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普段の中に正当性を求めて

私の考え出す基点を真っ当性の中に、出来るか否か 日本国の思いを馳せながら綴ってゆこうとの所存です。

自由の概念有効度

https://ameblo.jp/bonbori098/entry-12740132769.html

我が国は自由の概念を、貫いている社会造りを、営むものであります。

つまり自由の概念を、有効に日本国の為に、使ってくださいとの、天下の法則であります。

これにより裕福な日本社会になるように、図られている自由の概念と、解釈せねばなりません。

我が国特有の、良質構造からなる自由の概念、活用度であります。

我が国を、悪質構造へ誘い込む、自由の概念ではありません。

日本人心意気の概念が、通用する所の、自由の概念としなければなりません。

折角豊かな繁栄ある国造りに、邁進しているのに、剥奪するような自由の概念を、行使してはならぬものです。

良質構造の自由の概念として、称えられるべきものであるからです。

何故か先人たちは、悪質構造の為に、自由の概念をこしらえたわけではなかろう。

悪辣さの概念にも、自由の概念活用有効とするならば、社会造りが破綻してしまうからです。

人の世構築するのに、悪辣さの概念を蔓延らすようでは、自由の概念が泣きましょうに!

やはり良質構造を生かす為に、先人たちは、自由の概念をこしらえたと、解釈しなければならぬものであります。
  1. 2022/04/30(土) 22:47:44|
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財務省変異構造

https://pachitou.com/?p=4494

日本国を守る存念の事で語らないと、守らんでいいのなら、今までの予算でも構わん事もないが、どこの為を思って、物言っているのか?

日本国が生きる筋道において、語り合わねばならない。よそ者が生きる筋道において、語ってもらっても無意味であります。

財務省も、もそっと目が叶った輩を見つけなければならんでしょうに!

財務省が、格別に目を見計らったところが、ここでしたでは、当方はこの程度の目配りしか出来ませなんだ、こらえてつかわさいと言うのでは、あまりにも惨め過ぎはしませんか!財務省の格式が泣こうと言うもの。

財務省の目配りとかは、この程度でしたと言う事になります。

どうせ国民を、ペテン仕込みにしたいのでしょうから、五十歩百歩でありますが、国民が、一番惨めなくじを、引くことになります。
罰当たりな財務省の手ほどきとします。

国民をさんざん足引っ張っておいて、この程度の目配りでした、許してつかわさいと言う事です。踏んだり蹴ったりの国民であります。

税金だけは一応に支払わねばならず、消費税まで支払われては、泣きっ面に蜂であります。

日本国民感情の概念は、どこに帰来しているのでしょうか?
  1. 2022/04/30(土) 21:24:49|
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日本国指針像いずこに!

https://pachitou.com/?p=4491

>バブル崩壊後に財務省と日銀の主導で日本は景気回復しそうになるたびに邪魔をされ
失われた30年、この経済成長のない30年間を作られてきました。
30年はあまりにも長すぎます。
普通の企業なら20年は新人社員だった多くが管理職になっているはずの年数なんですから<引用

日本国効力概念を生かし切れなかったのは、口惜しい限りであります。

いろいろの障害構造に陥ったものの、苦境にこそ日本人効力を、発揮してきたのですが、なぜできなかったのであろうか?

現況の30年を振り返って見てこそ、生きる筋道が見えてくるのではなかろうか?

若者の伸びる素材が、失われたと言うのは如何ともしがたい、反省概念として、記憶に留めなければならない。

この事の政治責任は、取り返すことが出来ない極めて大きい失態と言わねばならない。

ひいては日本国日本人の責任として、我が国の条理構造として、今後生かせばいいのである。

後振り返っても、過去の次元像が、生き返るわけではないけれど、良く見つめて行けば、先の次元像が見えてくるかもしれないのだ。
日本人知力の概念であります。

よそ者筋書きを、描いているのではありません。日本国筋道の概念であります。
  1. 2022/04/30(土) 11:37:51|
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核保有の概念

http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-8623.html

公明党の山口那津男代表
>「日本は核兵器のない世界を目指してリーダーシップを取るべきだ」
「日本が『核を共有する』と表明すれば、核不拡散の一角を破ることになりかねず、かえってリスクが高まる。不拡散の推進に反するような対応をとることは日本の外交姿勢の信頼性を損なうことになる」<引用

公明党の言い分を、尊重して優先しなければならない。核持たずにいた。
国守るより、公明党の言い分を尊重するのが、当方の言い分である。
日本国を守る気概は、後回しでよろしい、核を持たない事の方を優先すると、選択したのであります。

しかしながら、ウクライナのように、核持っていたところを、放棄した為にロシアから攻め込められて、核落とすと脅しまで加えられて、脅かされているのであります。

核温存していたなら、攻め込められる事は、なかったであろうことは、容易に想像できる。

核なくして、対抗する手段があればいいが、そのような通常兵器はない。
核持っていれば、どのような通常兵器よりも優るのであります。

お前んとこ、核持たない方が悪いのよと、滅ぼされたらどうするのであろうか?

