私の考え出す基点を真っ当性の中に、出来るか否か
日本国の思いを馳せながら綴ってゆこうとの所存です。
国民に真意を問うこともなく、自らの党保身にひたすら骨身を削り、国家国民の為には働いてはおらず、そよの国の政治を司っているような様では民主党の先は見えては来ないのは当然であろう。つまりは国民を蔑ろにしている事と変わりないのである。
国民を欺く党であったのです。日本国民の不幸はここから始まった。
それというのも既成政党はすでに今の状況には合わないことはすでに分かっている。
政変ということですが、みんなの党、立ち上げれ日本、社民党、共産党などと小分けの段階でありいかにして日本を立て直すのかの指針が見えてこないのであります。
国民の拙い選択であったのかいずれ先々には分かりますが、自民党の延長上に民主党配置したところであったりして、下手をすれば自民党以下であったことには変わりなかった。
双方に取り繕う主義をもう少し持たせたらよかったのかと思ったりしている。
その選択肢が選挙なのですが、組織票というのが曲者でカルト、民団、どこぞの組織という風に得体の知れないのがわが国には存在する。
これらの組織を排除しなければ日本が立ち行かない。日本国建国に歯向かうものあらば排除することも吝かではなかろう。滅ぼされてからでは手遅れである。何に為に日本国の国民であるのか分からないようになる。国民の義務を放棄することにもなりかねない。
民が主役なれど、組織が主役となっては小さいところは押し潰される。共通項に位置する民が主役の体制を如何に存続するのかが鍵となるであろう。
既存政権にほころびが出ている、あまりに長くやり過ぎても弊害が出る。双方に同程度ぐらいの拮抗した政権能力があったらあったらよかったのでしょうけど、もう片方は後ろ盾が悪かった。
この見抜く力が国民には不足していたということである。他国人の後ろ盾が何故付き纏ったのか防ぐ手立てを考えねばならない。かかる事態に陥ったことが日本国民の不幸であった。
いい方に解釈すればそのほころびが民主党政権で早く発見できたとも言える。
もう一ついい方向にその結果が出た。今回の大阪市選でありましょう。強い力を用いなければ既存の仕組みを打破できないということです、民意があれば鬼に金棒であります。
その金棒を橋下市長は手に入れた。事を成し遂げられなければその力が萎んでしまうことになるでしょうから府民の賛同は力強い。
日本という国がどのような道をたどっていけば最善の日本国に仕上げるのかを指し示す大きな力となりましょう。
- 2011/11/29(火) 12:15:53|
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大阪は京都、奈良に近い、故に歴史の趣を感じるのであります。商いの土地として昔から知られている。
平成維新とでもいうのでしょうか?前大阪府知事の橋下徹氏(42)が無所属の現職平松邦夫氏(63)を約23万票の差を付け大阪市長に選ばれた。同じく行われた知事選でも維新の会幹事長で橋下知事側の元府議松井一郎氏(47)が当選した。
普通に知事から市長に衣替えすることはないのではなかろうか?意に介するものがあったのであろう。
あえて自らの持っている構想を府民に問い、共に大阪を現存のままでは相成らん、時代と共に変えなければならなんところが或るはずだ、引いては日本国のあり方にまで問おうと言うことに意義が二倍にも膨らんでいる。まずは大阪から手始めにというのでありましょう。
既成政権に打ち勝つ為には倍の構想力を持たなければ太刀打ちできない。日本国は急激な変化には好まない傾向にあり、対応力が伴わない。民族の資質とでも言うのでしょうか?
