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普段の中に正当性を求めて

私の考え出す基点を真っ当性の中に、出来るか否か 日本国の思いを馳せながら綴ってゆこうとの所存です。

自由活力源の生かし方

https://pachitou.com/2025/01/09/

>日本ではオールドメディアが真っ先に
「ファクトチェックするぞ!そのための団体も俺達で造るぞ!」
と、先にファクトチェック団体と関連団体を作る事で
自分達オールドメディアのデマを
一般人有志にファクトチェックさせないように先に流れを作りました。
他国でも当然のように似たことをやる連中がいるわけで、
それならイーロン・マスクの画期的発明と言って良い
コミュニティノート方式にした方が良いという話になったと。
<引用

自由は、制約付きの自由であってはならない。
自由は、自らの主体性において自由とし、制限が加えられる事はありません。

その分、責任次元像を尊重しなければならず、時として不自由さを掻い潜らなければならないようになる。

要するに自由さを尊重するならば、自らも他の事物像を尊重した物言いでなければならない。

一方的に申し述べる自由ではありません。独り言の趣とは、別次元像であり、通用する物言いにはなりません。

要するに、偏向的物言いが、通用するはずがないのです。一辺倒の自由は有りませんと言う事になります。

議論においての、高級な自由裁量と言う事になります。相手側の趣旨構造を重んじると言う事です。

最良の仕組み構造の中で語る、言論の自由の概念はどうするのか?
次なる第三者的次元像を呼び起す事になって行く。

真っ当に社会造りを仕上げる要素として、言論の自由の趣旨構造が、延々と横たわっている議論の場を構築するようにと取り図られているとも言えましょう。

人間精神像の、進化を促すものとして、言論の自由が奏でられていると申せましょう。四方八方から、難題を手繰り寄せて、解決するのかしないのかは別口として、人の世の次元像として語られてゆくことには違いない。

人の世の次元像が、どのようにして語られてゆくのか知らないが、時世の世界が、刻まれてゆくことには、違いなさそうであります。
  1. 2025/01/09(木) 13:05:43|
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