日本は、核持たないと非核三原則があるのに、何で落としたのだ。
まったくひどい国もあるものだ、許しがたい!

核落とされても、通常兵器で反撃しても、間に合った話ではない。その間、また次なる核を落とされて、被害甚大になり、焦土と化してしまった。何で核持ってない所に落とすのだ。卑怯ではないかと散々文句を言ったのですが、申し訳なかったもう落とさないからと言う。

今度は通常兵器で、正々堂々と渡り合いましょうと言ったって、核で相当に国土が焦土化して、今更正々堂々もないもんだ。その分賠償してくれと言ったって賠償してくれればいいのでしょうが、果たして聞き入れてくれるのでしょうか?

核落とされないようにするのが、防備体系の本義であり、その事を怠っておいて、何で落としたもないもんだ!落とされた方が悪いのさあ、と言われればどうするのでしょうか?

いくら敵側が、申し訳なかったと言われたところで、後の祭りでありましょう。

尤も核落とした分だけ、当方の負けと致しましょうと、勝ちを日本側へ譲ってくれたら、少しは改心の仕様があったものの、良い方へ解釈すればですが、果たしてそのような所が存在するのでしょうか?

仮にいたとしても、被害の方が負けた国土より、勝ちである日本国土の方が犠牲者も甚大であり、おまけに国土まで焦土化されてりゃ、核持ってなくても、譲ってくれたおかげで、戦った日本国ですが、勝ったのに負けのような気分になろうと言うもの!!

で以後も核無しで持って、日本国維持してゆくのでしょうか?再び同様な戦火を帯びても、やっぱり核無しで、犠牲者のたくさん出たものの、焦土と化したものの、同じように敵側も勝ちを譲ってくれたはいいものの、負けた国の方は、通常兵器の破壊だけで済み、どっちが戦勝国なのか分かりはしない。

このような戦争ならせん方がましでありましょう。要するに、核を持つと言う事は、勝つ為に戦争するのであり、核なければ、戦争に勝つと言う事は不可能であります。

日本国は勝ちを望んでいませんので、敵側の皆さんよろしくねえと言う事です、負ける事を望んでなくとも、核なければ負ける事を覚悟しなければならないのです。良くて引き分けでしょう。

勝てば御の字でしょうけど、敵側が核落とせば、負けなければならないのです。国民が束でかかっても、核保有国には勝てないと言う事になります。

つまり核保有の概念が、国民の生命財産に匹敵する所有物と言う事になりましょう。

なければ、国民犠牲の上に負けを覚悟して、賠償金まで失う事を意味します。最悪は国家消滅と言う事になりましょう。

日本国保護する観念像は持ち合わせていませんと、破棄している事になります。

国家の主体性を破棄している日本国が、どうして通常兵器で勝ちますから、敵側へ覚悟して攻め込んで来て下さいねえと言える義理ではなかろう。

勝つ見込みを、放棄しているのですから、負けるのは当たり前でしょうに!

戦争したら負けるか、引き分けるのかの、見込みしか持ち合わせていませんから、よろしくねえと言っている事になります。

勝ちは要りませんと言う事です。国土守る気概を喪失しているのであります。

公明党が言うような、お題目がどこも通用するような、社会造りが成されていれば叶う事ではありますが、、、。
  1. 2022/04/30(土) 10:55:39|
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時代構築の概念

https://pachitou.com/?p=4491

>安全マニュアルというのは血で書かれているなんて言われたりします。
深刻な事故になってようやく問題を認めるケースがほとんどだからです。
できることなら問題を未然に防げるようになってもらいたいものです。<引用

とかく日本人は、先を読むのが、へたくそとか言われます。
中には優れた人もおられるでしょうが、人種構造の概念を思う時に、日本人は事が起こってから考えるとか言われています。

その時に対処の仕方は、場当たり式対応ながら、一流であるのですが、先々何をどうすればいいのかが、不得手であるようです。

日本国資源国ではないだけに、物は大事に使わねばならない、と言う意識が高く、勢いその場の概念が、優れるようになっているのかも知れない。

本来が日本人、人を育てるのが得意のはずですが、いつの間にか、そうではなくなってきたのでありましょう。

多くの人が入り混じれば、気薄になってくると思われる、そこを日本人本義構造の通るように仕上げようと思うなら、至難の業となりましょう。

現状はその一端の表れかと思われます。日本人なら阿吽の呼吸で一を知れば、十を知ると言う事も分かるのですが、ことよそ者が入れば、日本人と同等の考えは、ほとんど持ち合わせてはおらず、自己保身優先であり、社会造り素養の概念を持ち合わせてはおらず、これらに合わせようとするは、お門違いであり、難儀すること千十の思いであります。

