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今は亡き祖母から聞かされた戦時中の話をしたいと思います。 当時は働き盛りの若い男達はみな戦地に行かされて、年寄りか十代の男女と残された主婦達しか残っていませんでした、しかし当初20歳で赤紙が届いていたのが、戦局が悪化して17歳から届くようになったそうです。 井戸端会議ではヒソヒソと「お宅の息子さんはアレはもう済ませたんですか?」、当時から見栄っ張りな奥様方もいて「もちろん済ませましたよ」と返事する者が多かったそうですが、アレとは筆おろしのことで実際はほとんどそのようなことはされなかったそうでした。 しかし母ごころとしては、生きては帰れないかも知れない息子の為にせめて思い残すことがないようにしてあげたいと考えた母親もいたそうです。 当時の乙女たちは結婚するまで純潔を守り、亭主持ちはよその男に手を出せば姦通罪になります、そこで戦争未亡人にお願いしたのですが、「あたいが息子さんの最初で最後の女になんかなるのはゴメンです、死なれたら悪夢になりそうで」と断られるのが当たり前だったそうです。 色々探して、看護婦をしていた30代の未亡人にお願いしたら渋々ですが引き受けていただいたそうでした、怖がりな息子でしたので仲の良かった同級生も一緒に行かせたそうです、「いらっしゃい、ジャンケンで順番を決めなさい、勝った方が先でも後でも選べるようにしていいかな」、息子が勝ち、後にしたそうですが先に奥座敷へ連れて行かれた同級生は20分ぐらいしてから泣いて戻って来て「俺こんなことやりたくなかったよ、気持悪くて吐きそうになってしまった、先に帰る」と言い残し、残された息子も後を追いかけて帰ってしまいました。 やがて召集令状が届き、徴兵検査で全員全裸にされても息子は前を隠してしまい、長官から「何やってんだ前を隠す奴があるか検査できねえだろ、お前もしかしたら童貞か」と往復ビンタをされたそうです。 検査員の看護婦に触られると泣きながら「ゴメンなさい俺恥ずかしがり屋で怖がりなもんで」、「大丈夫よ何も心配することないから」と無事に検査は終えたそうですが、「今晩私の寄宿舎に来なさい、長官からの命令よ」となり何とか男にしてもらえたそうです。 波乱万丈な時代でしたが、当時の人情味が感じられました、皆さんはどのように思われますか?。

回答(3件)

祖母様の記憶違いや、地域性、若い頃の出来ごとをお忘れになった部分もあるかと思いますが、全体的に心温まる文面でした。 当時の見栄っ張りな主婦達と、世間話の内容は面白いですね、恐らく昭和50年代あたりまで続いたと思われます。 表向きは厳格な長官も内心は少年を気の毒に思っていたのでしょう、ちょっとコミカルにも感じました。

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あまりいい加減な事は書かないで下さい。世間に誤情報という雑音が増えてしまいます。 >当時は働き盛りの若い男達はみな戦地に行かされて、 嘘です。男手がなくなったら社会が回りません。兵役に就くのは甲種合格者の1/3程度、くじ引きで決めます。 >しかし当初20歳で赤紙が届いていたのが、戦局が悪化して17歳から届くようになったそうです。 赤紙は22歳以上の人にしか届きません。戦局が悪化したって同じです、召集と徴兵の違いも分かっていないようですね。実勢にその時代を生きた人で、この辺を混同している人は居ないでしょう。 その後のふしだらな小説は気持ちが悪くなります。

今の時代でも会社の上司や先生に逆らうのは御法度とされますが、当時の上官ともなればなおさらですよね、何となく保健室の養護教員を思い出してしまいました。 私の祖母も高等女学校時代に初めてブラをしていったら、身体検査で同級生達にからかわれて、養護教員がからかった生徒を「ブラジャーはこれからの女子の必需品です、何も変わり者扱いすることではありません」、と戒めたそうです。 但し胸囲の測定の時には外されたそうですが。