新幹線が動くオフィスに 転機は21年?かつて特急でも
鉄道の達人 鉄道ジャーナリスト 梅原淳
平日の新幹線の車内にはビジネス目的と思われる乗客が多数目につく。車内で仕事をする場面もあるだろう。けれども、いざ行おうとすると、物理的にも精神的にも「窮屈さ」を感じる人が多かったのではないだろうか。
物理的な窮屈さでいうと、新幹線の普通車の座席はノートパソコンを広げて思う存分仕事をするには少々狭い。通路を挟んで3人がけと2人がけの腰掛けが並ぶ普通車の座席の幅は43〜46センチメートルで、隣の乗客に遠慮しながらキーボードをたたく必要があった。大柄な人の場合、隣に座っているときはノートパソコンを取り出すこと自体はばかられ、仕事ができなかった経験をもつ人がいるかもしれない。
精神的には仕事中の物音が周囲の迷惑にならないよう、細心の注意を払わなければならず、疲れてしまう点が挙げられる。携帯電話での通話は控えるとして、着信を知らせる小さな音や振動にも気を使う。キーボードを力いっぱいたたいたつもりはないのに、周囲から迷惑そうな顔をされた人もいるはずだ。
九州新幹線に期間限定の「シェアオフィス」
新型コロナウイルス禍に見舞われていた2021年(令和3年)になると、各地の新幹線でビジネス客用の車両が設定されるようになった。先陣を切ったのはJR九州の九州新幹線だ。6月14日から30日まで博多―鹿児島中央間の「さくら」1往復に「シェアオフィス新幹線」を設定した。
通路をはさんで両側に2人がけの腰掛けが並ぶ6号車の普通車のうち、窓側をリモートワーク座席として開放し、携帯電話での通話も客室で可能とした。通路側の座席は使用不可とされたので、隣の座席の乗客に気兼ねすることなくノートパソコンを広げられた。「シェアオフィス新幹線」は期間限定での設定だったので、残念ながらいま見ることはできない。
JR東海・JR西日本は21年10月1日から、東海道・山陽新幹線「のぞみ」の普通車である7号車に「S Work車両」を設定した。携帯電話での通話やウェブミーティングができ、最新型のN700Sが用いられている列車では7号車と隣の8号車(グリーン車)とで新たなWi-Fiサービスも使えるようにした。
東海道・山陽の「S Work車両」拡充
S Work車両はつい先日、23年(令和5年)10月に拡充され、「のぞみ」だけではなく、16両編成で運行される「ひかり」「こだま」にも設定されるようになった。N700Sの一部でテスト運用されていた7号車のビジネスブースも順次営業を開始している。従来は喫煙所だった空間を個室のワーキングスペースとしたもので、料金は最初の30分が10分で200円、30分を超えて60分までは10分300円だ。
目を引くのは新たに登場した「S Work Pシート」だ。3人がけの座席のうち、6番から10番までの5列分では窓側と通路側との座席だけが使用でき、仕事をするための空間が広げられた。中央の座席にはパーティションやドリンクホルダーが置かれ、テーブルも手元にスライドさせると傾くという具合に、ノートパソコンでの仕事に特化した装備が用意されている。S Work車両の利用は他の車両と同じく普通車の指定席特急券で可能で、S Work Pシートの利用時は1200円の追加料金が必要だ。
東北・北海道・上越・北陸新幹線の列車を運行するJR東日本・JR北海道・JR西日本では21年11月22日から「新幹線オフィス車両」を8号車の普通車に設定した。やはり携帯電話での通話やノートパソコンでの仕事が気兼ねなくできる。
東北・北陸などは「TRAIN DESK」に
23年3月20日からはサービスが拡充され、名称も「TRAIN DESK」と改称され、すべて指定席となり、乗る前に確保しやすくなった。同時に東北・北海道新幹線では7号車、上越・北陸新幹線では9号車へと変更されている。ただTRAIN DESKは平日のみの設定で、週末や年末年始などの時期には通常の車両となるので注意が必要だ。
国鉄時代の特急にもビジネスデスク
新幹線のビジネス車両は近年になって登場してきたが、ビジネス客用の設備は国鉄時代の特急列車でも見ることができた。1958年(昭和33年)11月1日に東京―大阪・神戸間を走りはじめた「こだま」に組み込まれた2等車(現在のグリーン車の前身)にはビジネスデスクが用意されていたのだ。
側面の窓に向けてデスクが置かれ、事務用のいすが2脚置かれていた。いまでいうパーティションが設けられ、書類の作成などの仕事が自由にできた。
ところがあまり利用されなかったらしい。資料写真から察するに、あまり居心地のよい場所には感じられなかったのかもしれない。一方で当時の2等車に乗務していた通称ボーイと呼ばれた車内のサービス担当者が待機する場所がなく、空いていたビジネスデスクを使用していたそうだ。
作曲家の古関裕而氏が愛用、苦言も
この状況に苦言を呈したのは「オリンピック・マーチ」などの作品で知られる作曲家の古関裕而氏である。古関氏はビジネスデスクの愛用者であったが、あるときボーイが占拠しているのを見て憤慨した。国鉄の旅客サービス・モニターの懇談会で古関氏は次のように述べている。
「ビジネス特急のビジネスデスクをボーイがずつと使用していたため、車内で作曲の仕事をしようと思つていたのにとうとう出来なかつた。」(「国鉄線」63年2月号の「国鉄線寸描」より引用)
かつてのフランスでは特急にコンシェルジュ乗務
国鉄のビジネスデスクが現役であった60年代、フランス国鉄の列車にはビジネス客向けに大変ぜいたくなサービスが用意され、話題を集めていた。その列車とはパリとニースとの間を結ぶ「ミストラル号」である。座席車はすべて1等車と格調高いTEE(ヨーロッパ横断急行、Trans Europ Express)のひとつであったこの列車のバー車両には秘書、いまの言い方ではコンシェルジュが乗務し、ビジネス客の要望にこたえていた。
具体的な業務はというと、タイプライターを用いてビジネスレターを作成してくれたのだという。しかも4カ国語を自在に操ってである。何語かまでは不明だが、筆者がフランスに行ったとき、大きな駅や空港ではフランス語、英語、ドイツ語、イタリア語で案内されていたので、これら4カ国語だったのだろう。
当時の資料を見て懐かしく感じたのは、秘書にビジネスレターの作成を頼むと、そのまま電報を打ってくれ、日本の相手にも届けることができたとの記述だ。祝電や弔電を除くと、いまとなってはビジネスに電報を利用する人など筆者はみない。ビジネス車両の変化はそのままビジネス自体の変遷をも物語っている。
1965年(昭和40年)生まれ。大学卒業後、三井銀行(現三井住友銀行)に入行、交友社月刊「鉄道ファン」編集部などを経て2000年に鉄道ジャーナリストとして活動を開始する。「JR貨物の魅力を探る本」(河出書房新社)、「新幹線を運行する技術」(SBクリエイティブ)、「JRは生き残れるのか」(洋泉社)など著書多数。雑誌やWeb媒体への寄稿、テレビ・ラジオ・新聞等で解説する。NHKラジオ第1「子ども科学電話相談」では鉄道部門の回答者も務める。