日本国築いているのではなく、よそ者の為に、気を使い過ぎ、あらぬ国造りをしている、羽目に陥るのであります(夫婦別姓、外国人参政権など)。

何のことはないよそ者から、日本人の為の国造りよしましょうねえと嵌められているのであります。ヘイトなどその典型でありましょう。

日本人の為の国造り無用と言う事です。あまり上等の国造りするのも、考え物だと言う事になります。

よそ者観念像に位置すれば、このような事になってしまうのです。不遜な事であります。真っ当性の、日本人流儀の生きる、国造りをすればなんてことないのですが、、、。
  1. 2022/04/30(土) 09:12:41|
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韓国様期待半分の効用性

https://ameblo.jp/nihonkaigi-yachiyo/entry-12739959083.html

>関係者によりますと安倍元総理は、韓国側が慰安婦問題の解決を確認した2015年の日韓合意が一方的に破棄されたことについて「残念だ」としたうえで「批判を乗り越えて履行しなければならない」などとする考えを伝えたということです。

また、徴用工問題をめぐる資産の現金化について避けるべきだと強調し、韓国側は「お互いに努力しなければならない」などと述べたということです。 <引用

狡いと言うか賢いと言うか、まるで日本側が悪いことをしたみたいだ。

お互いが、努力しなければならないと言う。
で韓国側は、日本側が、どう努力するのか、じっと見守る算段なのでしょう。

どっちが問題を預かっているのか分かりはしない。

韓国側が、問題を預かっていると思うのは、間違いであり、日本側が韓国の問題を執拗に取りまとめる宿命があり、良い知恵を出すのは、日本側の役目であるからと言うのです。

日本側が、良い知恵を出さなかった場合には、責任を擦り付けようと言うのでありましょう。

日本側の全責任であるから、何か貢ぎ物を出さねば、引き合った話ではないと、韓国は、日本側の良い知恵を期待していたのに、大した知恵も持ち合わせていなかったと言うのは、不逞日本国である。

相当に貢ぎ物を、重ねてもらわんと、韓国民に申し開きが出来ないようになる、全く日本側には、期待すべきではなかった。

どうしてくれるのだ、この決幕はと怒っているのであります。

何の為に重い腰を上げて、日本側に来たのか分からんではないかと、苦虫を噛み潰した顔をしているのであります。

要するに日本側に寄っかかりたいのだけれど、相応の論理構造を仕込まねば、韓国民衆が引っ込まないはずだから、民衆へのアリバイ作りの為に、こしらえた日本国訪問であったのでしょう。

日本側もようよう迎えたのですが、また今度もむしり取られる事を、覚悟しなければならないとは、狡賢さの勝負に掛けては、世界に類を見ない相手だけに手こずる事は請け合いであります。

竹島、徴用工、仏像など解決してから、訪問するのなら話は分かるのですが、分からない相手だけに、難儀しているのであります。

ごねる事の表情差は一流とみてよさそうであります。
幸いにして日本側三流の事と見下されているのですから、辻褄は合いはするが、、、。

日本人以上の好奇心も一流であります。

ここを日本側上手く利用すれば、世界を席巻できるのかも知れないが、その効力が有るや無しや!

いずれにしても、意識構造が変わることが、出来るや否やにかかっている。
でないと、どこ行っても通用しないからだ。いつまでも誤魔化せるものでもなかろう!
  1. 2022/04/29(金) 17:38:31|
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韓国様優秀?

http://endokentaro.shinhoshu.com/japan/post8806/

国民性なのでしょうか?折角来てもらったのだから、我が国の礼節からしても、合わずにはおれなかったのでしょう。

言うなれば向うの方が、一歩も二歩も上手てなのですが、上手く頭に乗せる事を、目的にしてますから、計略通りと言う事なのでしょう。

乗せられなくってもともとなのですから!しめしめと言う所です。

日本国も、韓国流儀の外交力で、上手く手綱を引くことに掛けては、一流でありますから、見習っても悪くはないのですが、ただ信義構造が伴わないだけかもしれない。

嘘騙す事を優先するのですから、騙されないようにねえと、前持って言ってくれれば、注意もしましょうが、日本と同等の気質構造の持ち主と、思い込んだのが、事の始まりでした。