ここを橋下前知事は風穴を開けたのである。また府民も賛同した。このことの意義は大きいものがある。引いては現存の政党では間に合わないということである。
何処も苦難の問題を抱えており、対処するべく幾多の人々が立候補して知事になり、市長になった。依然として対処するべき問題は残したまま進展しないことが多いようだ。
もはや既成事実を引き下げただけでは当てには出来ない、橋下政権は遥かに先を見越しているのである。日本国建国の為には果敢に挑戦する独裁的なリーダーも時として必要である。
ここをわざわざ知事を降りてまで構想しようというのだからその真意は敬意を表するものが或る。合わせて府民の方の心意気も日本国民の有するものとして頂いたのである。
何故既存の仕組みが駄目になったのかを洗い直し、府民の方の意向に沿うように市長、知事の指導力の下、大阪から、近畿地方から、日本国構想に向けての発信であります。
- 2011/11/29(火) 12:14:05|
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生まれたからには世に尽くす義務があります。如何なる義務かというと、生きている過程に探し出し、各々違っていて暮らしの分野に豊かさを求めて築き上げて行きます。
普通に感じる資質を植え付けて行きます。人々の気心とはこのようにしていき幾多の困難を乗り越えて育って行きます。
生きる資質を問わなければ何の為に生きているのか分からなくなります。
人の生き方はざまざまであり、社会生活の中において幅広い工程が用意されています。こうした環境の中に得られる資質こそがその人の生き様になって行くことと思います。
思慮とするわけは世の社会の中に複雑に絡み妨げるものになってゆく。
ここに人知の豊かな作用に鑑み開け行く道を求めて行くのです。この趣旨こそが人の心に共通項を導き思慮とする元になってゆきます。
人の思慮とする目的はその人の考えを窺い知る事にあります。遮二無二反対することではありません。反対する趣旨にこそ人の生き様が見出せるのです。主義主張の原点であり尊厳を意図するものです。
- 2011/11/27(日) 19:48:04|
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主体性があるということは自らの趣旨を持ち合わせて行動することであろう。これがもう一つの要素を生み、他に影響を及ぼして行くことだ。
良い方向性であれば構わないが、悪い方向性であれば泣くに泣けないこととなる。両方の効用があってこそ役立つというもの。
主体性の意義というには不本意な趣旨となる。身勝手に思い込む様子は一人合点であり、他を誤魔化そうという企みまでも促す。偽りの根性があるということです。
他を欺く様子が見て取れる。主体性を蔑ろにし、引いては国家趣旨の概念を欺くものであり、偽りの精神として蔓延って行く。
自らの中だけで偽っている分には構わないが他を操っているとなると洗脳領域になり謀反を起こしていることになる。
わが国において他国を諂っている精神は国民を偽っての報道であり、日本国の本意を誤らせることとなって行く。
何もよその国の偽り事を招く必要もないわけで当事国で充分である。何を勘違いしているのだろうか?わが国の良さをまなばせるのが先であろう。
相互に学ぶ精神はあるのである。取り入れる取り入れないは国民の意思によるであろう。局側だけ一方的に洗脳している分には構わないが、他まで洗脳させる必要性など何処にも存在しない。
ここにわが国に歯向かっている放送局がある。どこぞの国からかしらないが妙にどこぞの国を肩入れしているのであります。日本国民の趣旨を蔑ろにして、挙句に歯向かう仕草なんぞは日本の放送局ではありません。
不要の放送局でありますが、知ってか知らずか意に介していない様子であります。
- 2011/11/27(日) 19:44:56|
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わが国がよその国の侵食を手がけているというのなら、わが国かて侵食されても文句は言えないが、わが国はよその国の侵食をしていないでしょう?
何でわが国が侵食されなければならないのだろうか?互いの国が侵食しあっていれば自業自得ということで仕方ないが、一方的に何でわが国が浸食を受けなければならないのだろうか?
あまりにもわが国はお人好しが過ぎる、ここを外国人たちはよからぬ魂胆を抱きて来ておまけにおとなしいものだから、これ幸いとばかりに食って掛かるのであります。
気質において同等ではないということです。もらえるものなら頂いておこうとの腹積もりなのであります。お人好しで気安いということは領土を蝕まれる条件がそろっているということです。
要するに盗人なわけですが、盗むより盗まれる方が悪いのさあとなる。世界はまだこの程度の認識で進んでいると言っていいでしょう(中には高貴な国もありますが)。
自らの国を守りきらずして国家とはいえないということです。
- 2011/11/27(日) 19:39:50|
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耐え凌ぐわが国はよその国の学校まで支援するという。何ともおめでたいことをする国であることか?
そんなにわが国は諂わねばならぬほど悪いことをしているのだろうか?悪いことをしているならば住み着くはずがないのですが、、、。
不思議というほかない?世界に冠たるわが国であるのにかかわらず、よその国に諂うほど不正義なことをしているわけではない。
主体は日本国土に存在する日本人であります。よその国の住民が主体ではありません。尤もわが国に多大な貢献をしてくれたというのなら話しは変わってきますが、聞けば反日教育を植え付けているとの事、その生徒が大きくなってわが国に多大の貢献するとは思われないのですが、如何様なものなのか?
