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普段の中に正当性を求めて

私の考え出す基点を真っ当性の中に、出来るか否か 日本国の思いを馳せながら綴ってゆこうとの所存です。

国事のこと

国造りを乱す奴は当然罰しなければならない。日本国の概念に沿って国造りを始めている。

その趣旨に沿わぬものは当然排除しなければならぬ。出ないと国造りが覚束ないものになり、それどころかよそ者に乗っ取られる可能性まで出てくる。

あたらほったらかしであった為に、庇を貸して母屋を乗っ取られることになる。

日本人の気質とは違う観念性であり、貶めて何ぼの輩であるのです。まるで敵対心であります。

その敵をわざわざ日本国は囲っているのであります。よそ者の国にならんとするのであります。

現況のマスゴミ、司法業界、カルトなどを見たら一目瞭然でありましょう。我が国を落としめんと手捏ね引いているのであります。我が国のお人好しをいい事に謀反をたくらんでいるのです。

挙句に犯罪まで起して日本国民を蔑ろにしているのであります。日本国の概念構図乱すことおびただしく、我が国の屋台骨まで毟り取られているのであります。

それと言うのも我が国の至らなさから来る欠陥事項であり自ら撒いた種であるのです。日本国の名において解決せねばなりません。よそ者が解決してはくれません。

どのような日本国を造り上げるのか、国家の指針を明確に示し、国家国民を救うためであります。

あまりにも我が国は危機意識の観念性がなさ過ぎる。防備と言い、国守りから、国内事情から、無頓着すぎるのであります。よそ者はわが国を撹乱させるのが目的のようだ。あってはならないことが起こっているのです。

在日の観念性と我が国の観念性があまりにもかけ離れており、貶めて何ぼの輩であります。死に物狂いで来ているのです。日本国の国造りに歯向かうことあらば排除するのが相当でありましょう。

  1. 2013/10/31(木) 16:44:58|
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反日教育

反韓教育をしたって、反中教育をしたって、双方から文句は出まいなあ。

ところが我が国は反韓、反中教育を致しません。何ら利益になることはないからです。

なら韓国も無駄なことしないで自国民の資質を上げるべく教育構造に死力を尽くして観念像を仕上げるべきであります。

その方が将来に向かって何ぼか国力になるものを!せめて反日教育をしたらどのようなメリットが転がり込むのか自国民に説明しなければならないだろう。

貴重な時間を潰しているのだからもったいないことになる。人を誑かす仕草が国家繁栄につながるとは思えないのですが、どこぞの所は気の持ちようは違っているのであろう。

人を貶すと言うことは自らの才能を磨くと言う事にはならない。

国家教育指針に歯向かうものであり、他人を貶める構図と言うのは通常の社会形態には用いてはならず、人間の資質向上に何ら役立つものではないからです。

国家教育の概念構図が間違っている。教育観念性において何が国民に適した教育なのか分かろうとしていないのではなかろうか?

国家教育の資質を堕落させているに他ならない。当方には国家教育の概念は持ち合わせてはいませんと白状しているようなものである。まことに至らないものとなってしまう。

本来の教育のあり方ではなかろう事は分かっているはずだろうから、尚且つも反日教育を沿うであろうとすることは従属性を呼び込むものとなって国民にとって不幸以外の何物でもない。

国民は従属物ではありません。国家を組み立てる重要な土台であります。もったいない時間を費やして従属物に仕立て上げるは国民も浮かばれないであろう。

反日教育でよそ様を貶めようなんて通常の教育概念には相当しません。
自らの国民をさげすまし、蔑ろにしている事と一緒なのであります。尤も気が付けば直しているはずですが、気付かないのであろう。

国家国民の概念構図を逸脱したものにしている。
  1. 2013/10/30(水) 22:47:18|
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近隣諸国に物言い

http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5245.html#comment

日本国、国家基点を問う時に、よその国を基点において物申すことが出来るのであろうか?

