普段の中に正当性を求めて
私の考え出す基点を真っ当性の中に、出来るか否か 日本国の思いを馳せながら綴ってゆこうとの所存です。
核のこと
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140430/amr14043001040001-n1.htm
http://www.yomiuri.co.jp/world/20140430-OYT1T50013.html?from=ytop_top
持ってて敵が攻めて来れないのであれば、持てるものなら持ちたいと思うのは政府関係者ばかりではないでしょう。日本も持っていても不思議ではないのです。何せ戦争放棄をしてますから核を持っていれば敵が攻め込まないのですから戦争にならずに済みます。
我が国の戦争放棄の精神に鑑み敵がせめて来れませんから戦争にならずに済み、憲法も鼻が高くなるところでありましょう。
持っている国の気質によるところが大きいのです。パキスタン、インドなど、北朝鮮、国守りの事にかけては理に適っているのであります。
核を持つなという事は戦争はしないという同意語であり、この観念性に沿ったものでなければならない。
核持っているところが攻め込まれたとは聞かない以上は国守りには威力があるのである。攻め込まないという保障がない限りはいつ何時攻め込まれないとも限らないのであります。現にチベットなど虐殺に遭っているわけで非難はするけど国際的にも助けるという方法はないのであります。核を持っていれば攻め込まれずに済んだのであります。無念であります!自分の国は自分で守る鉄則であります。
2014/04/30(水) 17:04:36
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異気質のこと
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5434.html#comment
日本人の解釈基点を持っていないのであろう。言うなれば向こうさんの趣旨を読むところが優先する構造の持ち主という事ができる。
日本人気質がないことになる。己だけなら構わないが道連れにされる生徒はたまったものではなかろう。しかしながら全責任は日本人にある事になる。いわゆる学校側であります。
民族気質の違いを見せられているにもかかわらず、無視するは自業自得となってしまう。国家資質の間に合うところとはならず、あれほどに自国民で見捨てるような仕草であり、よその民族なんかほったらかしであろうに、何かよほど魅力があるのであろう?
このことも観念性のなさが、毟り取られる原因が、潜んでいる。国家の位置する構図に、生徒たちの気心が犠牲にならなければいいがと危惧するのであります。
2014/04/30(水) 15:16:58
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憲法第9条 その5
日本国日本人の責任は重いといわなければならない。ではどうするのか?自分の国は自分で守る機能を作り上げる事でありましょう。
同盟国がやられれば助ける精神を持たねば当たり前の事であります。我が国だけぬるま湯に浸かって相手側の血が流れるのは知った事ではありませんでは世界のどこからも相手にされませんし通じるような話にはなりません。
腑抜けの国として見下げられるのが落ちでしょう。慰安婦問題もその際たるものであろう。日本国真義において見計らうならばこのような事は起きないはずです。策略ならば別である。正当性の管理ができていないから、嵌められるわけでもあります。
毟り取られる事の多かりし我が国であります。これでは国家構築する概念がなくなってしまうのであります。
人間が国家構図を描く原点に存在しないようになる。よその国造りをしている事になってしまう。
その国家に戦闘機能を持つべきではないと諭している。我が国だけ戦闘機能を放棄せよと迫っているのであります。他国はどうなのでしょうか?何はなくとも我が国だけ戦闘機能を放棄せよでは敵側が攻めて来なければいいのですが、攻めて来た場合はどうするかが欠落してしまっている。
世界の国々が同等に戦闘機能を放棄せよと言うのなら話は分かるが、我が国だけ戦争放棄では不公正でありましょう。戦争をしない公正さとはどういうことか?
武器装備を破棄する公正さか?あるいは武器装備を施しての公正さか?この観念性をまだ世界は把握できていないのであります。
出来ていないのに我が国だけ武器装備を放棄せよでは理不尽でありましょう。よその国も皆武器装備を放棄すべきものであります。
あるいは戦争に負けたが故の仕打ちかと言えば分からんでもないが、、、。憲法にまで武器装備を放棄せよでは世界統一機能において、我が国だけ戦闘機能無用とするは世界の統一国と見なしてはいない事になる。
その非統一国からお金を供出させるは詐欺である。おまえんところは他と違って理不尽な国だから世界統一国に加えるわけには行かない。通りで国連条項から敵側として削除されていないわけだ。して供出金だけは別枠なのであろうか?伊達に大金を払っているわけではないのですが、戦争に負けたしわ寄せでもあるのでしょう。
お金だけは都合よく出させて利用されているのであります。ここにも毟り取られる腑抜けの要素が潜んでいる。国家真義を持ち合わせていないということはこのようなことになってしまう。
我が国の主体性はどうなっているのだろうか?国民自らが国家構図を描けない民であると白状しているようなものである。世界統一国に位置する国にはなりませんと意思表示しているようなものである。
2014/04/30(水) 14:22:46
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憲法第9条 その4
>市民団体 の代表は、「憲法九条は全人類の財産です。この機会に、世界の人たちに知ってもらいたい」と話しています。(2014.4.12 TBS)< 抜粋引用
何故戦争放棄を謳っている国を見習おうとしないのだろうか?ここのところを追求するのが先決でありましょう。
向こうの方がなってないのか?日本側がなってないのか?どっちかである。
戦闘を放棄するという事は、毟り取られる国になるということであり、現に今までそうなっている。
主体制の無い誤魔化しの国造りをしているからに他ならない。言うなれば毟り取られて当然の事でっせ!
