性からしてまともではない可能性が大である。あくまでも国民の総意に基づくものでなければ有効的な交渉事は展開されないのである。安易に敵側の策略の乗るべきではない。

検証の結果、実情に合わぬものならば破棄する事も可能としなければならない。一方的に押し付けられる可能性もあるわけで謀略国家ともなれば確率は高くなる。と言う事は敵側の言い分を鵜呑みにしてはならないのは言うまでもない。

自らが行える担当の範囲内で責任を取るべきであり、安易に応じてはならない。後世に国益になるように努めなければならない。国益を損ねないように努めるべきであります。

民主党は私的都合でしか動いてはおらず、とても国家の為とは思えないのである。まさに謀反の政党に垂んとする。

  1. 2010/07/29(木) 11:15:15|
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外国人参政権

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-962.html#comment

外国人が日本国の為に貢献してくれるというのなら検証の上、約束事を交わして日本国の為に命を捧げてくれると言うのなら有難いことなのですが、何のその我が国の措置を悪用するとは日本国に対する謀反であります。

即刻退去処分になろうと言うものを、わが国には緩やか過ぎる条件・法規が多々あり、あまりにも悪用が多過ぎるのであります。日本国民を誑かす要素大であり、見逃す所があってはならない。このような輩を簡単に許す措置があるから入り込んでくるのであって厳しい監視・管理体制が必要なのは言うまでも無い。

悪用する輩に参政権・永住権などを預けるわけにはいかないのです、未知なる部分が多すぎるのであります。

これら裏工作に乗せられてやってくるのであり、元を断ち切らねば犯罪の温床を我が国は知らぬ間に与えているようなものである。自らわざわざ犯罪染めにやってくるわけではなかろう。

安易に参政権・永住権などを与える性質のものではないことが分かるでありましょう。

このようにして我が国を腑抜けにさせられ弱体化されたのでは悔やんでも悔やみきれない、何の為に先祖の屍が存在するのか分からなくなってしまうのです。そのような日本国にしてはならないのです。国民の使命とは何か?日本国土を守る事なのです。

日本国が住み良いから外国人は日本国へやってくるのでありましょう。住み難いのであれば来るはずはないのだから、日本国に感謝するはずであります、住まわしてもらって有難うとなるはずであります。

その感謝もなしに、日本国の主権をよこせと、参政権を与えよとよくも言えたものである。自らの恥を心得よと悟らなければならない、日本社会の慣わしがそうさせるのであります。

そんな慣わし知るか!ともかく参政権をよこせと言うのなら日本国に対する謀反以外の何ものでも無い。そんな輩が日本国の為に貢献するとは思えないのです。

要は日本国民を最大限に保護する事にある。外国人を保護してどうするのであろうか?犯罪歴を持つものであれば日本国民の従順さ、お人好しではとてもではないが太刀打ちできない。

日本国民が犠牲になるだけでありましょう。外国人参政権・永住権など我が国を弱体化させるだけのものでしかない。

誰が利するのであろうか?外国人に利するものであり、正当なものであればいいのですが、わざわざ犯罪歴のあるものまで保護することはなかろう。我が国民が生け贄にならんとも限らないのである。ただでさえ犯罪歴の多い国柄である。外国人を保護しても日本国が繁栄・存続することにはならないのです。

  1. 2010/07/28(水) 21:35:42|
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