あにはからんや、外交とは、嘘騙しの有効性を、確かめる試金石であったとは、韓国様が、上手を行くはずであります。

日本側、しぶしぶ後ろから、付いて行く羽目になろうとは、未だにそうなのですから、いつになったら気付くのやら、気が遠くなるようであります。
  1. 2022/04/29(金) 13:11:42|
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韓国側優勢

http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-8621.html

何とか引っ掛かりそうな手掛かりを得られたぞ!
何とか日本国に来た甲斐が、見出せそうだ。

如何に韓国様が偉いのか、日本側もうすうす感じている事でありましょう。

韓国様の腹の探り合いは、なかなかに手の内を見せないようにして、ひたすら日本側のご機嫌を取って、上機嫌になった処で、保護にすればいいのだ。

なあ~に、日本側、反故にされるのは、慣れっこになっているから、大した問題ではない。

勝手に反故にされる方が悪いのだから、日本側へ責任を擦り付ければ、事足りるのだから、後は韓国様の方程式にのせて、丸め込む事に掛けては、任さんかいと言うがごとく、悦に入っているのであります。

日本側と韓国様の第二ラウンドが始まりました。

引っかかるのか、引っかけられるのかの勝負でございます。

またもは日本側、分が悪そうであります。
何回引っかかれば、分かるのであろうか?気が遠くなるようであります。
  1. 2022/04/28(木) 22:01:42|
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権威は、威張り散らかすものにあらず

https://blog.goo.ne.jp/wagasato/e/0af2e59e3ffec7936a6e61bd793a81d3

本当の権威構造とは、信頼性の元に他の信義構造に置いて、支えられるものであり、自らが獲得する代物ではなかろう。

一つの伝統風俗と言ったものが、人々に載っかりて、与えられる権威構造ではなかろうか!

つまり良質構造を磨き得る人格構造とする。
人格観念像の中に称えられている風格のようなものではなかろうかと思っている。

人間の次なる資質構造を磨く、努力目標かも知れない。

お金は権威構造には付くものではありません。
人間の精神像によって確保されてゆく権威構造とします。

人格成長の中で語られる、育成観念像とでも申しましょうか、人の世に息づく遥かなる時代観念像に生きる宝物とします。

人々の心の中にある、優れた価値ある権威構造を、崩し去ろうとする謀まで生じて、人の世を暗くするのであります。

明るい観念像の中に、築き上げる権威構造であらねばならないのに、権威も権力も、一緒くたの概念であるかのごとく、解釈しているのであります。

権力は得てして欲望の観念像に位置するものであり、権威構造は、人間風味の伝統構造にこそ、湧き出る貴重な概念であります。

人間剥奪の権威構造なんてありません。
権力行使像は、得てして人間を拘束する主義へ優先させようとする、人権はく奪する主義にまでになってしまう事です。

社会造りは、拘束主義の中には生まれ得ず、権威構造の概念を喪失することになります。
人間拘束主義の中には、権威構造の概念は存在しない事になります。
言うなれば、人間の価値ある社会造りの存念を放棄している事になります。
  1. 2022/04/28(木) 21:32:38|
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平和主義と言うお題目こそが、有効であると言う

https://pachitou.com/?p=4487

>改称は印象操作に映る。攻撃力を高めるのではなく、外交努力で紛争の火種を除く安全保障政策を取るべきだ。
~中略~
むしろ日本政府は、軍事力に頼らない憲法の国際平和主義にのっとった自主外交を展開すべきだ。<引用

我々の平和主義、平和主義と言う、お題目こそが、世界を平和主義に導くと解釈しなければならない。

素晴らしいお題目を唱える事が、即平和主義に繋がるのであり、世界の皆さんが、我々の平和主義と言うお題目こそが、世界を平和にするのであります。

ウクライナ、ロシア戦争も、平和主義のお題目がなかったから、争い事になったのであり、世界はお題目を目指して突き進む事をしなければならないのである。

この日本国、現状は平和主義と言う、お題目に囲まれて平和であるのであり、あなた方も素晴らしいお題目があるのだから、崇め立て祭って唱えなさいと喧伝しなければならない。

認識構造の持ち合わせが違っている事になります。

平和主義、平和主義という認識を持つのはいいでしょうけど、実際に武力持っている所から、そのような平和主義のお題目無用、と敵側が攻め込んでくれば、どうするのでしょうか?

対抗する武力で持って、撃退しなければ、国土を守れないのではなかろうか?

侵略する方は、武力行使で進撃しているのに、平和主義のお題目で、対抗できるのでしょうか?説明がつかないのではなかろうか?

世界中が、平和主義のお題目こそが、有効としなければならないと言う約束事が必要でありましょう。
それでも世界中が、守ってくれることが条件でありましょう。
  1. 2022/04/28(木) 11:09:15|
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