国家国民の主体性が剥ぎ取られているのだから、誰が剥ぎ取っているのか?回りまわって日本人自身が剥ぎ取っている事になるのであります。自業自得であります。
よそが交流しましょうと言ってくるのは毟り取りに来るのであります。また我が国も上手く乗せられてほいほいお金を出すから相手にしてみたらたまらない魅力なのであります。
我が国のATM全開であります。企業までも右倣えであり、制御する機能を見つけ出せないでいる。国守りの概念を放棄しているのだから、ある意味では当然でっせ。
日本人の不甲斐なさを地で行っているのであります。国家を建て直す概念さえも剥ぎ取られようとしているのであります。
いわゆる在日機能するところの貶め攻略法で上手く引っ掛けられているのです。対処する機能が崩壊しているのでありましょう。またさせられているのでありましょう。
2014/04/30(水) 14:19:40
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民族気質
http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-993.html#comment
国家に位置する国民ならば、国を挙げて教育する義務が課せられている。国造りをかけて教育するわけです。国の本質にかかわる事だから国家の恥じにならぬように教育してゆきます。教育観念性は国家の一つの財産造りであります。良からぬ国民に仕上がれば国家の恥となりましょう。国家失墜であります。おまえんとこの国民はなっちょらん、となります。国としての資質が問われるわけです。どのような気質で持って教育しているのだと蔑まされるでありましょう。あわせて国家としての気質観念性も問われるわけです。一様に道徳観念性も身に付けさせ合わせて自由の概念を心得させてゆきます。国家の大仕事がここから始まっているのであります。よそよりも少しでも気質の上回る人物像を輩出してゆきます。世界に誇る人物形成となり、最終の目標といってもいいでしょう。あとはほっておいても国が豊かになってゆく。ただしこれには貶める奴を招き入れないことが条件ですが、、、。
2014/04/29(火) 20:00:31
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自由の概念構造
自由の概念構造には二つの意味が込められている。一つは自分自身の自由の概念構造であり、もう一つは他人における自由の概念構造を解釈することであります。
自由意志の尊重、有難い事であります。他人が自分の趣旨活動を尊重してくれるから感謝の意を表し、共通性の認識を保ち得るからであります。
お互いが尊重心の元に自由の概念が生きている。人の世の原則構造を築こうという意思表示になっている。
人間の社会活動は相互に依頼する構造で出来上がっている。自らが自由に活動できて、他人はこの限りではないとはならない。己だけの主張を一方的に述べただけでは独り言の部類であり、無意味になってしまう。つまり相手無視であります。
他人に通じるように申し述べなければならない。相手側敬意の元に如何にして自由の概念を駆使するのか、社会構造の中で人々の最も苦慮するところでありましょう。
何故人々は自由という観念性を必要としたのか?自由は他の人の観念性を否定するものではなく、相手尊厳性に基づく事から来ているのです。
知的概念そのものがこしらえきれる道徳概念にも結び付くのであります。
しかして自由の概念は人間構図の原点をこしらえているのであります。人々の気質、集団としての心意気が育む元にもなって民族気質につながってゆく。
取りも直さず先祖からの歴史を頂いて構築する概念構図であります。現状の世界はまだ民族としての概念構図を築くところとはならず、領土、貶め、搾取する時代の幕が下りてはいないのであります。
力関係を保持したままの動物思考の趣であり、人々の観念性を潤すところとはならず、不正な時代形成を成すところとなっている。
日本人気質の最も優れた観念性がまだ世界に浸透するところとはならず、領土獲得、騙し合い、金銭搾取時代の幕が開かれたままの原始的な構図を維持している言える。
2014/04/28(月) 12:34:22
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大統領さえ勉強不足
http://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-entry-2591.html
大統領はこまごまとした事は従事者に任せて天下国家のことに集中すればいい。
そのための大統領でしょう。が現実的にはそうは行っていないような、何がしかの存在価値を示さねば成らないのだろう。
国家の全体像をつかむのは如何に難しい事かの証明かもしれない。
その脇役の人が重要な役目を果たすが、今回の場合はそうでもないようだ。
尤も当事国の日本さえも訂正さえ入れていないのだから、いくら大統領でもああ言うしかなかったのかも知れない。
真っ当性の世には組み上がらないとこを予期させる。
謀略策略に長けるところが生き延びる観念性を引き下げているようだ。せめて半々ぐらいには持って行きたい世にしたいものであります。
2014/04/27(日) 09:16:10
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靖国神社参拝は国民の真義に基づくものである その2
やたらと靖国神社参拝批判が来るが、日本人が靖国神社お参りしてはいけないのであろうか?