日本人の繁栄を謳わなければならないのに外国人の繁栄を促すところではありません。無論双方に好条件が生み出せればいいのでしょうけど、わが国は毟られてばかりではなかろうか?無償に援助することと引き換えにわが国にどのような功績がもたらせるのか説明しなければならない。国民の血税である。
わが国の基点は日本人を如何に真意ある日本人に育てるのかにあるのです。よその国の人を育ててどうするのであろうか?これで日本人は世界に誇りある人種ということになるのでしょうか?
尤も教えた生徒が日本国に多大の貢献をしてくれた日本人形無しであるというようになって初めて支援した甲斐があろうというもの。今までかってそのような人物が出たのであろうか?これからドンドン出るようになるというのなら話も違ってきましょうが、、、。
- 2011/11/27(日) 19:38:00|
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http://trackback.blogsys.jp/livedoor/the_radical_right/52801205
住む人々によって国は成り立っている。
役割分担の元に社会は取り仕切られているといっていい。中心と成す国民の生活の中に、果たすべき役割が託されています。
成り立つ生活様式であり、働くことによって一層の国民の暮らしが充実して行く。
国威を計上することによって存続が可能になるわけです。国家国民の活力の賜物であります。
その中にありて国民の汗と血まみれの努力があればこそ日本国民の勤勉さと相まって築かれた国土の繁栄であります。
伝統の中を先祖が築いてきたように、私たちに課せられた義務であります。
他国の足を引っ張ってはならぬもの、故国の為に尽くすことももちろんですが、合わせて当事国にも同様に尽くす事が責務となりましょう。
でないと何の為に当事国に居るのかわからないようになる。ひとえに故国発展の為に日本国に存在しているのでしょう?故国発展点の為には当事国も発展せねば、当事国そっちのけで故国が発展するはずもありません。
双方に発展することが条件でありましょう。取りも直さず当事国に貢献することが、発展することが条件であり礼儀であります。
ましてや足を引っ張ることなど論外であります。歯向かうとなれば国外退去処分となるのは必定。逆の立場になるという観念性はないのではなかろうか?己主体の考え方しか身に付いていないものと思われる。
要するに思慮概念には至らないということです。己主体の主義主張はするが相手側の観念性が否定されているのです。
国家国儀のあり方はわが国の主体性で導かれており、そよの国を基点には置いていません。日本国の志向を重んじる姿勢は正してもらわねばなりません.
- 2011/11/27(日) 19:32:48|
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野球はほとんどピッチャー優位性でとりはかられており、バッターは不利な条件で耐え忍ばなければならない。
と言うのもバッターは3割越せば一人前と言われている。投手は20勝して一人前、投手も近年は4~5日置きのローテーションで試合に投げることになっており、稲尾投手が4連続して投げて西鉄が日本一になった当時を思えば夢のような感じであります。
投手は投げる肩に相当の負担をかけるから、無茶をしないように割り振るようになっているのでありましょう。ピッチャーは重労働であるからその分保護されているのでありましょう。となればバッターにしたらその分打ち辛くなってくるのです。ここでもピッチャーは手厚く保護されているといえる。
ピッチャーと10回対戦してバッターは3本ヒットにすれば一人前のバッターといわれている。
とすれば投げる前から7割方ピッチャーが優位性で成り立っているスポーツと言うことです。
何も対等性のスポーツではないと言うことになります。ですが味方もそのような条件でバッターボックスに立ち、相手側もその条件で対するとなればチームの構成上において対等と言う条件が生まれ、交互に三つアウトに取られるまで攻撃する事により成り立っている。
となればピッチャーの優秀なところが優位性を保つことが出来る。優秀なバッターを3人を上手く料理すると思えば一人の優秀なピッチャーで事足りるとなる。
打席に立つのは一人ひとりだからその一人に集中して掛かれば最初から7割方の優位性は確保できているからもし打たれたとしても10人のうちで三人だ、しかも優秀なバッターが打っての話、中ぐらいのバッターなら打たれないで済むような感じになる。
塁が三つあるから余力がヒットの場合三つ分尚且つも優位性を維持できる。
バッターにはヒットから二塁打、三塁打、本塁打と自らの力で生み出さねばならない。守る野手がおり、上手く打っても捕られる場合もあり、ここでもバッターは劣勢なる。
不利になるように仕込まれていると言って良い。となればピッチャーは7割方から8割方最初から優位と言えるのです。
その中を掻い潜ってバッターは打ち負かさねばならず、残り3割~2割との不利な条件を払い除けてのバットさばきとなる。辛うじて二つの空振りが許される、四つのボールで塁へ生ける。体に投げた球が当たれば塁へ行ける。いくつファール打っても打ち直しが可能となる。この程度かなあバッターに保護されているのは!
