2023-02-18 (Sat)✎
こんにちは。平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されました。これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院です。 嵯峨院が大覚寺となったのは、貞観18年(876)。嵯峨上皇の長女で、淳和天皇の皇后であった正子内親王が、御願上表に当たり、菅原道真公の起草文を基とした奏請の文を上奏され、清和天皇より「太后の御願の通り、額を賜い大覚寺と称す。天下に頒行せよ。」と詔勅されました。そして、嵯峨上皇の御皇孫で...
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雪の日に歩きました * by 壁ぎわ
私もここを雪の日に歩きましたが
隣りの大沢の池 公園になっていて そこは別料金ですと言われて 貧乏人には入れませんでしたよ…
売店で 試食の御煎餅貰ったのは嬉しかったですけどね
隣りの大沢の池 公園になっていて そこは別料金ですと言われて 貧乏人には入れませんでしたよ…
売店で 試食の御煎餅貰ったのは嬉しかったですけどね
Re: No Subject * by ヒツジのとっとちゃん
鍵コメUさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
いつもご配慮ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
いつもご配慮ありがとうございます。
Re: 雪の日に歩きました * by ヒツジのとっとちゃん
壁ぎわさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
大覚寺、広いですね。
雪の日とは・・・大沢池の景色、綺麗だったでしょう。
ちょうど、行った日は、水を抜いてる日でして・・・
また違った景色でした~
この大覚寺の駐車場で、歯(治療済)が取れちゃって・・・
自宅に帰ってから歯医者でしたよ~~~
何かあるわたしかも・・・
コメントありがとうございます。
大覚寺、広いですね。
雪の日とは・・・大沢池の景色、綺麗だったでしょう。
ちょうど、行った日は、水を抜いてる日でして・・・
また違った景色でした~
この大覚寺の駐車場で、歯(治療済)が取れちゃって・・・
自宅に帰ってから歯医者でしたよ~~~
何かあるわたしかも・・・
No Subject * by はる
おはようございます(^^♪
お庭の「右近の橘、左近の梅」。
平安時代の古式の作法そのままの姿が見られるんですね。
今はすっかり「左近の桜」で定着、少し残念。
令和8年には開創されてから1150年ですか、
まさに平安時代後期あたりかしら。
想像すらかなわないな。
「牡丹の間」、近くで見るとすごい迫力なんでしょうね、
長押に討たれた化粧金具(釘隠し)、この色合い、当時ままかな。
この技法、日本人のさりげない美意識が感じられて好きなの。
函館の五稜郭の資料館で初めて見てから気になっちゃって♪
御籠、十六菊家紋がこんなにいっぱい。
やんごとなきことこの上なし、この数にも意味があるのかな。
お庭の「右近の橘、左近の梅」。
平安時代の古式の作法そのままの姿が見られるんですね。
今はすっかり「左近の桜」で定着、少し残念。
令和8年には開創されてから1150年ですか、
まさに平安時代後期あたりかしら。
想像すらかなわないな。
「牡丹の間」、近くで見るとすごい迫力なんでしょうね、
長押に討たれた化粧金具(釘隠し)、この色合い、当時ままかな。
この技法、日本人のさりげない美意識が感じられて好きなの。
函館の五稜郭の資料館で初めて見てから気になっちゃって♪
御籠、十六菊家紋がこんなにいっぱい。
やんごとなきことこの上なし、この数にも意味があるのかな。
Re: No Subject * by ヒツジのとっとちゃん
はるさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
「右近の橘、左近の梅」
かんがえれば、ひな段はこの並びですよね。
はるか昔からの・・・凄いですね。
すごいお寺さんでしたよ。
広い敷地に・・・月見で有名な処です♪
「女ひおり」3番目のお寺さんです。
コメントありがとうございます。
「右近の橘、左近の梅」
かんがえれば、ひな段はこの並びですよね。
はるか昔からの・・・凄いですね。
すごいお寺さんでしたよ。
広い敷地に・・・月見で有名な処です♪
「女ひおり」3番目のお寺さんです。