国家国儀の尊意を携えてお参りするのである。指導者は駄目、国民にはお咎めなしとしている。お参りした人を識別しているのであります。
何としても指導者を当方に頭の上がらないように手懐けたい、当方が位は上であるとの観念性を植え付けたい、貢物を持ってこさせたい一心で、言うなれば策略攻略の類であろうけれど、また我が国の指導者も機嫌を損ねたらいかんと思っているのであろう、向こうさんのご機嫌伺いにあたふたしているのであります。
そげな国民とは付き合えないといってくれればいいのに、貢物が欲しいのであろう。お前たちは当方のご機嫌を取る輩でなければならないと決め込んでいるのであります。
要するに指導者の頭を押え付けておれば、支那は日本国の指導者を牛耳っているという箔がつくと居丈高に構える事ができるからであろう。
黙っていても日本側が跪いてくるという観念性を持っているのであろう。
指導者を非難し、国民を非難しないと言うのは、支那と同様な社会構造と思い込んでいるのではなかろうか?民衆は指導者の従属物と思い込んでいるのではなかろうか?
こう考えれば国民を非難しないのは頷けるのである。要するに国民無視であります。国民否定であります。支那は国民無視の社会構造であるのです。
どおりで日本国、国民を無視して商船三井差押えの暴挙にでるはずであります。
2014/04/27(日) 08:46:57
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商船三井差押えの暴挙
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20140421/1398093103
人の世を築くという事は何を意味するのだろうか?
多くの人たちは時代形成を社会生活の中に溶け合う気質を養ってゆく。正当性の世にすべく不当な事を省いてゆきます。
その中において裁判という形式を採用して人々に正当性の計らいごとを諭してゆきます。
過去の裁定と言うのは時代背景と共に、同一性の人間の精神を誘導しなければならず、ましてやその判定人ともなればほとんど不可能であります。でないと対等性の立場を導き出せないからです。
その不可能な事を裁こうというのだからまやかし以外の何物でもない。人間社会の構造を歪める事になってゆく。人の世の社会を否定するものにつながってゆく。
国家行事の判定力が対等性の立場を破棄することになり、普通にありえない出来事になってしまう。
過去に遡っての裁定はほとんど不可能であります。何故なら人間の能力で過去からの対等な立場を導き出せないからです。
仮に導き出せたとしたら超能力の人が存在する事になる。人間社会に超能力の人は存在しない。
裁判する人は超能力を身に付けて判定しなければならず、その超能力の判定基準と言うのは現代の社会には実在しない。
支那では超能力裁判が可能となっているのであります。どこからか超能力の人が出現し、人間社会には存在しない裁判が可能となった。支那では過去の人をよみがえらせ対等性の裁判が可能なのである。つまり現代より過去の時代へ遡り裁判が行われるところをこしらえているみたいだ。
人の世の概念造りは過去の道を辿るようには設定されていない。過去の出来事は過去の人たちの責任というより、時代進行の功績を導く為に布かれていたものと解釈せねばならない。過去の人の功績を否定する事は出来ないからだ。過去の人たちは責任構図には存在しないからだ。適用されるという事は現代人が過去の人と同様に見なされる事になってしまう。時代進行を否定したものにと捉えている事である。当方の領土は時代が止まってしまう場合もあるのであるとなってしまう。
2014/04/26(土) 08:19:58
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在日よそ者の観念性の事 その2
http://ttensan.exblog.jp/d2014-04-25/
人類社会を築くにはどうするのか?戦争を無くす事も大事だが、国々の趣旨を尊重する事だろう。
ではどのようにして各国は尊重する事ができるのか?自らの国を自省しなければならない。
戦争の観念性は過去の人が問うべきものであり、現代人の工程に据え置かれるものではない。現代人が仕出かしたわけではないからである。
その判定人を生み出せばの話であるが、現代世界にそのような人物が生まれた事はない。となれば参考になるこそすれ、反省する材料にはならないのである。
歴史は各々の自省する事を持って行って、先人の工程を生かす概念構造の中に存在するのであって、現代人の反省をおびき寄せるものではない。
各国における歴史の刻みは時の人の世情を反映したものであり、時の人の責任範囲として消えてしまっているのであります。時の人を生き返らせてこそ適えられる責任範囲であるのです。
古今東西、正当性の歴史を刻んだ国など証明されていないのであります。ならば正当な裁きが存在する事はないのです。
歴史の観念性に鑑み、正当な裁きがなされたという概念構図はこの世には存在しないことになる。私たちの先祖が構築した世の中の流れを、良いに付け悪いに付け果たしているのみであり、時間の概念次元をおびき出さねばならず、人間の能力で裁く事は不可能であります。
国家各々の歴史裁定というには、人類方式の裁きと言うには、自国誘導型の自己的裁量に他ならないのである。その不可能な事を裁いたように見せ付けるは、まやかし概念の否定構図を行くものとなる。
策略に引っかかる方も引っかかる方でありますが、太刀の悪い輩に引っかかった事だけは言える。無念であります。日本国無残なり!
国家は何をすべきか?己の懐を肥やすべきものではなかろう。尤も当方は国家ではありませんとするなら話は分かる。このような輩となお付き合う事をよしとするのか?我が国の姿勢が注目される。
2014/04/25(金) 23:14:13
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