新幹線の架線トラブル運休 悩ましい膨大な維持コスト
鉄道の達人 鉄道ジャーナリスト 梅原淳
東北・上越・北陸新幹線で架線・パンタグラフが損傷――。新幹線が一部で終日運休となったこのトラブルは2024年(令和6年)1月23日午前9時58分ごろに発生した。大宮駅を出発して次に停車する上野駅を目指していた金沢駅発・東京駅行きの「かがやき504号」が垂れ下がっていた架線の下を通ったのがすべての始まりである。
この列車の進入で架線から異常な電気が流れた結果、送電が停止。東北新幹線の上野―小山間、上越・北陸新幹線の上野―熊谷間で停電となり、JR東日本の新幹線の多数の列車が運転を見合わせた。東北新幹線の東京―仙台間、上越・北陸新幹線の東京―高崎間の運転再開は翌1月24日始発からだった。
架線を張るための重りを支える部品が破損
架線とは電車や電気機関車の動力源となる電気を供給するために車両の上空に張りめぐらされた電線を指す。今回なぜ架線がたるんだかというと、架線をピンと張るための重りを支えている部品(ロッド)が壊れたからだ。新幹線では列車が高速で通過しても架線がたわまないように1〜1.6キロメートルごとに自動張力調整装置を取り付け、両端それぞれ約1.3トンもの重りで引っ張っている。この重みがかかり続けているうちにロッドが耐えられなくなったのだろう。
ロッドの老朽化を見極めるのは難しい。それならば架線を支える電柱の一本一本で架線を押さえつければよいのではと考えるかもしれない。とはいえ新幹線ではおおむね50メートルおきに電柱が建てられている。713.7キロメートルある東北新幹線東京―新青森間でみると、電柱は何と2万2448本(21年3月末現在)を数える。これほど多くの電柱に架線をピンと張る役割まで担わせるとすると、メンテナンスが追いつかなくなるに違いない。
架線を張る手間・費用の大きさ
架線を張って電化するのには大変な手間がかかる。JR東日本には4万3016人の社員が在籍する(21年3月末時点)なか、電気部門の社員は3807人で全体の約9パーセントを占める。作業のほぼすべてで外注先の企業の協力も得ているので、実際にはさらに多くの人たちが架線などのメンテナンスに従事していると言ってよい。
維持費も膨大だ。JR東日本が20年度(令和2年度)、架線など電力設備に費やした金額は1079億9793万8000円に上った。電化区間の延長は5473.3キロメートルなので、1キロメートルの電化区間を1年維持するための費用は平均1973万円にも達する。
ディーゼルよりも電化を選んだ背景
これだけの手間やお金をかけてまで架線を張ったのはなぜだろう。それだけ電化が有利だったからだ。
JR東日本では20年度に電車または電気機関車が延べ22億6983万1000キロメートル走行し、電力費は535億8462万4000円だった。1キロメートル当たりの電力費はおよそ24円となる計算だ。一方で同じ年度にディーゼルカーまたはディーゼル機関車は延べ3483万3000キロメートル走り、軽油の燃料費は10億7544万3000円だ。1キロ当たりの燃料費はおよそ31円となる。電力よりも燃料(軽油)の方が割高になる構造だった。
仮にJR東日本すべての車両がディーゼルカーまたはディーゼル機関車となったとして計算してみると、電力費の分は燃料費703億6476万1000円へと置き換わり、電力だったときと比べると167億8013万7000円高くなる。動力費総額をみても546億6006万7000円から714億4020万4000円へと3割増しになる。
一方でディーゼルにすれば、1000億円を超す架線の維持費がいらなくなるのでは、といった指摘はありうるだろう。燃料費が増える分を差し引いても、単純計算で900億円ほどのおつりがくる。しかし電化の利点は他にもあるのだ。
費用面だけではないメリット
国鉄時代の調査によると、電化には非電化のままと比べて多くの利点があるとされた。1950〜60年代、国鉄の技術部門の部署を歴任し、その後鉄道コンサルタントとして海外でも活躍した吉江一雄氏は著書「鉄道ゼミナール」(1983年)の中で、ディーゼルカーに対する電車のメリットを次のように書いている。
・動力費(電力と燃料)だけ見ると約50%である。
・1km当たりの保守費は、40〜50%である。
・電車の耐用年数は、一般にディーゼル動車(筆者注・ディーゼルカー)より長い。
・車両の運用効率は、一般にディーゼル動車より高い。
・乗務員の生産性は、一般にディーゼル動車より高い。
―スピードの向上と輸送力の向上ができる。
―地下部分で排気ガスの問題がない。
―車両基地が清潔で、検修(筆者注・検査や修繕)による汚水の問題がない。
―運転制御が容易で、発電ブレーキ(筆者注・モーターを発電機としたときの抵抗で止まる非摩擦ブレーキ)が使える。
先に挙げた車両1キロメートル走行時での電力費と燃料費との比較は電車・電気機関車とディーゼルカー・ディーゼル機関車とがすべての面で互換性を持つとの考えに基づく。しかし、新幹線の電車のように時速320キロメートルで走らせるとか、大都市圏の通勤電車のように10両編成を組んでラッシュ時には定員を超える旅客を乗せて2分間隔で運転するといった芸当はディーゼルカーでは極めて難しい。燃料を積んで走る分、燃費の大幅な悪化を覚悟しなければ、超高速での走行や大量の旅客輸送は不可能だからだ。さらにいえば加速性能やブレーキ性能では電車には追い付けない。
国鉄が1965年(昭和40年)にまとめた報告書では借入金利が年7%であっても、1日に列車が往復で80本から90本以上運転されていれば、電化した方が有利だと結論づけていたという。
一方、旅客や貨物が少ないときは電車・電気機関車であってもディーゼルカー・ディーゼル機関車であっても走行性能の差はあまり生じない。となると、架線などを維持する費用分だけディーゼルカーが有利となる。
列車の本数が減ると…
今日、JR東日本の電化区間では1日の列車の本数が80本未満という例が見られる。国鉄時代の67年(昭和42年)6月15日に電化された磐越西線の会津若松―喜多方間もその一つだ。
2021年(令和3年)3月13日時点で、毎日運転される1日15往復の普通列車中、ディーゼルカーは1日13往復で、電車は1日2往復、つまり4本しか運転されていなかった。JR東日本は22年(令和4年)3月12日実施のダイヤ改正で電車をディーゼルカーに変えた。当時、架線の撤去を検討する方針とも報じられた。電車の廃止、非電化に当たっては沿線自体の反対の声も強いというが、背に腹は代えられない。JR東日本に限らず、今後もこのようなケースは増えていくのだろうか。
1965年(昭和40年)生まれ。大学卒業後、三井銀行(現三井住友銀行)に入行、交友社月刊「鉄道ファン」編集部などを経て2000年に鉄道ジャーナリストとして活動を開始する。「JR貨物の魅力を探る本」(河出書房新社)、「新幹線を運行する技術」(SBクリエイティブ)、「JRは生き残れるのか」(洋泉社)など著書多数。雑誌やWeb媒体への寄稿、テレビ・ラジオ・新聞等で解説する。NHKラジオ第1「子ども科学電話相談」では鉄道部門の回答者も務める。