日本国趣旨概念は日本国にある。日本人の胸の内にある。日本人が生活するのですから当然のことでありましょう。

それをよその国の事情も考えてやらねばならない。そうしないと我が国の事情が成り立たないようになる、よその国は重要であるからよそ様の基点に立って考えてやらねばならないという。

なるほど近隣にあるから必要でありましょう。それには条件がある。我が国だけ一方的に思い煩っても相手側が日本国のことを思っていないのに何で日本側の方から思い煩わねばならないのだ。

その逆の反日教育を施しているところであり、竹島問題。南京事件、尖閣事件と我が国に敵対心さえ抱いているところである。何で我が国が相手側を思い煩わねばならないのだ理由付けが存在しないのである。

むしろ関わりたくないのが本音でありましょう。関わったところでせびられる事請け合いだからせぬ方がましというものでしょう。

それとも歯向かって来ようが、反日していようが近隣諸国にはご機嫌麗しくお付き合いせねばならないとするのだろうか?

お付き合いしたところでまた猫なで声で気負ったなあ、また誑かしてやれと毟り取られるのが関の山で、何ら我が国に利益になることはなかろう。

返って居丈高に出られ貶されるのが落ちでありましょう。腑抜けといわれる由縁が増えるだけであろう。

向こうさんが日本の良いところを見習い、お互い掛け値なしの対等のお付き合いを致しましょうといって来た時が条件でありましょう。過去の経緯からしても何ら尊称になる事ではなかろうに!
  1. 2013/10/30(水) 14:34:45|
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思慮思考観念性の違い

人にはいろいろの考えがありますから、それはそれで充分なのですが、ここをよそがどうのこうのだから、こうなったのだと相手側へ不慮の事態になったことを擦り付けるものがある。

当方が不慮の事態になったのは、相手側のせいであり、全て相手側に押し付けて自らは責任を負いたくないのであろう。

当方に一切の非はなく、あるとすれば相手側にあるのである。こうすれば相手側が当然責任を負ってくれると思い込むのであります。責任も当然相手側へ擦り付けるのであります。

自らは手を汚さずに済むから楽なものであります。非は相手側にあるとしている。

自らの都合の良いように解釈する性癖を持つ。責任観念性の湧かない仕組みが出来上がります。

責任観念性が湧かないということは国造りの概念構図において基点を成す指針がどこかへ行ってしまう事です。国家責任体制が存在しないものとなってしまいます。

それぞれの機能機関が責任体制において成り立っていないのだから、国造りは覚束ないものになるでしょう。

国に対して、公のものに対してもあまり責任感と言ったものが、感じないのではないか?国家の作為活動が至らないから民族資質の向上に結び付かず、国土に満たされないものに成っているのではなかろうか?

国家教育概念の高さを垣間見るのであります。

反日を施してこれで良しとするは洗脳領域であり、自国民に従属物になりなさい言っているようなもので、従属物に幸せはありません、党の為に働きなさいとしているのです。

国家教育の理念の高さが行き届いていないのではなかろうか?そう思わざるを得ない。国家、民族資質が合致するように教え込むのが、本来の教育のあり方でありましょう。自国民を如何に資質の高い民族に仕上げるのか、国家国民の命題であります。

まだ世界はこの観念性に乏しく、とてもではないが身に付けるどころではなく、自らが生きてゆくのに精一杯であり、大国の成すべき仕事はあまりにも大きいといわねばならない。ほとんど手付かずの現状をさ迷っている様子であり、世界構図を満たしきれないでいるのであります。

構築する人間の概念構図がどのようなものかを把握できないでいる。
自らの国民の資質を挙げ、我が国家の繁栄に結び付けて行くのであります。
  1. 2013/10/30(水) 13:50:11|
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責任転嫁

http://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-entry-2294.html

人に責任を擦り付けてはいけないよ。その前に自らの不慮を詫びるべきだろう。自らが起した行為は棚に上げて人を批判することはなかろう。
自らの器量を優先させても構わないのだから大いに利用せねば罰が当たるであろうし、何よりも自分自身の鍛錬になるのである。ここから成長心が芽生え心身の発達する要素がうかがえるのではなかろうか?人のせいにするは自らの行為を逃避しているのであります。人の世の流れを生かすも殺すも己の器量次第であります(黒澤明監督、隠し砦の三悪人から、雪姫の言葉から引用)。
  1. 2013/10/29(火) 23:59:49|
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責任の取り方

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20131029-OYT1T00920.htm?from=main4
http://news.mynavi.jp/news/2013/10/24/025/

