「いのちを守りたい」

 冒頭に鳩山首相はこう述べた。鳩さんと軽々しく呼べない空気があった。覚悟の程がそこにはあった。時折声が裏返ったのはそれが抑えきれなかったのだろう。演説がうまかったかというとそうではないのかもしれないが、うまくはなくても何か引きつけるものがあったのは自分の言葉で語ろうとする姿勢がそこにはあったからだ。

 今の日本を覆うもの。それは閉塞感だ。

 
職に就けるかわからない、職に就いてどんなに真面目に働いてもいつ首を切られるかわからない。リタイアしてもその先が見えない。不意に職を失った時、定年まで働いて老後を暮らしていこうとする時、不安ばかりが先に立つ。

 鳩さんはまずそういう濃い霧を払い除けたかったのだろう。鳩さんは新しい公共という言葉で方向性を示した。人の役に立つことはそれ自体が喜びだ、と述べている。自分さえ良ければ他はどうでもいいというのとは全く逆の位置にある価値観は鳩さんが述べていたようにかつての日本が持っていたものだった。近江商人の三方良しという考え方などはその典型だ。

 抽象的だ、理念優先だ、という報道は一面としてはそうかもしれない。しかし鳩さんは所信表明演説後のぶら下がりで「理念がなければバラマキになる」と切り返した。ガンジーの言葉を用いたのは、人が人を支え合う社会を目指すために障害となるものを例示したものだ。

 早速、自民党やマスゴミは言葉尻を捉えて、「労働なき富」とはあんたのことだろう、とイチャモンをつけているが実にさもしい。一時、鳩さんを脱税総理と腐した向きがあったが、こんなのも金持ちに対するやっかみや僻み根性でしかない。普通に考えれば、デイトレなどの博打でアブク銭を得ることと容易に想像できるではないか。アソーも鳩さんもボンボンであることには変わりはないが、人のために働くという覚悟を明確に示している鳩さんの方がアソーよかよほどましである。

 特に、小泉進次郎!テメエに言う資格はねえよ!地盤も看板もそっくり受け継いで、名前を書くだけで合格できるような入学試験を通っただけのぺーぺーの1年生議員がよくもそんな図々しい口を利けたもんだ!身の程知らずってのはお前のためにある言葉だ!まあ、親父があれほど恥知らずな御仁だから当然っちゃ当然だけどな(嘲笑)。

 中央集権は因習化されたものだ、と断じた鳩さん。今は鳩さんに託すしかないのだから、余計な雑音に惑わされることのないように声を挙げていかなければならない。