不利の上に不利な条件を克服しての攻撃なれば、10試合のうちで3試合から2試合が得点がはいる試合と言うことができる。
9回までの攻撃陣の戦いと守備側とに分かれて敵味方9回の攻防がお客さんを魅了するのであります。ホームベース上に数々のドラマが展開されて行きます。
2割~3割の攻撃にかけるたたみかける割合からすればヒットが続く確立はこれまた低くならざるを得ないのであります。残塁がたくさんあれば監督は胃が痛くなろうというもの。
10点も20点も上がる得点と言うのはまれであると言って良い。余程へまな投球をしたとしか考えられない、またエラーの連続か?
つまりは試合は緊迫した投手戦が普通であります。2割~3割の確立のウエイトをどっちかのチームが確立して勝利をおさめるのであります。
ピッチャーはバッターの思うようには投げない。何故か打たれるから!打たれるような感じがするから!バッターの思いと裏腹に投げれば討ち取れるような感じがするから!
しかしながらまともにストライク投げたとしてもまあるい玉を横殴りに真に当てるのだからしかもヒットにしなければならず、女神を2~3人は引き連れてバッターボックスに立たなければならない。
でないと3割は確保できない。その為には練習もさることながら、日頃の心の端正も必要であり、野球人といわれる謂れを背負い込んでプレーに励むのであります。
バッターはほとんど奇跡に近いような感じでヒットを打たなければならない。
この芯に当てることも奇跡を要求されるのであるから如何にピッーチャー優位性の野球かと言うことであります。しかもワンバウンド投げて良い事になるとすればバッターが振らなければいいのですが、何の因果か振ってしまうバッターが多いのも事実であります。
これはピッチャーの上手さとでも言うのでしょう。その中を掻い潜っての安打は奇跡を呼び起こさずにはおれない打撃の極意であります。
数多くの優秀なバッターを生み出したわが国でありますが、一つは頭の良さもあるのでしょう。でないとこのような不利の中を3割打てるはずがないのであります。
角度90度の扇形のグラウンドの中に8人の仲間が守っており、外にも一個の捕手が守っているのであれば横殴りの打ったボールが間を抜けるのは奇跡の範囲を超えて芸術的な玉運びを得ているのであります。
奇跡のヒット、グラウンドに散らばる。得点の能力はそれよりかなり減少されてくるのですから、どのような形で勝てばいいのかまで幻惑されるのであります。
- 2011/11/26(土) 22:53:57|
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天皇家の幾千年にもわたる家系を続けられることを誇りに思い、日本という国の偉大さを噛み締めずにはおれない。よく日本国民の基点を把握できるものであったのです。
私たちの管理管轄できない悠久のつながりの中を守ってきた先祖の見識の深さを思うものであります。
われわれには感覚監視することのできない、日本国伝来の精神を見て来られた皇族方が国民を見守ってくださっていることに感謝し、なくしてはならない伝統と共に続けられることの誇りであります。
時代時代の数々の人々と共に過ごされた天皇家のつながりを思う時、人の手を加えてはならない自然界の風習みたいなものを感じることが出来るのです。日本国の伝統は生きている。
- 2011/11/26(土) 22:48:50|
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http://sankei.jp.msn.com/sports/news/111126/oth11112620440021-n1.htm
日本人の見本とする一人であります。何より品がいい。
氷にすべる姿は水上の白鳥の姿にも似て優雅で艶やかで体面より発せらるるところの陽炎のようで見ている人を魅了してゆきます。
もう一つの内情を省みるのであります。表面からは見えないだけにそれだけに大事な要素を秘めているのです。真央ちゃんの魅力はここにありましょう。
その人の持っている魂が生かされているのです。受ける日本人の長年の伝統を気質の中に蓄えてきたものです。一途に身に付けようと思っても出来ることではありません。
誰でも彼でも出来るわけではなく持って生まれた天性と言うのもあり、精進だけではいかんともしがたい駆け引きがあり、何の駆け引きかといえば天からの技とこの俗世界とのせめぎ合いを抱く所を感性に向けてしなやかな品の技を磨き上げてゆくのです。
それが真央ちゃんの何にも替えがたい真央ちゃんの艶やかな滑りであります。遥かに見定める氷のリンクに人の絵物語を奏でるメロディーと共に滑り行くのであります。
ひと時の感性の技に私たちが居た事を喜ぶものであります。
楽しませてくれた事を感謝して!有難う真央ちゃん!
- 2011/11/26(土) 22:36:38|
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