責任の取り方にもいろいろあり、本人の意思が尊重されるが、すでにその尊重心が半減しており、本当に本人が責任を取っているのか窺わしい面がある。会社の仕事上において反社会的な行為を見逃した事への責任であります。本人がこれで責任を取ったと思えばそのようですが、社会的に見て企業のトップが反社会的な行為を見逃してお金は半年間無報酬で働かしてもらいますとして責任観念が消えうせるだろうかと言うことであります。

片や阪急阪神ホテルズの料理偽装問題で社長は辞任した。まずはどっちが男らしいかと言うことでありますが、これは言うだけ野暮なこと。
要は責任が後世に与える影響でありましょう。人間の過ちにおいて誰でもあるから仕方がないこと、失敗のない人間はいないから、そのことを後世に如何にしたら同じような失敗を繰り返さないように出来るかを指し示すことでありましょう。後世に生きてくるのです。そして良い会社になってゆく道筋が敷かれて行きます。

  1. 2013/10/29(火) 23:02:40|
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特定秘密保護法案

民主主義は国民が主体で動いている。その動いている国民を管理管轄し保護しなければならない国家としての義務がある。

国家は民衆の構想力の上に立ち、尊重する観念像において成り立っている。民衆一人ひとりに国家は保護する義務を負う。言うなれば国家と民衆の共存共栄の下に造られし国造りであります。

知る権利と言うのは他を迫害しての構図ではなく、他を尊重心の元に造られている相互依存の関係であります。

国民が国家機能を保護できるわけないので、国家権力の名において日本国民を守ってもらいたい。その為の秘密は守らねばならない。国家機密事項の仕組みを保護しなければならず優先事項にすることが国民を守るという観点からも必要であろう。

日本はただでさえスパイ天国と言われており、情報がもれていることおびただしいからしっかり管理してもらいたい。

国家は国民の為にあるのだから国家がしっかりすれば国民もしっかりするものだ。
国家は国民を保護し、国民は国家を支えなければならない。相互依存関係であります。

日本国にはただでさえ紛らわしい人物が潜んでいるのに見分けなければいよいよ持って日本人は風化してゆく。

日本人たる国造りが要求されるのであります。
何の事はない先祖からの教育をしたらいいのであります。

我が国は市民自らが名乗りを上げることはないのであり、市民の名を借りた敵側の不当な要求かも知れず、日本国には列記とした日本の国造りが目的であり、その組み立てを仕上げている段階であり、定かでない輩に明らかにする必要も無かろう。

他の国々も我が国と同様の措置をとっていれば別ですが、我が国だけ機密防止法をわざわざ知る権利において開示する必要もなかろう。

国家機密事項において国民を守ることが最優先であり、知る権利を差し置いて防ぎきれるものではなかろう。

我が国だけ一方的に知る権利において開示する必要もないわけで、日本国の国益に沿う方を優先するのは当然であります。

安易な知る権利の開示において、敵側に利することがあってはならない。ここにも我が国の腑抜けと言われる由縁が潜んでいる。防備において筒抜けになる可能性大であります。何の為に国を守っているのか分からないようになる。スパイ防止法がないというのがその証拠でありましょう。スパイが喜ぶはずであります。

国家を防備する観念性が優先するのは言うまでもない。
  1. 2013/10/29(火) 22:17:21|
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暴力主義 (11)

国家は民衆の主体性で成り立つ。その民衆を差し置いて暴力主義が優先されるわけではありません。

普通に国家主義と言うのは暴力主義を基点に置いてはならぬものです。国家には民衆が存在して国家繁栄を謳いあげてゆきます。

まだ国家の概念構造が成していない所もあり、暴力で国家繁栄が結び付くとは思えないのですが、構想力において民衆の活力を引き出すところとはならず、逆の制圧する事が国家繁栄に結びつくものであると勘違いをして躍起になっている所も有る。

趣旨構想の持ち方が逆を意味して、民衆の活力を剥奪しているのであります。民衆に活力は必要ありません。当方の下部として働けば充分であると、至る所に制圧を加えて従属性の工程を経ているのであります。

暴力は民衆の社会構造には含まれていません。社会活動の枠外として別構想となってしまいます。いわゆる反社会的工程であり、人類社会に組されていないことが分かります。

何故か単に本能闘争社会になってしまうからです。別次元社会をこしらえることになります。

人間の知力による人類の進歩がなくなることを意味します。

国造りは抑圧する者に対して排除することを余儀なくする。従属性の世になることを防ぐためです。

暴力主義は正常な機能を維持できないものに変えてしまう。人間の感性を剥奪する構造に持ってゆく。その暴力主義を取り繕っているのは他ならぬ人間と言うことになっているから、自らが人間否定論を呼び込んでいることになる。

人間社会構造において否定論を呼び込んでいることです。つまり人間社会構造は望めないのですよと呼び込んでいることです。

異次元社会構想を正常な社会構想に挟み込み、別社会構想を作りましょうと呼び込んでいることです。つまりは本能闘争社会であります。人類社会は本能闘争社会が相当であるとしている事になる。あってはならないことです。

暴力主義は主義主張の感覚を麻痺させ、たえず怯えて警戒心の強い社会を作り出してゆく。思慮思考の概念構想が存在しなくなり、弱肉強食の闘争本能社会を作り出す事になって行きます。
  1. 2013/10/29(火) 13:47:16|
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日本国建国とスパイ防止法

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2051.html
http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/32196760.html

日本国は日本人の為に国造りをするところであります。よその国造りは致しません。

先祖からの伝統と共に日本人の誇りある国造りをするところであります。またよその国造りをしようと思っても出来るものではありません。

何故出来ないのか?日本人の気質が染み付いたところだからです。国家国儀において何ら反することにはならない事です。

日本国建国に反することあらば、それこそ先祖否定になってしまいます。血と汗の滲む日本国土に泥を塗るようなものです。日本国に歯向かう不逞の輩として処罰されましょう。
日本国建国を遮るものではありません。私たちは豊かな日本国を築き上げる使命があります。普通に当たり前の事です。

日本国建国罷りならんとすれば何処の国造りをするのでしょうか?まさかよその国造りでもしようというのだろうか?それこそ日本国に謀反を働く輩であり、国家反逆罪であります。

日本国建国を阻害するものは叩かねばならない、当然のことであります。
スパイは日本国の建国を当然喜ばないであろう。

スパイ防止法があったら、スパイ活動が出来ないからだ。そこで日本人を誑かし日本国にはスパイは居ない事にするのではなかろうか?

ではスパイ天国とは嘘だったのか?なら何も反対する理由はなくなるのだから、万が一の為にスパイ防止法作ってもいいわけだ。

備え有れば憂い無しというから、役に立たないこともないだろうから、念には念を入れよう。何より日本人が保護されるのだからこれに越したことはない。
  1. 2013/10/27(日) 23:14:37|
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受信料 その3

http://ponko.iza.ne.jp/blog/entry/3212014/#cmt

受信料払いたくない人も居るのであり、至極尤もなことである。
私たちには必定として選択権が存在する。

国民は義務として受信料を払おうと言うのである。これには条件があり日本国の主体性を維持した放送を心掛けるべきであり、またそうしなければならない使命であります。

ところが何を思ってか日本人の主体性などほったらかし、よそ者主体性が大事であると、日本人の気風は何処吹く風、よそ様あっての日本国であり、日本人はよそ様の機嫌を取らなければならないと一方的に思い込ませているのであります。

まことに何処の国に住んでいるのやら、日本人は貶されているのであります。

これでは払い込むどころか返せと言いたくもなろうと言うもの。ことは国家の掛け替えのない放送機関であります。日本国民に粗相があってはならぬものであり、国家財産としての誇りを日本人に見せてもらわねばならない。

見せるどころか日本人を蹴散らしている様は日本国の放送局とは思えないのであります。

その責任を取った風でもない。挙句に払わないのなら裁判所へ訴えるぞと国民を脅かす始末、どっちに趣をおいているのかわかりはしない。

日本国民を台無しにしていることである。日本国民の為に放送局はあるのである。よそ者の為にあるのではない。よその放送局を囲っている暇なんぞないはずですが、、、。

いつの間にか不逞の放送局に成り下がったのであります。自腹をきっただけではすまないのではないか?全額払い戻してでも事は収まると言うものではないのである。

  1. 2013/10/27(日) 23:10:16|
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